パプテスマのヨハネについて思い巡らしています。
彼は悔い改めと神の御国の近いことを呼ばわりました。
世に対して慈善をしていたわけでもなく、パリサイ派を受け入れ分け隔てなく祝福したのでもありませんでした。

イエズスも、つかわされた民に呼ばわり、つかわされなかった民の中の女には、その必死のお願いを当初無視していたのです。
しかしイエズスは新しい教えを与えられ、敵をゆるし敵を愛し敵を祝福しなさいと命じられました。

終わりの日に復活した神の民には裁きの座が与えられます。
うわべを見ないで正しい裁きをしなさいと主は言われました。
今がその時です。