とても良い霊体の出現とブッダとの対話については、中部経典第十八経『闍尼沙経』で非常によく仏教に帰依して死んだビンビサーラ王の心霊との
対話の描写が素晴らしいです。そして、「餓鬼」(「逝去者」の意味で“浮ばれていない者たち”のこと)の救済も仏教徒としての勤めとして説かれて
おり、そのことが『餓鬼事経』(ペータヴァットゥ)で説かれています。
 尚、神智学では「霊」(スピリット)というのは、モナッド(ヒンドゥーのアートマン)のことなのですが、ただし、日本においてはただ混乱するだけです
から、私はこのような使い方はまったくしない。それから、神智学における心霊存在は、ヒンドゥーと共通していて「カーマローカ」(生前のアスト
ラル体)と呼ばれます。
 唯物主義者というのは、あくまでも自らの体験によってしか認めることができない悲しい脳をしていますから、その人達にとって最も体験の可能性
が得られるものが、エーテル次元の気功エネルギーの体験、次にアストラル心霊体験なのです。なので、中国気功師の達人の元を訪れて気を体験する
とか、東北地方の座敷童の旅館に宿泊するとあるいは心霊現象に遭遇できるかもしれませんから、是非、チャレンジをお薦めします。
 
 「魂」(タマシイ)--- 最近、繰り返し述べてきていますが、これがヒンドゥーの「Jiva」(ジーヴァ)、または「ジーヴァ・アートマン」であり、個我
(自我)という言い方もありますが、要するに輪廻主体としての五蘊の「識」のこと。ここに意識の焦点が置かれたときにバラモン行者が行うような
奇跡的な体験と通力が発揮されます。無始の太古からの輪廻の記憶に触れることができるので、その膨大な経験情報を引き出すことができます。こ
れが究極の自己意識への到達だと歓喜するところなのですが、しかし、これもまだアートマンではなくて最終的には消滅してしまうもの。これに執
着してしまうと、最終的な解脱への妨げとなります。つまり、これが『梵網経』によってゴータマに否定された常住世界(概念)のことです。
 これを神智学では、「soul(ソウル)」とか「アートマ」と呼称しています。