死刑制度について是非を考えるときはこの問いについて考えるだけでいい

殺されたら、遺族が殺した相手を殺していいか?

感情的にはいいと答えたい
俺が当事者であればそれを望むかもしれない

ただ、これは殺した相手に対して受ける側である自分が今度は与える側になる、ということでもある

私は私の大切な人を殺した側の人間になる、という宣言でもある

死刑制度はこの「私が殺したい」という意志を国家が代替することである
だから、結局は根本的には自分が殺すのと変わらないわけだ

クソみたいな人間と自分が同じ立場になる、これを国民が支持するなら、俺はそれを支持する国民が大丈夫か、と心配になる

欧米に死刑制度が批判されている理由が日本国民が分からないなら、「民度がまだその程度である」ということしか語ってないと思う