聖書の中で言われている信仰というのは、一つの考え方、一つの心の姿勢、一つの内なる確信
であって、それは意識する心でじゅうぶん受け入れた考えは潜在意識の中で具体化され、外に
現われるということを知っているところから生じてくるのです。信仰とはある意味で、理性や
五感が否定することを真理として受けとること、換言すれば、ちっぽけな合理的、分析的な意
識する心を閉め出して、潜在意識の内なる力に完全に頼り切るという態度を持つことでもあり
ます。

↑ジョセフ・マーフィーが書いた信仰の定義を読めば、りっぱな他の信仰論を言葉で語っても現に大川自身が実践している信仰はこれだと思わない?