進化論は形而下のスコープ内で観察可能な事柄を元にタイプの分類に応じて変化の連続性の仮説を立てる

それは形而下のスコープ内で観察可能な事柄を元にしていることから、生きる意味や目的とそもそもなんの関係もない

進化論から生きる意味や目的を演繹的に、帰納法的に抽出できると信じてる人はいないと信じたいが、もしいるなら進化論に刺激を受けたロマンチックなカテゴリエラーのなんちゃって思想でしかない

思考対象に関する事象の意味付けや、それに対する感情的なリアクションは形而上の霊や魂に原因があり生じるもの

「私が」生きる意味が何か?
それに対して人類は「汝自身を知れ」という通奏低音を響かせる

また、生きる意味が何か?
それに対して宗教はテオーシスや救済、悟りなど、強調点は微妙に違うが、大枠は同じ方角を目指している