>>459の補足

いま我らの見解(分別)に依存して
汝の言う「誰も気づいていない山火事(という見解)」が
現れ変化して滅しているので

それゆえに
汝の言う「誰も気づいていない山火事(という見解)」も
自相(自性)ではない

それゆえに
中観帰謬の場合は
そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンである。と掴もうとしている想いも手放して逝く

↑中観帰謬の場合

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派

基本的には、無明に依存している

>自分の言葉

という中観帰謬としての対機説法で おじゃります