【仏教】 悟りを開いた人のスレ306【天空寺】
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男は涼しいところが、よく
女は暖かいところが、よい
ような気がする >>39
そうじゃ、我輩の部屋中の話じゃよ^ー^w >>41
最悪ではない。
恩寵だ。
私は夏の思い出を見ている。
セミの抜け殻を見ている者だ。 なんか、こじに似てるなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>42
今日の話しだ。
そこは完全にエアコンが必要な仕事場なのだ。
無論、客にとってだ。
汗と客と従業員とセミの声
そして熱気が、その全てが私そのものだ。
そこに私はいない。 >>35
私は子供なのだ。
仕方ない程に。
許してあげなさい。
嫌われる勇気よりも
嫌わない勇気を持ちなさい。
あなたなら出来る! >>1 ご苦労さんなのじゃ。
>>3 これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。 >>49
で、中有と地獄は同じ?別?
分からないなら分からないでいいんだから、素直になりなさい。
また、もう少し仏教の基礎知識、体験を積んで出直してきなさい。 >>49
人間は苦痛に、苛まれたとき
反撥するかのように怒りを発散させる
これは、よろしくない
と釈迦は教えたという
しかし
怒ったものは、
この教えによって、苛まれ
苦しまねばならない
ような気がするが、真の教えとは如何に? 人は注意深く、完全に努力してなさい
という
が!
不注意があることもある
完全に気をつけている
方法とは
これ、如何なるものか 和尚は
ワシの教えから釈迦の教えを学べと説くのか?
わたしなるものが
苦しみ悩むことから
永遠に解放される方法を
いまここに
示せ 人間は優しいものである
普段から怒っているものは、怒っている要素があるのである
怒っているには
理由があるのである
ところが、その理由というのは、、、
まあ主に肉体の苦痛であり
次に我が苦しみ、つまり、肉体の苦痛に対する沈静の、つまり休息の満たされないことである
また
精神的には、アホにされること
アホであること
つまりは、不注意による過失などによって、
わたしなるものの、不利益が生ずるばあいに
愚痴もでる
だろう
が、これらは、沸き起こるものである
沸き起こるものを耐えることは、まあ、精神的強さの具合によって
ある程度可能だろうか しかして
これでは
耐えているにすぎない
と
思わないか?
耐えているというのは、それが、爆発することもあるのである
不健康である
我のないなら
怒っているのも我ではない
のではなかろか
よくわからん 普通に考えれば
世の中すべて縁によってあるなら
怒っているのも
優しいものであるのも
ぜんぶ、これあるによって
つまり、接触により生ずるものであり
我が行為などは認定されない
ことになろう そこへもってくると
お主は間違えておるとか正しいとか
も
その接触によって起こっているにすぎない
わたしが、まあ
悟ったなら悟ったのだろう
縁によって
しかして、我が手柄などではない
悟りがやってきたのだ
向こうからwwww 恒常不変のものがひとつもない
なら
怒りっぽい人もいないし
優しいものであるだけのものもいない
接触によって
なんにでもなる
わたしがなしているのではなく
起こるように起こる
あるがままにある
わたしである
しかして、この、わたしなるものが
刺激により
変化するものであり
永遠にあるものでもない
そして
我が思いのコントロール可能なものでもないときに
これを主体などと呼べるのかどうか そこへもってきて
わたしはないのだから
肉体もない
苦痛もない
などと抜かし
無の地点にあれば、あらゆる苦しみから、遠ざかる
と言うが
肉体ある限り、心ある限りは
これは難しい
これらは連携しており
これらのコンビネーションから
苦しみも楽も生まれているのだから
しかして
悟ったものは安楽の境地にあるという
摩訶不思議である
わたしの苦しみも安楽も
環境によって様変わりする
欲求によって
欲求は自然にあり、我がコントロール下にはない
どないせいとww どーしょーもない
というのが
真実ではないのか?
笑 天の声を聴くにしても
ハートの空洞を感得するにしても
まあ
佛の慈悲に触れるにしても
また
怒るにしても
怨むにしても
何になろうとも
すべては、その因によって、それが触れ合うことによって
自然発生している
自然発生しているものに
何を加えようとしても
これらは、そうあれば、そうあることしか不可能なようになっている
怒らないでいられる時には
そのような縁があり
そうでなく怒りまくっているときにも
そのような縁があり
我の意思やら努力は、まあ、それが可能なら可能なのであって
わたしの能力などではない
であろう 確かに怒りも縁によって起こるけども
主因は「わたし」に他ならない。 比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは、わが所有 ものにあらず、わが我 がにあらず、またわが本体にもあらず。まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよい。 色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは
アートマンにあらず。アートマンにあらざるものは、私の
ものにあらず。われにあらず。われのアートマンにあらず。
このごとく正しき智慧によって如実にみられるべきである。 >>62
ダメなことは
今更、言わずとも
分かりきったことではないかw
怒ることもあるし
不注意であることもある
ということは釈迦の教えに外れていることになろうからな
だけども
どないせいと、ゆーねん
と
更に、愚痴まで垂れておるのよ
しかし
もう、知るかよ >>63
わたしが怒っているのだからか
しかし、オレは思ったのだが
思っきり怒り倒さないから
怒らせるようなことが怒る
ような気もする
怒らないでいようとすることを長年やっていたが
怒らないていると
怒っていた時よりも、酷い目にあうことになる
もちろん、わたしが
ねw 酷い目に遭えば修行になるでしょ(笑)
修行が足りないんだよ基本的に(笑) わたしが原因なのは
分かりきった話ではないか
しかし
この、わたし
なるものは
ない
というではないかwwwwww >>68
むむむむむ
まあ、そうかもしれんが、、、
修行しても
成果など
なんもない
まあ、オレだけかなあ >>70
コテ付けてくれませんか?
透明あぼーんにしたいので。 まあ前スレで空想と言われたが
天の声が
まあ幻聴が
実際の耳にあったり
胸の空洞の認識があったり
常々、包んでいる慈悲を感得する
など
は
あるかもしれんが
そんなものも
環境によって現れたり失われたりする
無常なり! >>71
ふむう
まあ
じゃあ
ここでの書き込みは控えます
どこいっても、追い出させるのお
ホイでわ! 自分を手放す、とか思考を止めるってどうやるの?
たまに「なんも考えない、ができる」て人に会うけど、そいう人たちは悟っているの? 何も考えないで悟りなら、植物人間も悟ってることになる。
禅宗坊主は無思考が至上らしいが(笑) 禅宗坊主は勘違いしてるんだよ(笑)
無思考を目指しても意味が無い。
正しい考えを繰り返して、その後に考えなくても正しい判断ができるようになるのが必要。 世の中はリアルタイムで動いているから
思考による判断はタイムラグが生じてベストではない。
瞬時に正しい判断がベスト。
そのためには日頃から正しい考え方をして、考えなくても正しい判断ができるように修行するわけですわ。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ夕たんはアニメ好きだね
ハヤテのごとく観てたお♪
ハヤテは強運過ぎwww
ハヤテだからこそ強運なのかもって思った
ホワイトタイガーとおじいちゃんの家のネバーランドと下田のお墓のシーンが印象的です
メイドのマリアさんだっけ?
マリアさん可愛い♪ ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ暑くて設定23度で昨日も今日も寝たから朝方寒くて起きましたお
足が冷えてるし昨日も今日も朝鼻水出てるw
腹巻きも買ってあるから腹巻きしないとだおwww いい歳こいてのアニメ好きは
精神の低年齢、発達障害を示唆する。
アニメイトの前に集まるようなのは簡単に洗脳されるだろうな。
だから実在するものへの誘導としてアイドルを繁殖させた。
よく出来てるよ。 >>82
∞ノノハ∞
川^〇^ハレアニメの表面だけ観てるからだおw
麦もそうだけどwww
君の名は観て奥が深いのが分かったお
友達は8回も観に行ってたからねwww
知識が無いと奥深さも分からないだお バカの管理はしやすいよ。
時代の最先端は使えなかった脱落公務員だ。
自分のマンションに中国人住人が入り込んで来てるんだけど
ヤツラは帰国してもその部屋を借り続け
他人に又貸しして利益を上げるってことをやるわけさ。
それが勝手にエスカレートしてアンダーグラウンドの民泊までやるようになった。
このマンションはオーナー、管理会社共に某宗教の色合いが濃いものだが
管理人に伝えても知らなければ対応せずに済む事でシラを切ろうとしている。
だけどこいつクビになった警官らしい。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ君の名は麦もハマってブルーレイとDVDとCDも買っちやいましたおw あなた風俗で働いてるか。
風俗の経験がない。
それで世の裏にまで精通してる気分になってるのか知らないが
誰かに狩られなくとも災いってのは何故かやってくるよ。 >>86
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ裏の世界は知りませんよw
裏の世界の友達もいるけど麦には見せませんね...
チラ見したのは男性に言い寄られると風俗のお店紹介して30分出てこないと5000円のバックマージン貰ってたとかwww
カモがネギしょってやって来たとかwww
ですねwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ同級生も後輩もスナックやってるけど
後輩のお店のカウンターで飲んでいて麦の隣に座って来た奇特なオッサンが麦の太股触って来たんだけどwww
即刻退場させてたおwww
そんなお店じゃないってwww
よく行ってたマスターも麦をホステスと勘違いした奇特なオッサンにこの子はダメって(麦ババアなのにw)
玄人さんと素人はキッチリ分けている気ガス >>47
なんか話が上手すぎると言うか、作り話的と言うかwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>88
たまにはセクロスせなマンコにカビ生えるでw
奇特なおっさんに突いてもらいや! >>75
>自分を手放す、とか思考を止めるってどうやるの?
皆さん実は普段からされておられるに、気づかれないだけではありませんか?
>たまに「なんも考えない、ができる」て人に会うけど、そいう人たちは悟っているの?
さぁ、どうでしょう。 >>90
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ奇特なオッサンがいるのが分かっただけで満足なんだおwww
知足なんだおぉ〜〜〜www
お仕事行って来まぁ〜す♪ >>54
怒りとは何だろうか?
怒りを発散させる者は怒りの虜になっている。
その様な者は怒る理由を探して疲弊する。
怒り中毒に囚われた者は怒りが止む事がない。
このことわりを知って怒りを凝視する者は
ついにはその怒りは止む。
怒りの根本は恐れだ。
常に怒っている者は実に弱い。
あなたは怒らない事によって弱い者を守りなさい。 「芸術は自然と相似した偉大な線を浮かび上がらせるという言葉を自分の座右の格言の一つとして挙げていたことを
思い出します。周知のとおり、自然は私たちの外部にあると同時にに、私たちの内部にもあるからです。芸術はこの両者の境界に
ある鏡なのです。儀式もそして神話も同じであって「自然の偉大な線を浮かび上がらせ」、それによって私たち自身の奥底にある
真理、あらゆる存在と共有している真理において回復させるのです。したがつてこのような「本来的な」やりかたで仕事をしてい
る芸術家は、その世紀の真の見者にして予言者であります。彼は生の擁護者です。生の擁護者でありますから、もちろん一人の
革命家です。その時代の社会的仮面を貫いてその背後にあるものに到達するという点において、単にもう一人の不自然な仮面の名
において舗道を血に染める狂信的な理想主義者よりもはるかに根本的な革命家なのです。」
全体と部分とそれ照観する者がそろえば何でも生体と認めれば、宗教団体も政治団体も宇宙も国もスポーツも趣味も総て根本の
実在の視線が鑑賞すると思えば。総て存在するものは生命で夢を見ているとも言える。輝きが有れば芸術だけど?何かぐだぐたの
大衆演劇もあるしまあ色々な生命があるかも。三回転半を超える難しいジャンプで度々つまずいて、見える芸術点に逃げた舞おう
ちゃんそれでいい点数取れるでもそれが本当の芸術と言えるのか。そんな事言っても身周り半越えるのは用が無いし仏下りいに?
見栄えがよければ良いのだ?勝たなきゃ価値が無いし 毎度もうしょうも泣く暑いのでクーラーをかけすぎてもクラクラして
夏負けして、何もやる元気も無く、ただ脱力で椅子にすわつたら
力いれなくなくそのまま無指向の坐禅きた >>94
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ人によりけりでしょうけど怒っている人の方が心の中が綺麗かもって思う事ありますけど
表に出さないで陰で悪口言ったり陰湿な事も聞いた事ありますよ
悟った方はそんな事もないのかもですけど >>79
寝てるんじゃなくて、ぼーとしててあっちゅうま間に気がついたら数時間、なんてありますか?
「自分」をどーにかしたくて、あれこれ考えるんだと思うんですよね。それをやめれるなら、無思考もできるのかなぁと。 >>94
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ怒るって本当に恐れなのかなぁ?
色々な決まり事例えば遅刻をしないとか無断欠勤をしないとかありますよね
遅刻や無断欠勤をしたら上司が注意したり怒るのは当たり前かなぁと
厳しい所はクビみたいですよね
上司が何か恐れる必要があるのかなぁ? >>99
横から御免なさい。
麦さんの指摘は正しいですよ。
「怒りの原因は恐れ」とかあまりにも幼稚で単純な見解に思わず失笑してしまいました。
仏教では五位七十五法(上座仏教)や五位百法(唯識)にて、そうした心の有り様について緻密な分析を行っていますから、参考にされるのもよろしいかと思います。 仏教には忿怒尊と呼ばれる一群がありますけど(例:不動明王、愛染明王党)、その怒りは恐れに由来するものでしょうかね?
慈悲を内包した怒りもあるのでは?
我々凡夫の怒りもその由来を怒りに求めるのは、あまりにも単純で幼稚に思えますけど。
仏教では、「苦とは思うがままにならない事」を云うそうじゃないですか?
思うがままにならない事を認めないから(痴)、必要以上に求めたり(貪)、必要以上に排したり(瞋)するんじゃありませんかねぇ? 良く考えてみると、エアコンに拘ってる時点で悟ってると言えるのかなwww
単なる自慢話だおなwww
良く居るんだ、そう言うの、いたるところにいるんだ、そういうのwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 煩悩具足の凡夫ということを自覚してないからそうなる^^
怒ったら・・・^^
「煩悩具足の凡夫だっ・・うわぁああああああああああああああああああああ」
と叫べばよい^^
おいらはやる必要ないけど^^
他神通があるからね^^ 108の煩悩・・^^
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)×三種の感覚(好・悪・平)×
二種(浄・染)×三世(過去・現在・未来)=108
6×3×2×3=108やが^^ 「他人の心を(自分の心として)洞察する力(他心通)を獲得する」ことができる
「情欲に満ちた心であるか否かを知ることができる」
「憎しみをいだいた心であるか否かを知ることができる」
「迷いのある心であるか否かを知ることができる」
「集中した心であるか否かを知ることができる」
「寛大な心であるか否かを知ることができる」
「平凡な心であるか否かを知ることができる」
「安定した心であるか否かを知ることができる」
「解脱した心であるか否かを知ることができる」 仏の「他心通」は、この普通の人間の能力の延長線上にあると私は思います。
自分自身と対峙し、自分と自分を取り巻く世界全体が一つのものであることを
身をもって感得し得た時、自分という「個」が、自分を取り巻く周囲・世界全体の感覚と
融合し一つになってゆく。
そんな境地に到った時、自分のことも他人のことも同じようにその心の動きを感じることが
出来るようになる。
つまりこれが、「他心通」と言うことなのではないかと私は思います。
禅の究極の境地は自他の別を超えた所にあります。
自他の別を超えると言うことは、自も他も一緒、同じと言うこと。
「他心通」と言っても、「自心通」と言ってもつまりは同じこと。
「他心通」と「自心通」が同じ意味を持つ世界が仏の世界であり、禅の究極の姿です。
う〜〜ん^^
そういうことや^^ つまり・・・^^
怒りがこみ上げてきたときは「他心通」を使えと^^
おいらはもう使う必要もない境地にいるけど・・^^ 「心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃」
・・・やな^^ ☆変態おやじ(夕ちゃんではないのお)と女子高生の会話
変態おやじ:今からおじちゃんと楽しいことしようか。
女子高生:楽しいことって、どうせやらしいことしか考えてないでしょ。
変態おやじ:わしの心が読めるのか?
女子高生:顔に書いてあるよ、「変態」って。
変態おやじ:じゃあ、わしがおねーちゃんの心を読んでやろうか?
女子高生:ほお
変態おやじ:このおっさんから、いくら(なんぼ)ふんだくれるかなあ。
女子高生:お見事! 男子が怒れば、ぽこちんは、大きくなるか
しぼんでしまうか。 どーじゃろお?
公案というよりコウマンかもじゃのお^^w >>22
でおーは、一切即修行って感じですね。
わたしなどは、物事は飽きるなんて思っている人間です。
飽きた先を見たくて、一つの事続けている馬鹿です。
若いころに出会った、世阿弥の言葉。
「ぜひ初心忘るべからず」
「時々の初心忘るべからず」
「老後の初心忘るべからず」
でも、飽きた・・
でも、さらに一歩w
>>82
君には、これを送ろうw
https://www.youtube.com/watch?v=NQgZMfG8N0w&list=RDJ7BQTE3CcBw&index=11
Hayate no gotoku op2 - shichitenhakki shijou kotoko
>>80
ハヤテのごとく!
作者もなんでこんなに連載されたか不思議がる漫画ですw
俺もわからない。
>>83
>君の名は観て奥が深いのが分かったお
メグミン(アナグサ)もこのアニメは好きだったな。
私には印象が薄いんだ。オカルト好きが何度も見るんじゃないか?
3年の時間差をかくりおと糸という概念でおぎなっていますね。
そして、意識して行動すれば事象が変わる。
男女の入れ替えも面白いが。
意識は肉体とは別と言う示唆もあるような。
そうかな?
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
俺ガイル
はちまん曰く、大事なのはイラストだから、中味なんてあまり気にするなよ。
www
夕曰く、+声優だ。
>>99
歌舞伎町で歩いていただけなんだが、眼があっただけで怒り出す奴いるからなぁw 眼識:視覚による認識。
耳識:聴覚による認識。
鼻識:嗅覚による認識。
舌識:味覚による認識。
身識:触覚をはじめとする身体感覚。
意識:意識、精神活動による感覚。
末那識:意識同様に精神活動としての識だが生きている限り睡眠時にも永続するため、
上記の6識とは異なり無意識に属する。
「自己」に執着し「自我」を思い続ける識であり、煩悩・我執を生じさせるために
因縁識とも呼ばれる。
阿頼耶識:上記の識からくる経験・善業・悪業を輪廻を超えて「蔵」のように蓄積し続け、やがて蓄積された"種子"を用いて上記の識に働きかけ、対象世界の万物の現象を発生させる識。 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識においてはただの情報であった認識は、
意識と末那識によって汚染され、汚染された認識は絶えず阿頼耶識の"種子"に
注ぎ込まれ煩悩を生む。その煩悩は逆流するように意識と末那識に影響を与え、
五感を通した貪りを生むという負の連鎖が生まれている。 そのため阿頼耶識は常に煩悩が生じる"迷いの世界"を生み出してしまっているが、
その根源となる意識、末那識の我執・煩悩を滅すること。
すなわち、『悟り』を開いた者はこの阿頼耶識が凡夫とは異なるものに変容し
、世界をありのままに観ることが出来るのだという。 汚染された認識は絶えず阿頼耶識の"種子"に
注ぎ込まれ煩悩を生む。その煩悩は逆流するように意識と末那識に影響を与え、
五感を通した貪りを生むという負の連鎖が生まれている。
これはあるな・・^^ 因縁果さん、有覆無記(末那識)や無覆無記(阿頼耶識)は唯識の基本ですよ?
それ、間違ってます。 阿頼耶識を浄化すると・・根本清浄識の阿摩羅識になるだと・・^^ 阿頼耶識を浄化すると・・根本清浄識の阿摩羅識になるだと・・^^ >>124
おぬしは以前意識レベルがどーのこーのと
言っておったのお^^
我輩は意識レベルを頼みもしないのに測られたのじゃよ。
その時は意識レベル700だと言われたのお、測った人が700じゃったから
それ以上の数値はプライドかなんか知らんが言えなかったのじゃろう^^
我輩は別にマイナス1000でもよかよかじゃがのお^^
エロほど清浄なエロはないかも知れんのお^^w
わっハハハハハ〜〜〜〜^^
【BSフォーク大全集】をどーぞ
URLは上手く貼れなかったのじゃよ^^w >>124
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ悟った方はありのままみる事が出来る
受け身なダケなんですか?
コミュニケーションでありのままを発信するとしたなら
怒っている笑っている動いたとかですか?
会話は成立しますか? 怒りは表層でしかない。
自己をよく観察していない者には分からないだろう。
ひとつのパターンをあげてみよう。
何故怒りが込み上げて来るのか?
それは潜在意識下にある。
怒りの裏には不安が隠れているのだ。
自身のなさ
劣等感
認めてもらえない事への恐れ
それらはしばしば傷付けられた子供時代の
記憶とリンクしている。
つまりこのパターンでいう怒りは傷付く事を恐れたあなたの中の子供が蓋をしてそれとは
気付かないままに
かんしゃくを起こしているのだ。
この様にほとんどの場合怒りは不安の裏返しであり、不安とは恐れ以外のなにものでもない。
そして究極的に言えば怒りは
死への恐れなのだ。
死ななければならない理不尽さ。
そして死んで行く事への憤り。
人が死を悲しむのもそれらの恐れ
すなわち怒りから悲しみがわき起こる。
恐れてはならない。
よく見なさい。
よく見る事がブッダの教えだ。 445因縁果 ◆d........o 2016/08/24(水) 17:30:56.51ID:2ZYWvnCS
「第一頌」
由仮説我法 有種々相転 彼依識所変 此能変唯三
(仮に由りて我・法ありと説く。種々の相、転ずること有り。彼れ
は識が所変に依る。此れが能変は唯し三つのみなり。)
「第二頌」
謂異熟思量 及了別境識 初阿頼耶識 異熟一切
(謂わく異熟と思量と及び了別境との識ぞ。初めのは阿頼耶識なり。
異熟なり。一切種なり。)
「第三頌」
不可知執受 処了常与触 作意受想思 相応唯捨受
(不可知の執受処と了となり。作意と受と想と思と相
応す。唯し捨受のみなり。)
唯し捨受のみなり・・^^
407因縁果 ◆d........o 2016/08/23(火) 20:03:25.09ID:i9Fjhj0N
虎の巻によると・・
「第三頌」を書き換えると「阿頼耶識は所縁として内に
種子と有根身、外に自然界を持ち認識作用をしているが、それを知
る(自覚する)ことはできない。」となる。 因縁果さん、それは転識得智でしょ?
通説では、無覆と有覆の違いはありますが、阿頼耶識も末那識も無記です。 唯し捨受のみなり・・^^
といってもな・・・^^
不可知の執受処と了となり か・・^^ >>130
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそれ貴方の主観だと思うおwww
十人十色ですからwww junkie- ooyamaさんは自分の唯識の解釈でいけばいい^^
指摘は無用^^ >>130
怒りは、末那識からのはたらき掛けで、意識単独、乃至、前五識に起因して生じるものだと思いますが?
どうですか? 445因縁果 ◆d........o 2016/08/24(水) 17:30:56.51ID:2ZYWvnCS
「第一頌」
由仮説我法 有種々相転 彼依識所変 此能変唯三
(仮に由りて我・法ありと説く。種々の相、転ずること有り。彼れ
は識が所変に依る。此れが能変は唯し三つのみなり。)
あれ^^
これまちがってる^^
すまん^^ >>136
自分勝手な唯識の解釈でもありません。
あくまでもスタンダードな唯識の解釈をここで呈しているつもりです。
あなたの信教の自由は認めますが、自説を吹聴するならご自身でスレを立ててどうぞ。
外道スレの様な面倒は御免です。 374因縁果 ◆d........o 2016/08/22(月) 19:39:05.22ID:QIXYa+gq
善因には楽果、悪因には苦果が訪れるという法則を同類因・等流果と呼ぶ。
一方、因は善あるいは悪であり、果は無記であることにおいて、
因と果は性質が異なることを異熟因・異熟果と呼ぶ。
つまり・・
第八阿頼耶識においては同類因・等流果の法則が適用されると・・
阿頼耶識自体が本質的に悪ならば、
我々はいつまでも迷いの世界を脱することができず・・
阿頼耶識自体が本質的に善ならば、迷いの世界はありえない ・・
つまり・・
阿頼耶識そのものは、善・悪いずれの性質をも帯びない無記であると・・
異熟であると・・
こうゆうことだな^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています