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--佛教論議の伽藍スレ-- 第二巻

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0001神も仏も名無しさん
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2018/08/01(水) 05:54:24.84ID:rYZcsElT
仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。

-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.コピペ・アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
   2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
    (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。もっと内容を一つに纏めてから投稿しましょう)
   3.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
   4.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主である私(宝珠真範)の判断で即刻、退場してもらいます。
   5.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
    (1950年の世界仏教会議にて決議した)
   6.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
   7.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
   8.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(レス番2の戒律と資料リンク含む)を変えないこと。厳守!!
 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。
0182宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/09(日) 07:36:58.34ID:Zohfm48h
>>180
補足:

ゴータマは結局、
縁起の法が何故あるのか? といったことについてはまったく教えなかったのだと思う。
それは今のあなた方では知り得ないし、そんなことよりも今刺さっている矢を抜くことが先決だ
(そうでないと死んでしまうぞ!)、といった具合だったでしょう。
ただし他の宗教では、その摂理(法)が神(の意志)そのものであるとして説かれるということでしょう。
私の理解としては、ただそれだけの違いですね。

何も無くしては(縁起すらも)生じ得ないから。
0183宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/09(日) 08:29:02.19ID:Zohfm48h
>>63-64 >>91-93
つづき...

マンガ本ですけれど、
これを読めば、天部の神々というものが如何に自意識が強くて我がままであり、
そして、とても恐ろしいものであるかが分かります
(自分が何番目に拝まれるかなどについてはとてもシビアに見ており、その不満を露わにする)。
日々、それらの存在と向き合って法を修する現役密教僧の実録ドキュメントがこのシリーズ本です。
その時々において、本物の密教僧が何を見て何を感じとっているのかがリアルに描かれています。
それらが本人だけの思い込み幻想などではないことについては、
第三者的にも物理的な現象と結果がハッキリと伴っていることからも分かります。
場合によっては命懸けで向き合っている。
こういう内容については、殆ど知り得ないので非常に貴重なものです。

『密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅』全5巻
『阿闍梨蒼雲 霊幻怪異始末』 1巻・2巻
  永久保貴一(著)  HONKOWAコミックス
0184神も仏も名無しさん
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2018/09/09(日) 11:34:32.55ID:KV38NXOL
そこで、まさに、世尊は、サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、大勢の比丘たちと共に城市から出て、樹皮行者のバーヒヤが命を終えたのを見ました。
見て、比丘たちに語りかけました。
「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を収め取りなさい。寝床に載せて運び出して、燃やしてあげなさい。
そして、彼のために塔を作りなさい。比丘たちよ、あなたたちと梵行を共にする者が、命を終えたのです」と。

 「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を、寝床に載せて運び出して、燃やしてあげて、そして、彼のために塔を作って、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。
近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、樹皮行者のバーヒヤの肉体は焼かれました。そして、彼のために塔が作られました。彼には、どのような〔来世の〕境遇(趣)がありますか、どのような未来の運命がありますか」と。
「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、賢者です。法(教え)を法(教え)のままに実践しました。そして、法(教え)を問題にして、わたしを悩ますことがありませんでした。比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、完全なる涅槃に到達したのです」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。


 「しかして、そこは、水と地と火と風が依って立たざるところにして、そこに、星々は輝かず、日は輝かず、そこに、月は輝かず、そこに、闇は見い出されない。
 しかして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の知慧〕によって、自己みずから、〔このことを〕知ったとき、しかして、形態(色)から、かつまた、形態なきもの(無色)から、楽苦〔の思い〕から、〔彼は〕解き放たれる」と。
0185神も仏も名無しさん
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2018/09/09(日) 11:40:02.56ID:KV38NXOL
>>184
> 「しかして、そこは、水と地と火と風が依って立たざるところにして、そこに、星々は輝かず、日は輝かず、そこに、月は輝かず、そこに、闇は見い出されない。
> しかして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の知慧〕によって、自己みずから、〔このことを〕知ったとき、しかして、形態(色)から、かつまた、形態なきもの(無色)から、楽苦〔の思い〕から、〔彼は〕解き放たれる」と。


 真我は永遠に存在している。
 誰もが真我を知りたいと望んでいる。
 自分自身を知るために、いったいどんな助けが必要だというのだろう?
 人びとは何か新しいものとして真我を見たいと願っている。
 だが真我は永遠不変に存在し続ける。
 彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいる。
 どうしてそうありえよう?
 真我は光ではなく、暗闇でもない。
 それはただあるがままに在る。
 それを定義することはできない。
 最もふさわしい定義は、「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)だ。
 シュルティ(聖典)は真我を親指大のもの、髪の毛の先、電気の閃光、広大
 なもの、最微小より微小なものなどと記している。
 それらには何の事実的根拠もない。
 それはただ存在なのだ。(p21-22)
(ラマナマハルシ )


マハルシの説く真我とは仏典のニルヴァーナに似ている
あるいはマハルシは涅槃を体験したのかもしれぬ
0186宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/09(日) 11:59:34.39ID:Zohfm48h
>>185
投稿をありがとうございました。

私から見ても、
ヒンドゥー聖者(アヴァターラ)の中でもマハルシはトップレベルとみています。
神智学徒も大勢、彼の元へと通って御言葉を受けています。
マハルシの場合は聖典の記述がこうだから〜ではなくて、
彼自身の如実の経験のままに自然と発露されている言葉なのだと思います。
だから、余計にそれを理解するのが難しいです。
そこに解釈がない(数百〜数千年以上昔の聖典の記述やそれを解釈している論書などではない)から...。
0187神も仏も名無しさん
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2018/09/10(月) 12:12:17.71ID:3714+tla
君たちはアートマンがー、経典がー、真我がー、涅槃がーとか言いながら、

そのまま寿命が尽きて死んでしまうんだろうね。

そして君らが頑張って蓄えた、知識も見解も至高の体験も、全部無常に滅して無くなってしまうんだろうね。
0188神も仏も名無しさん
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2018/09/10(月) 16:04:28.28ID:YnWMWA/u
まあ古来から学僧や仏教学者が

わたしによって語られなかったことは、語られなかったことと憶持しなさい。わたしによって語られたことは語られたことと憶持しなさい。

では満足いかずに無我と輪廻は矛盾するだの輪廻の主体は何かだの業思想は仏教ではないだの色々と論争しているからな
0189dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/10(月) 16:18:53.33ID:jJEGX1yZ
覚者も悟った途端に首をはねられれば、
現世ではそこで一巻の終わりです。

ですがこれはもったいないことでもなんでもないのです。
0190神も仏も名無しさん
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2018/09/10(月) 17:04:13.65ID:Jtivihxu
まあ、宗教5ちゃんねるも、57歳ニートのクソジジイしか
いないんだけどね(笑)
0191宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/10(月) 18:58:40.51ID:/5ygHoRb
悲しいことに今回、
発生した「平成30年北海道胆振東部地震」では、とうとう40人の死者が出てしまいました。
ところで、人間の死後には霊魂なる意識は何も存続しないとする見解のアホ僧侶たちは、
遺族も身寄りも誰もいない遺体だけの場合には、葬儀を行う意味はあるとみているのかどうか?
本当にそこは完全に僧侶と遺体だけであり、参拝者や関係者の一人すらもいないという場合を想定して。
これについては非常に興味深いものがあります。

とにかく、この私からの提案としては、
あらゆるすべての宗派を問わず、唯物主義にある僧侶については直ちにその資格を剥奪すべきです。
そして、これから新たに僧侶となるべき人間の中からは絶対に唯物主義者を入れてはならない。
“自分の家(代々の寺院)を継ぐために”などという理由で、これらの唯物主義者に僧侶の資格を与えるべきではない。
これが日本仏教界がまずしなければならない最初にして第一の必要改革です。
たったこの一つのことを実行することで、日本仏教が大きく生まれ変わることをこの私は保証します。
0192宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/10(月) 19:00:52.07ID:/5ygHoRb
>>187
>そして君らが頑張って蓄えた、知識も見解も至高の体験も、全部無常に滅して無くなってしまうんだろうね。

そんなことはない。
一度、インターネットにアップしたデータ(文章)というのは基本的には消えることはないとも言われている。
ちゃんと検索にも掛かるし、また偶然に目にする者もいるでしょう。
それから、この私はこの5ちゃんだけに限らず、
今後についてはブログやツイッター発信についても検討している。
すでに私の作成した神智学関係のサイトページについては、
出版された書籍にもそのアドレスが掲載され推奨サイトとして紹介されている。

この私は、自らの睡眠を削って遊びで投稿してきたわけではない。
0193学術
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2018/09/10(月) 19:16:30.11ID:OzgIjGrK
@MANN ブフーラウ
0194神も仏も名無しさん
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2018/09/10(月) 20:30:07.52ID:3714+tla
>>192
データが残っても誰も読まなかったら意味ないですよ。

読んだとしてもその人の心に残らなかったら意味ないですよ。

心に残っても、すぐに忘れられたら意味ないですよ。
0195神も仏も名無しさん
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2018/09/10(月) 22:29:13.18ID:AlNuIoRl
>>194
すべての物書きに同じことを言ってみなさい
0196神も仏も名無しさん
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2018/09/11(火) 01:29:10.23ID:3z7sF915
宗派を問わず死後の成仏が保証されてる日本と違って
上座部仏教やヒンドゥー教の国々では人は死んだ後に直ぐに輪廻するので遺体の扱いもぞんざいだし墓を建てたりもしないと聞いた
ヒンドゥー教だと遺体は火葬した後遺灰をガンジス川に流すのが一般的らしい(南インドや西インドのヒンドゥー教徒はどうしてるのかは知らないが)

しかし輪廻転生を信じているので唯物論者でないのは確かである
無我にこだわる上座部も決して唯物論ではない
0197宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/11(火) 04:08:28.41ID:gdCjhy8i
>>173
素人のオイルステイン塗りが仇となったのか、
念珠の中糸にも染みた塗料の影響なのか、これを使用したらすぐに斬れてしまった...。
修理には安い新品が変えるだけ費用がかかるのはもう分かっているので(過去に2本の修理経験あり)、
今回は思い切って、新規に普段用と少し高価なタイプの2本を購入し、今、到着待ちのところです。
初めて白ぽいタイプ(星月菩提樹)をチョイスしてみました。
はたしてどんなものでしょうか。

>>194
そんな誰でも、
ただ否定するだけならば簡単なことですよ。
では、どうしたら良いのかを述べるべきです。
あなたからの建設的な意見をね。

>>196
>無我にこだわる上座部も決して唯物論ではない

もちろん、正しく理解しているならばそうです。
経典の教えにも在る通り、肉体が諸元素に還元されようとも「識」が輪廻主体となり(『DN15,55-71』)、
生前における業の作用によって次の転生へと入る(転生が止むのは完成者だけ)。
また、人によっては餓鬼(『パーリ小部.第7経』ペータヴァットゥ)と呼ばれる状態にもなるし、
これが知覚されたときには幽霊だということになる(『雑阿含/好戦経』)。
そして、唯物論は六師外道として語られ、また「邪見」(人間の最も低き見解「来世を信じない者は悪事を行う」『Dhp176』)
として戒められています。
0198宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/11(火) 04:22:12.52ID:gdCjhy8i
日本仏教の宗派でも基本は殆ど変らないと思うけれども、
葬儀の中には必ず「授戒」と「引導(作法)」という儀式が組み込まれています。
その意味は無くなった故人を仏弟子として戒を授け、そして、死後の行末を導くことです。
しかし、これを行っている僧侶自身が死後の生存も来世も信じてないのであれば話になりません。
0199神も仏も名無しさん
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2018/09/11(火) 08:28:21.88ID:8lpZFrSx
>>197
建設的な意見を言うなら、解脱する事です。
諸行無常の世の中では、解脱にのみ価値があります。
解脱以外のものには価値は無いです。
四諦八正道を実践することにのみ価値があります。
0200dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/11(火) 09:06:38.61ID:C8SZJxKY
ブラフマン(梵)が海ならば、アートマン(我)はうず潮
ブラフマン(梵)が大気ならば、アートマン(我)は台風や竜巻

単なる物理現象であればそのうち消えて無くなるものだけど、ブラフマン自体が意識体であるので、
アートマン自体も意思を持ち、存在へのこだわりを持ってしまいなかなか消えない。
一度の生では満足できず、魂の入れ物を探して輪廻する。
0201宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/11(火) 19:15:45.98ID:gdCjhy8i
>>199
その通りなのですが...

しかし、殆どの普通の大衆というのは、
そんな残りすべての生涯を山野へ籠るみたいなことはできませんよ。
それに...通常は、全生涯を掛けても今生だけでは完成者にまでは成れません。
普通の場合は、専門的な修業に明け暮れても完全解脱までに何生涯も必要です。

>>200
アートマンは輪廻しません。
輪廻主体は「識」であり、いわゆる「魂」(Jivaジーヴァ)です。
「識」(魂)はアートマンではありません。
0202神も仏も名無しさん
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2018/09/11(火) 20:18:31.41ID:8lpZFrSx
>>201
びっくりしました。
素直な人ですね。5chではめずらしいです。
素直な人は意外に早く悟れるみたいですよ。
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/12(水) 01:27:13.31ID:FazTBtgI
此の身今生に向って度せずんば、更に何れの処に向ってか此の身を度せん
0204宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 05:36:39.37ID:VdNNuD8M
【奇跡】米スラム地区に「仏像」を設置しただけで犯罪率80%低下!
 強盗、密売、売春が激減…「ブッダは中立だから良い」
  https://tocana.jp/2018/08/post_17961_entry.html

奇跡というものではないけれども、
米カリフォルニアの犯罪多発の無法地帯で仏像(ブッダ像)を設置したところ犯罪が激減したという。
ここにゴミを捨てちゃダメだという気持ちにさせるのだろうね。
そして、人の良心が刺激されるのか犯罪もここではしなくなっていく...。
つまり、欧米人でも仏像に神聖さを感じるということでしょうね。
動画もありますが、特に仏教の信仰者ではなくても一様に敬虔な気持ちになるようですね。
まさに素晴らしい効果です。
0206宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 13:14:02.93ID:VdNNuD8M
>>205
はい、間違いです。

尚、残念ながら、それらがごく一般的な理解なのでありまして、
仏教者らもそのような間違った見解に対してアートマンやヒンドゥーについて云々と論じたりしているのです。
最初から間違ったものについてアレコレ論じるているのだから、これでは当然、仏教徒も正しい見解が得られるわけがありません。

ゴータマの時代においても正しい理解にあるバラモンは少なかったようであり、
アートマンではないものをアートマンと誤認する行者が実際に多数いたのです。
自己の「魂」(輪廻主体)に目覚めた行者は、輪廻を通じたその驚異的な経験値と知識(そして、超常能力)を獲得します。
なので、これをアートマンだと誤認するのも無理もないことなのでありますが、
しかし、最終ゴール(解脱)はまだまだその先なのです。そのとき初めてアートマンを自覚できる。
ゴータマは、これらのバラモン行者たちの間違いを指摘したのであり、それがパーリ『梵網経』の教えとなっているのです。
実に、ゴータマが“アートマンが在る”ということを言いたくなかったというのは、
これらの間違った行者らと自分が同一見解だと見なされてしまうことをどうしても避けたいがためでした。

輪廻するということは未完(業に流されている)ということなのですから、
無始の初めより完全にして究極の原理たるアートマンが輪廻しているわけがないのです。
輪廻の核(基体)は「魂」(Jivaジーヴァ)であって、アートマンではありません
(尚、仏教の兄弟宗教と呼ばれるジャイナ教はこのジーヴァをアートマンと見なしました)。
仏教では、輪廻主体(魂)が「識」であると教えており、尚、これをアートマンと見なす愚については強く戒められています。

 『アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。---中略---それゆえここでは、
アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすなわち識である。---中略---
 この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起するのである。』
(ディーガ・ニカーヤ 15, Mahānidānasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0207宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 13:14:58.46ID:VdNNuD8M
もちろん、
ヒンドゥーにおいても正統なアヴァターラはアートマンは輪廻しないものとして理解しています。
以下に、シャンカラチャリヤとマハルシからの二つの言葉を紹介しておきます。

 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に立ち帰るわけですが、その明智と
は何なのでしょうか」と尋ねた。
 師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言って、正反対に理解している。また
行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》
(と、正反対に考えている)。-----これが無明なのです。」』
(シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』U散文篇.第2章49-50/岩波書店刊)

 『無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。いまも、いままでも、そしてこれからも。
これが真理である。』
(『あるがままに---ラーマナ・マハリシの教え』ナチュラルスピリット刊)

 『知覚認識できる対象には[現象としての]終わりがあり、知覚認識する主体をジーヴァ(個的生命)であるとするなら、ジーヴァ
(個的生命)とて現象としての終末がある。現われ出るものは何かを見い出し、その現象の破壊(最後)を見極めれば、不滅の真実在
sat (Self) を覚智現成し、アートマン Atman とは何かを覚了する。新たに現われ出るようなものはいずれ消え去ることになり、それは
ジーヴァ(個的生命)あるいはその知覚認識対象であって、アートマン Atman ではない。』
(Talks 1_0704)
0208宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 13:54:42.91ID:VdNNuD8M
>>206-207
たったこれだけのことを理解すれば、
「アートマンが無いなら、死後の霊魂も何もない」といった馬鹿げた無霊魂感や、
「アートマンが無いなら、輪廻主体がないのだから輪廻しない。
従って、仏教の輪廻思想というのはバラモン思想の混入か意図的な方便使用だった」
もしくは、「アートマン無しでどのように輪廻を説明できるのか?」について、
業がそのまま働くだけで輪廻主体は別に無いのだとか、
または、やはり何かしらの主体がある筈だからと大乗では阿頼耶識が説かれるといった始末...。
〜といった類の馬鹿げた見解はこれですべて崩壊します。

尚、元々からゴータマは「アートマンは無い」などとは一度も述べたことはないし、
最初から無為であるアートマンが五蘊無我説(一切/五蘊にはアートマンは何処にも認識されない)に抵触する筈もないのです。
ただ、仏教徒には多数の唯物論者が入り込んだので、仏教の無我説を利用(誤用/悪用)しているのです。
0209dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/12(水) 16:23:57.85ID:R6/tNqlW
宝珠真範さん、ご説明ありがとうございます。
しかし何度か読みましたが、理解力が乏しいようでよくわかりません。

簡単に言うと、
アートマンとは何ですか?
ジーヴァとは何ですか?

ジーヴァはアートマンの一部なのか、またその逆なのか、全く別のものなのか。

私は魂は宇宙の根本意識の一部であり、そのことを認識していないのも「無明」の
一つだと理解しておりました。
本来名前は何でもいいのですが、その認識の対象が異なるということであれば問題です。

今一度ご説明頂ければ幸いですm(_ _)m
0210おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/12(水) 17:32:44.72ID:5WaSRsAe
 
↓ウィキペディア参照

ドラヴィヤ (ジャイナ教)
ジーヴァ(命ある実体)
ジャイナ哲学によれば、宇宙は、無限に存在して新たに創造されることはなく
常に存在する「ジーヴァ」つまり霊魂、魂からなる
霊魂には大きく分けて二種類の範疇がある、というのは
カルマの束縛によってこのサンサーラの中で輪廻再生を被り続けている
解脱に至っていない現生の肉体に囚われた魂と、死と生から解放された解脱した魂とである
本来、魂は全て無垢であるが、始まりのない時間の中でカルマに束縛された状態で存在する
魂はその真の無垢なる姿に到達するためにはカルマを撲滅する努力をしなければならない

魂魄(こんぱく)
魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰す
(解脱した魂と − 肉体に囚われた魂)

自性清浄(じしょうしょうじょう)
心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
(解脱した魂と − 現生に囚われた魂)

アートマン(真我)
「…である」と定義することはできない「…である」ものではない
「…でない」によってのみ、アートマンが定義される

http://www.geocities.jp/tubamedou/Jiten/Jiten6.htm#%E3%81%97%E3%82%80%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86
「…である」と定義することはできない
非想非非想
有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
0211ジャンキー大山.。
垢版 |
2018/09/12(水) 17:49:10.13ID:oQeTsW7M
以下は岩波の仏教辞典からの要約です。

インドの関連術語が<霊魂>や<魂>と漢訳された例は確認されていない。
<ジーヴァ>は<命><命者><寿者><神>等と漢訳されている。

身体をささえ、生き物を生かしめる命、を原義とする。

ウパニシャッドでは、アートマンを太初以来の存在とし、創造物のそれぞれの命として内在すると(哲人ウッダーラカ・アルカーニが)語られた。
また、ヤージュニアヴァルキヤは対象化されることが無い死をも超えて存在する認識主体をアートマンと呼んだ。

アートマンは<霊魂>観の代表的なものである。

佛教では身体と霊魂の関係については無記としている。
0212おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/12(水) 17:59:36.59ID:5WaSRsAe
 
>ジーヴァとは何ですか?

ウィキペディアには
ジーヴァ
現生の肉体に囚われた魂と、死と生から解放された解脱した魂の二種類ある
と書いてあるので

↓おじゃる妄想としては

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

(現生の肉体などに執着している)
有覆無記に依存している

遍計所執性が現れ変化して滅している

 − これを対処するための −

阿摩羅識(あまらしき)
真我 = 真如、如来蔵
https://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E7%8E%8B/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98/
第九意識 = 完全なる涅槃

完全なる無の世界も手放して超えて
般若の智慧と慈悲によって観照された → 依他起性している世界
0213dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/12(水) 18:35:28.02ID:R6/tNqlW
ひょっとして、
アートマンは仏の魂も含む、魂全体を言い表すもの、
ジーヴァは輪廻する人間等の魂でしょうか?

それならば私の認識となんら変わりませんが。
0214宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/12(水) 19:00:27.90ID:VdNNuD8M
>>211
そんな別に、
ただその意味が理解されればそれで済む話だと私は思いますが。
我々、一般の日本人が使う日常用語というのは仏教の「漢訳」には限定されない。
もちろん仏教用語(漢訳)も我々の日常語にもなってはいるけれども、しかし、そのすべてではない。
“漢訳用語には無い”という理由だけで除外するのであれば対話にならないでしょう...。

>佛教では身体と霊魂の関係については無記としている。

たとえば輪廻主体については「識」だと教え、
また餓鬼存在についても説いたわけです。
無記なんかじゃない。

>>159にもある通りです。
人間の死後にも存続する意識、及び輪廻主体のことを一般的には総括的に「霊魂」という言い方をしています。

>水野弘元博士は「仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実態としての霊魂は仏教ではこれを説
>かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪
>廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない」
> (『仏教要語の基礎知識』春秋社)こう書いておられます。

もう少し述べるとこの「霊魂」というのは「霊」と「魂」の二語から成る。
では、「霊」と「魂」のそれぞれの意味や使い分け、そして、その違いを理解している方はいますか?
「アートマン(真我)」と「魂」と「霊」の三つですね。これらの違いについてです。
もちろん、この私は理解していますが。
0215dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/12(水) 19:12:20.24ID:R6/tNqlW
>>214
>もう少し述べるとこの「霊魂」というのは「霊」と「魂」の二語から成る。
では、「霊」と「魂」のそれぞれの意味や使い分け、そして、その違いを理解している方はいますか?
「アートマン(真我)」と「魂」と「霊」の三つですね。これらの違いについてです。
もちろん、この私は理解していますが。

他力本願ですみませんが、わかりやすい言葉で解説していただければ幸いですm(_ _)m


ちなみに、言葉の捉え方、定義は人それぞれですので、「それは違う」という場合にまず、
ご自分のその言葉に対する定義を説明してから書き込みされるべきだと思いますが。
0216湖北鈴屋外道「野狐」 屁ッコキマンペ 統失ヒッキー糞雀鬼ィ自我肥大痔がヒデェー
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2018/09/12(水) 19:19:16.82ID:VqIB6eS+
40回も透ったら、初関を透る、じゃないっぺpe

JT糞雀鬼!おまいは タバコ ! 百害あって、一利なし 外道よ!
ここまで最低最悪の漢(オトコ)は世に居るんだなぁ。

5ちゃんねるの会話の形式はバトル形式、馴れ合いを禁じます。
但し、その事を踏まえた会話かどうかが 問われています。
ググるシッタカの糞雀鬼はアンタはエライ!と褒めて欲しいのです。
それは糞雀鬼がリアル社会で疎外無視され続けてきた現実があります。
一見、相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞雀鬼の抱え込むリアル社会の絶対評価です。
と言う事で、糞雀鬼は「暴れさせて、ゴミがたまったら透明あぼ〜んが適切ですね。
決してレスポンスしない事が、大切。

 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らし粘着糞雀鬼は無視放置スルーされるのが一番キライ、耐えられません。
 ||  荒らし糞雀鬼は常に誰かの反応レスを待ち焦がれジレます。
 || ○荒らし糞雀鬼は門から入るものが宝と誤謬し、自己の内側、佛心が観えず。
 ||  荒らし糞雀鬼は常に無視されている自己存在の確認要求に拘泥します。
 || ○荒らし糞雀鬼は問いに問いで返す破廉恥無脳が故の脊髄反射のパープリンです。
 ||  荒らし糞雀鬼は理解力が皆無、とにかくしつこい、金魚ドジョウと救い難い。
 || ○荒らし粘着糞雀鬼の重複スレには誘導リンクを貼って放置が一番カステラ2番。
 ||  ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
 || ○放置された荒らし糞雀鬼は煽りや自作自演でアナタのレスを巧みに汚く誘います。
 ||  荒らし糞雀鬼にノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
 || ○反撃は荒らし糞雀鬼の滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
 ||  荒らし糞雀鬼につけ入るエサを与えないで下さい
 || ○荒らし糞雀鬼が枯死するまで孤独に暴れさせておいてゴミが溜まったら削除です。
 ||  荒らし糞雀鬼は外道{野狐}です。
 ||                                                 ||
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
愚レスポンスを繰り返す糞雀鬼 と、ググったら 出たぁ (大爆笑ナァ〜リ〜♪
0217ジャンキー大山.。
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2018/09/12(水) 19:25:25.21ID:oQeTsW7M
>>214
レスの目的は、dpさんあての横レスで、内容は”ジーヴァ”についての仏教辞典からの要点引用で、
その趣旨は、老婆心ながら「ジーヴァ=霊魂」とするにはもう少し補足の説明がいるかなと思ったからです。


1.>佛教では身体と霊魂の関係については無記

これも仏教辞典からの引用で、毒矢の喩の十無記の事です。
(→生命と身体は同一か。生命と身体は別個か。 /生命=ジーヴァ)


2.人間の死後にも存続する意識、及び輪廻主体のことを一般的には総括的に「霊魂」という言い方をしています。

貴殿の「霊魂」の定義に関して論ずるつもりはありません。
ちなみに、仏教辞典では「霊魂」について、インド・中国・日本についての考え方が解説されております。
0218dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/12(水) 19:55:08.29ID:R6/tNqlW
>>217
遅ればせながら、ありがとうございます^_^*)/

ジャンキーさんの疑問もごもっともだとは思いますが、
宝珠真範との対話が混乱するのは避けたいので、まずは
私と宝珠真範さんとでお話をさせてください。

これは、、余計な一言ではないよね?w

>>212
おじゃるさんもありがとうございます^_^*
0220
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2018/09/12(水) 21:02:59.65ID:FazTBtgI
┐(´ー‘)┌
0221神も仏も名無しさん
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2018/09/14(金) 00:36:26.66ID:TQIARG3E
>>187
世界には数あまたの宗教がありますが 、ほとんどの教えでは 「創造主 」「唯一絶対神 」「真我 ( ātmanアートマン ) 」 「永遠の魂 」といった 、何か永遠に変化しない実体 ・絶対的な存在がある・いると教えています。
それほど信仰の心のない一般の人々も 、それをなんとなくボンヤリと信じていて 、「神を信じていれば永遠の天国にいけるのかなぁ」とか 「自分には魂があるのかなぁ」とか思っています 。
日本の主要な宗教である大乗仏教でも同じことです 。 「創造主 」「永遠の魂 」などと言う代わりに 「如来蔵 」「仏性 」「法身 」 、日本の宗派仏教になると 「大日如来 」「久遠実成の仏陀 」などと言葉を作っていろいろ概念を入れ替えるのですが 、
結局は 「真我 」とか 「魂 」とか 、何か永遠に変化しない実体 ・絶対的な存在がある ・いると考えているのです 。
そういうわけで 、 「勝義諦 ・真にあるもの ・真実 」が 「生滅変化し続ける無常の現象で 、一時的に現れている 」という説明自体 、始めはなかなか理解しづらいと思います 。
「 『真にあるもの 』だったら 、永遠不滅のはずじゃないか 」というのが 、ごく一般的な反応でしょう 。
「勝義諦 ・真にあるもの ・真実 」の一つが 「心である 」と聞いたとたん 、私たちが持っている 「永遠不滅の魂 」といった概念 ・固定観念で思考がカチンとロックされてしまって 、そこから頭の切り替えができなくなるのです 。
「生滅変化し続ける無常の現象で 、一時的に現れている 」という仏教の 「心 」 、勝義諦としての 「心 」には 、たとえ仏教を勉強していても 、なかなか肉薄できないようになっています 。
アビダンマの勝義諦である物質 ・心 ・心所のどこを探しても 、永遠の魂や他の絶対的な存在は見つかりません 。
ならば最後に現れる 「涅槃 」こそが永遠の魂だと決め付けても 、それは大間違いです 。
もともとなかった魂が 、「涅槃 」になったとたん突然現れるはずがありません 。
0222神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 00:36:52.03ID:TQIARG3E
「真我 (アートマン ) 」「永遠の魂 」といった実体論は 、ゴミ概念として 、仏教ではスタート地点から排除しているのです 。
ですから私は講義の最初に 、「真我 」「魂 」といった考え方をきっちり批判しておきたいのです 。
むしろ 「真我 」「魂 」といった我々に骨がらみになっている固定観念をとことん論破することによってこそ 、
アビダンマの語る 「心 」の独自性 、仏教の超越した智慧のすごさが 、ありありと浮かび上がってくるのではないかと思います 。
0223神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 11:19:10.11ID:Rt8/3B+D
>>222
論破はたぶんできませんよ。
もともと有りもしない妄想概念なんですから。
どうしても時間の無駄になります。
0224おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/15(土) 16:16:52.53ID:wSLN4EHr
 
↓仏教とは関係ないけど

おじゃるが使ってる、メールが乗っ取られました
(たぶん外国の人?のような気がする)

難しいパスワードに変更して
復旧させて使えるようになりました

皆様もお気を付けくださいませ おじゃる m(_ _)m
  _  _  _

>論破はたぶんできません

宝珠殿の場合は
そもそも中観帰謬ではないので
『(真我を否定する)仏教が間違ってる!』ということになるでしょう

中観帰謬の場合は
般若の智慧と慈悲によって
掴もうとしている『想い』も手放しているので
それゆえに
涅槃の境地にもとどまらない
0225おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/18(火) 18:09:03.45ID:dvv18iqH
 
dat落ちしないように

心霊動画を貼り憑けしときます

https://www.youtube.com/watch?v=xe1ri54cigQ

魔界潜入 怪奇心霊秘ファイル 4

心霊といえば

やはり密教系で おじゃります m(_ _)m
0226神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 20:44:30.05ID:+5NkZP5U
サーヴァッティーでのことであります。
その時、或る神が、夜も更けた頃、容色うるわしく、ジェータ太子の林全体を輝かせながら尊師のもとに近づきました。
尊師に近づいて、挨拶し、一方の隅に立ちました。一方の隅に立って、その神は、尊師に次のように言いました。

「わが友よ、あなたは、生き物たちが、解脱し、自由になり、遠離するものかどうか、知っていますか」
「友よ、わたしは、生き物たちが、解脱し、自由になり、遠離するものかどうか、知っています」
「友よ、では、あなたは、 どのようにして生き物たちが、解脱し、自由になり、遠離するのか、知っていますか」

 「歓喜の生存が滅尽し、表象作用(想)と識別作用(識)とが尽きて、
 感受が滅することにより、寂滅がある 

― このように、友よ、わたしは、生き物たちが解脱し、自由になり、遠離することを知っています。」
0227神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 20:45:43.39ID:+5NkZP5U
サーヴァッティーでのことであります。一方の隅に立った、かの神は、尊師のそばでこの詩を唱えました。

 「導かれていくのは、命である。短いのは、寿命である。
 老いに導かれていくものにないものは、救いの場である。
 この、死へのおそれを観るならば、
 諸々の福徳をなして、安楽をはこぶがよい。」 

(尊師が語りました。)
 「導かれていくのは、命である。短いのは、寿命である。
 老いに導かれていくものにないものは、救いの場である。
 この、死へのおそれを観るならば、
 世間の財を捨て、寂静をねがうがよい。」


一方の隅に立ったかの神は、尊師のそばでこの詩を唱えました。

 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 諸々の福徳をなして、安楽をねがうがよい。」

(尊師が語りました。)
 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 世間の財を捨て、寂静をねがうがよい。」
0229おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/21(金) 15:17:04.79ID:plC1JgTG
 
http://mainichi.jp/articles/20180920/ddf/007/040/013000c?inb=ra
寺で真の終活 「商売先行」現状に異議 大阪・天王寺

↓「死後の世界はあるんでしょうか?」

ヒンドゥー(バラモン)
…人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

 − これを対処するために −

上座部系の場合は
苦集滅道
戒・定・慧・解脱・解脱知見

大乗系の場合は
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧と慈悲)
無住処涅槃(むじゅうしょねはん)
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

https://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E7%8E%8B/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98/
第九意識 = 完全なる涅槃
0230おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/24(月) 16:26:21.48ID:oBt1XIiE
 
http://www.onedhamma.com/?p=6750

↓今回のpodcast法話も

18/09/23
「思いが手放された後の世界」を認識可能か?
どこの誰が?解脱の智見を知るのか

無明に依存している
おじゃるが解脱の智見を知るのか?

般若の智慧と慈悲(としての、おじゃる)によって解脱の智見を知るのか?
  _  _  _

大日如来(阿摩羅識)からの
  ↓
仮設としての
縁起している世界の中の
(有為法の中の)すべて一切の諸法
  ↓
さとりに達するための障害(覆)がない
阿頼耶識
  ↓
無明に依存して
さとりに達するための障害(覆)がある
末那識
我癡・我見・我慢・我愛
貪・瞋・癡
0231神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/26(水) 00:48:02.94ID:IrWNoxKh
アートマンは否定できないものであるから、
天啓聖典は
「そうではない、そうではない」といって、
アートマンを否定しないで残したのである。
人は「私はこれではない。私はこれではない」
というような仕方でアートマンに到達する。


「私はこれである」という観念は、
「これ」の表示する
非アートマンと同一視されたアートマンから生じ、
言葉によって表示できる領域にある。
その観念は否定されたアートマンから生じるのであるから、
前のように、再び正しい認識として受け入れられることはないであろう。


まえに生まれた誤った考えを否定しなければ、その後に正しい思想は生まれない。
見(アートマン)は唯一であり、それだけで確立している。
それは正しい知識根拠の結果であるから、
否定されることはない。

アートマン(自ら)は、一切智者であり、一切見者であり、清浄である。

(ウパデーシャ・サーハスリー)
0232神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/26(水) 15:39:28.22ID:VLn2CapM
805 人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住(永遠不滅)ではないからである。
この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。

806 人が「これはがわがものである」と考える物、ーそれは(その人の)死によって失われる。
われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してははらない。

807 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。
それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。

808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。

809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。
それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。
http://suttanipata.com/eea/
0233神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/26(水) 15:40:58.64ID:VLn2CapM
「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、
奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、
どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
“人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。”
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
http://blog.livedoor.jp/shinbookdiary/archives/65918679.html
0234宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:45:11.73ID:Nglwh+BD
皆様へ

私からの投稿は度々、
かなり遅くなることがありますので、どうかご了承願います。
時間的問題と体力的な理由にてなかなかコンスタントな投稿には無理があり、
どうしても遅れてからの纏め投稿や長文連投の傾向になります。
尚、すぐにレスが返せる場合はそうしますので、今度とも宜しくお願いします。
0235宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:48:28.53ID:Nglwh+BD
dp9さんへ

この度は大変、返信が遅くなってしまいました。ごめんなさい!
普段から遅れがちだというのに、それに合わせて今回は更に震災停電の影響を受け職場が休日返上の連操になってしまいました…。
取りあえずは今、書けるだけの内容にて投稿しますので、
また何か知りたいことや確認したいことがあれば、どうぞいつでもお気軽に質問して下さい。
私のできる範囲にて返答させて頂きますから。

>>209>>213>>215
>>209
>私は魂は宇宙の根本意識の一部であり、そのことを認識していないのも「無明」の
>一つだと理解しておりました。

アートマンについての部分的理解としては間違いじゃないです。
0236宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:50:16.29ID:Nglwh+BD
>ひょっとして、
>アートマンは仏の魂も含む、魂全体を言い表すもの、
>ジーヴァは輪廻する人間等の魂でしょうか?
>それならば私の認識となんら変わりませんが。

 人間における意識の本質(本性)というのは、本来は神(ブラフマン)そのものであって、その分霊がアートマン(真我)ということなのです。その
ことは、いわばブラフマンである大海(海洋)の水を汲み取ったコップの海水一つ一つが個別のアートマンであるとみてもいいと思います。この両
者というのはその性質についてはまったく同等のものなのですが、アートマンというのは、つまり、人間一人一人の個的な意味合いを持っている
ということ。このアートマンがそれぞれ一つの「魂」を物質界に反映しているのです。
 輪廻しているのはこの魂であり、この魂が原因と結果の法則(作用反作用の法則)の中で、自己(人間)と大自然との正しい関係、及び人間同士間
における正しい関係、そして、神との正しい関係について修得するための経験を積む旅を続けています。これが一定の基準に達してゴールするま
で続けられるのです。これらの獲得経験は最終的にはすべてアートマンへと引き上げられて、役目を終えて用済みとなったコーザル体(輪廻におけ
るすべての経験が記録されている場所)は破壊され、魂はアートマンへと吸収されて消滅する。こうして必要経験を獲得して輪廻が終焉し、究極の
ニルヴァーナに至る。これが仏教における「識」が五蘊の中で機能しながら業報輪廻の経験を経て、最後に輪廻を解脱し涅槃に至ることの意味です。
0237宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:51:40.36ID:Nglwh+BD
 尚、仏教においてはアートマンについての解説はないですから、「真我」についての詳細理解については、私個人は神智学とラマナ・マハルシの
ジニャーナの教え。そして、偽作の多いシャンカラチャリヤの著作の中において、これこそ唯一無二の真作と認められている『ウパデーシャ・サー
ハスリー』が学修教科書です。
 特に、アートマンの性質についての理解には、この『ウパデーシャ・サーハスリー』は必読だと思います。そして、できることならば「神智学」
を学ぶことによって、宗教レベルを超えたより詳細かつ具体的な理解を得ることができます。
 尚、ブッダの説かれた“真実の自己を求めよ”という教えと「自性清浄心」(心性本浄説)、そして、大乗の説く「仏性」というのはアートマン
のことと見ても良いものと思っています。
 まず、基本的な前提として、ブッダは“アートマンは無い”などとは教えていないということは何よりも重要なことです。この誤解を解かない
限りはどうしようもない...。ブッダの説いた五蘊無我の教え、つまり、“それらはアートマンではない (非我) ”という否定意というのは、有為
についてのものなので、アートマンそのものにはまったく抵触しないことを知る必要があります。
0238宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:52:52.98ID:Nglwh+BD
 仏教においてはもちろん、アートマンについての解説は特にはありませんが、ただし、輪廻主体としての魂については「識」として明確に説かれ
ています。これは、まず把握しておかないとダメでしょうね。
 石飛道子氏の解説によれば、
【ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生する
ありさまを説明した。】とあります。
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation3.html (龍樹と輪廻転生 石飛道子)

 また、その他にも、長阿含/第四経『遊行経』には「魂神」として、それから雑阿含経『跋迦梨経』および増壱阿含/第四十一経には「識神」とし
て説かれているとのこと。中村 元氏(『原始仏教の思想』中村元選集[決定版]第15巻 春秋社p.652)によれば、DN.23の『パーヤーシ・スッタン
タ』と長阿含/第七経の『弊宿経』においては、積極的に輪廻の主体を想定する思想が仏教徒の主張として表明されているとの指摘があります。
 この輪廻の主体「魂」(ジーヴァ)というは、五蘊の「識(蘊)」(阿頼耶識)が肉体崩壊後にも存続している状態のことを指していますから、従って、
「六処」でいえばその中の「意」(処)に該当するものではないか私は思います。
0239宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:54:35.96ID:Nglwh+BD
 ここでご指摘のあった使用「語句」の“定義”について明確にします。ただし、この定義というのが、またなかなか難解かつ複雑なものがありま
して、ですから、私はなるべく日本人の普通の日常語として理解されやすい言葉を選んで使用しているのです。
 説明が必要なその語句とはこの三つのことです。つまり、「霊」と「魂」と「真我」です。ではこれから、この三つについての明確な使い分けに
ついて話します。

 「霊」(レイ)---私が普段この「霊」として述べているものは何かと言うと、これは人間の死後にも一定期間において存続を続ける意識のことであり、
よく世間においては霊(幽霊)を見たとか霊が出たなどとして使われているそれを意味して使っています。これは五蘊の中の純粋な物質肉体以外の精
神活動全般、その中の特に人間の情緒(感情)活動を司るアストラル体が死後をも存続しているアストラル想念形態のことを指します。人は死後、一定
期間を経て順次、肉体→エーテル体(ヒンドゥーのチャクラや中国で経絡秘孔として説かれているのはこの不可視のエネルギー体の活動のこと)→アス
トラル体(霊体)と分解消滅していくのですが、情緒的に異常状態にある人の場合にはこのアストラル体(霊体)の存続期間が延びて、次の転生に速やか
に入ることを妨げます。これがいわゆる成仏してない霊という言い方として使われることの意味であり、これが視覚に捉えられると幽霊を見たという
話になります。仏教では、この状態のことを「餓鬼」(餓鬼地獄に堕ちている)といっているのです。原始経典における幽霊存在について説かれた明確
な経は、雑阿含の『好戦経』です。この中では、ブッダやモッガラーナといった霊的視力者にはごく当たり前のものとしてそれらが見えている。けれ
ども、ブッダの教説を否定する者というのは地獄に堕ちてしまうので、自分の目には見えないものを信じない人々がそうなってしまうのはあまりにも
可哀想なので、だから自分は普段はあまり説かないようにしているのだ、と述べています。
0240宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:55:37.03ID:Nglwh+BD
 とても良い霊体の出現とブッダとの対話については、中部経典第十八経『闍尼沙経』で非常によく仏教に帰依して死んだビンビサーラ王の心霊との
対話の描写が素晴らしいです。そして、「餓鬼」(「逝去者」の意味で“浮ばれていない者たち”のこと)の救済も仏教徒としての勤めとして説かれて
おり、そのことが『餓鬼事経』(ペータヴァットゥ)で説かれています。
 尚、神智学では「霊」(スピリット)というのは、モナッド(ヒンドゥーのアートマン)のことなのですが、ただし、日本においてはただ混乱するだけです
から、私はこのような使い方はまったくしない。それから、神智学における心霊存在は、ヒンドゥーと共通していて「カーマローカ」(生前のアスト
ラル体)と呼ばれます。
 唯物主義者というのは、あくまでも自らの体験によってしか認めることができない悲しい脳をしていますから、その人達にとって最も体験の可能性
が得られるものが、エーテル次元の気功エネルギーの体験、次にアストラル心霊体験なのです。なので、中国気功師の達人の元を訪れて気を体験する
とか、東北地方の座敷童の旅館に宿泊するとあるいは心霊現象に遭遇できるかもしれませんから、是非、チャレンジをお薦めします。
 
 「魂」(タマシイ)--- 最近、繰り返し述べてきていますが、これがヒンドゥーの「Jiva」(ジーヴァ)、または「ジーヴァ・アートマン」であり、個我
(自我)という言い方もありますが、要するに輪廻主体としての五蘊の「識」のこと。ここに意識の焦点が置かれたときにバラモン行者が行うような
奇跡的な体験と通力が発揮されます。無始の太古からの輪廻の記憶に触れることができるので、その膨大な経験情報を引き出すことができます。こ
れが究極の自己意識への到達だと歓喜するところなのですが、しかし、これもまだアートマンではなくて最終的には消滅してしまうもの。これに執
着してしまうと、最終的な解脱への妨げとなります。つまり、これが『梵網経』によってゴータマに否定された常住世界(概念)のことです。
 これを神智学では、「soul(ソウル)」とか「アートマ」と呼称しています。
0241宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/30(日) 06:56:46.31ID:Nglwh+BD
 「真我」(シンガ)---究極の自己本質であり、ヒンドゥーが説く「アートマン」(漢訳の“我”)のこと。日本では近年この「真我」と表記されるのが
通例となっており、私も好んでこれを使用しています。ここに意識の焦点が留まるときにすべてのマーヤー(幻影)は消散する。
 尚、勘違いしている人が多いのですが、アートマンそのものは輪廻していません。神智学では同様にして「真我」、または“神の閃光(キラメキ) ”や
「モナッド」、または「モナド」といいます。


〜取りあえず、ここまでにします。
また、何でもお気軽にどうぞ。
0242宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/30(日) 07:01:09.09ID:Nglwh+BD
ジャンキー大山さんへ

>>217
>1.>佛教では身体と霊魂の関係については無記
>これも仏教辞典からの引用で、毒矢の喩の十無記の事です。
> (→生命と身体は同一か。生命と身体は別個か。 /生命=ジーヴァ)

なるほど、あなたの言ってる意味については分かりました。
確かに、仏教においてはそのような具体的な“メカニズム解”が無いのは事実です。
そういう意味では無記です。

ただし、私から一つだけいっておきたいことがあります。
仏教の漢訳用語には「霊魂」とされたものがないといいますけれど、
しかし、本来の「原語」だとか「原意」とか、文章の「直訳」というものは、
もちろん、それを知っておくことにそれなりの意味はありますが、
ただし、実際上の使われ方としては殆ど役に立っていないということがあることについては指摘しておきます。

「ジーヴァ」だって、<命><命者><寿者><神>等と漢訳されている、といいますが、
そもそもそれを言い出したら、たとえば、「a^tman」(アートマン)そのもののについてだって、本来的な原意というのは「呼吸」(気息)のことですからね。
インド・ヨーロッパ語族なので、すべてが関連した言葉なのですけれど、英語では空気は「アトモスフェア」(atmos-phere)といい、
これはキリシア語の「アトモス」<煙、蒸気の意味>からきた。ドイツ語で呼吸することを「アートメン」(atmen)といい、
息のことは「オーデム」(Odem)といいます。
0243宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/30(日) 07:02:09.34ID:Nglwh+BD
だから、アートマンは「呼吸」(息)のことですよ。
だったなら、私たちは今、誰しもがこうして息をして生きていますからね。
ならば単純にいって、ただ“アートマンが在る”となってしまうだけでしょう? 当たり前のことです。
しかし、これでは今、私たちが論じている死後をも存続して、尚且つ、永久不滅のアートマンについての話からは逸れてしまう。
仏教でもヒンドゥーでも、アートマンを通常、「息」がどうしたこうしたという意味合いで述べてることはないでしょう。
「息」について、具体的に論ずるのは呼吸法〜瞑想についてです。

先日、ここに紹介した著名な曹洞の僧侶たちの方こそ、ちゃ〜んと「霊魂」として理解して語り合っているじゃないですか。
今日の無我説が、本来は違うものだったことについてもですよ!
私が投稿したものについては、しっかりと読んだほうが良いと思いますが...。
0244宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/30(日) 07:27:14.12ID:Nglwh+BD
 『あるいは最近、ブッダは魂というものを認めていた可能性が指摘されています。。「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)の中には少なくとも
二カ所、その証拠があります。それは「ヴィンニャーナ」という言葉の用例です。これまで「識」とか「識別力」と訳され、とくに注意を引
いていたわけではなかったようです。しかし、実は中村元先生がかなり以前から、岩波文庫の『悪魔との対話』の訳注に、「ヴィンニャーナ」
に対して「霊魂のようなもの」とか、「ドイツ語ではSeeleという」、つまり霊魂と書いているのです。さらに昨年出された「相応部」の新しい
訳(春秋社)では、「ヴィンニャーナ」に対して、本文はやはり「識」ですが、注にははっきり「たましいのこと」と書いてあります。
 玄奘三蔵が留学した頃ですから、六、七世紀段階におけるインド出家僧の半数は実際的には霊魂実在論だったというのです。この状態はイン
ド仏教が滅びるまで続いたと書かれています。
 仏教における霊魂の話になると、必ずといって良いくらい出てくる無我説や非我説にしても、少なくとも当初は、たとえば私の特定の部位を
指して、そこに私がない、外部のものを指して、そこに私はいない、そういう意味だったのに、後世になってから拡大解釈されて、霊魂否定論
の意味になってしまったらしいのです。』>>160

>ちなみに、仏教辞典では「霊魂」について、インド・中国・日本についての考え方が解説されております。

もし可能でしたら、参考としてその記述を紹介して頂くことはできますか?
0245宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/30(日) 07:28:58.89ID:Nglwh+BD
>>221-222
それらの説明はすべて有為法についてのものですよ。
従って、無為であるアートマンがそれらの法則に抵触することはない。
彼らスリランカのテーラワーダの高僧たちは、
ついに無我の教説が本来は違うものだったことが学者の研究によってバレてしまったので、
伝統(ブッダの教説ではない自分たちが勝手に構築したアビダンマ)を守る立場の彼らは、
その保身のために必死なのですね。

その姿がありありとそのまま顕れています!!
0246dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/30(日) 09:46:44.85ID:xBn57cJf
宝珠真範さん、お久しぶりです。
詳しいご解説ありがとうございますm(_ _)m

私は概要だけしか把握しておらず、それを数多の状況に照らして角度を変えて理解することや、
その「用語」の理解が欠けているようです。
「用語」の使われ方も一様ではなく、その間違いも含めて本質的な概念を文献等から理解するのには、
もっと膨大な「精進」が必要ですね。

これからも色々教えてくださいませ^_^*)
0247おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/09/30(日) 18:19:58.57ID:V1eZBfgr
 
>「用語」の理解が欠けている

基本的には
一般的には
仏教といえば
中観帰謬が基本なので
世俗の次元でも自相(自性)を否定します

たとえば
中観帰謬の場合は
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも手放して逝く

有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
「想いである」ものではない
「非想である」ものでもない
という非想非非想も手放して逝く

アートマン = 非想非非想

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
仏教としては
一般的ではない
中観自立の場合は
自相(自性)を、世俗の次元では承認します
私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
0248おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/09/30(日) 18:49:00.36ID:V1eZBfgr
 
なぜ?
アートマン = 非想非非想なのか?その理由は

↓スッタニパータ 874

有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
「想いである」ものではない
「非想である」ものでもない
という非想非非想も

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも

手放して、そして、それゆえに
…想いなき者でもなく…
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも

仮設としての
縁起に依存して
(無明に依存して)
想いにもとづいて起る

「仮設としての」無明に依存しているからこそ
『「…である」ものではないという法がある』という想いが
現れ変化して滅している

(↑中観帰謬の場合)
0249神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/01(月) 01:18:00.93ID:f+hcOpPU
>>248
>↓スッタニパータ 874
>有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
>「想いである」ものではない
>「非想である」ものでもない
>という非想非非想も

874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
ーこのように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」

いくら非想非非想が好きだからと言って適当な解釈で人に嘘を教えてはいねーぜ、おじゃるさんよ!
0250おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 02:42:49.84ID:FqsirEoW
 
>>248 には
『非想非非想も手放して!』と書いてあるけど

ちゃんと意味を理解してる?

第一禅定〜第四禅定
空無辺処〜非想非非想

非想非非想も手放して↓そして

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
上座部 パオ・セヤドー

般涅槃の時に
(地水火風の四界分別も)五蘊もまた
余すところなく滅尽します
因縁滅を了知する智慧を、因縁滅智と言います

http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗 内山興正
…坐禅中の心構えを一口にいうならば,坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして
(非想非非想も手放して!)
「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです。すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし
思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
0251おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 03:12:41.63ID:FqsirEoW
 
スッタニパータ 874
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るから
それゆえに

想うという『想い』も手放して
想わないという『想い』も手放して

非想非非想も手放して↓そして

http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%92%E3%81%A0%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%81%91%E3%82%93
解脱智見
  _  _  _

↓中観帰謬の場合は

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも
想いにもとづいて起るから
それゆえに

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも手放して逝く
0252おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 04:22:24.33ID:FqsirEoW
 
後期大乗密教の場合は

大日如来(阿摩羅識)からの

仏そのもの
仏性からの真如縁起だからこそ

智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない
無住処涅槃だからこそ

法界体性智
大円鏡智からの → 阿頼耶識

阿頼耶識
さとりに達するための修行の障害(覆)がない無覆無記

[PDF]
チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)
ゲシェ・チェカワの『七事の心の訓練法』

(般若の智慧によって
  大円鏡智からの観照によって)

道の本体は阿頼耶の自性に置くことです

↓中観帰謬の場合は
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも
(空性として)夢・幻の如しと訓練しなさい
0253神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/01(月) 10:07:36.80ID:f+hcOpPU
おじゃるは非想非非想への想いを手放せよ
0254宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/01(月) 11:02:27.14ID:oGdKx/a5
>>240
追記:
 「魂」(タマシイ)---また、神智学では「ego」(エゴ)とも呼ばれています。

>>246
はい、宜しくどうぞ!
0255宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/01(月) 11:14:29.58ID:oGdKx/a5
>>251
そのあらゆるすべての想いを捨て去るというのは、
歩みとしては、かなり最終的な段階のほうではないかと私は思いますが...。
何故ならば、通常の我々のレベルでは何かしらを求めなければ、
そもそも生存することすらもままならないからです。

ゴータマは、
“真実の自己を求めよ”といったのですから、
弟子が真実の自己を求め続けることは必要なことです。
大衆が弟子となったときには求める対象のレベルが変わるのです。
つまりは、地位や金や女や食べ物...といったものから→真実の自己へと
そして最終的には、アートマンがどうしたこうしたとかはもちろんのこと、
真実の自己を求めるということすらも欲望として廃棄していく...。
更には、すべての想いを手放したという想いさえもなくなる。

>>252
>しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

大乗ご自慢のこの美しいフレーズについては、
この私は大いに疑問符を浮かべます。

真実は、
「涅槃に入らない」のではなくて“涅槃に入る段階にない”ということであり、
大乗はそのことを誤魔化すべくこのような言い訳を主張するのだと。
大乗というのは非仏説であり、そして、だから完成者の輩出がないのだということ。
自ら涅槃に入らないというセリフは大乗一流の誤魔化しでしょう。
0256おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 14:20:40.21ID:FqsirEoW
 
>想いを捨て去るというのは
>歩みとしては、かなり最終的な段階のほうではないかと私は思います

それゆえに↓上座部系の場合は

四界分別観
第一禅定〜第四禅定
空無辺処〜非想非非想

というような段階を踏まえて

非想非非想も手放して↓そして

般涅槃の時に
(地水火風の四界分別も)五蘊もまた
余すところなく滅尽する
因縁滅を了知する智慧
因縁滅智

戒・定・慧・解脱・解脱智見
  _  _  _

(中国経由の)日本の禅宗とかの場合は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
それゆえに
坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
掴もうとしている『想い』を手放して、そして
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐

布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧も慈悲も)
0257おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 14:50:56.16ID:FqsirEoW
 
>“涅槃に入る段階にない”ということ

青目(ピンガラ)の中論 觀法品 第十八

八正道を修習しながら
我と我所との因縁を滅すれば
無我や無我所という決定した智慧を得るだろう

諸の禅定の中で何故、滅尽定が第一なのか?

↓ちゃんと読んで

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
修行の頂点に達して
そこには
悟る法という『想い』もなく

さらに無の世界も超えて

般若の智慧と慈悲をもって
平等性智をもって
分別のない心で
移り行く世界の様を
ありのまま見つめている

仏性からの真如縁起だからこそ
無住処涅槃だからこそ

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる
0258おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 15:22:59.48ID:FqsirEoW
 
>大乗の誤魔化し

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して

無明に依存している「おじゃるが解脱するぞ!」という

『(無明に依存している)想い』で解脱することが出来るのか?

 − これを対処するために −

無明に依存することのない

仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって。という

その地域の、その当時の人々の
世間的な『想い』も一応認めて、さらにその理解のうえで
その地域の、その当時の人々に理解せしめる

大乗としての対機説法

『大乗の方便も信用できない!』
という場合も多いかもしれないけど、とりあえず
0260おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 00:09:22.48ID:nAfgARSK
 
https://i.imgur.com/Un7tYU3.jpg
これを大乗的に説明すると

仮設としての
縁起している世界の中で
『(無明としての)想い』に依存している
煩悩で修業してしまうと何も生まれません
(「禅定に入れない」という意味)

無明に依存することのない
仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって
心を調えて、集中力も憑けて、悟りが生まれる

(↓大乗の場合は真如縁起?)
涅槃は
縁起ではないので
それゆえに
「(悟りが)生まれる」という表現もどうなのか?
という感じもするけど、とりあえず解脱智見ということで ヨロ m(_ _)m

http://www.j-theravada.net/pali/key-cetasika.html
初期仏教の世界
心 citta チッタ
心は善でも悪でもありません

説一切有部から → 唯識に受け継がれて?

阿頼耶識
さとりに達するための修行の障害(覆)がない無覆無記
(「阿頼耶識は、善でも悪でもない」という意味)
0261宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:05:13.72ID:HSZNFowA
>>257
その、『十牛図』を読ませて頂きました。
禅的なエピソードと悟りの極意的な逸話ですね。

そこでいっている意味はもちろん分かるし、
それから、すべての(想いからの)捉われを捨てること、
及び、悟りを求める想いすらも無くなっていてく...的な意味もわかるのですが、
しかし、そういった禅的な教え〜捉われを捨てて心が無になる〜というのは、
ある部分では大きく修行の道程の中では役に立つことはこの私も認めつつも...
しかし、大本であるところのゴータマの説いた解脱へ至る教説そのものとは、
やはり、ちょっと異なるものだろうと私は思う。

まず基本には、
ゴータマが目覚めた人ブッダと成ったという物語を伝える典型的な「仏伝」によれば、
それは悟りを得るまでは決して諦めることなく、死の覚悟を以てあらゆる困難に立ち向かったというものですよ。
六年麻麦の苦行では、その途中、何度もゴータマ死んだと噂されたほどの難行荒行へと挑んだ。
苦行では悟れないとみると、今度は悟りを開くまでは死んでも座を立たないと誓って臨んだのが菩提樹下の瞑想だった。
0262宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:07:50.54ID:HSZNFowA
『【23−06】成道----菩提樹下の誓い
   菩薩が菩提道場に坐し、悟りを開くまで座を立たないと誓う。
[B]仏伝経典
@ NK.(vol.T p.071, 南伝28 p.151);
 菩薩は菩提樹の幹を後にして東の方に向い堅い心を以て「仮令我が皮膚も筋の骨も乾び、全身の肉も血も干乾びるとも、
 我は正覚を成ぜずばこの跏趺坐を解くまい」
G LV.(Lef.p.289, 溝口 p.260);
 ここで、この座の上で、たとえ私の体が干からびようとも、私の皮膚が、骨が、肉が溶け去ろうとも!この、幾多のカル
 パの時間の中で、獲得することの困難な智慧を獲得することなしに、私の体がこの座から動くことはない!
K BC.(12−120);
 ……「余は目的を完遂するまでは断じてこの坐をくずすことなかるべし」と念じて、彼は眠れる蛇のとぐろのように身体
 を凝縮して、最上かつ不動なる結跏趺坐を組んだ。』
(【資料集3】仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソード別出典要覧 森 章司・本澤綱夫・岩井昌悟)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/03_01.pdf
http://www.sakya-muni.jp/monograph/03/3-1/2527.html

この私が、言いたいこととは、
どんな崇高な想いであろうとそれすらも捉われと欲望となり得るものであるということと、
“真実の自己を求め続ける”ということ、つまり、大乗でいう菩提心かな?
というものとは混同しないよう注意すべきだということ。

>修行の頂点に達して
>そこには
>悟る法という『想い』もなく

いやいや、それは勝義的な意味合いでしょう!?
“ (ゴール地点)には無い”ということであって、
そこに至るためには必ず道標と悟る法(菩提分法か?)がある。
それは、実際にその道程を辿った達成者がそのことを示したものです。

>>258
では、大乗からは完成者は輩出したのか?
0263宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:10:20.95ID:HSZNFowA
>>259
相変わらず、
“デタラメ”ばっかり書かれてあるけれど...

>滅尽定は仏教だけ

だからまず、
その滅尽定を示したというテーラワーダ聖者の具体的な事例を提示してくれ、
と、この私はいってるのですよ。
「誰々が滅尽定を示した」というだけの記述ではなくて、
それはいつ、どこで、そしてどんな...といった具体的な記録なり、またエピソードを知りたい。
千年も二千年も太古の伝説めいた話は辞めてね。

尚、ヒンドゥーにはこの近年でも事例(具体例)は事欠かないから。
こちらは結果が出てるから。
0264宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:15:36.02ID:HSZNFowA
いつも仏教徒は屁理屈ばかり。
素直さもない

これが私が感じる2chでの感想です。
0265おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 18:21:17.60ID:nAfgARSK
 
>大乗からは完成者は輩出したのか?

ベトナム出身の禅僧
ティク・ナット・ハン
アメリカとフランスを中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっていた

ダライ・ラマ
1世 ゲンドゥン・ドゥプパ 〜 14世 テンジン・ギャツォ(たぶん中観帰謬)

ダルマキールティ唯識派(たぶん瑜伽行の実践派)

カマラシーラ瑜伽行中観派(瑜伽行の実践派・中観帰謬)

空海 - 真言宗

天海 - 天台宗(江戸の設計をした)

そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっている
という道元 曹洞宗

大乗の立場としては
『釈迦は(上座部系も含めて)大乗の開祖でもある!』みたいな感じなので
釈迦 - 大乗仏教の開祖でもある

大日如来 - 涅槃も含めて
縁起している、すべて一切の諸法

机師匠
承狂師匠
セブン師匠
縁起一代師匠

その他諸々の師匠の方々
0266おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 19:02:27.60ID:nAfgARSK
 
>仏教徒は屁理屈ばかり。素直さもない

その理由は
慈悲の冥想の実践をしてない人が多いから

↓大乗的な慈悲の冥想

↓無明に依存することのない

仏そのもの
仏性からの真如縁起

般若の智慧と慈悲をもって

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

(無明に依存している)
我癡・我見・我慢・我愛(遍計所執性)を手放しできるのなら

素直になれる(かもしれない?)

上座部系とかの場合なら
我癡・我見・我慢・我愛(遍計所執性)を手放しするそのために
四界分別観とか第一禅定とかから始めて逝く

苦集滅道 → そして解脱智見

仏性からの真如縁起をもって
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0268おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 21:33:12.51ID:nAfgARSK
 
>>267 >俺は違うぞ。(笑)

正真正銘の悪の芦屋道満の弟子である

承狂元密教僧なら大丈夫です

即身成仏、間違いなしで おじゃります

ちなみに
承狂元密教僧は
イヴァン・イリイチのバナキュラーに似てる?らしですね

ということで、とりあえず

大日如来(阿摩羅識)をもって

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%81
イヴァン・イリイチ

バナキュラーって何ぬねの? おじゃる?
0270おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/03(水) 02:11:31.83ID:BoX9owlk
 
>>269
これを大乗的に説明すると

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

我癡・我見・我慢・我愛に依存して

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンという法がある
と掴もうとしている『想い』が、現れ変化して滅している

 − これを対処するために −

無明に依存することのない
仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンという法がある
と掴もうとしている『想い』も手放して

無明が依存している縁起も手放して、そして

本来自性清浄涅槃

阿摩羅識 = 真我、真如、如来蔵

(↑大乗の場合)
0271ポッタン師
垢版 |
2018/10/03(水) 21:17:16.89ID:SJilpX/0
264.屁理屈の代表者がバカおじゃる、である。大爆笑である。
0272神も仏も名無しさん
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2018/10/06(土) 14:18:29.84ID:95SAwmUL
>>263
滅尽定に至れるのは阿羅漢だけですが、阿羅漢であることを自ら名乗りでるのは布施がその人に集中するとかサンガの中でも位が上がるとかの利益誘導に繋がるので禁止されています。
なので滅尽定に至った、体験したということもできません。
なぜならそれは自分は阿羅漢であると名乗りでるのと同じだからです。
0273おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/06(土) 17:40:32.23ID:ruhqo0bJ
 
>阿羅漢であることを自ら名乗りでるのは…禁止されています

たとえば
自ら名乗りでるのは禁止されていたとしても

上座部系
マハーシ・サヤドー
サティア・ナラヤン・ゴエンカ
パオ・セヤドー
その他諸々

大乗系
ティク・ナット・ハン
ダライ・ラマ
その他諸々

この師匠の方々の元には
沢山の衆生の方々が集まっている

これから先(仏教も含めて)
宗教に興味がない人々が増えていったら、どうなるのか?わからないけど

宗教(仏教)に興味がないのなら
戒・定・慧
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若

解脱智見する如来も少なくなっていくでしょう。ということで ヨロ m(_ _)m
(大乗の場合は「如来の世界から解脱智見する」という意味)
0274宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/07(日) 04:02:53.05ID:+DDYyYVy
>>271
おじゃるさんはとてもよく勉強してる。
そして日々、真理について真面目に思索してる。
少なくともあなたの百倍は進化している。

笑わられてるのは、
あ・な・た!!
0275宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/07(日) 04:04:54.17ID:+DDYyYVy
非常におめでたいことで、
日本の京都大学特別教授の本庶佑氏に対して、ノーベル医学生理学賞が授与されました。
本庶氏のモットーは、“常識を疑うこと”だという。論文や教科書に書かれてあることは信じない、と。
それから、「ネイチャーやサイエンス誌に出ているものの9割は嘘で、10年たったら残って1割だ」ともいった。

この私の採るスタンスは、
これまで仏教として信じられてきたことの多くが実は間違いで、実際には違うというもの。
その真実を知っている者はごく僅かしかいないというものです。
こうして、2ch-5chにて投稿を続けてきて、なんともう早10年となった。
これまで何度も私に対する無知な者からの誤解として、
「おまえは神智学の権威付けのために仏教(ブッダ)を利用してるのだろう!」というものがありました。
神智学徒が権威利用を目的に仏教にも手を出しているというものですが、
しかし、事実はその真逆なのであって、元々、一番最初に出会い、そして、学修してきたものが仏教なのでした。
そこで分かったことというのは、本来の正しい仏教を指導しているところは皆無であるということ。
そして、それまで仏教側から一方的に与えられてきた偏見の目を捨てて、自分自身で知ろうとしたものがヒンドゥーなのでした。
私は自分の経験上、クリシュナの教え『バガヴァッド・ギーター』、シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』、
ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』、ラーマクリシュナ・ミッションの書籍、
そして、ラマナ・マハルシの教えを学ばない者は“ヒンドゥーを知らない”と見ています。

それから、また別の顔としては、
現在はあまり精力的に活動していないけれども、地震予知における宏観現象の研究についても長い。
今も登録だけはしているが、以前は「日本地震学会」のメーリングリストにて東大地震研の学者たちとも議論を戦わしたりしてきた...。
彼らの思考は硬直化していて柔軟な発想に掛けており、いつも常識に条件付けられている。
彼らが予知を成功できないのは、その方法が間違っているからに過ぎない。
0276宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/07(日) 04:16:28.35ID:+DDYyYVy
>>275
つづき...

学修経緯としては、「仏教」→「ヒンドゥー」→「神智学」の順でした。
ヒンドゥーだけで満足できなかった理由としては、
ヒンドゥーというのはどうしてもインド教としての性質のものだということがあった。
しかし、「神智学」はその枠を超えたものであり、更には「宗教」というカテゴリーすらも脱したものでした。
0277宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/07(日) 04:36:31.75ID:+DDYyYVy
>>265
おじゃるさん!

 もしも、大乗の系譜上でそんなに完成者が輩出してるのであれば、大乗非仏説も何も関係ないじゃないですか?
それでは、あまりにもオメデタ過ぎるのでは?
 大乗非仏説だと一体、何が問題なのかというと、それはつまり、ゴータマ自らの経験にもとづいて涅槃への道を語られたもの
が後々の経典となったのだとするのならば、その直説に拠らないで後代の弟子たち自分らで勝手に書いただけの大乗経典という
のは涅槃の経験にはもとづいてはいないので、その記述というものは涅槃行きの保証がまったくないのだということ(そこで大乗
の言い訳としては、ゴータマではない別の如来からの通信なんだとするものであったり...)。

 確かに、どの宗教からでもゴールへの道を上ることができると私はいつも公言してきたけれども、それでも宗教の違いによっ
てはそのレベルが異なり、高度でかつ難解なものもあれば、容易でかつ低レベルのものもある。専門少数派向けもあれば万人向
けのものもある。そして、そこで昇れる梯子についても実に様々で多種多様です。早く登れるものもあれば時間を要するものも
ある。安全なものもあれば、脚を踏み外す危険性の高いものもある。そしてまた、登れる梯子の高さそのものが違ったりもし、
それはちゃんとゴールまで真っ直ぐ届いているものもあれば、途中までしか届かないのもある。
 その場合には、他の道へと乗り換えなければならない...。
0278宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/07(日) 04:38:40.62ID:+DDYyYVy
 大乗のためにならないのでハッキリといっておくけれども、世に知られている大乗僧侶の中に完成者などは皆無だと思われる。
空海の場合は、自ら“即身成仏の法”を説きつつ、今も高野山奥の院にて瞑想(生存)しながら救済活動を続けられているものと
信じられていることから、確かに、真言僧と信者の多くからは本物の完成者であると見なされている日本僧侶の筆頭であるかも
しれないが、その空海については、神智学が提示する当時の進化段階は最澄と並んで2.0段階というものです(5.0段階で覚者と
いうこと)。
 以前、一代が完成者として名を挙げた後代における仏教者の事例にチベット・カギュ派のミラレパがいましたが、このわたし
から言わせれば、親族を数十人も呪殺した人間が完成者である筈がないし、当然、その生涯で到達できるわけがないのです。何故
なら、その凄まじい報いを来世以降〜において自ら受けなければならないのだから。
 この空中を自在に飛行したと伝えられるミラレパの進化段階は確かに高くて、3.5段階でした。ミラレパの師(マルパ)について
は、ほぼ覚者に近いレベルの4.5段階でした。その他、パドマサムバヴァ3.0段階、カルー・リンポチェが2.35段階、パンチェ
ン・ラマ(第十代)は1.7段階と公表されています。
 それと、現法王のダライ・ラマ14世はこの私も大好きな方なのですが、しかし、これらの進化段階と比較するならば3段階(阿
那含/不還)あたりか、3段階後半かその前後くらいではないかと推察します。スッタニパータを読めばゴータマの持つ驚異的な読
心術の凄さがわかると思いますが、しかし、ダライ・ラマ猊下は相手の意図すら見通すことができなかったのか? オウム麻原と
好意的な謁見をしたことでオウム教団の宣伝に大いに利用されました(信者たちは猊下を観世音菩薩の化身として崇めますが、法
王も普通の人間であってそういうことはない)。
0279宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/07(日) 04:39:56.06ID:+DDYyYVy
>>269
だ・か・ら
〜ちゃんと読みましょう!!

 『「識に縁って名色がある」と、このようにすでに説いた。どのように識に縁って名色があるかというこのことは、アーナンダよ、この
ような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。
Vin~n~a^nam va hi a^nanda ma^tu kucchiṃ na okkamissatha, api nu kho na^maru^paṃ ma^tukucchismiṃ samucchissatha^ ti
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入ってから消失するとすれば、いったい名色はそのようなものとして現起するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が男児あるいは女児にせよ幼児の時に断たれるとすれば、いったい名色は増大し、成長し、発達するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがす
なわち識である。22. Nāmaru^pa-paccaya^ vin~n~a^ṇaṃ「名色に縁って識がある」と、このようにすでに説いた。どのように名色に縁って識
があるかというこのことは、アーナンダよ、このような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が名色のもとに依り処をうることがないとすれば、いったい未来に生老死苦の生起の存在が知られるであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが識の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすな
わち名色である。
 アーナンダよ、この限りにおいて、あるいは生まれ、あるいは老い、あるいは死に、あるいは逝去し、あるいは生処に達するのであり、
この限りにおいて言葉の通路があり、この限りにおいて語義解釈の通路があり、この限りにおいて定立の通路があり、この限りにおいて
慧の領域があり、この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起
するのである。(ディーガ・ニカーヤ 15, Maha^nida^nasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0280宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:44:45.84ID:+DDYyYVy
 このように、「識」こそが母胎に宿る輪廻主体だと説いたのはゴータマ御自身ですよ。その宮崎氏の述べているサーティの誤解と
いうのは、「識」もまた縁起によって生じているものに過ぎないのに、これを永久不滅のアートマンだと見なしたことに対するゴー
タマからのお叱りのこと。
 正確には“魂=識ではなくて”、「魂」が母胎に流入することで「名色」と結合して「識」が生じるということかもしれないけれど
も、一般的な簡潔的理解としては、識が輪廻主体の魂であるというものです。ゴータマからのサーティへの戒めというのは、“「識」
(アートマンでないもの)をアートマンと見なすことなかれ”ということ。要するに、アートマンと識(魂)とは異なる別モノだという
ことです。

 この問題について、魂(識)もアートマンも混同してゴチャ混ぜで否定するのがテーラワーダであり、そして、この無霊魂思想に飛
びついて賛同してくるのが唯物主義者たちなのだということ。彼らは仏教徒面(日本僧侶も大勢いる)していても、その中身はただの
唯物論者です(テーラワーダは違うが)。この宮崎哲也氏のことについては、評論家やコメンテーターとしては私も好きなんですけれ
ども、ただし、彼は典型的な唯物主義者なのですよ。
 そして、>>244に抜粋再掲しましたが、玄奘三蔵の留学によって確認されたこととして“インド仏教では消滅寸前まで霊魂を認めて
いた”ということからも分かる通り、後代のあなた方テーラワーダ教団が勝手に無霊魂思想を説いているだけなのです。
 日本の曹洞宗においても、宗門は誤解して無霊魂の態度を採っているから、これは早急に正さなければならないというのが、この
曹洞の禅僧たちによる対談内容の主旨です。>>158-162
 まずは、「アートマン」と「霊魂」をトキトウに混同するのは止めましょう。
すべて、あなた方の勉強不足です。
0281宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:45:56.55ID:+DDYyYVy
>>263で述べたように、
>色界第一禅定
>滅尽定は仏教だけ
などとは、自分たちの無知を棚上げしつつ、まったく以てデタラメばかりです。

ヒンドゥー聖者においては近代においても、滅尽定はもちろんのこと、
そしてまた『ディーガ・ニカーヤ』の『沙門果経』(出家の功徳)において説かれるような
一連の驚異的な神通を自在に発揮することできる方が何人も出現しています。
そう〜まさに飛んだリ跳ねたり、消えたり出現したり、物体を通過したり...
といった文字通りの“自在”であり、それこそ何でもできる。
それらは“霊妙な目に見える沙門の果報”(修行達成の証)だとゴータマはこの経で教えているのです。
これについても、具体的に誰がいつどこで何を発揮したかについて(こちらはいつでもできますが)、
是非、そちらテーラワーダでの記録(千年以上の古過ぎる伝説などは辞めて欲しい)の提示を願いますか?

要するに、
結果が出てるということは、その教えが正しいことの証明に他ならない。
結果の出ないものというのは、必ずそのどこかに間違いが生じている証拠です。
ゴータマは、次に出現される如来(仏陀)は弥勒仏であると予言された。
これは、それまでは生ける如来の出現はないということを意味する。
では、何故に如来の出現がないのか?
その答えは簡単明瞭です。間違ったことをしてるから輩出できないに決まってる
0282宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:47:51.05ID:+DDYyYVy
>>272
なるほどね...言い分としては、
まぁ、わかりました。

けれども、
それだと大乗の説く救済活動のために敢えて涅槃に入らないという言い訳と何かダブるような印象を受けますが...
(疑問としては、本当は涅槃に入れるレベルにないことの誤魔化しではないのか?)。

それに...隠そうとしたって?
滅尽定の瞑想状態に入ったのなら側近の高僧(弟子)たちがそれを目の当たりに見てるわけだから、
それを隠そうなどということができるものなのか? 
また、そこまでして必死に隠すようなことなのかどうか?...。
つまりは、要するに情報がないのならぱ信用のできるソースがないということです。
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