>>408
まずその翻訳には、キリスト教の色が付いているのではないか。ユダヤ教
そのままなのか。ニシュマットには「霊」という意味は、絶対にないのか。
「精神(spirit)」という意味があれば、それは「霊」の意味だが。

和訳でも英訳でも、単に「生きる者となった(the man began to live)」で
あり、「魂」という言葉はどこにもない。

キリスト教の生死に係わる問題なので、キリスト教はあらゆる策略を巡らした可可能性があることを、忘れてはならない。

旧約には、「聖なる霊(聖霊)」という言葉が、唯の一度(詩編51−11)
しか出てこないのもおかしい。キリスト教が「聖霊」という言葉を「息吹」から
取ったものであることは、ヨハネ20−22のイエスの言葉からも明らか。

どう考えても、「神の命の息吹」が「聖霊」であること以外は考えられない。