【イエス】 私たちは主の牧場の羊Part30 【キリスト】
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愛のシリーズ 第30弾 ✝イザヤ書 51:15 わたしは海をふるわせ、 その波をなりどよめかす あなたの神、主である。 その名を万軍の主という。 前スレ https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1532686291/l50 早く皆さんに説明してあげて ヨハ。 何年待たせんの ? 十字架蛇は、グノーシス理論と多くの点で共通性がある。 ヨハンネス・グノーシスは グノーシスを称するのだから、説明しろ。 ‘(<◉>◞౪◟<◉>)’ >>344 与えました✨👰 でも恩恵が自由意志に先だって存在しましゅ。 自由意志による自己決定がキリスト信者に とって望ましいものとなるためには 恩恵が必要でしゅ。💇 例えば「パウロの回心」 金保が理解していないとする根拠の一つは 聖霊派の関係者のレスをいままで数年読んできた訳ですが、 とてもじゃないけど【セフィロト・ネチシュタンナハシュ】を理解しているようには 見受けられないからです。 なによりも あのような犯罪など犯すはずもありません。 悪魔の子供達 我々の主は、また彼らを「毒蛇ども」と呼び給うた。 ヨハネ伝8:39「もしあなたたちがアブラハムの子孫であるなら、アブラハムの仕事を為すはずである」。 同 8:44 「あなたたちはあなたたちの父、悪魔に作られた者である」。 彼らが悪魔の子供達である 自由意志 自己決定キリスト信者 恩恵 「パウロの回心」 すべて定義上の間違い。 ことばが意味をなしていません。 ここには信仰心のある人はシャロンさん以外一人もいない。 >>348 めしいの手引き w ただあちこちから拾ってきた美しい言葉を それらしく飾り立てて羅列しているだけです。 何の価値もありません。 信仰を一度持って捨てた人の末路は悲惨です。 彼らは二度と信仰を取り戻すことはできない。 ミルナの黒魔術はサーバントの前に完全に敗北しました。 到底かないませんでした。 (^ω^) >>351 あれよね😃多分 人間に自由意志が無ければ神の戒律や警告は 無意味になり もし罪の行いとその結果の災難が神の予定なのなら 神が人間に罪を犯させた上で 裁くのは残酷非道ですから。 そうでなく 神は人間に善悪の識別や選択をする自由意志を与えており その選択の結果を裁く❗ 人間はこの自由意志によって善悪、悔い改め、 回心、洗礼、信仰を選ぶことができるのでしゅ。💇 >>358 人間に自由意志が無ければ神の戒律や警告は 無意味になり ☝ 完全な間違い。本質的な無知。めくら。 悪霊どもは たとえ斬られると解っていても まっしぐらにオラに襲い掛かって来た。 オマイラとはちがう。 >>344 自由意志は与えないでしょ。 自由をつけなくても、意志とは最初から自由なものよ。 日本語正しく書きましょう。 意志は間違いです。 >>358 そして、もう1つ別の究極の自由意志があるのでしゅ。💇 それは、 救われた✨罪を犯す選択を持っていない全く解放された自由と成った意志が理想でしゅ。💇 >>348 あんたも漢字ぐらい覚えなさい。 ったく、日本語できない人ばかり。 1917年のファティマの奇跡から101年目の今年2018年の秋田の聖母の日には、 ファティマの奇跡の時のようにUFOが出現し、 参列者の前でまばゆい光とともに上空を飛び交うかもしれない。 >>364 あなたは悪魔の惑わしに乗せられています。 ほっとけば自滅しますから 倒そうとしなくていいです。 ぶっ叩けば信仰の強化の促進剤になります。 その程度の存在価値です。 >>364 JESUS CHRIST OUR LORD, WHO ALONE IS OUR REDEEMER and Savior….But if anyone should teach or maintain anything contrary to these decrees, let him be anathema. (Denz. 984-987) イエス・キリストのみが我らの贖罪主であり救い主である この教勅に背くものは誰であれアナテマ。 (デンツィンガー、984 >>348 神が人間に「悪をも選ぶ自由意志」を与えたのなら、その自由意志の 行使の結果に対して神に責任があるね。従って、自由意志による 罪概念は、完全に誤り。 自由意志に先立って神の恩寵が必要なのなら、それはもはや自由意志 ではない。 要するに「自由意志だから、罪を犯した」のキリスト教の罪概念は 論理矛盾でナンセンスである。 聖母マリアによって救われることはありません。マリア崇拝の方は気をつけてなさい。 >>368 贖罪主アナテマ しかしよく懲りもせずに次から次とうそをつくなあ 脅迫論証、権威論証、強弁、・・・etc 十字架を背負う女の像の前で 何百回ロザリオを唱えようと あなたは救われません。 多分もう半分ぐらいは同化が進行してんだろう。 調和が始まっている。 安田忠実が目指しているのはマリアの共贖宣言への布石です。 トリエント公会議の教勅に照らしても、 異端以外の何ものでもありません。 >>372 あなたは救われません。 ☝ この人コルサコフ症候群かな ? そう言えば高所から落ちて半身不随だそうだから、頭打った可能性がありますね。 毎晩イエス様とお話しするそうですから。 神が人間に罪を犯す自由意志を与えたのなら、罪は神の物である。 従って、裁かれる者は神である。しかし、真の神は、罪を犯す自由意志など 与えるはずがないから、人間には罪はない。いずれにせよ、キリスト教の 罪概念は、根本的に誤っている。人間に罪を犯させたキリスト教の神は、 真の神ではなく、むしろ悪魔なのだ。 人間に罪を犯す自由意志を与えながら、その罪を裁く。これほどの 論理矛盾はない。自由意志に先行する恩寵が必要なら、それは 自由意志ではない。 いずれにせよ、罪には、神は一切関係ない。従って、罪に対する 裁きもあり得ない。裁くのは、専ら人間である。人間の共生に反する 行為を、罪として人間が裁くのである。 >>377 意志とは志し、つまり自分が志しを立てるもので、自由でない志しは無いわけね。 したがって、意志とは神無関係に必ず自由なものなの。 だから、自由、に、意志、を加えるのは日本語として間違い。 聖書でいうのは、意思について。 これは必ずしも自由でない場合がたくさんあるのね。 たとえば友達が言ってるから、親が言ってるからとか、友達のため親のためとか意思は必ずしも自由でない場合があるわけ。 だから意思には、本人の考えというのを強調する場合に、自由、に、意思、をつけた自由意思という日本語が成立するわけ。 もちろん聖書でいうのも意思、だから神は人間に自由意思を与えたとなるわけ。 意志じゃないの、意思よ意思! 日本人なら日本語きちんとしなさいよ。 神は、人間の創造に際して、己の命を息吹(聖霊)として人間に吹き込む ことにより、己のすべての力と神性と責任を人間に与えたのである。 従って、人間の創造後は、神はもはやどこにも存在しないのである。 創造後も神を求める人間は、欠陥人間、知恵遅れ人間であり、その 事だけで、神を冒涜しているのである。 >>337 創造後の人間に神基準などありません。すべて人間基準であり、人間は 共同体でなければ生存し得ないのだから、すべて人間共同体基準です。 イエスは、神の不在を十字架上で始めて知りました。しかし、賢い生活者 たちは、初めから外在の神の不在を知っており、己の生命という内在の 神を信じて、ひたすら生存に励んできたのです。人間が、生命という内在の 神を信じて、ひたすら生命を生きる。これが、創造主の意図なのです。 >>379 法律用語では意思だが、現実生活では、意思でも意志でも変わりはない。 >>381 神は神であるし、生命は生命だ。 それぞれ異なる概念であるが、隠居が自分勝手に同一視してるに過ぎない。 そんな独りよがりな妄想で誰かと意思疎通出来るはずもない。 お前は、やはり馬鹿者だな。 世界中の翻訳は実際すべて正しいと言えることはありましぇん。💇 原語の知識が豊富にあっても 真の霊的知識を獲ることは 原語知識で限定されるようなものでは 全くありません✨ ご隠居さんはイエス・キリストにいずれ帰依するのですから早めに >>383 未信者の方に対して、ばか者はないでしょ。謝りなさい あなたのような人がいるから、躓くのです。 >>385 今初めて聞いたよ。逆向性健忘 見当識 に関して 作話でつじつまを合わせようとする。 コルサコフ症候群 ・ 脳の外傷 ? 黒魔術の弊害だな。 今の教皇様の本音は知りませんけれど、無神論者も救われるというのは十分ありえることなのです。 ガチガチの物理学者が心霊体験してコロッと霊を信じるようになったりします。 バリバリの共産主義者が聖母の出現にあって コロッと神を信じるようになった話がいくつか報告されています。 ご隠居さんもきっと神を信じるようになりますね。 やれやれ ただの脳の外傷だ。 ミルナに駆逐された椰子 みんなもどっといで 教義とか信仰の問題ではなくて、この人たちそのものの問題なんだよね。 特定失踪者とか核開発とかダムとかね。 訂正不能なんだ。 >>383 創世記2:7を百回読め。「神が人間に吹き込んだ『命の息吹』」が、生命、 聖霊でなくて一体何なのか。新約の聖霊は、イエスが己が唯一神になる ために、捏造して冒涜した結果に過ぎない。 このひとたち 日本が滅びてほしいんだから、宗教とかもメチャクチャにしてしまう。 困ったね。 中に入られた宗教はみんなめちゃくちゃだよ。 >>383 神は神であるし、生命は生命だ。 ☝ こんな事言って ぼくグノーシスとか言ってんだよ。 これで日本全国にグノーシスはこれだと吹聴して 訂正効かない。 >>385 私は、ナザレ村の大工の気の狂った子倅を神だなどと信じて、孫子の代まで 裁かれるような愚か者ではありません。 >>393 『命の息吹』が聖霊であったと解する理由が何もない。 2:7主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。 ----- 単に「命の息」と書いてあるだけだろ。 ばーか いまだに同民族が二つに分かれて相克してんのも 世界中でコイツラだけだから。 自殺率と少子化 世界一だそうだから。 >>398 ヘブライ語でもギリシャ語でも、息とは「霊」の意味。「神の命の息」なら、 「聖霊」以外にはあり得ない。 詩編では、聖なる霊(聖霊)を、「人が最初から持つもの」としている。 人が最初から(生来的に)持つものは、「生命」以外にはあり得ない。 暇つぶしでやってるけど もっと何かまともな暇つぶしないかなあ。 まったく不快だザイニチ。 >>401 だから、アンタが権威者でも何でもねぇーつてんだよ。 世間一般で通用している「聖霊」て言葉は、三位一体の第三位格なる神自身のことだろ。 お前が自分勝手に人間の生命を聖霊と読み替えて他人を誑かすのやめろや。 וַיִּפַּ֥ח そして彼は吹き込んだ בְּאַפָּ֖יו 彼の鼻の中に נִשְׁמַ֣ת 女単連 ニシュマット 息吹を חַיִּ֑ים 男複 ハイ―ム いのちの וַֽיְהִ֥י すると〜になった הָֽאָדָ֖ם 冠・男単 ハ・アダム 人は לְנֶ֥פֶשׁ 前・女単 レ・ネフェシュ 魂に חַיָּֽה 形女単 ハヤー 生ける この隠居っていう元藪医者は、 まるで統合失調症患者の妄想語り相手に誑かした言い方で妄想誘導するのと同じ手口で、俺を誑かそうとしてやがる。 こんな馬鹿者が医者なのだから、医者という人種の低脳ぷりには呆れるばかりだ。 そもそも俺は統合失調症ではないしクリスチャンでもない。 イエスを信仰してなどいないし、創世記の様なクズ神話なんて相手にしとらんよ。 隠居はキチガイばかり相手にしてきて、健常者との誠実な議論それ自体を見失ってしまった、異常者だな。 >>401 そして彼は、彼の鼻の穴に「ニシュマット・ハイ―ム」を吹き込んだ。 するとThe・アダムは、「ネフェシュ・ハヤー」となった。 隠居には悪いが、霊(ルーアハ)ではないね。 「ニシュマット・ハイ―ム」は、魂(ネフェシュ)のほうだ。 参考に www.sacred-texts.com/bib/poly/gen002.htm ルカ伝 1:35御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。 イエス出生神話としてルカ伝には「>>聖霊があなたに臨み」と明記されている。 隠居の我流な「生命(命の息)=聖霊」で解釈される文脈ではない。 隠居のロジックは破綻している。 >>361 神が神と悪の、どちらかしか選ぶことしかできないように作れば自由意志ではないね どちからを強制的に選ぶようにしか作られなかった、となる でもどちらも選べるのが自由意志 さくらさんが自由意志がないと信じるなら、さくらさんはどちらかを信じるように強いられてる、それを避けることは出来ない、となりますね そう信じるのはキリスト教とは価値観が違いますが、それで幸せでいられるなら「期間限定的に」それでもいいんではないかしら >>408 まずその翻訳には、キリスト教の色が付いているのではないか。ユダヤ教 そのままなのか。ニシュマットには「霊」という意味は、絶対にないのか。 「精神(spirit)」という意味があれば、それは「霊」の意味だが。 和訳でも英訳でも、単に「生きる者となった(the man began to live)」で あり、「魂」という言葉はどこにもない。 キリスト教の生死に係わる問題なので、キリスト教はあらゆる策略を巡らした可可能性があることを、忘れてはならない。 旧約には、「聖なる霊(聖霊)」という言葉が、唯の一度(詩編51−11) しか出てこないのもおかしい。キリスト教が「聖霊」という言葉を「息吹」から 取ったものであることは、ヨハネ20−22のイエスの言葉からも明らか。 どう考えても、「神の命の息吹」が「聖霊」であること以外は考えられない。 創世記2:7 口語訳 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。 そこで人は生きた者となった。 新共同訳 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。 人はこうして生きる者となった。 新改訳2017 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。 それで人は生きるものとなった。 フランシスコ会訳 神である主は土の塵で人を形づくり、命の息をその鼻に吹き入れられた。 そこで人は生きる者となった。 諸訳は「ネフェシュ」を魂ではなくて「者」と訳しているね これは意訳ですね 「ネフェシュ」の原義は「呼吸する眼に見えないもの」。 つまり「肉体を持つ魂」のことだが、これを「自分」と諸訳は解し 「生きた自分」→「生きた者」と意訳しているようですね ヘブライ語の霊はルーアハ ギリシア語の霊はプネウマ ヘブライ語の魂はネフェシュ ギリシア語の魂はプシュケー 基本を押さえなさい 詩編51:11 קדשׁ 聖なる רוּח ルーアハ 霊 http://www.sacred-texts.com/bib/poly/psa051.htm 脳が意識を産むのではなくて意識は脳が出来る前から、 物理空間の外に存在し脳は意識と 物質の相互関係作用する場所です✨👰 ご隠居さんがクリスチャンになる日が刻一刻近づいてる。 ご隠居は既にクリスチャンだよ あんなにキリスト教が気になるアンチは滅多にいないw >>411 >>キリスト教が「聖霊」という言葉を「息吹」から >>取ったものであることは、ヨハネ20−22のイエスの言葉からも明らか。 間違い ヨハネ伝 20:22そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。 ---------- イエスは死人に息を吹き入れて生きた者にしたのではない。 つまり、この場面でイエスが弟子らに「吹きかけた息」とは人間の生命でないのは明らかである。 ---------- 創世記 2:7主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその【鼻に吹きいれられた】。そこで人は生きた者となった。 ヨハネ伝 20:22そう言って、彼らに息を【吹きかけて】仰せになった、「聖霊を受けよ。 ---------- 聖霊がイエスと一体であることが示唆されるものの、聖霊がイエスの属性とは解されない。 仮に聖霊がイエスの息と解するなら、イエスは単独にて聖霊以上の神とされなければならなくなるが、そんな解釈がなされたことはない。 ヨハネ伝 16:13けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、 その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 16:14御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。 16:15父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、 わたしが言ったのは、そのためである。 >>419 ですよね 前からそれが気になってたの。 ご隠居さんは聖書を勉強したくてうずうずしてるけれど ばつが悪くていまさら教会の門をたたけない。 だーかーら宗教板で先人サロメさんを見習って 嫌がらせしながら力ずくで答えをねじ取る方法を選んだのよきっと。 そうすれば第二のサロメさんになって、洗礼にこぎつけるかもしれない そう期待しているのだと思うな。 ヨハネ20:22 καὶ τοῦτο εἰπὼν ἐνεφύσησεν καὶ λέγει αὐτοῖς· λάβετε πνεῦμα ἅγιον· καὶ τοῦτο εἰπὼν そして+このことを+言って ἐνεφύσησεν 三単過 彼は息を吹き込んだ (原意〜中に+吹く) καὶ λέγει αὐτοῖς· そして+彼は言う+彼らに λάβετε πνεῦμα ἅγιον·お前たちは受けよ+霊を+聖なる グノよ ἐνεφύσησεν 三単過 彼は息を吹き込んだ >>422 俺に言われても知らぬがな 塚本先生もバルパロ先生もフランシスコ会も新共同訳・口語訳・文語訳とラゲ訳、全て「吹きかけて」と訳しているのだから。 >>412 詳細な資料Thanks. ちゃんと「命の息」を「聖霊」と解しているではないか。 「神の与えてくださる賜物としての「いのちの息」(主の御霊、聖霊)と神の ことばこそが、神と人とのかかわりを回復させ、人を本来のトーヴ・メオッド な存在として回復させてくださるのだと信じます」。 なお、英語では、いずれも「魂」を意味するspiritは「霊」、soulは「人」と いう意味がある。 >>423 なるみが大原神父さまに謝り、カトリック市川教会に戻ることが先よね。 神父さまに喧嘩売って教会逃げ出した、なるみが、他人の洗礼どうとかって大笑い。 人のことより、自分のことなんとかしなよ。 >>425 命の息を吹き掛けられて(御霊)で 人間は霊の体で生きる 神と交わりて神の許しを喜ぶ能力を持つ だから動物みたいに生きる生命教とは違うわよ😃 >>416 反対に 脳が意識を産むならすべての経験や意識内容は 主観観念論になっちゃうから。💇 >>429 観念論は意識に物が映ると言う それがあるがまま映ると、どうすれば保証出来るのか、保証は無い🎵✨ >>429 脳が意識を産むならすべての経験は 脳が作り出したもの 脳科学は主観✨👰 科学者は唯物論が多い🎵 でも唯物論のメカニズムを説明さすと破綻する❗ >>301 配慮ではなくて 気違いは「自分は絶対に気違いではない」 と言う 正常な人は「自分はもしかしたら気違いかもしれない」と言う⭐⭐。 >>428 引用の説明では、「生命」に相当する語は、人間も他の動物も同じだ。 但し、人間の生命は神が吹き込み、他の動物の生命は根源的なもの。 神は「人間の似姿」「人間の観念」だから、人間に依怙贔屓したの だろうw。 >>415 >ヘブライ語の魂はネフェシュ ギリシア語の魂はプシュケー ネフェシェには、「命」の意味もある。ギリシャ語も同じではないかな。 結論的には、すべて私がこれまで言って来たように、「神の命の息吹=人間の生命=聖霊」となる。 >>430 >観念論は意識に物が映ると言う >それがあるがまま映ると、どうすれば保証出来るのか、保証は無い 誰のために保障するのか。人間という種属の動物については、知覚 できる対象が「あるがまま」というのです。ただし、知覚異常者、精神病者、 宗教患者に対しては例外。人間である以上、不特定多数の人間(健常者)の 知覚を疑うのは無意味です。人間はあくまで多くの動物の種属のうちの 一つであり、他の動物は、それぞれ異なる世界を有する(かも知れない) のです。 >>432 さんへ そうですか。 (どうでも良い(忘れてた)) >>437 ついでに、 配慮ではなくて 気○いは「自分は絶対に気○いではない」 と言う →"身勝手"な方は、周りの人々に"気○い"と言われるが、自身の自尊心(自己愛に基づく驕り)が強い為、自己肯定の為どうしても"否定"してしまう。 正常な人は「自分はもしかしたら気違いかもしれない」と言う⭐⭐。 →"気を使われる方"は、周りの人々に"迷惑"をかけてしまうかも知れないから、自身の見直しをされていかれる。 個人的考察に基づくただの暇つぶし (面倒) >>436 もし、隠居さんがクリスチャンになれば 私たちはどんなにか喜ぶでしょね^^ 隠居は、知能が低いな 【魂/ネフェシュ/プシュケー】 【霊/ルーアハ/プネウマ】 の区別がつかないのだな 両者とも「いのち」を表したとしても、クオリティが雲泥の差だ。 【魂/ネフェシュ/プシュケー】は、身体を必ず伴っているいのち、 正確には身体を維持し、動かす肉的ないのちだ。 なので肉体が滅ぶと死ぬいのちだ それに対して 【霊/ルーアハ/プネウマ】はもっと高次元な肉体に限定されないいのちだ。 つまり「永遠のいのち」に属するいのちだ。 >>441 旧約では、人間の肉体が死ねば、生命も滅びなければ困りますよ。 神は、肉としての人間と契約している。人間は、最長120歳で死に、 死ねば肉体は塵となります。永遠の生命を求めることは、旧約では原罪です。 現実感覚に極めて優れた旧約が、「死後の生命」のような妄想を語る訳が ありません。 旧約の正しい解釈は、本家のユダヤ教に聞かなけば、判らないことでしょう。 引用文献の筆者は牧師なので、精一杯、キリスト教の解釈に合わせようとして いますが、「神の命の息」を「聖霊」と解さざることを得なかった時点で、 本音がポロリと出たのです。 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html >>440 シャロンさんやクリスチャンは、己の生命が聖霊であって、なぜそんなに困る のですか。生命は、人類の発生以来、人間のすべての営みの根源です。神概念も 聖書も、人間の生命の産物、生命の奴隷、侍女に過ぎません。キリスト教による 人間の生命の軽視・否定こそが、キリスト教による人間の大殺戮の原因では ありませんか。「殺す勿れ」。神は、人間の殺戮を最も嫌悪しているのですよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる