承狂元密教僧へ
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

>釈迦仏教の矛盾について

これを読むと
↓隠居師匠か?紐師匠か?という感じがする

釈尊の仏法は暗い印象を受ける
とてもついていけない感じを受ける
それは人生は苦であるという設定である
苦の原因は欲望(煩悩)であるから…
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おじゃる妄想としては
無明している世界から離れるための対機説法として

たとえば、上座部系の場合は
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである

(愛別離苦とか・求不得苦などの、もととなる)
無明の意味を理解して、これを前提とすることが出来るのか?出来ないのか?

↓無明を前提とすることを出来ないのが

隠居師匠か?紐師匠か?という感じで おじゃります

(風邪で、また熱が出てきたので おじゃります)