>>118-119
何歳なのか? は、知らないけれど...
もうセブン、まさかモウロクたかってんじゃないだろうねェ?(笑)

私は、今までに一度たりとも、
ウパニシャッドの説くアートマンそのものを、
「ゴータマが“在る”と説いた」などとは述べたことは一度もないからね。
「在るとも無いとも言わない」(無記)と、自ら公言しているというのに(イコールなんて)言う筈がないわ。

だから、
“そうは言わない”けれども経典を読むことが(師の本音を)分かってあげようねぇ、
ということを、この私はいってるのですよ。

実在が確認できなかったのは、有為(一切内)についてです。
五蘊と現象界においては捉えられないということ。
しかし、だからといって、それによってアートマンが無いなどということにはならない。
そもそも最初から、無為的性質であるアートマンが有為(一切内)にて捉えられる筈がないのだから。
ただ、ゴータマは迷信だらけのバラモンたちと同類に扱いされることを望まなかっただけのことです。
在るとはいわない理由については述べていますからね。


>>120-123
それは、言葉としての限界性というものです。
それらはすべて“主観”において確認される。
客観的に提示することはできない。