果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?307
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流れの存続は一枚岩ではないだろ。
ドラッグでイカれた者が流れ着く場所として
監視しやすいからと国は残す方を選んだ。
麻原一族は潰してくれたら世の中に紛れることが出来たのに…ぐらいだろ。 >>43
この人は罪悪感ないでしょ 自分がそのせいでどうなるかの恐れはあっても 罪悪感はなくても、心の奥にシコリができる。
そのシコリがその人から生命エネルギーを奪う。
いわば心のガンみたいなもの。 うわあああああああ
ヤフオクに出てた根源仏典、落とせなかったああああああ
誰か物置とかに眠っている人、いませんか? ポスト麻原 偽キリスト、偽メシアって誰なの?
大川さん?
いや、キリストの預言によればこれからも偽キリストが多数出現すると。世界中に。
そしてだれが本物なのか見分けられないと預言されている。 >>19
過去世は有名な成就者なんだから、我慢しなきゃだめだよ^^
>>41
なるほど、そういう状況でも緊急避難って使うんですね
専ら道交法で用いるイメージを持ってたよ >>41
麻原が弟子に殺人命令をするようになったのは、その女性信者殺害が最初なのかな? 坂本弁護士家族殺人は、坂本弁護士の家に夜中に侵入して夫婦と赤ちゃんを殺害した。
ひどく痛ましい殺人だ。 早川、新実2元死刑囚 謝罪の手記 死刑制度には疑問も
オウム真理教による一連の事件に関与し、今月6日に死刑が執行された早川紀代秀元死刑囚(68)と
新実智光元死刑囚(54)が、事件への反省と謝罪を手記で書き残していたことが明らかになった。
市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が25日付の会報で公表した。
死刑制度への疑問も表明するなど、揺れる胸中をうかがわせている。
早川元死刑囚は6月7日付の手記で、死刑制度について「国民が殺生のカルマ(業)を負うので、やめるべきと思います」と指摘。
実行役の一人が無期懲役となった地下鉄サリン事件を念頭に
「自分では一人も殺していない者が死刑で、自分で二人も殺している者が無期というのは、どうみても公正な裁判とは言えません」
と判決に疑問を呈した。
一方で事件そのものについては「申し訳なさは、事件発覚から23年たった今も薄れることはありません。
真理のため、救済のためと思って戦い、テロを実行して得られたものは苦しみと悲しみでした」と振り返った。
新実元死刑囚は、5月以降に法務省に出したとみられる恩赦関連書類を市民団体にも送付していた。
書類で事件について「私たちの徳が無かった、霊性と知性が足りなかったのでしょう。深く反省しています」と記載。
死刑については「どんな悪人であろうが、生きて償うことの方が、慈愛に満ちた行為の選択」
「私は自分の命を大切にし、他者の命を大切にすることを誓願します」などと執行への疑問をつづった。
市民団体には「自分に万一のことがあれば(記載内容を)公表してほしい」と伝えていたという。【伊藤直孝】
毎日新聞2018年7月23日 18時04分(最終更新 7月23日 19時50分)
https://mainichi.jp/articles/20180724/k00/00m/040/023000c >>50
>過去世は有名な成就者なんだから、我慢しなきゃだめだよ^^
???
全く意味不明。
我慢すべきなのは妄想くんこと恩田敬さん、アタナ自身の方ですけども?
大ウソ吐いていたのを皆の前でバラされたからとて、逆ギレは良くありませんよ。
斯様に妄想世界の住人のレスは無智が強すぎて、会話が成り立ちません。 「殺人事件への悲しみ」と「慈悲」はまったく異なるエネルギーだ。 二女の自己中ぶりは凄まじいな。あそこまで行くとサイコパスだろ。ナチュラルに自分達の異常さに気付かないようだし、あれじゃ蛙の子は蛙って言われても仕方ないだろ。 >>57
過去生は高僧ばかりだったんだから、我慢しなきゃだめだよ^^ 前に読んだ、診断名サイコパスって本の冒頭にサイコパスの脳波は常人のものとは違うって趣旨の事が書かれていたな。
オウム名物の、あのヘッドギアを造るにあたり麻原の脳波を測定して大学で見てもらったところ
精神病質者のものと同じ特徴の持ったものだったそうじゃないか。その後の事件から麻原はサイコパスなのは
間違いないわけで。サイコパスをグルだのサイコパスと一体になるのが悟りだのと君ら大丈夫か? 妄想くんみたいに頭がイカレテいても
生きていけるんだから大丈夫(笑) >>60
>過去生は高僧ばかりだったんだから、我慢しなきゃだめだよ^^
その「過去生は高僧ばかりだったんだから、こうじゃなきゃ駄目だよ」という意見こそ、まさに妄想くん自身が「過去世は高僧」という話に対して異様に価値を置き心が引っ掛かっている証拠です。
そして妄想くんは「真理(解脱・悟り)とは程遠い、現世的な穢れたイメージ」によって勝手に「過去生は高僧ばかりだったんだから、こうじゃなきゃ駄目だよ」と妄想し決め付けていると。
でもそれは、妄想くんの妄想によって生み出された「典型的な妄想の産物」に過ぎません。
そう何度も教えてあげているのに未だに全く自覚出来ていない所が、妄想くんが無智無明に覆われ続けているメクラである証明かと。
修行や宗教によって富や名声を得て虚栄心や五妙欲(性欲も含む)を満足させようと試みている妄想くんこと恩田敬さんにとって、
「過去世は高僧」という話は自分自身の煩悩(特に虚栄心)を満足させる事が出来る一種のステータスであると思い込んでいるのでしょうな。
だからいつも「高僧コンプレックス」を炸裂させては、顔を真っ赤にして体験君に突っかかっていくと。
でも真理の修行や救済にとって重要なのは「過去世は高僧云々」の様などうでも良い過去の幻影などではなく、今この瞬間に如何にグルや真理に帰依し、グルの意思を達成出来るかどうかだけです。
そういう真理の修行の本質的な部分を全く認識し理解出来ていない所が、妄想くんこと恩田敬さんが如何に動物のカルマが強いかという証左だと言えます。 >>64訂正
訂正前 :今この瞬間に如何にグルや真理に帰依し、グルの意思を達成出来るかどうかだけです。
訂正後 :大切なのは今この瞬間に如何にグルや真理に対して全力で帰依し、グルの意思を達成出来るかどうかだけです。 >>62
前スレで新実さんや中川さんを見て狂気を感じたという人が居ましたが、私は彼らを見ても狂気は感じられませんでした。
でもオウム真理教では、妄想くんこと恩田敬さんの様な「現世的な思考や価値観では絶対に救済不可能であるだけでなく、そもそも救済してはいけないとしか言えな、極めて出来の悪い穢れ切った魂」をすら分け隔て無く受け入れ、
僅かな機を見て何が何でも救済しようとするという、まさに「狂気」としか言い様がない部分も確かに存在しました。
オウム事件について現世的な価値観であれこれ批判する人達が居ますが、そういう人達は「そもそもオウム真理教の救済活動は、恩田さんですら救済しようとする様な狂気を含んでいる事」を忘れているのではないかと思います。 多かれ少なかれ正悟師たちには狂気を感じたけどね
まあ全員見たわけじゃないから。
ただし女性の正悟師には感じなかったね
救済のために狂気が必要だったというのならば一応は理解できるけど
であるならば、やはり狂気は帯びてたんだねw アーナパーナサティ スッタ
『原始仏典【第七巻】中部経典C』春秋社 P161から
第一一八経 出入息観――治意経
出入息観を養成して悟りの智慧と解脱を得る方法を説く。
雨期のあいだによく修養 された比丘たちを見て満足した釈尊は、この会衆は理想的な比丘僧伽であると称賛する。
そし て僧伽を構成する比丘たちを四種の聖者の階位と各自が取り組んでいる修行法の種類から 描写するなかで、
出入息観を養成する効果を説き始める。すなわち、出入息観を「四つの
注意力の確立」(四念処)に組み合わせて養成し、「四つの注意力の確立」を「悟りにいた るための七つの支分」(七覚支)に組み合わせて養成し、
最後に「悟りにいたるための七つ の支分」を遠離・離欲・滅尽・放棄に組み合わせて養成すれば、悟りの智慧と解脱が完成 するとして、その修行の過程を詳しく説く。
漢訳『治意経』(大正蔵一、九一九上―中)。 わたしはこのように聞いた。
あるとき、世尊はサーヴァッティーの東の僧園にあるミガーラの母の講堂に、大勢のとても有名な古参の弟子たち――サーリプッタ尊者、
大モッガッラーナ尊者、大カッサパ尊者、大カッチャーヤナ尊者、大コッティタ尊者、大カッピナ尊者、大チュンダ尊者、
アヌルッダ尊者、レーヴァタ尊者、アーナンダ尊者――やその他のとても有名な古参の弟子たちとともに滞在しておられた。
そのとき、古参の比丘たちは新参の比丘たちを教えさとした。ある古参の比丘たちは十人の比丘たちを教えさとした。
ある古参の比丘たちは二十人の比丘たちを教えさとした。ある古参の比丘たちは三十人の比丘たちを教えさとした。
ある古参の比丘たちは四十人の比丘たちを教えさとした。新参の比丘たちは古参の比丘たちに教えさとされるうち、以前に比べておおいなる進歩をとげた。
そのとき、世尊は十五日の布薩日に、自恣日である満月の夜に、比丘僧伽に囲まれて屋外に座っておわれた。
世尊はじっと黙っている比丘僧伽をつくづく眺めると、比丘たちに話しかけられた。
「比丘たちよ、わたしはこの態度に満足した。比丘たちよ、わたしはこの態度に心から満足した。
では、比丘たちよ、まだ達していないところに達するために、まだ得ていないものを得るために、まだ実現していないものを実現するために、
より一層頑張りなさい。わたしは[雨期]四ヶ月目のカッティカ月の満月の日をこのサーヴァッティーで迎えるとしよう」
地方にいる比丘たちは「世尊は[雨期]四ヶ月目のカッティカ月の満月の日をあのサーヴァッティーでお迎えになるそうだ」と聞いた。
地方にいるその比丘たちは、世尊にまみえるためにサーヴァッティーを訪れた。
かの古参の比丘たちはより一層新参の比丘たちを教えさとした。ある古参の比丘たちは十人の比丘たちを教えさとした。
ある古参の比丘たちは二十人の比丘たちを教えさとした。ある古参の比丘たちは三十人の比丘たちを教えさとした。
ある古参の比丘たちは四十人の比丘たちを教えさとした。新参の比丘たちは古参の比丘たちに教えさとされるうち、以前に比べておおいなる進歩をとげた。 そのとき、世尊は十五日の布薩日に、自恣日である満月の夜に、比丘僧伽に囲まれて屋外に座っておわれた。
世尊はじっと黙っている比丘僧伽をつくづく眺めると、比丘たちに話しかけられた。
「比丘たちよ、わたしはこの態度に満足した。比丘たちよ、わたしはこの態度に心から満足した。
では、比丘たちよ、まだ達していないところに達するために、まだ得ていないものを得るために、まだ実現していないものを実現するために、
より一層頑張りなさい。わたしは[雨期]四ヶ月目のカッティカ月の満月の日をこのサーヴァッティーで迎えるとしよう」
地方にいる比丘たちは「世尊は[雨期]四ヶ月目のカッティカ月の満月の日をあのサーヴァッティーでお迎えになるそうだ」と聞いた。
地方にいるその比丘たちは、世尊にまみえるためにサーヴァッティーを訪れた。
かの古参の比丘たちはより一層新参の比丘たちを教えさとした。ある古参の比丘たちは十人の比丘たちを教えさとした。
ある古参の比丘たちは二十人の比丘たちを教えさとした。ある古参の比丘たちは三十人の比丘たちを教えさとした。
ある古参の比丘たちは四十人の比丘たちを教えさとした。新参の比丘たちは古参の比丘たちに教えさとされるうち、以前に比べておおいなる進歩をとげた。
そのとき、世尊は十五日の布薩日に、[雨期]四ヶ月目のカッティカ付きの満月の夜に、比丘僧伽に囲まれて屋外に座っておられた。
世尊はじっと黙っている比丘僧伽をつくづく眺めると、比丘たちに話しかけられた。 オウムの修行は脳のリミッターを外すが結果的に脳が萎縮して本来の3パーセント、蛇並みのバカになる、新実が良い例です [理想的な比丘僧伽]
「比丘たちよ、この会衆は無駄話をしない。比丘たちよ、この会衆は無駄口をきかない。清浄で、[教えの]基本をしっかり踏まえている。
比丘たちよ、この比丘僧伽は、比丘たちよ、この会衆は、世の人々のために福徳を生み出す無上の田畑として、贈り物をするに値し、捧げ物をするに値し、
礼をするに値し、合掌するに値するような会衆である。
比丘たちよ、この比丘僧伽は、比丘たちよ、この会衆は、少しだけ与えても多くもたらし、多く与えればより多くをもたらすような会衆である。
比丘たちよ、この比丘僧伽は、比丘たちよ、この会衆は、世の人々がなかなか出会うことのできないような会衆である。
比丘たちよ、この比丘僧伽は、比丘たちよ、この会衆は、何里もの距離を食糧をもってでも会いに行く価値のある会衆である。
比丘たちよ、この比丘僧伽はそのようなものであり、比丘たちよ、この会衆はそのようなものである。
比丘たちよ、この比丘僧伽には煩悩を尽くし、[禁欲修行を]全うし、なすべきことを果たし、重荷を下ろし、真の目標に達し、
[迷いの]生存に結びつけるもの(有結)をあまねく尽くし、正しい智慧によって解脱した阿羅漢である比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『下級の領域に結びつける五つの煩悩』(五下分結)がすっかりなくなり、自然発生する生きものとしてそこで完全に涅槃するため、
その世界から二度と還ってこない(不還)比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には三つの煩悩(三結)がすっかりなくなり、貪りと愚かさが弱まったため、一度だ還ってくる(一来)者として一度だけこの世に還って来て
苦しみを終わらせる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には三つの煩悩がすっかりなくなり、流れに乗った(預流)者、決して堕落することがなく、
[悟ることが]確実で、正しい悟りに向かってひたすら進む比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。 比丘たちよ、この比丘僧伽には『四つの注意力の確立』(四念住)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『四つの正しい努力』(四正勤)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『四つの神通の基』(四神足)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『五つの能力』(五根)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『五つの力』(五力)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『悟りにいたるための七つの支分』(七覚支)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には『八支からなる聖なる道』(八支聖道)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。 比丘たちよ、この比丘僧伽には思いやり(慈)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には憐れみ(悲)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には[ひとの幸せを]喜ぶこと(喜)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には平静心(捨)を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には不浄[の観念]を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には無常の観念を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる。比丘たちよ、この比丘僧伽にはそういう比丘たちもいる。
比丘たちよ、この比丘僧伽には出入息観を養成する修行に取り組んでいる比丘たちがいる」 [出入息観の養成法]
「比丘たちよ、出入息観を養成し、強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある。
比丘たちよ、出入息観を養成し、強化すれば、『四つの注意力の確立』が完成する。
『四つの注意力の確立』を養成し、強化すれば、『悟りにいたるための七つの支分』が完成する。
『悟りにいたるための七つの支分』を養成し、強化すれば、悟りの智慧と解脱が完成する。
では、比丘たちよ、出入息観をどのように養成し、どのように強化すれば、大きな効果があり、大きな利益があるのか。
比丘たちよ、いま比丘が森林に行くか、木の根元に行くか、空き家に行くかして、足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。
かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。 長く息を吸いながら、『わたしは長く息を吸っている』と知る。長く息を吐きながら、『わたしは長く息を吐いている」と知る。
短く息を吸いながら、『わたしは短く息を吸っている』と知る。短く息を吐きながら、『わたしは短く息を吐いている』と知る。
『全身を感じ取りながら息を吸おう』と練習する。『全身を感じ取りながら息を吐こう』と練習する。
『身体の活動を鎮めながら息を吸おう』と練習する。『身体の活動を鎮めながら息を吐こう』と練習する。
『喜びを感じながら息を吸おう』と練習する。『喜びを感じながら息を吐こう』と練習する。
『安楽を感じながら息を吸おう』と練習する。『安楽を感じながら息を吐こう』と練習する。
『心の活動を感じながら息を吸おう』と練習する。『心の活動を感じながら息を吐こう』と練習する。
『心の活動を鎮めながら息を吸おう』と練習する。『心の活動を鎮めながら息を吐こう』と練習する。 『心を感じ取りながら息を吸おう』と練習する。『心を感じ取りながら息を吐こう』と練習する。
『心を喜ばせながら息を吸おう』と練習する。『心を喜ばせながら息を吐こう』と練習する。
『心を集中させながら息を吸おう』と練習する。『心を集中させながら息を吐こう』と練習する。
『心を解き放ちながら息を吸おう』と練習する。『心を解き放ちながら息を吐こう』と練習する。
『無常を観察しながら息を吸おう』と練習する。『無常を観察しながら息を吐こう』と練習する。
『離欲を観察しながら息を吸おう』と練習する。『離欲を観察しながら息を吐こう』と練習する。
『滅尽を観察しなが息を吸おう』と練習する。『滅尽を観察しながら息を吐こう』と練習する。
『放棄を観察しながら息を吸おう』と練習する。『放棄を観察しながら息を吐こう』と練習する。
比丘たちよ、出入息観をこのように養成し、このように強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある」
『原始仏典【第七巻】中部経典C』春秋社 P161-168 日本から始まる世界的株式市場の大暴落
ウォール街の大暴落(1997)につながったプロセスが、
いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、
再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。
日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、
それを引き出すとアメリカ経済も駄目になり、世界経済全体が破綻します。
mai_03_02.html
それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトLーヤは出現するでしょう。
ahjzfl-1/pzytyf/u4t847
数週間前、マイトLーヤの代弁者で、かなり定期的に訪問する方が、
アムステルダムのインフォメーションセンターで、私たちと話をしながら一時間を過ごしました。
彼は私たちがマイトLーヤを見るまで長く待たないだろうと言い、
それが今年であると言いました(今年の初め頃、私たちの1月の講演の一つで、
そのような現在というのは、「まさにこの年のことだ」と言われました)。
letters-to-editor/945
マイトLーヤは、彼に反応すると前もって分かっているすべての人々に呼びかけ、
さらに他の人々に反応するよう教えるでしょう。
人類のすべてがマイトLーヤに反応する必要はなく、一定の割合、クリティカル・マスに達すればよいのです。
xchu67.html
マイトLーヤの提唱する線に沿って変化を要求する人々と、おびえて何をしていいか分からない人々に分かれるでしょう。
彼らは傍らに立って状況を見守り、歴史上初めて世界の変容に参加するという、与えられた機会を失うでしょう。
r63ukg/xchu67.html
マイトLーヤが公に世界に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
lutefl/c6gix5/nl3j2q.html 【神様?!】エルサレム神殿上空に突然現れた発光体(UFO?!)
https://www.you tube.com/watch?v=EsOgapHSVV4
NASAははUFOに対して彼らが長年取ってきた態度のために無用な組織とされることを恐れています。
j540f8/c6gix5/j4zywf/locys5.html
いわゆる科学者や専門家たちの絶望的な望みは、
人間の目が捉える証拠を否定するのには役に立たないことが証明されるだろう。
2017/09/signs/670
物質的住居の名残はまだ残っており、例えばウサギのような小動物は月面に存在します。
swl9d8/60wbw5/ou99he.html
火星や金星には生命は存在しないと教えられていますが、実際、存在するのです。
dcjupc/fda1nw.html
火星には実際、私たちの惑星よりも多くの人々がいます(90億人)。
j540f8/60wbw5/locys5.html
火星はこの太陽系の宇宙船の「工場」です。そこで全宇宙船の90%がつくられます。
それらは想念でつくられ、濃密な物質ではありません。火星の人々は地球人よりも小さいです。
ahjzfl-1/r63ukg/m0gkne.html
Q UFOを見ることができますか。
A それはエーテル視力を持つ子供たちがどんどん生まれてくるにつれて次第に生じるでしょう。
swl9d8/04zpzf/98tohe
近い将来、マイトLーヤが全人類にテレパシーで語りかけ、
ご自分の身分を明かす「大宣言の日」と呼ばれる大奇跡が起きます。
その日までこのブログを続けたいと思っています。
Aquariusアクエリアスの時代blog-date-201210.html 「聖なる狂気」と「オウム救済活動の狂気」は別次元の狂気だ。 マイト○ーヤってNGワードなんか、
情報統制したいほどシビアな用語ってこったな >>84-85
観測史上最大規模の豪雨災害の次は、これまた記録的な酷暑による災害。
これは偉大な聖者方を抹殺した地球上の人間界に対して天界の神々が怒り狂っている証拠です。
それを止められる(あるいは今まで止めて来た)魂は、もう人間界には居ませんからね。 盲信、妄想は「やめられない、とまらない、我慢できない」^^ 今この瞬間に、盲信、妄想が、やめられない、とまらない、がまんできない^^ 麻原が良くないのは「オウム革命」の前にトラブルを起こしまくったこと。
あれで素性がばれちまった。
ほんとは、「明智光秀」方式でやらないと革命は成功しない。つまり、内乱を起こす前は
品行方正にしてないと。
いまそれをやっているのは「不幸の科学」と思われる。
あと世界的には北朝鮮がやるだろうな。もうすでにvXガスは使っているが。 もっと天罰的カルマ落としがくるよ。
グルと修行縁があつて批判的な人たちは
不幸続きに見舞われるよ。 麻原にも気の毒な面はあった。
生まれつきの目の障害を負い、両親にも見放され、養護学校に。
そりゃ人を信用しなくなるわな。
おそらく小学生から人を信用しなくなったはず。
若いころから国家転覆を狙っていただろうな。 >>91
これはオレも遭ってるかも・・・
ただひたすら堪え忍ぶことですな。 >>91
日本人はまた裁かれる、すでに裁かれつつあるだろうけど、それは原発行政やら、嘘がまかり通る社会やら、
利権のためなら間接的に人殺しても平気どころかむしろ積極的にやるとか、反省のできない体質、
開き直り体質やら、人権軽視やらと、とにかくその不道徳な体質が因であって、麻原の死刑とは関係ないよ。
何故なら麻原筆頭のオウム死刑囚は自業自得だからね。故早川の寝言みたいに死刑執行は国民がそのカルマを背負うなんて事はないから。 >>91
あなたはアレフ信徒だと思いますが
麻原は最終解脱者でも真理勝者でもないと自分で言っていることに気づいていますか? >>94
死刑執行は国民がカルマを背負うことになるのは当然のことだよ。
特に死刑執行を望んだだけでなく、執行されたことを喜んでる人のカルマは大きいよ。 >>97
それは逆じゃないの?彼は彼のカルマで死に、
また、捜査、収監、死刑のため国民の血税を消費して
多大なカルマを積んだよ。 >>99
彼は彼のカルマで死刑になったことは確かだけど、
死刑を執行した側のカルマは明らかに殺人のカルマを積んだだろ。
殺される側にどんな理由があっても、殺した方は殺したというカルマになる。 >>100
冤罪だったらね。
でも国民が殺したと言ったら麻原も国民だし、
国民死刑を止めなかったからどうのとは言えんよな。
他の死刑を麻原が止めようとしてないわけだし、むしろ刑罰として殺すこともやってた麻原だし。
公平に見ないと何事も。 オウムは逆恨みのカルマも強いようだ。
闘争、不仲、逆恨みの心の動きに注意しながら生きてください。 >>101
公平に見てないのはあなたの方だよ。
どんな理由があっても殺した方は殺したというカルマになると書いたんだが。
冤罪かどうかは関係ない。
冤罪だったら、そのカルマはもっと大きくなるということだよ。 >>100
死刑執行者はカルマを背負う事はないよ。同じ殺人でも犯罪者のする殺人とは大きな違いがあんだろ。それが何かわかる?
むしろ逆恨みのカルマを積む君らの方が裁かれると思うぞ。プラスマイナスゼロ。君らはカルマの法も正しく理解してないんだな。 バッパ師ここに書き込みしてるっぽいねw
山田さん
カーリー二女についての罵倒レス >>104
カルマがそんなに簡単に相殺できたら、この世界の苦しみも簡単に無くなるんだろうね。
でも実際にはそうじゃない。
どんなに正当化しようとも、死刑は人を殺すことという事実に変わりはない。
カルマを背負う覚悟もなしに死刑執行をすべきではないよ。 >>104
>>>100
>死刑執行者はカルマを背負う事はないよ。
虫を殺す事ですら禁じられてたオウムの戒律など持ち出すまでもなく
死刑執行だって立派な殺生だろ
>同じ殺人でも犯罪者のする殺人とは大きな違いがあんだろ。それが何かわかる?
死刑囚の面倒を見てくれてる刑務官が、自分の担当する死刑囚の死刑執行の
ボタンを押すんだそうだな
僅かな手当てを貰うそうだが…
それもカルマなんだろうけど、同じ殺生でも、とても哀しい殺生だよな
>むしろ逆恨みのカルマを積む君らの方が裁かれると思うぞ。
>プラスマイナスゼロ。君らはカルマの法も正しく理解してないんだな。
一応匿名の“お仕事”だからって、あんまりインチキな自演すんな 前世はウサギのバカ新実に関しては、善行を積んだと言えよう >>108
プラスマイナスとはそういう意味じゃないよ。智恵の恵みの無い人だ。 結局、まことは、どうやって座禅無しで
悟れるかを答えられなかったねww ”盲信””妄想”が「やめられない」「とまらない」「がまんできない」 >>87-89
未だに天界にすら行けず天界の住民とコンタクトを取る事も出来ないような修行者失格の魂が、
「そんな事が有る訳無いニダ!」と唯物的な現世観念で思い込んでも、全く無意味です。
実際に死刑執行と同時に記録的な災害が多発している現象が存在しており、多くの一般人が真相に気付き始めています。
未だに現世観念への盲信盲従がやめられない・止まらないまま妄想を騙る事しかできない魂は、いと哀れかと。 >>101
「殺生のカルマを積んだ魂なら殺しても構わない」というのであれば、オウム事件は全て正当化されてしまいます。
なぜなら普通に現代社会で生活する以上、否応なく殺生のカルマを積むからです。 >>115
未だ”盲信””妄想”が「やめられない」「とまらない」「がまんできない」 >>115
もう少し考えてみよう。
死刑にされたイエス・キリストは衆生に水害で復讐をしたか?
麻原が水害復讐するということは、最終解脱していないということか? >>115
>実際に死刑執行と同時に記録的な災害が多発している現象が存在しており、
それは「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じ低脳者の発想だね
オウム信者の知的レベルがよく表れているw アレフは信徒を真理に正しく導く義務があるので、カルマ法則を正しく説法するべきだ。 オウムとアレフが天空の神々に本当に愛されていたなら、今のようなアレフの状況になっていない。 そもそも、ここにいる時点で天界の住人とコンタクトできる人は皆無でしょうけどね^^
異常気象は世界的規模であり、麻原らの死刑を因とするには矛盾がある
例えば、なんで麻原らを死刑にしたらカナダ・ケベック州の人間が苦しまなければ
ならないのかと考えてみればいい
つまり、多くの人が気付き始めているというのはただの願望、ただ盲信妄想を
愛して止まない、盲信妄想を愛さずにはいられない、我慢できない、それだけの話
現実は因は一つとは考えられず、ある天才によって論拠が示され済みの陰謀論的な
因を始め、複数の因が重なっての現象でしょう
ただし、オウム教祖、高弟の死刑は、異常気象とは無関係である
彼らは霊的価値の無い人間にあり、かつ、罪悪人の処刑に過ぎないから ある程度の修行者は神々との交流も普通にあるだろう。 アレフの出家修行者が神々と交流があっても不思議ではない。
しかし、解脱や悟りのレベルに達していないので、信徒に闘争や不仲や逆恨みの種を植え付けている。 生活保護店子が嘘をつくなど、働かず、昼間暇で、金入るのだから
維持するために何でも嘘をつきますよ、受給、囲い込みするから
嘘をつく野田!!!! >>103
オウムがやった殺人は信者全員が殺人に相当する責任を負うということでいいですね? 「彼らは霊的価値のない人間」
↑何様が偉そうに上から目線で述べてるんだとムカついたら
何のことはない「盲信・妄想の塊(笑)」妄想くんでした。 新実に関しては霊的価値が無い、若しくは霊が無いであってるけどな カルマとかは議論してもらちがあかないので他のことを聞きたい
信者もしくは元信者のみなさんのなかで、死刑執行後にたとえば首が痛くなったとか
執行前後に夢に死刑囚が出てきたとかってことはあった? 死刑がダメってのは、生きてる価値があるから生かされているし
生かす価値がなかったら勝手に死なされてるわけで
それを人間が勝手にやってはダメってことだろう
地球という下界に適合して流れ着いた住人が
霊的価値が上とか下とか言ってること自体哀れ
上でも下でも勝手に逝けばいいが、道連れ殺人は迷惑 刈谷さんを拉致して殺したり、地下鉄にサリン撒くのはいいの? いろいろあるだろうけど。
混んできたから処分しやすいものからって
それが切実じゃないかな。 >>127
そういう話は誰もしていない。
しかし、オウムの一部の人が行った殺人によって教団は潰れ、後継団体も分裂を繰り返し、
信者は行き場を失い、殺人に無関係であっても迫害を受け続けていることは周知の事実。
ただ、今回の執行と決定的に違うのは、信者のほとんどが殺人を望んでいなかったし、
殺人を喜ぶ者など皆無と言っていいほどだったのに対して、
今回は、多くの国民が人の死を望み、執行後は人の死を喜んでいた者は少なくなかったということ。 >>134
殺せばオウムと同じ次元に落ちるということは言えるだろうね。
オウムのほうが先に国家に殺人を仕掛けてきたとしても、同じになってはいけないとは思う。 >>134
殺人を喜ぶ者が皆無?
殺人されてよかったね、という理論を信者は信じているのに。
国民も誰も死刑のボタンなど押したくないわ。積極的に殺人するのはどうかしてる。 要するに、下には下を作る。
底辺はそうする。
そうしたい願望がある。でも、させてはいけない。底辺から脱出したいがために、差別理論を作って殺すとこまでやるから。 >>92
それだよね
ただし、彼自身は主観的にはそれを克服して聖者になったつもりで居ただろ
そして、聖者として人を導き、世を救済しようという考えから、教団内にも外にも地獄を生み出してしまった
捨てられた悲しみを盲学校で横暴ふるって満たしてしまった、
麻原にとってそうして自我を保つしかなかったのだろうが
そういう社会認識の仕方を学んでしまった
歪んだ成功体験、歪んだ全能感、は後々まで根深い潜在的な思考様式、行動様式として
残っていたということだと思う >>91
おめーら、天罰とか言って自ら行動に移すからダメなんだよ
麻原が盲学校で同級生に暴力ふるってカツアゲして300万も貯めつつ、
学園祭の劇では麻原がシナリオ書いて、女の子を救うヒーローを自ら演じた
そういう幼稚で歪んだ麻原イズムを継承しようとしてるから、お前らはダメなの 麻原が日本人に残した教訓は
「子供を捨てるな、愛情を注いで育てろ」
ということに尽きると思う
麻原は麻原なりに悲しさを乗り越えようとした
大人になって修行して聖人の域になろうとした
しかし、それは全て地獄への道に繋がってしまった
俺には、オウムとは6歳のチズオくんの壮絶な悲しみの表現のようにも見える
だから共鳴するものも現れるのは自然なことかもしれない
本当は彼自身の罪より親兄弟の罪のほうが重いのかもしれない
けれど、誰かを責めたって何も良くはならない
本人が正しい方向で乗り越える以外には
麻原にはそれは出来なかった、というのが厳然たる事実だろう 片眼は視力1.0あってバッチリ見えてた
盲人の中で健常者が有利さを使ってカツアゲすれば儲かる(情報を与えず盲人状態にする)
楽勝のビジネスが最初から彼は板についてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています