http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%9C%9F%E4%BF%97%E4%BA%8C%E8%AB%A6
真俗二諦

その当時のインドの人達にとって
仏教を理解せしめるためには
その当時の、その地域の、世間的な『想い』を一応認めて、さらにその理解のうえで
仏教を理解せしめるというやり方がとられねばならなかった

それゆえに
(仮設としての)輪廻という『想い』を一応認めた対機説法だった

 − これに対して ↓

https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/
68 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:27:53 ID:XYCyD47T
『ミリンダパンハー』ですが
そのなかでミリンダ王は輪廻に対して疑義を呈していたと記憶しますが
それに対してナーガセーナが答えて納得させていたと思います
問題となるのは、輪廻がどの国の起源かではなく
輪廻説を盲信しているインド人のために釈尊が方便で説いたとするなら
輪廻を信じない外国人に方便で説く必要などないということです

それなのに輪廻を外国人に説く必要があるということは
仏教にとって必要な説であるからということです
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知りませんでした
ご教示ありがとうございます m(_ _)m