>>297
それはそれで確かに凄いことだと評価はしますが、
しかし、生存に対する執着を捨てて死をも恐れず(死を選ぶ)...
という人間は他にもいくらでもいるし、そして、いましたから。
しかしながら、その時の本人の心境状態だけで業が滅ぶというものではないのであって、
当人がそれを望む望まずとは関わらずに作用するのが業力というものです。
業がある内は本人の意志の内容に関わらず、次の母胎へと宿るのが業報輪廻です。
だったら元々、来世を信じない唯物論者というのは物欲さえなければ、もう不還なのですか?
在り得ませんよ。

>私は禅の悟りとブッダの悟りは同じものだと思いますよ。

まったく別ものですよ。
もしも、そうだったならば(日本仏教で/日本の禅宗で)別に何も問題ないじゃないですか...。
実際、話はそんな簡単なものじゃない。

“禅の悟り”と呼ばれる精神態度は仏道(道のり)修行においては大いに役立つということ。
ただ、それだけのことです。

禅の話を知って感銘を受けるのは良いことだとは思うけれども、
ゴータマの説く教え(ニルヴァーナへの道)との違いが分からないというのは、
果たしてどうなのかな?