【聖書】ピッピのブログ通算13【生活】 [無断転載禁止]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
あなた太ってるんだ。
自分の切れ端は言葉に出るもんだよ。
自分を律することが出来ない者がくっちゃべっても意味がない。 ハガキを投函するためにコンビニへ行った。
ついで買いしようと決めていたセブンの可愛い金魚スイーツはなかった。 >>79
一時太りましたね。
今はMでも大きいですよ、ー10kgですから。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180714/k10011533321000.html?utm_int=news_contents_news-main_001
愛媛県でもボランティアら搬送
消防によりますと豪雨の被害を受けた愛媛県西予市野村町では被災地でボランティア活動に参加していた町内に住む66歳の女性が14日午前10時半ごろ熱中症の疑いで病院に搬送されたということです。 ここ何年かの理由
・断薬痩せ…薬が合わなかったので医師から減薬を勧められた(完全断薬まで)
・手帳痩せ…手帳代が食費から削られた
・四旬節痩せ…食欲をなくした
いずれもあっという間に5〜6kg痩せました。 >>>>>>>・手帳痩せ…手帳代が食費から削られた<<<<<<<【注目】👀 40冊くらい買ったわね。
マグネット式のや付録ダイアリーやダイソーのまで。
どうかしてたね。使ってないもの。 >>80
金魚は24日発売でした。
ブルーハワイのゼリーを購入。 >>78
クラウデッドハウスの「チョコレートケーキ」という曲を聴くとあの頃を思い出します。 CITTA手帳の使い方 2016ダイアリー やりたい事を叶える手帳!!
https://www.youtube.com/watch?v=vulWHM0KYIY
青木千草
CITTA手帳の考案者 青木千草自らが最新ダイアリーの使い方をご紹介!
手帳で自分の未来をプロデュースする 本当にやりたい事を叶える講師、手帳ライフコーディネーターとして活躍中の彼女。目からウロコの手帳の使い方は、どんな方にもお役に立つはず! ヨブ1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
詩篇37:34 主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の断ち滅ぼされるのを見るであろう。 計画を立てても予定通りにはいかない。
済んだことの記録が私の手帳法則。
それでも足掻くことはあって、計画を立てて、にんまりして、すでにやった気分になる。
自分の立てた計画に支配されるのがイヤになり、そのうち忘れて、新しい計画を立てることになる。 手帳病の始まりはプーさんのマグネットダイアリーを見てからである。
なぜか、高校時代を思い出した。
こんなダイアリーが机の上にあって、勉強の進度がわかればいいのになあと思った。
手帳が埋まれば満足する、という幻想に取り憑かれたのだろう。 本日の『manna』マタイ 5:45-48、ルカ 6:27-36
敵を愛する
マタイ 5:45
「…天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。
5:48
ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。…」
ルカ 6:35
しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。
いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。
6:36
あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くありなさい。…」 http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/touch/20140616/p1
御霊の実karposは単数形が用いられています(複数はkarpoi)。
ですから、御霊の実というのはぶどうの房のような姿ではなく、ちょうどオレンジの中にたくさんの房があるように、ひとつの御霊の実の中に、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といった房があるということです。
人間が自力でがんばって自分を磨こうとすることにはえてしてひずみが生じるものです。「寛容こそ大事だ」ということばかりだと、ちゃらんぽらんになって誠実さにかけることになるでしょう。
「誠実こそ大事だ」という人は、えてして不誠実な人をことさらに非難するようになる傾向があります。
「喜びこそ大事」というふうに思うと、楽しいことばっかり追い求めて厳しい現実から逃避することもあるかもしれません。
「自制こそ」と思う人は堅苦しくて喜びを失うでしょう。
けれども、キリストの御霊が結ばせてくださる実には、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」というすべての房が入っているのです。 介護の現場でキリスト者として戸惑ったのは、信仰面で励ますことや協力することができないことです。
個人的にはその方の宗教心を認めてあげることで安心させたいという、霊魂の救いに関しては無責任な希望があります。
一方では自分自身の信仰がキリストに属しているという自覚から偶像崇拝を憂う気持ちとの葛藤です。
しかし、介護の資格化が始まると信仰面に立ち入ってはいけないことになり、この悩みは禁止事項の名の下、どちらにも傾くことが許されなくなりました。 世間話の教養レベルで話すのはいいけど、押し付けになると公私混同になりますわな
仕事の文脈だと何だって同じすよ
ビジネスの世界はアッパーレイヤーになればなるほど教養あるから、何らかの宗教に傾倒してる人が多くなるけど、お互い語り過ぎず、察する感じで世間話すること多いよな >>97
下手すると隠れキリシタンですよ。
私は隠してなかったので、太宰府の塩撒きを指名されました。 気にしすぎですよ
例えば、オタクの人は仕事の現場にアニメを持ち込まないのと同じ
自立した大人同士なんだから自分の趣味は自分の中でだけ大切にもっとけばいいだけすよ 今の時代は情報にとても恵まれている。
ニューエイジが悪魔からもたらされた新しいグノーシスだとわかるから。
身近な人には気を使って言えないことも、ネットだと忌憚なく教えてやれる。
彼らは頑なにやめない。
すると裁きの日に「知らなかった、誰も教えてくれなかった」などと言い訳することもできないのだ。
それは彼ら自身の責任となる。
私は親切に教えた。
噛みつかれながらも。 そういえば今朝、子豚が生き返った夢をみた。
冷蔵庫の野菜室に入れといたミニ豚一頭が生き返り、涼しそうにしていた。
夢って不思議だ。
夢の中で記憶が蘇り、どうして子豚が冷蔵庫にいるのかもわかる。
食肉として購入したんだっけ、などと思い出している。
何だろうな、この感覚は。 >>100
信仰は生き様よね
いずれにせよ同じ話す
関係ない人に個人と神の関係の信仰の話がしたくなるのは未熟なところがあるから、が原因かと >>106
関係ない人なんていませんよ。
救いは全人類のものです。
キリストを証しせず、生温い偽りの平和を築きたいなら、その信仰はあなたの趣味なんでしょうね。 ただし、エステルのような「相応しい時」を待つ態度は必要です。 >>107
あなたが仮に無宗教の病人で入院してると仮定して、看護師に熱心にキリスト教の押し売りされたらどんな気持ちになるか考えてみればいいのでは?
それに、カトリックはエホバみたいな勧誘はしないでしょ
ピッピさんがキリストに倣って生きること、その生き様が一番の宣教だと思いますよ 私はいつも胸筋開いてるから信仰しているものを隠さない。
文字ほどには口にして説明できないことが幸いしてるというか、闇雲に話す器量がないの。
でも聞いてみないとその人の価値観をもたらしているものが何なのかわからないものよ。
信じているものが地域の拝み屋だとか知ったらがっかりする。
人柄がよくてもすぐ勧誘て話になるから。 相手中心であればそれだけで無問題よね
相手に合わせて相手が嫌がるようなら離さない
相手にとって良いのであれば話す
信仰は自分と神の関係で、それは相手にとっても同じこと
信仰はそもそも相手にペラペラ喋るもんじゃないし、もしそうなら未熟である証拠よね
ましてや勧誘するとかは有り得へん話し >>109
そんな話はしません。
自分の背景を隠したくないだけです。
私が誰を信じているのか知らなかったら、宣教になるわけないでしょ。 >>111
絶えずしるしは残していたほうがいいと私は思います。
そうでないと、地の塩・世の光である意味がないのですよ。
マタイ10章
32 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
33 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。 自分のためなのか、相手のためなのか、それが問題だと 日本人て変だと思うわ。
村社会というか、臆病というか。
だから私は外国に憧れて、たまたま話があったので米国に行かせてもらったわけだけど、違う文化だったらそれが朝鮮でもワクワクしたもんだわ。
自分の知ってる文化的環境が必ずしも常識ではないことを明確に意識した方がいい。
最初から自分を隠すっておかしいよ。大事な背景であるものをテーブルの下や升の下に置いて、相手の認識から隠れようとするなんてコソ泥のすることだと思うもの。 日本人は河合隼雄としては「フィールドエゴ」だと言いますね
空気を読んで自分を前に出さないところがある
欧米人から見ると、日本人はヘラヘラ不気味な笑みを浮かべて何を考えているか分からないという
また、日本人は自我が弱いともいう
しかし、彼らは日本人の自我が人格の奥に大切にしまわれていることを知らない
日本人は自我が弱いのではなく、自己を律して表に出さず、奥に隠しているんだと思われ
俺はアメリカにそこそこ長く住んでいたから他の日本人に比較して忌憚なくズケズケ主張するタイプだけど、日本の優秀なビジネスマンと話すと彼等の洗練されたコミュニケーションによく感心することがある
自分を隠しているわけではない
自己を律して、相手に合わせることは、我々の「美徳」なんだよな 本日の福音朗読はマタイ10:34からです。
恥を知りなさい。 サタンの嫌がらせ 第2弾
ヨブ2章
5 しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
6 主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。
7 サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。 ふと思うのだけど、聖母の抱く幼子は聖母の中のホスチアではないのかと。 雑炊の作り方が気にくわない
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15018268/
だが、糸岡さんのあばら骨の骨折は十数カ所に及び、肺に刺さった骨が致命傷になった。糸岡さんが搬送される様子を見ていた近くの飲食店の男性は「誰か分からないくらい、顔が腫れ上がっていた」という。
(略)
事件当夜は連絡を受け店に駆けつけた。糸岡さんを乗せた担架が動いたとき、前で組んでいた両手がだらりと落ちたという。
妻は慌てて組み直したが、再び落ちた。「腫れ上がった顔についていた血の滴が、無念さのあまり流した涙に見えた」といい、「110番したらどんな仕返しをされるか」と通報をためらったことを悔やんだ。 教皇ツイッター
毎日、少なくとも5分、福音書を読んでみてください。生活がどう変化するかが分かるでしょう
#教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #福音書 34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36 そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
40 あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
41 預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
42 わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
11:1
イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。 本日の『manna』マルコ3:1-6
先祖からの言い伝え
4
それから彼らに言われた。
「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」彼らは黙っていた。
(ピッピ談)
なぜ安息日に働いてはいけないか、神の厳しいご命令の真意を理解することができないか、それは当然のことです。
私たちにはわかりません。
これが無秩序な個々人の解釈により働くことが許されるようになると、小賢しい言い訳が増えていたでしょう。
私が思うにもっと問題となるのは、パリサイ派がイエズスの慈しみを見て、殺す相談を始めることです。
殺すほどの違反なのでしょうか。 こんな夏は初めてです。
窓からの熱波がひどくて朝からカーテンも窓も締め切っています。
できるだけ電気は点けないようにしてますし、熱を出現させないような努力が必要なのです。
時々、用事を作りドライブするようにもしています。
意に反して私もまだまだ死にたくないのでしょうか。 トイレの窓からハム♂が見えた。
何か掘る仕草をしている。
口に何かをくわえて戻ってきたので、トイレから名前を呼んでみた。
するとハム♂がボタってそれを落とした。
マズいとこ見られたみたいな感じだった。
外に出て確認すると、羽化前の蝉の幼虫が蟻にたかられている。
これを私に見られたからって、なぜ捨て去るのだ? ピッピのウンコの臭いを嗅いで、フレーメン顔になって落としてしまったのでは? 遠くの蝉の啼き声は情緒あるけど、近くでけたたましく啼かれると騒音問題となる。
うちの猫は蝉が大好きで、毎年、捕獲してきては部屋に飛ばしていたものだ。
今年でハム♂は9年目、チャック♂が7年目を迎えた。なかなかに大人しく聞き分けるようになって、自慢することはなくなったな。
そのかわり屋根の上でひと騒動あるのを聞く。 イザヤ1章
15お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。
どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。
お前たちの血にまみれた手を
16洗って、清くせよ。
悪い行いをわたしの目の前から取り除け。
悪を行うことをやめ
17善を行うことを学び
裁きをどこまでも実行して
搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り
やもめの訴えを弁護せよ。 口語訳
17 善を行うことをならい、公平を求め、しえたげる者を戒め、みなしごを正しく守り、寡婦の訴えを弁護せよ。 イザヤ書/ 01章 17節
善を行うことを学び/裁きをどこまでも実行して/搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り/やもめの訴えを弁護せよ。
イザヤ書/ 01章 23節
支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり/皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。孤児の権利は守られず/やもめの訴えは取り上げられない。
イザヤ書/ 01章 25節
わたしは手を翻し/灰汁をもってお前の滓を溶かし/不純なものをことごとく取り去る。
イザヤ書/ 01章 26節
また、裁きを行う者を初めのときのように/参議を最初のときのようにする。その後に、お前は正義の都/忠実な町と呼ばれるであろう。
イザヤ書/ 01章 27節
シオンは裁きをとおして贖われ/悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。
イザヤ書/ 01章 28節
背く者と罪人は共に打ち砕かれ/主を捨てる者は断たれる。 マタイ11:23 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。 >>124さんの
このレスを拝読させて頂いた上での個人的な感想
"その刀 一体何を 斬り伏せる 相手自身か 相手の悪意か"
"その刀 一体何を 斬り伏せる 相手の名誉か 相手の驕りか"
"その刀 一体何を 切り離す 相手の悪意(驕り)か 自身の悪意(驕り)か"
"その刀 驕りを持ちて 振る舞えば 振り回されて 自身の手を切る"
勝手ながら返信として書き記す事を失礼致します。 >>135
イエズスは何をおっしゃりたかったのでしょうね? エリヤの後継者のエリシャは家族に最後の挨拶をしたいと願い出てエリヤから許しを得たのよね。
でもイエズスキリストはわたしにはふさわしくないとおっしゃっています。
ふさわしい者は、家族よりも自分を選ぶと予告されているのよね。私たちの魂を救うのは家族ではなくイエズスキリストです。
このいのちこそ、本当のいのち。 血肉の家族よりも大切にしなければいけないのが、来るべき天における霊魂の家族です。 預言者が時代に媚びたら神からの使いではないです。
このことは聖書によって明確にされています。 茨城県で今朝、地震が二度起きたもよう。
震度4、震度3。
南海トラフ地震は近いうちに必ず起きることが予想されています。
これを準備として聞くかいたずらに危機感を煽っているととるか、どちらですか。 せっかくキリストが必ず起こることを教えてくださっているのに、聞かないのはどういうわけですか。 富士山も必ず噴火する日が来ます。
風の流れから言っても東京は火山灰の影響を免れません。
昨日は鹿児島の桜島が噴火しました。 >>124
ちなみにこれは昨日のミサの福音朗読です。 このヨブには罪がなかった。
こういう苦難があることを知らなくてはならない。彼は贖いを知っており、神との親しい交わりがあった。
ヨブ3章
24 わたしの嘆きはわが食物に代って来り、/わたしのうめきは水のように流れ出る。
25 わたしの恐れるものが、わたしに臨み、/わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。
26 わたしは安らかでなく、またおだやかでない。わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る」。 薄められた酒について聖書は良い書き方してないんだけど、私はアルコールに弱くて薄めなくては飲めない体質。
顔は真っ赤になるし、頭痛がしてくる。
子どもの頃、母方のおじに「大学へ行ったら無理やり飲まされるぞ」と脅迫されたわ。
だから酒に強くなれ、と。
もうめちゃくちゃよ。
ワインは一口だけでも悪酔いする。でも日本酒は升酒のんでから印象が変わった。あの塩がいいね。
人生で二度飲んだっきりなのだが。 アイスたくさん買ってきました。
一気に食べないように気をつけたいと思います。 本日の『manna』マルコ 4:26-32
神の国のたとえ
26
またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、
27
夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
31
またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。
32
それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、
33
蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」 私はとても悲しい。
毒麦ニューエイジの反キリストたちがみことばをふさいでいる。 教皇ツイッター
カルメル山の聖母、おとめマリアが、神の山へと向かう皆さんの日々の旅路を共に歩んでくださいますように
#教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #おとめマリア #カルメル山の聖母 シャワーの後、立ちくらみがするほど暑かった。
夜は涼しい風が吹く。夜は優しい。 キリスト信仰を持たない人は、どんな立派なことをしていても終わりの日に否定されます。
この恐ろしさを知っているのが、私とパウロ。 考えてもみてください。
歯噛みして泣きわめく理由を。
彼らは良いこと、正しいことをしてるつもりだったのです。 私の悲しみがわかりますか。
ファッションブローチのようにキリストを褒めて、他の思想や宗教を尊敬する態度が、どれだけキリストを侮辱しているかを理解しない人がいます。
ちょこっと舐めては「美味しい」と言い、またべつのものを舐めては「素晴らしい」と言い、結局この人は自分自身の舌を賛美しているにすぎないのです。 本日の『manna』マルコ 5:1-13
悪霊を追い出す力
(ピッピ談)
一人の男の体の中から豚の体の中へ入ることを願う悪霊たち。
地上の生き物に入るほうがいいと感じるような場所が、彼らに住まうことを許されているところの環境なのでしょう。
そこがどこなのか、どんな場所なのか、想像のかぎりを尽くして考えてほしい。
行きたいわけないでしょう?
解説はこの男がキリストを伝える務めを果たしたことから、今度はあなたが語ってくださいと結びます。
私たちは証し人です。キリストが私の人生に何をしてくださったかを私たちは伝えていきましょう。 あの苦しみがなくなってから、私はいつまた襲われるかと不安を抱きつつ暮らしています。
はっきりと神の中止命令を聞いたわけではないのですから。
ヨブにも第一弾が過ぎた後、第二弾がやってきました。
ヨブの苦しみの終わったことは、神との明確な会話と前以上の祝福された環境が戻ってきたことで確実になります。
聖ファウスティナにもキリストとの明確な会話があり、言葉で説明を受けていました。
私の場合はそれがありません。曖昧なイメージの中で、いつ戻されるかわからない恐ろしさを前に堪え続けています。 私の苦しみの始まりは、私がキリストの花嫁を辞退したことからです。
マグダラのマリアと幸せになってくださいと言い放ちました。
権威と信仰の否定ではなく、花嫁として拒否したことの何がそこまで災いだったのでしょうか。
反キリストはこの隙間を利用して、私とキリストの間を徹底的に潰そうとしたのです。
どんなに恐ろしい出来事だったかは、リアルタイムで報告してきました。わからなければ過去ログで読み直すか、今気を引き締めてください。 その人の苦しみはその人にしかわかりません。
おのおの、恐怖することが違うからです。
しかし苦しみの度合いは同じです。
覚悟してください。 http://www.pauline.or.jp
今日のことば
神を求める気持ちが消え、味気なく、圧迫されているように思えたり、霊的な活動ができないと思えるときにも、うろたえてはならない。そんな気持ちになるのも恩恵であり、よいことなのだ。/
…私たちが目の見えない人を案内するように、神はあなたの手を引いて闇の中を導 いてくださる。見たこともない道を通って、どんな想像も及ばないすばらしい目的地へと。自分一人では、決してこの道を見いだすことはできないし、その目的地にたどり着くこともできない。/
十字架の聖ヨハネ/『祈りの泉 365のことば』 あのときの蝉の幼虫が死んでいた。
背中は割れていたけど、出られなかったようだ。 私も時々、背中が霊的にばっくり割れる感覚があるけど、出たような気がしない。 お風呂の排水口の蓋も割れた。
金属なのに…。
明日、買って来なくちゃ。 私は愚かで力のない者です。
あなたの御心のまま裁かれることをとても恐れ、悲しむ者です。
どうぞ罪を赦し憐れんでください。
私は聞いた。
「赦さない」と。
それでとても打ち震え、怯えています。
私の神、私の主よ、あなたの勝利を喜びます。
どうぞあなたの民と永遠の安楽にお住まいください。
もしも心を変えてくださるなら、私を贖いお守りください。 ヨブの友人が言う
ヨブ5章
17 見よ、神に戒められる人はさいわいだ。それゆえ全能者の懲らしめを軽んじてはならない。
18 彼は傷つけ、また包み、/撃ち、またその手をもっていやされる。
6章
1 ヨブは答えて言った、
2 「どうかわたしの憤りが正しく量られ、/同時にわたしの災も、はかりにかけられるように。
3 そうすれば、これは海の砂よりも重いに相違ない。それゆえ、わたしの言葉が軽率であったのだ。
4 全能者の矢が、わたしのうちにあり、/わたしの霊はその毒を飲み、/神の恐るべき軍勢が、わたしを襲い攻めている。 ヨブの言葉も友人たちの言葉も長いので、しかも友人たちの言葉にも真理が含まれているゆえ、つい無作法に引用してしまうことがあります。
あまり読んでいない、あるいは学んでいない、ということが丸わかりになりますね。
もう色分けしておかなくちゃいけませんよ。 http://www.pauline.or.jp
今日のことば
日常生活において、あるいは神とのかかわりにおいて、現在先の見えない闇の中におかれている人よ。静寂を保ちなさい。
闇の中で口を開くのは間違っている。闇は、耳を傾けるための時間なのだ。/
オズワルド・チェンバーズ/『祈りの泉 365のことば』 教皇ツイッター
イエスは愛の文明を、わたしたちが日々生活する状況の中でともに建設するよう、わたしたちを招いておられます
#教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #愛の文明 #召命 今日のスイーツはローソンのすいか杏仁プリンです。
ちょうど一個残ってた、よかったです。 本日の『manna』マルコ 6:7-13
十二弟子の訓練
11
あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
12
こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、
13
多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒した。
(ピッピ談)
足の裏のちりを払い落とすしぐさは、昔、ラビたちが異邦人の地から出てくる時に、そこの汚れを落とすためにしていたことだそうです。
たとえガリラヤのユダヤ人たちであっても、イエス様から派遣される弟子たちのことばを聴かない人々は、異邦人と同じだという意味だ(使徒 13:51) そうです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています