【仏教】 悟りを開いた人のスレ305【天空寺】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
812.自分は必要のない存在である、と実感するのだ。 >>809
戒律というものは
殺すことは、出来ない
盗むことは、出来ない
嘘をつくことは、出来ない
姦淫することは、出来ない
酒に酔うことは、出来ない
という
そのような意味であると、曹洞宗の、優れた坊さんが、本に書いた >>813
自分は最高に素晴らしい
存在
であると
実感するのじゃ!
すぐに
幸せになれるだろう >>802
美しい曲だと思うが、曲を聴いて泣けるまではいかないなぁ。
今日は祭りだ。神輿、担ぐぞw
総代、俺の時代で神輿を担ぐの終わらせるわけにはいかない。
おいおい、総代さん、総代になった途端そんなことを言うなよ。
話はかわるが、面白い動画を発見。
どうも、法華経はは釈迦に戻れ運動かも知れないね。
組織の拡大が権威主義なってくるが、これに反対する人がでてくる。
https://www.youtube.com/watch?v=F03eXjMtD40&t=88s
法華経 第1回「全てのいのちは平等である」
https://www.youtube.com/watch?v=g-yK0UKRARg
100分de名著『 法華経 第2回 真の自己に目覚めよ 』
https://www.youtube.com/watch?v=w1shAp1BoOg
100分de名著『 法華経 第3回「永遠のブッダ」が示すもの 』 人間ではないとか無我であるとかの
理屈はいらん
いまここで
幸せであればいいのである
その方法は
ありのままの
つまり、このまんまの
このとおりの
わたしで
最強に素晴らしい存在であると
受容することなのだよ
わかったかい? >>811
ああ、それは凄く自然に感じられるね
外での寝起きが普通の昔の雲水とかが
強靭なのは当然だし荒っぽいのも多かったろうから
寺の規則の厳しさが尋常じゃないのも当然だなあと思った
屋根の下の快適さが得られるなら
寺の人との関わりの厳しさなんて
どうってことなかったんだろなと思った
実際自分も四国では寺の軒先とかお堂とか
僧堂とかに泊めてもらってとっても喜んだ
香川の五色台の専門僧堂にも泊めてもらったけど
夜中に腹が減って厨房の炊き込みご飯の残りを
盗み食いしてあとで怒られたの思い出した >>808
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ 十人十色ですからそれぞれ考えも違うのは分かっているんですけどwww
本物の和尚さんではないのに和尚だと言い張って
和尚を名乗っていれば本物だと信じちゃう人もいますからね
後で本物ではないって分かったら裏切られた気持ちになる人がいます
それは麦ですwww >>812
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ ありがとうございました >>824
大丈夫です
和尚と言っても
様々
と、誰でも知ってますから
笑 824.名前にだまされる、バカである。
内容で判断するのだ。内容を判断できないバカである。 >>828
うむ
バカ教でもいいが、
バカマルだし教
の方がもっと、よかろう
この、マルだし、を加えたことで
更に、真理に近づいておる
なんちゃってw ありのままの自分
というのは
人によっては賢いかもしれんから
問題もあるなあ 鬼和尚は
怒るな、貪るな、迷うな
と説いている
バカマルだし教では、
怒れ、貪れるものどもよ
お前が、そうなったのなら
それでよい
と、とこう
笑 >>830
名前で判断するバカである?
そうです
それで問題ありません!
と、とこう
笑 ありのままのあなたで
最高です
自然体で
最高の存在です
と
とこう 自分を改造したければ、どうぞ
それも素晴らしいことです
また、無我になっていたければ
それも、よかろ
そしてまた、そうでもなくても
なんでも
あなたがあなたである
ことには
最高なのです
と
とこう なぜ、こうとくのか
と聞かれたなら
わたしの、まあ、大したことない人生を、省みたときに
幸福を感じ、苦しみの滅したのは
優れたから、愛されるのではなく
普段の普通の、自然にある
あるがままの、姿を
受容した、そして、された
これがミックスしたときが
最強の幸福だったからなのです
これが真実の言葉です
バカマルだし教より
笑 苦しみを強化する
そのような教えからは速攻で、逃げましょうw 壁ぎわに寝がえりうって
背中できいている
やっぱりお前は出て行くんだな
悪いことばかりじゃないと
思い出かき集め
鞄につめこむ気配がしてる
行ったきりならしあわせになるがいい
戻る気になりゃいつでもおいでよ
せめて少しはカッコつけさせてくれ
寝たふりしてる間に出て行ってくれ
アア アアア アアア アア
アア アアア アアア アア アホちゃうの?
の、言われたならば
アホやなあ確かに
と、ニヤけておこう
と、思う
人は、更に、こいつアホやと思うだろうww
なにせ
自分
最高
なのだから 法華経は自画自賛ばかりで、教理らしきものがなく、経と名づけるに値しない。 今朝もぽ師匠や大王さん鬼さんは私より古く書き続けている。私もふるい落とされず頭かきつづけなきゃ再ですかコピー?
サイの角の様に一人で有る苦野辛い。ブラフマンの無の心観は世界を恥じめたし。友が居ないと有る苦野辛い世で。
禅語百選 把手共行 手を把って共に行く 仏の実在を信じ、そのおしえを学び、ともに手をとりあって人生を旅する仲間を
同行と呼び同朋と懐かしみます。四国遍路や西国巡礼の旅人たちは、たとい一人旅であっても「同行二人」と笠に記します。
自分以外の一人は弘法大師であり観音様です。禅者はこの同行を特に、どうあんと呼び習わしています、同行は師となり先輩
となり友となって、影と形のようによりそって修行にはげみます。つくしんぼうのように、どこか見えないところで、こころ
とこころが繋ぎあっているのです。人間と人間だけが「手を把って共に行く」のでなく、ほとけと人間、ほとけとほとけが、
ともに手を把りあって旅をつづけるのです。ほとけと修行者は、横に並んで歩くときもあり、前後になりあうときもあります。
同行は現実に同行する友だけではあのません。苦悩にあえいでいる自我の心の奥底に潜んでいるもう一人の友でもあります。
彼の名を自己といいます。人間とは現実の感性的自我と、本質的自己の同行の二人の存在です。(つづく)
(つづき)感性的自我がどのように醜悪でも、その心の奥底で清浄な同行の本来的自己が凝視していると信じるのが、禅の人間観
です。信心です。この同行に出あつた人を「さとつた人・めざめた人」といいます。ともに手をとりあう善友のあるのは幸いで
す。心中に信ずる同行のあるのはさらにさいわいです。・・ ?どうのこうのひとりでぶつぶつ言うのもまあ良い旅なのか? 意味不明だぬ。
きっとこころを病まれているのだぬ。 いきなり哀れとか言われただぬ。
不思議な方が多いスレだぬ。 迷い、、無明か^ ^
確かに^ ^
こうなる^ ^ 元オームは、幸せ教、である。
それは即時に肯定する、幸せ教である。即自に、か。
そこに媒介項が必要である。
それが宗教である。 水風呂最高や^ ^
となる^ ^
つまり^ ^
意識は感覚や^ ^
ついでに思考も感覚^ ^ 右も左もわからんやつほど
右か左か決めたがるもんやw 生命があなたを体験しているのだ。
あなたが生きているわけではない。
手ぶらで行きなさい。 右に曲がるにも、左に戻しながらハンドル切るようなもんやな(笑)
右だ、いや左だと一気にハンドルきってもうまく曲がれない 意味不明だぬ。
きっとこころを病まれているのだぬ。 水風呂だの手ぶらだのハンドルだの、だぬには理解出来ないだぬ。 「主ありて見聞覚知する人は、いきちくしょうと是をいふなり」
「主なくて見聞覚知する人を、いき仏とは是をいふなり」 あなたを運転するのに一番の障害となっているのはあなただ。
生命の川を行くのにあなたの舵取りは要らない
恐れてはならない。
握りしめたその手を放しなさい。
あなたが生命の川なのだ! これはこの世のことならず死での山路の裾野なる
賽の河原の物語
聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬ幼子が
賽の河原に集まりて
父上恋し母恋し
この世の声とは事変わり
悲しき骨身を通すなり
かの幼子の所作として
川原の小石を取り集め
これにて回向の塔を積む
一重積んでは父のため
二重積んでは母のため
三重積んでは故郷の
兄弟わが身と回向して
昼は一人で遊べども
日も入りあいのその頃は
地獄の鬼が現れて
やれ汝らは何をする
娑婆に残りし父母は
追善さぜんの務めなく
ただ明け暮れの嘆きには
むごや悲しや不憫ぞと
親の嘆きは汝らが
苦言をうくる種となる
我を恨む事なかれ
黒金棒を取り立てのべ
積たる塔を押し崩す
また積め積めと責めければ
幼子のあまりの悲しさに
まこと優しき手を合わせ
許したまえと伏し拝む 汝ら罪がなくなく思うかや
母の乳房がいでたれば
泣く泣く胸を打つ時は
八幡地獄に響くなり
母は終日疲れにて
父が抱かんとする時は
母を離れず泣く声は
天地奈落に響くなり
言いつつ鬼は消えうせる
峯の嵐の音すれば
父かと思うて馳せ登り
谷の流れを聞く時は
母かと思うて馳せ下り
辺りを見れども母はなく
誰とてそえいをなすべきや
西や東に駆け巡り
石や木の根につまずいて
手足を血潮の染めながら
おさな心のあじきなや
砂を敷きつつ石枕
泣く泣く寝入る折からに また精霊の風吹けば
皆一同に起き上がり
ここやかしこと泣き歩く
その時能化の地蔵尊
ゆるぎいでさせ給いつつ
何を嘆くか幼子よ
汝ら生命短くて
冥土のたびに来るなり
汝ら父は娑婆にあり
娑婆と冥途は程遠し
我を冥途の父母と
思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣の
もと裾の内にかき入れて
哀れみ給うぞ有り難い
まだ歩けぬ幼子を
錫杖の枝に取り付かせ
忍辱慈悲の御肌へ
抱きかかえて撫でさすり
大悲の乳房を与えつつ
泣く泣く寝入る哀れさよ
たとえがたき御涙
袈裟や衣に慕いつつ
助け給うぞありがたや
わが子を不憫とおもうなら
地蔵菩薩を念ずべし
南無大聖の地蔵尊 運転中に手を離したら死んでしまうだぬ。
自殺幇助だぬ。 >>830
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ鬼オヤジは妄想ジジイだおwww
本人がこのスレに来てるから言いますけどwww
根拠も無いのに仲間のアレフやひかりの輪の者に云々
根拠も無いのにアレフやひかりの輪で修業した成果じゃな云々
0258 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/22 20:38:55
>>200 少しも悔しくないのじゃ。
むしろ尊敬しているのじゃ。
わしをあほというぐらいであるからさぞかし賢いのじゃろう。
その賢さで仲間のアレフやひかりの輪の者に麻原彰晃を無罪で刑務所からだす方法とかを教えたらよいのじゃ。
頑張ればはかまださんみたいに冤罪で出られるかもしれんのじゃ。
今回も根拠も無く
>>201 >>202 おぬしがいうのであるからそうなのじゃろう。
他人に尺度や貪瞋痴が見えるとはすごい超能力なのじゃ。
それもアレフやひかりの輪で修業した成果じゃな。
その賢さで仲間のアレフやひかりの輪の者に麻原彰晃を無罪で刑務所からだす方法とかを教えたらよいのじゃ。
今回も根拠も無しに自分に罪が在ると思う者だけが罪を他人に見るのじゃ云々
>>634 自分に罪が在ると思う者だけが罪を他人に見るのじゃ。
自分に罪がないと思うものは罪について思うことすらないものじゃ。
おぬしは何か大きな罪を犯したのかもしれん。
速やかに懺悔告白するとよいのじゃ
思い込み妄想ジジイが和尚とか名乗って開いた口がふさがらなかったですおぉ〜〜〜www
おったまげ〜〜〜www >>820
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ暑い中お疲れ様です♪
夕たんは役員楽しんでますよね♪
この暑さじゃ健康管理もあるけどお祭り楽しんでくださいね♪ >>885
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそうですよ♪www 川を渡り終えたなら筏葛は捨てなさい。
そこから先は手ぶらで歩きなさい。
内なる師に頼るがいい。 瞿曇大聖主、憐愍して是の法を説き、
悉く一切の見を断じたまえば、我れ今稽首礼す
一切の見とは、略説すれば則ち五見なり。
広説すれば則ち六十二見なり。是の諸見を断ぜんが為の故に、
法を説きたまえる、大聖主瞿曇は、是れ無量無辺不可思議の智慧者なり
是の故に我れは稽首礼す。
中論巻第四 >>886
荒らしとかまってちゃんのミックスやなw そのすべての者は、六種の接触場所を通して、
それぞれに触れ、感知します。
それらの感受を縁として渇愛があり、渇愛を縁として取著があり、
取著を縁として生存があり、生存を縁として生まれがあり、
生まれを縁として老・死が、憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・煩悶が生じるのです。 六識
@ 心のもつ六種のはたらき・作用。眼・耳・鼻・舌・身(触覚)・意(認識・推論)
六種の接触場所
眼・耳・鼻・舌・身・意 十二因縁
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死 十二因縁には五蘊にみられる、「受(vedanā)、想(saṃjña)、行(saṃskāra)、識(vijñāna)」
のうちの「想(saṃjña)」が存在せず、順序も異なっている。 無明故に渇愛取著があり・・生、老死があると・・^^ 無明故に渇愛取著があり・・存在。生存があり・・生、老死があると・・^^ 中論觀因緣品第一 (十六偈)
不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、
不一にして亦た不異、不来にして亦た不出なりと、
能く是の因縁を説きて、善く諸の戯論を滅したまえば、
我れは稽首して仏を礼す、諸説中の第一なりと。 仏は、是の如き等の諸の邪見を断じて、仏法を知らしめんと欲するが故に、
先には、声聞法中に十二因縁を説き、又已に習行し、大心有りて、
深法を受くるに堪うる者の為に、大乗法を以って、因縁の相を説く。
謂わゆる一切法の不生、不滅、不一、不異等、畢竟じて空、無所有なるなり。
中論觀因緣品第一 (十六偈)
やはり・・龍樹ちゃんも十二因縁を見てそう思ったか^^ >>893
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ君にとって具体的に荒らしとかまってちゃんの見解をお願いしますお レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。