なぜ?
アートマン = 非想非非想なのか?その理由は

↓スッタニパータ 874

有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
「想いである」ものではない
「非想である」ものでもない
という非想非非想も

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも

手放して、そして、それゆえに
…想いなき者でもなく…
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも

仮設としての
縁起に依存して
(無明に依存して)
想いにもとづいて起る

「仮設としての」無明に依存しているからこそ
『「…である」ものではないという法がある』という想いが
現れ変化して滅している

(↑中観帰謬の場合)