果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?308
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法王は個別にイニシエーションを授けるようなことはしないって
側近の人が言ってたよ 麻原の解釈は、お釈迦様は一人だけ完成された状態で登場したのであり
対して弥勒菩薩はそうではなく周りの者達を引き連れ同時に完成への道を歩む
菩薩とし、自分は後者のタイプ(TV番組で私が未来仏弥勒だと言ったこともある)
であり、今現在は未完だということを説明していた
未完のグルが弟子に法を説いて、解脱、悟りの道を辿らせ、その徳によってグルも
また進化していくのだと、そう明確に説いている(麻原流大乗論に属するだろう)
にも関わらず、グルは絶対という教え(麻原流金剛乗)を活動の根本に据えたことが
共に進化、成長を続けていく、ではなく、共に盲信、妄想を重ねていく結果を招いた 解脱したとは言ったものの実が伴わなくて苦肉の策として菩薩と言い出したんでしょうね
ガキ大将みたいでほんとわかりやすい 弥勒菩薩は非常に忍耐力が強く、忍耐力の現れとして大きな体を持つそうです。
この話はダライ・ラマ法王が説法でされていました。
次の正等覚者であられる弥勒菩薩の弟子になるべく忍耐力を鍛えることが必須事項じゃないかなと思われ。 忍耐力がないために、人は悪をなしてしまう。
悪口言われたムッキー!
ムラムラするからセクハラ
イライラするから酒やタバコ
ムシャクシャして通り魔
忍耐は最上の苦行であるとダンマパダにも説かれているほど。 喜び組みの体内に精液を放出し続けた結果
怒りがコントロールできなくなってサリン燻蒸 それはある。
精液は歓喜と忍耐力と勇気とやる気と関係している。
精液を漏らすとイライラ、キレる、臆病さ、無気力が増す。
わたしの経験上そう思わざるを得ない。 去勢した人間がクンダリニーヨーガ成就って可能なのですか?
そういう手術したサマナがいたみたいですが 富田林警察から脱走した人防衛省の岩崎くんに似てる動画では >>668
去勢を許可したのが本当なら精液が作られなくても成就は可能だとは思ってたんだろうけど
どうなんだろね
矛盾してるような気もするけど そういえば麻原は無駄に車好きだが
目が悪いと運転免許が取れなかったことで麻原は狂ったのではないか
空中浮揚であちこちいけるとか言うのも免許取れなかったことの裏返し 室温27度 湿度47%
いや〜〜快適だね〜楽だ
平穏な状態がこんなにも気持ち良かったとは
外的条件は幻影だとは分かっててもやっぱ気持ちよいものは気持ちよい
これだけ長い悪条件がトンネルのように続くとさすがに開放感がハンパ無いね
我々は良い状態というものをすぐ忘れてしまうんだな
知ってる最良の状態より更に更に超えた境地もやはりまだまだあるんだ
たとえば親からの優しさを受けたことが無い子供は、
そんな愛情の境地は知らない、あるとも思わないわけで・・
ということで人にはそういうものをまず提供しなければね
そうしなければ自分も味わえないわけよ 目は治そうと思えばいつでも完治できるけどあえてしなかったんだよ >>671
やっぱり精巣がないと成就は無理なのですか
女性でも成就できるのだから関係ないはずですが・・・
男女でエネルギー上昇の構造が違うとかですかね >>672
無駄に車好きなのはたしかG師とK師で
購入や改造はほとんどこの二人の趣味だと聞いたことがある。
説法で私は車は詳しくないと言っている。 彼女いない歴=年齢の自分がクンダリニーの覚醒により成就者となることは可能でしょうか?孤独で仕事も過酷な環境ですわずかな時間でも行える修行法を是非ご教授願います >>677
ヴァヤヴィヤクンバカプラーナーヤーマが一番早いようです >>678
まずは蓮華座を組むところから始めようと思います
アドバイスありがとうございます クンダリーニ覚醒なんてしっかりした指導者無しでやるものではない
オウム式で成就なんかしないので、ここで質問するのも間違い
君は筋が悪いからやめとけ、気が狂うだけだ >>675
精液が作れないと無理なのかどうかは知りませんw
理屈の上では重要なのはシャクティーなのでそれが浪費さえされなければどっちでもいいんだと思いますけど
でも無理に禁欲しつづければテストステロンの低下や不妊の原因にもなり、疾患のリスク自体も増加します
おそらく男女とも禁欲には心身ともにリスクがあります。
何の苦労もなく自然と性欲に翻弄されなくなるんならそれでいいと思いますが。 でもオウムはヨガサークルが発祥ですよね?麻原進行は否定しますがヨーガの教えが正当でなければ教団化する前に潰れると思います他におすすめの宗派やヨーガの修行法があるなら知りたいですが… 若者なら1週間の禁欲でもツライ
中年は一ヶ月くらいは余裕。
ただ溜まりすぎると下腹部、恐らく膀胱の下にある精液袋が張ってる感が出てくる。
軽い痛みもでるときがある。大概そうなると射精してしまう(笑)
だから食事制限など、他の要素がないと完全な禁欲は難しい。 >>681
なるほど、内なるエネルギーが問題なのですね
精巣を摘出した人がいたらレポートしてほしいですね 教団化できたのはヨガが本物だったからではないよ
昨日もそんな話だったから少し上を見ればなんとなくわかるだろう
そこは深く知る必要はない
生きていく上で救いが必要だとして、いきなり成就などということを目指す必要なんかないのだよ
それだと簡単に気が狂ったり魔境に入る
体験するよりもまず佐保田鶴治先生の本などをよく読んだら良いよ
何よりまず人間性の成長を先にしなければ簡単に間違えてしまうものだから
いきなり覚醒とか目指すような人は気をつけたほうが良い >>685
何事もコツコツとってことですね勉強になります 今だから言えるけどオウムに出家して三週間目に夢精しました
しかもかつてないほどの放出量で 笑 女見ても何も欲情しなくても普通に食べて、特に筋トレするとチンチンが不必要に元気になるからね(笑)
出来るだけ禁欲するけど、立ちまくって気になるレベルなら出してもそんな害はないと思う。 だけど出したあとは現象があまりよくない。
たいしたことではないけど、世の衆生の意識と同調しやすくなり、イライラなど出てくる。
精液は愛とか寛容とか心の平静と関係していると思います。 俺たちひょうきん族の懺悔コーナーのキリスト役(ブッチー武者)が麻原そっくりなのがなんともWW
これからオウムが復活する日がくるだろう。
第3次世界大戦後だと思う。イエスの預言によれば、悪魔に凱歌が揚がると。
その後でイエスの再臨が起こる。 ドラマ「プラージュ」に感涙した。
こんなドラマが放送されるくらいだから、元オウムでも日本社会は受け入れてくれるかも知れないよ。 元オウムや現アレフも和解する寛容さを発揮する時です。 イエスの逸話もそうだけど、
復活ってのは信奉者の心に同じようなものが芽生えるってことでしょきっと
それまで依存してたのが自立しなきゃならなくて奮起する
そのとき覚醒的なものがあるってことだよ そういうのを体験した者にとってそれは奇跡と同義でしょう
物質的なものじゃないんだよね >>696>>697
そう、イエスの復活なんて全く実証できない
そういうものとして現代のクリスチャンは信仰してるからね
一部カルト的な異端はいるけど 人を許せない人は地獄のカルマを積むみたいですけど、被害者遺族は元死刑囚たちを許さないとカルマを積み続けるということなのですか?
たとえば、感情をコントロールできない明確な精神病の人が常に人を憎んだり許せなかったりしてたら地獄いきなのですか?
責任能力がない人が地獄に落ちることをしたら仏法はどう裁くのですか? >>702
地獄を構成する心の要素、憎しみや嫌悪を積むということで即地獄ということではない
誰でも多かれそういう思いは積んでいる
責任能力とかどういう意味なのか不明 >>703
では何をしたら地獄に落ちるのですか?
たとえば、責任能力のない知的障害者が人を殺めても罪にないという例があります
これは現世での法における話で、仏法は責任能力のない者について言及しているのか気になったのです
精神障害者についてどう説かれていますか? >>702
麻原理論で考えると、人を許せない人が必ずしも地獄のカルマを積むわけではない。
背景に正義感があり、私は正しいんだ、他のものは正しくないんだという狭い了見があるなら阿修羅のカルマになる。
情を感じる相手を特別視して、その相手を傷つけるものを決して許さないと考えるのは人間のカルマになる。
自我意識を背景として、なんでもかんでも否定拒絶するのが地獄のカルマを形成する。 難しく考えすぎ
麻原に帰依しなければ地獄
これだけだよ >>705
地獄に落ちるカルマが最も多い状態で輪廻転生すると、地獄に落ちる。一つの行為だけで輪廻が決定されるわけではない。
たとえば、加害者と聞けばすべて否定否定否定、背景に正義感も情もなく、ただ否定する。そのことだけに奔走し、対象を否定する身口意のカルマが優位になった状態で輪廻転生すると、地獄に落ちる確率が高まる。 >>707
特別教学システム第一課によると、
五戒を守れば天に行き、これは麻原に帰依をする、あるいはオウム真理教に帰依をするということは関係ないと説かれている。 >>709
建前上そうなってるだけで、建前に振り回されるから話が錯綜する
最終的には麻原に帰依しないやつは地獄に落ちる、というのが落としどころでしょ >>705
あなたのいう責任能力ってのは要するに自覚ってことね
無意識的な悪業と意識的な悪業はもちろん意識的な方が重い
しかし物理的現象としては同じなので、
それが返るときは同じように無意識的なものは無意識的な害が
多く返るということじゃないかな
医者は善意で体を切り刻むから、
同じように助ける意味で痛みを受けて助かるような
知的障碍者はその前に無知があるわけだから、
弱肉強食の動物界の確立が高いかも知れないね
一応カルマってのは量的なものと重さとその内容のカラクリがあって
簡単に説明が難しい複雑なものだと思います
であるからできるだけ小さなものも積まないようにするに
越したことはないかとは思います。 >>707,>>710
↑ ↑
正しく教学することなく間違った教義解釈で盲目的な間違った帰依を行っていた人が、盲目的なアンチになって妄想上のウソ教義を吹聴している例。 >>184
心が同じ。同じものを信じてるのだから、信者に全責任があるよ。私はオウム信奉者ですというプラカードを持って歩いてみればわかる。画面の中で覆面付けているから石が飛んでこないだけ。
麻原が騙していたという事実を知ってもなおオウム打倒を願わず、よい教えだと思ってるのであれば、もはや確信犯の気違い犯罪者。
違うと言ってもその善いと思ってる心が引き起こしたのが、隙のある心を巧みに掴む殺人鬼の業態ていうのが現実だから言い逃れできんよ。 >>714
それイメージな
事件後一番バッシング激しかったときにオウムだといって街頭でビラ配ったり
いろいろな人と話したが、無視こそされるけど激しく嫌われることは無かったぞ
意外と一般人は冷静に見てる >>713
結局は麻原の言葉で完結するのだから無意味な反論だね >>715
>意外と一般人は冷静に見てる
そりゃISISのようなテロ組織相手に一般人が露骨に嫌悪感を顕わにするわけないだろ。
実際に敵対者にVXテロを喰らわせたテロ組織なんだし。 >>715
素朴な疑問なのだが事件が明るみになっても
信者を続けたのはなんで? 本人答えたくないと思うから代理で言います
ズバリただ飯食えるから(笑) 帰依してるのだから、布施した金で尊師がなにやっても自分の意志と同じだろ
それが違うと言うならば麻原に騙されたと言ってるのと同じだ >>719
その時点で物事には裏の裏の裏まであることを知っていたから
それ以上は文章で説明は不可能 俺たちはもの心付いてからしばらくするまで両親がセックスした結果産まれたんだなんて知らないんだよ
それがその事実を確信するにつれショックを受けるんだ
同じようなことは大人になってもあるんだ
なまじ頭が良くなったからとて余計それが自分を騙す原因になるのさ
同じことは死後の様子や瞑想の世界の凄まじさで起こる
ぜんぶとんでもないカルチャーショックだよ
そういうものが多重に合わさってできてるのがこの世界だ
これがまぎれも無い真実だ 俺からすればそういう別の次元を見ようとしないことはヘタレでしかなく見える
みんなチキンだから見ないよう避けるようしてるだけだな
ほんとのところはそういう恐怖が根底にあるのがこれまた理由だ でも真実はほんとうはま逆だ
この世界は逆立ちしているようなものだ
怖いからって逃げ込んだこの世界は地獄同然なのさ そういう煉獄を「いいものだいいものだ」と化粧してごまかしてるのがこの社会だ
まったく嘘八百だ ほんとうにいい所ならなぜあと数十年で終わるw
そのときはどんなに後悔しても先にあるのは死だ
いやがおうにもそれを考えなきゃならん
そして何もそれに対して確信的な知見が無かったこと
目を背けてきたことを後悔する
俺は死の何たるかはある程度検証したが
けっしていい加減に生きてやり過ごせるようなイベントではない
真剣でない人間ほど恐怖に押しつぶされそうになるさ
有無を言わさずそれは来る お前さんの目の前に広がる広大なこの世界
その全てが嘘とまやかしの積み木でできている
その巧妙さと深さは安倍の嘘なんて屁みたいなものだw
全てを疑ってかかれ!
出なければ真実は何も得られん、永遠にだ! >>715
今やってみ
判決確定して新聞に載って
それでもまだ無罪のビラ配りのようなことをしてるのがあんたら
道行く人に笑われるか諭されるだろうな
アパート借りるのも就職もおそらく困難 >>723-725
そんな教義が地獄を引き起こしという現実は動かせない(逆に注目に値する)
勝手な妄想を排し、事実をもって語る態度を身につけなきゃ危ないわ
中2全開でいいわけがない
中2の心も失うべきではないが、バランスな
>>727
麻原は既に終了してるけど頑張ってね >>715
違うよ
日本人は厄介ごとには積極的にかかわりあいたくないから見て見ぬふり=無視するんだよ
ほとんどの社会問題はこれに起因している
オウムが暴走したのも警察・行政・マスコミ等が見て見ぬふりしたから
信者はそういうのがわからないんだよ
社会性がなさすぎる
だから同様の麻原に共鳴して、どうせ生まれ変わるからって現実逃避してる もしも
「確かに布施したけどさぁ、尊師がたんなこと指図すると思ってないしさぁー」
なんて思いが少しでもあるならばそれは帰依じゃないよね
また、麻原は自分にとって帰依の対象としても失格だったと思ってるに等しいんじゃないの
そこに自分自身嘘があったら後々後悔することになるよね
大丈夫かな クソ腐れ宗教の延長線にあるカルトが完璧なわけねーだろ
素が腐ってんだから >>620
エネルギーを昇華するヨーガにおいては、対象を性的対象として見ると昇華できないのは確かですね
ただし、意識的にコントロールして無理やり昇華することが安全なのかどうかは保障しかねますが >>735
あなたの脳内では、仏教やヨーガが「クソ腐れ宗教」なのですか。
貴方の心の病は相当に重症ですね。 邪悪心の意味が今ひとつ理解できていないので解説していただけると助かります・・・
人を害してはならないとは、言葉によるものなのか、暴力のような物理的な意味合いなのか、わからないのです
ネットにおける煽り、中傷も人を害することになるのでしょうか・・・ >>738
「あの人、あいつはいなくなって欲しい、憎くてたまらない、ダメージを与えたい」
どれも自分の存在を優位に保ちたいがための自己保身の心から来ます。
その心は自分の苦しみを他人に責任転嫁して非難します。
まったくもって真実と違う間違った考え方なので、
自分をもっとも暗く不幸な気持ちにします。
であるから心のあり方が一番問われます。
悪業には、行為、言葉、思い、(身、口、意)とあります。
もちろん心が伴った方が深刻であるのは言うまでもありません。
あなたが煽り、中傷をされたら苦しいでしょう。
ただし指導の場合の批判もあるでしょうし、
受け取る側としては誤解しないようにすると同時に、
ここでも嫌悪しないで自分のカルマの清算としてできれば喜ぶことです。
喜べば相手に悪業を重くは積ませなかったということにもなります。 生きてく悩みが消えないので理屈をグルグル考えるのでは全く意味がないな
学んだ意味も修行した意味も >>738
>邪悪心の意味が今ひとつ理解できていないので解説していただけると助かります・・・
>>3にも書いてある通り、「邪悪心」とは、「とにかく相手の嫌がる事をしたい、痛めつけたい」といった意地悪な心のことです。
>人を害してはならないとは、言葉によるものなのか、暴力のような物理的な意味合いなのか、わからないのです
言葉のカルマであれ行為のカルマであれ、邪悪心や害心を背景に人を害したなら悪業となります。
また心において瞋恚・邪悪心・害心が発せられたならば、たとえ具体的な言葉や行為を行わずとも、心において悪業となります。
しかし相手に奮起を促したり相手に内在する悪業を気付かせたりするなど「相手の成長を願う目的」で言葉や行為に於いて人を害したのであれば、言葉や行為に於いては悪業を積む事にはなりますが、心の業に於いてはその限りではなく悪業とはなりません。
>ネットにおける煽り、中傷も人を害することになるのでしょうか・・・
全ては背景に有る心の働きで決まります。
私怨や日常の鬱憤晴らしの為に相手を罵り煽り中傷して相手を害するのであれば、邪悪心・害心が背景に有るので悪業となります。 カルマなんて自分自身を律するための思考として用いるのはわかるが
他者を断罪するために用いるようではまるでダメだよね
仏教入門レベル、初級になってない >>742
「全ては、背景に有る心の働きによって決まる」という意味なら、その通り。
折角自己を解放するための素晴らしい教えを知っても、その人の背景にあるのが邪悪心のみであれば自と他を区別し悪業を積む道具にしかならないと。
でも、カルマの法則は「思考法」じゃ御座いません。
外側の世界のカルマの法則を分析して学ぶのがカルマ・ヨーガであり、自己の内側の世界のカルマを分析して消去するのがジュニアーナ・ヨーガです。
『マハーヤーナ・スートラ』より
最初に、『カルマ・ヨーガ』がどういうヨーガかを説明しよう。
一言で表現すれば、「すべての人を師と仰ぐヨーガ」と言えるだろう。
例えば、Aさんがいた。Aさんが悪いことをやっている。そのとき、あなたは、「あー、Aさんは私にこういう悪いことしてはいけないと教えてくれているんだなあ。」と考えればいい。
例えばBさんがいた。Bさんは良いことをしている。そういうときは、「ああ、Bさんのように善行を積めば、いいカルマになるんだなあ。心も明るくなるんだなあ」と思えばいい。これがベースだ。
そしてカルマ・ヨーガが完成する頃には、Aさんは悪いことをやって悪いカルマが返ってきた。Bさんは良いことをやって、良いカルマが返ってきた。このカルマの理論が理解できるんだね。これが、カルマ・ヨーガの奥義だ。
カルマを外の世界から見ているのがカルマ・ヨーガだ。反対に内側の世界でカルマと対決し、カルマを消してしまうのがジュニアーナ・ヨーガと考えていいんじゃないかな?
だから、カルマ・ヨーガはジュニアーナ・ヨーガにつながっているのです。 最近のニュース記事からですが。
この人なりにカルマの法則を実感し間断なく被災地での奉仕活動を続けていると。
社会的地位や名誉を望まずまた世間体や外聞にとらわれることなく自主的に喜々として積徳を実践されるとは、非常に素晴らしいです。
先日の2歳児発見の件はまさに奇跡的でしたが、今まで積み重ねてきた経験や想いが実った結果だと思います。
男児発見の尾畠さん、広島入り 呉でボランティア活動へ
https://www.daily.co.jp/society/national/2018/08/18/0011555070.shtml?pu=20180819
ボランティア活動に参加するため広島県呉市に到着し、意気込みを語る尾畠春夫さん=18日午後 1枚
山口県周防大島町で行方不明だった藤本理稀ちゃん(2)を発見した大分県日出町の尾畠春夫さん(78)が18日夕、ボランティア活動に参加するため西日本豪雨で被害を受けた広島県呉市に到着した。
19日から作業する予定で「力いっぱいやらせてもらいたい」と話した。
豪雨災害後、呉市で活動するのは2回目。前回は7月9日に呉市天応地区に入り、31日まで土砂の撤去作業などをした。
尾畠さんは18日朝に車で自宅を出発し、1人で運転して呉市まで来た。
各地で連日ボランティアに奔走する力の源を問われると「日本は小さな島国。明日はわが身だからお手伝いするのは当然です」と答えた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20180819/k10011582061000.html
山口県で行方不明だった2歳の男の子を見つけた大分県のボランティアの男性が、西日本豪雨で甚大な被害が出た広島県呉市で住宅の土砂の撤去作業に参加しました。
大分県日出町の尾畠春夫さん(78)は、山口県周防大島町で行方不明だった2歳の男の子の捜索にボランティアで参加し、警察などの捜索が難航する中、今月15日に男の子を見つけました。
尾畠さんは先月の豪雨の直後に、特に被害が大きかった呉市の天応地区に駆けつけ、およそ3週間、ボランティア活動を行いましたが、18日、再び呉市に入り、19日から住宅の土砂の撤去作業などの活動を行っています。
尾畠さんが10人ほどのボランティアのグループのリーダー役となり、家の中に残された土砂を土のう袋に詰めて運搬用の機械に次々と乗せていきました。
住宅の所有者の親戚の男性は「有名な方がボランティアで来て驚きました。作業のやり方も教えていただいてとても助かります」と話していました。
尾畠さんは「『お帰り』と言って下さる住民の方もいてとてもありがたかったです。以前、活動した時と比べても、全然復旧が進んでいない住宅もあるのでこれから頑張りたい」と話していました。
尾畠さんは今月末まで呉市内に滞在するということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20180819/K10011582061_1808191153_1808191158_01_02.jpg >>744
俺から見ると(元)信者は活発に「思考」してるように見えるもんでね 思考ではないとわかりつつも「思考」しちゃって、グルグルグルと低いところから抜け出せてない様にお見受けしちゃうな
ってこと☆(ゝω・)v やったことが返ってきてる
誹謗中傷すれば
返ってきてるって認識が欠けてるから
また業を積んでしまって同じことをいつまでも繰り返すんだよ >>741
なるほど!心に悪意がなければ必ずしも相手を害しても悪いことではないのですね
行為としては悪業ですが・・・ オウムの理論からしたら、悪趣に行くやつポワせんとならんなら
ほとんどの人ポワせんとならんやろ(笑) ポワしたところでまた輪廻してまた悪さするわけだから、ポワの意味なくね? >>750
その考えでよいかどうかは麻原の末路が教えていますね。
信者なら麻原をムダにしないように。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています