【聖書】ピッピのブログ通算13【生活】 [無断転載禁止]
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月食のことすっかり忘れてた。
もう興味ないからいいけど。 エレミヤ7章
5‐6この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。
詩篇84:11cd
よこしまな人の幕屋に泊まるより、
わたしは神の家の戸口に立とう。
マタイ13章
26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』
28主人は、『敵の仕業だ』と言った。
ヨブ23章
1 ヨブは答えた。
2 今日も、わたしは苦しみ嘆き
呻きのために、わたしの手は重い。
3 どうしたら、その方を見いだせるのか。おられるところに行けるのか。 今日のことば
私たちの旅には、からみつく木の根を引き抜く営みが、終わりまで続くものです。/テイヤール・ド・シャルダン/
『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
イザヤ44:23
天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い/イスラエルによって輝きを現された。 今が作業するチャンスだけど、やる気ない。
屋根掃除する自信ない。
一応、昨日のうちに脚立を置いてるから、あとは着替えて上るだけ。 いつまで我慢しなければいけないのか、わかりません。
私の死に至るまで忠実であれ、とみことばは告げます。(黙示録2:10) 【火だけではない!】
イザヤ30章
25 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。
26 さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようにになる。
30 主はその威厳ある声を聞かせ、激しい怒りと、焼きつくす火の炎と、豪雨と、暴風と、ひょうとをもってその腕の下ることを示される。 月の光を月由来のものだと馬鹿にして憎むことがいかにマトを外れているか
それと同じくらい
太陽の光を太陽自身の光だと誤解して偶像崇拝に走る
地球の青さには気づくのに
それを造られたかたを知ろうとしない >>373
私の死というのは、私たちの死のことです。
ピッピの我慢はピッピの肉体の死に至るまで続きます。 『ユダヤの知恵 箴言カレンダー』
本日 20・3
争いから離れて暮らすのは、人の名誉となる。
だが、愚か者はみな、けんかを始める。
井戸掘り名人イサク(創世記 26・15〜)を例にあげる。 人によって信じやすいものがあるんですよね
なるみさんとシャロンさん(それとりんごさん)は、なぜか神道に親近感を持っています
似たようなところを見つけて聖書と関係あるんじゃないかと言い出したら、キリがないです
神を模倣するのが悪魔ですから 本日の『manna』マタイ 6:19-24
二人の主人に仕えない
24
だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富に仕えることはできません。…」
(ピッピ談)
明快ですね。
どちらも愛しなさいとか、どちらも重んじなさいとは言われませんでした。
こういうところが好きです。はっきりしているから。
「どっちも好き〜(クネクネ)」とか言ってたら、靴脱いで頭叩きたくなります。 詩篇40:1
1 わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。
https://japanese-odb.org/2014/01/26/待つ訓練/ >>381
サイトを開いたら、待つ訓練のところをクリックしてください。
本文が読めます。 確か、アブラハムとサラにも同じことがありましたね。
サラはアブラハムの異母姉妹でしたから妹というのは偽りではなかったけれども。
創世記 26章
6 こうしてイサクはゲラルに住んだ。
7 その所の人々が彼の妻のことを尋ねたとき、「彼女はわたしの妹です」と彼は言った。リベカは美しかったので、その所の人々がリベカのゆえに自分を殺すかもしれないと思って、「わたしの妻です」と言うのを恐れたからである。
8 イサクは長らくそこにいたが、ある日ペリシテびとの王アビメレクは窓から外をながめていて、イサクがその妻リベカと戯れているのを見た。 >>370
樹木周りの枝を伐採しました。
板を三枚購入し、洪水に供えました。
雨どい掃除もしたいけど。 本日のスイーツ
ティラミスタルト
クーリッシュ サイダー 証しせずにはいられなくなるはず。
聖霊によって新生させられた体験をどうして黙っていられよう。 http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleB/b_ord17sun.php
列王記 下 4章
エリシャは再び命じた。
「人々に与えて食べさせなさい。
主は言われる。
『彼らは食べきれずに残す。』」
召し使いがそれを配ったところ、
主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。
https://www.higotonofukuin.org
詩篇145
17神の行われることはすべて正しく、
そのわざはいつくしみに満ちている。
18助けを求めるすべての人と、
心から祈る人のそばに神はおられる。
エフェソ4章
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、
すべてのものの父である神は唯一であって、
すべてのものの上にあり、
べてのものを通して働き、
すべてのものの内におられます。
ヨハネ6章
さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、
欲しいだけ分け与えられた。
人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、
「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、
なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
http://www.pauline.or.jp/bible/bible_ev_ord17sun.php
ヨブ28章
12 では、知恵はどこに見いだされるのか
分別はどこにあるのか。
13 人間はそれが備えられた場を知らない。それは命あるものの地には見いだされない。
14 深い淵は言う
「わたしの中にはない。」海も言う
「わたしのところにもない。」
15 知恵は純金によっても買えず
銀幾らと価を定めることもできない。 http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=072901
聖マルタ
イエスの時代に、エルサレムの近くのベタニアに、兄弟であるマリアとラザロとともに住んでいた。彼女は、敬虔な生活を送っていた。
聖書に「イエスはマルタとマリアと、ラザロを愛していた」(ヨハネ11.5)とあり、ラザロが死んだとき、マルタはイエスのもとに使いを送って、イエスへの信仰と信頼を表し、ラザロを生き返らせてもらった。
その後もマルタはマリアとともにイエスに従った。 今日のことば
だれが、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。/
ローマ8.35/『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
ルカ4章
そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、
エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 NHK総合
台風情報なし、たいしたことないの?
福岡は風だけがあります。
全体的に曇り。 ざっとだけど、雨樋に詰まった枯葉を除去しました。
土だらけでした。
屋根のひさしには樹木のタネが落ちて発芽してました。 はやくも小雨がポツポツしてきました。
腕が鳥肌、、、 ナザレで暮らしていたイエズスは、この程度の発言で人々に驚かれるほどひっそり目立たぬ生き方をされていたのだとわかりますね。
野人のような生活をしていたバプテスマのヨハネとはちがい、普通の人と同じ暮らしの中にいられたのです。
そこではイエズスは、慈しみ深い人格を広く知られるような方として存在していたのではありません。
こっそりひっそり母マリア、養父ヨセフと暮らしていたことが思わされます。
「この人はヨセフの子ではないか」
この驚きと不信の言葉を言い表す人たち。
信じられないという気持ちは私にも理解できます。イエズスのナザレでの評判は、この人ならさもありなんではなかったのです。
ルカ4章
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」 本日の『manna』マタイ 6:25-34
心配しない
30
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。
信仰の薄い人たちよ。
31
ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
(ピッピ談)
救いを求めて集まってきたのは貧しい人が多かったでしょう。
私はイエズスのことばが彼らの目に浮かぶ涙への優しい応答のように聞こえます。
心配したからとて寿命を伸ばせるわけではないとイエズスは仰いました。しかし知恵は湧くものです。それなのに家族を養っている家長なら当然のことを、イエズスは改めるよう教えました。
その心配と労苦は、神の国と神の義を求めているだけで足ります。地上は仮の宿なのだから、いのちを保つことこそ私たちの考えることです。 >>395
まことの命、霊のいのちを大切に考えよう 風が止みました。
被災地も台風の中心は通過したみたいですね。
どうぞ、災害から守られるように主の御名で祈ってください。 しかし九州はこれから雨の本番らしいです。
風も雨も、油断はできません。
午前中にコンビニで本日のスイーツを購入してまいりました。
ローソンのマカロン(ウチカフェ) また風がそよそよと吹き始め、気持ちがいいです。
新潟でのフジロックフェスティバルも無事に開催されたのではないかと思っています。
強運な恵み!
「見張り塔からずっと」を聴きながら。 母が門に引っかけていた二本のきゅうり。
外に捨てていたらカラスが来て食べた。
不思議なことに二本共、半分だけ残っている。
まさか本当に半分毒入りか? 停電にそなえて浴槽に水貯める。
降ってきた。
無事でありますように。 それにしてもへんな台風だ。
初めの予報は新潟に抜けるはずだった。
九州まで列島を沿うように進み、九州へ上陸するとなぜか南下し、熊本へ抜けていく勢い。
熊本を出たら満足したとばかりに進路を変えて中国大陸へと向かう。
まるで意志を持つ生き物のようだ。 >>399
新潟県の日本海側は高温化してるみたいです。
雨がいいか猛暑がいいか。
山側がどうなってるかはわかりません。
涼しいかもしれませんね。 福岡県に上陸したはずなのに、雨風止みましたよ。
停滞するみたいですからまた降るかもしれませんが。 >>400
雑食のカラスが食べ残すくらいですからね。
たくさん来てましたが、もう一羽もいません。 きゅうりにどうやって毒を入れたのでしょう。
毒漬にでもしたのでしょうか。
半分だけ。 完徳に近い聖人にも信仰の暗夜はあるという事実を教えたら
「あなたは聖人ですか?」と質問する馬鹿。
(そんなに偉いのですか?)という意味。
もう地上にはうんざり。 通信速度がきわめて遅いため、
しばらく書き込みを中止します。 主のみ聖なり
主のみ王なり
主のみ、いと高しイエズスキリストよ
雨風ともにありませんでした。
朝から日差しが出ています。
感謝、アーメン。 本日の『manna』マルコ 13:24-37
目を覚ましていなさい
34
それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。
35
ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏が鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。 エレミヤ13章
主はこう言われる。「このように、わたしはユダの傲慢とエルサレムの甚だしい傲慢を砕く。
この悪い民はわたしの言葉に聞き従うことを拒み、かたくなな心のままにふるまっている。また、彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏している。彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。
詩篇81
「民よ、聞け、わたしの戒めを。
イスラエルよ、わたしのことばを守れ。
おまえにほかの神があってはならない。
異国の神を拝んではならない。」
マタイ13章
イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。
それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「わたしは口を開いてたとえを用い、
天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
ヨブ30章
神よ
わたしはあなたに向かって叫んでいるのに
あなたはお答えにならない。御前に立っているのに
あなたは御覧にならない。
あなたは冷酷になり
御手の力をもってわたしに怒りを表される。
わたしを吹き上げ、風に乗せ
風のうなりの中でほんろうなさる。 今日のことば
聖なるかな、深い傷を清めてくださる方よ。/ビンゲンのヒルデガルト/
『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
ルカ5章
イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」 月曜日は雷を伴う大雨の予報だったが、降らなかった。
午後からまた怪しい黒い雲が広がり出して降るかと思われたが、みごとに晴れている。
風があり、涼しい。 フジロックフェスティバル
昨日の夕方からボブディラン登場。
一言も語らなかったそうです。
ラブFMニュースより エレミヤ14章
「わたしの目は夜も昼も涙を流し
とどまることがない。
娘なるわが民は破滅しその傷はあまりにも重い。
野に出て見れば、見よ、剣に刺された者。
町に入って見れば、見よ、飢えに苦しむ者。
預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」
詩篇130
1神よ、深い淵から、
あなたに呼び、
2嘆き祈る私の声を
聞いてください。
7aイスラエルよ、イスラエルよ、
主を待ち望め。
8主はすべての罪から、
イスラエルを救われる。
マタイ13章
(そのとき、)イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
ヨブ31章
23 神の下される災いをわたしは恐れる。その怒りには堪えられない。 今日のことば
神は私たちを愛し、私たちと共にあることを喜んでくださる。そして神は望んでおられる。私たちも神を愛し、神と共にあることを喜び、神を強く信じるようにと。そうすればすべてはうまくいく。…あなたも分かるだろう。あらゆることがうまくいくのだ。/
ノーリッジのジュリアン/『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
ルカ8章
悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。
「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。 ぬいぐるみのねむねむシリーズ
洗濯機でガンガン洗ってるという主婦の声を聞いてはいたが、なかなか洗濯機に入れる勇気がなかった。
猫の足拭きになりがちなねむねむ二匹を洗濯ネットに一体ずつ入れて、ついに洗ってみた。
おしゃれ着洗いではなく、普通のコースで時間を少なめにセットした。
かなり汚れているがどうなるだろう。
結果〜なんと無事だ! 南側、灰色の雲が広範囲に広がってくれてるお陰で太陽が隠れ、暑さ和らぐ。
風もある。
台風停滞様様である。
しかしテレビの受信は一切できない。
やっとアンテナ下ろす決意が固まった。
今月の定額データプラン量が超えたらしく、インターネットも超低速だ。
なんかよくわからん。 本日の『manna』マルコ 14:32-42
ゲッセマネでの祈り
36
そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。とうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
38
誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
(ピッピ談)
イエズスは、深く悩み、もだえ始め(33)、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」(34)と仰いました。
イエズスの望まないこと、悲しみの内容は何だったのでしょう。
この時、イエズスを裏切るためにユダが金を手にしていました。主を敵の手に売ったのです。
いったい霊的な死とはどんなものでしょう。 明日から八月が始まります。
私はまだ生かされて苦しんでいます。
長いです。
とうとうイエズスの花嫁から引き離され、死後は地獄が待っているのではないかとその恐れから解放されず、さっきまで泣いていました。
いつまでも泣いてボーっとしていたいと願いつつ、希望が現れることを切望します。 希望が現れることをひたすら待ちます
とにかく油断がならないという張り詰めた空気の中にいます。 エレミヤ15章
わたしは笑い戯れる者と
共に座って楽しむことなく
御手に捕らえられ、独りで座っていました。
あなたはわたしを憤りで満たされました。
なぜ、わたしの痛みはやむことなく
わたしの傷は重くて、いえないのですか。
あなたはわたしを裏切り
当てにならない流れのようになられました。
詩篇56
4恐れにとらえられるとき、
わたしはあなたにより頼む。
10わたしはあなたに助けを求め、
神がともにおられることを知るようになる。
マタイ13章
(そのとき、イエスは人々に言われた。)「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
ヨブ32章
1 ここで、この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分は正しいと確信していたからである。
2 さて、エリフは怒った。この人はブズ出身でラム族のバラクエルの子である。ヨブが神よりも自分の方が正しいと主張するので、彼は怒った 今日のことば
イエスの呼びかけは円熟への招き。/
ジョン・メイン/『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
出エジプト3章
見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。
今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 教皇ツイッター
聖性は、単に精神の問題だけではありません。それはまた、兄弟姉妹のもとへと向かう「足」の問題であり、彼らを助けることのできる「手」の問題でもあるのです
#教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #聖性
人身取引の犯罪によって搾取されている、数多くの兄弟姉妹の叫びを聞きましょう。彼らは「商品」ではありません。人としての扱いを受けるべき「人間」です
#教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #聖性 #EndHumanTrafficking @M_RSection >>432
レギオンを名乗る悪霊が豚の集団に乗り移った時のようなものを感じます。
彼らの異常性欲はインドを地獄化しています。 エレミヤ
13:21 彼らがあなたの親しみ慣れた人たちを、あなたの上に立ててかしらとするとき、あなたは何を言おうとするのか。あなたの苦しみは、子を産む女の苦しみのようでないであろうか。
22:23 レバノンに住み、香柏の中に巣をつくっている者よ、子を産む女に臨む苦しみのような苦痛が/あなたに臨むとき、あなたはどんなに嘆くことであろうか」。
30:6 子を産む男があるか、尋ねてみよ。どうして男がみな子を産む女のように/手を腰におくのをわたしは見るのか。なぜ、どの人の顔色も青く変っているのか。
49:22 見よ、敵はわしのように上り、すみやかに飛びかけり、その翼をボズラの上に張り広げる。その日エドムの勇士の心は子を産む女の心のようになる」。
49:24 ダマスコは弱り、身をめぐらして逃げた、恐怖に襲われている。子を産む女に臨むように痛みと悲しみと彼に臨む。
50:37 その馬の上と、その車の上につるぎが臨み、またそのうちにあるすべての雇兵の上に臨み、彼らは女のようになる。その財宝の上につるぎが臨み、それはかすめられる。 このところまた太ったのかスパッツがきつい。
スイーツやめようかな。 本日の『manna』マルコ 15:22-32
神の子の十字架
リビングバイブル
29.30
刑場のそばを通りかかった人たちは、大げさな身ぶりで、「神殿を打ちこわして三日で建て直すんだってなあ。そんなに偉いなら、たった今、十字架から降りて来いよ。自分を救ったらどうなんだ。」と、口ぎたなくイエスをののしりました。
31
祭司長やユダヤの指導者たちも、同じようにあざけりました。「人を救っても、自分は救えないというわけか。」
32
「キリスト様。イスラエルの王様。十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやろうじゃないか。」イエスの両側で十字架につけられていた強盗までが、悪口をあびせました。
(ピッピ談)
イエズスが十字架につけられたのは午前九時。(25)
各家庭で取り分けられる子羊は前日の午後にほふられますが、祭司長たちが食べる過越の子羊は、翌日の朝九時に神殿でほふられるのだそうです。
イザヤ53:12 参照 地デジが映らなくなったからアンテナのいらない回線にすっかなと思ってるのですが、
テレビを視聴するだけで月々五千円以上かかるなんてね。
七月末みたいに定額容量超えで通信速度が低速すぎると、その上テレビもないとなったら、災害時には情報弱者になります。何にもわからなくなります。
やはり仕方ないのかなと。
必要経費が重なり、生活が圧迫されますね。 【砕かれること、魂の苦しみによって得られる報い】
イザヤ53章
10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。 イザヤ30章
13 この不義はあなたがたには/突き出て、くずれ落ちようとする高い石がきの/破れのようであって、その倒壊はにわかに、またたくまに来る。
14 その破れることは陶器師の器を破るように/惜しむことなく打ち砕き、その砕けのなかには、炉から火を取り、池から水をくめるほどの、ひとかけらさえ/見いだされない」。 さっきまで悲しくてボトボト涙を落としていましたが、急に晴れやかな気持ちになりました。
みるみるうちに視力がはっきりしてきて、悲しみが去りました。
こういう不思議な急展開が昔もありました。
10年間苦しみ続けて、急に苦しみが終わったことがあります。 神様は私から悲しみを取り去ってくださったのかもしれません。
私の事情は変わりませんので、神様の事情が変わったのかもしれませんね。 イザヤ51章
7 義を知る者よ、心のうちにわが律法をたもつ者よ、わたしに聞け。人のそしりを恐れてはならない、彼らのののしりに驚いてはならない。 結婚は無理でも、ドライブくらいは行けるようになりたい。 エレミヤ18章
主からエレミヤに臨んだ言葉。「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。
陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。
詩篇146
5ヤコブの神を助けとし、
神に希望をかける人はしあわせ。
マタイ13章
(そのとき、イエスは人々に言われた。)「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。
ヨブ38章
1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて
神の経綸を暗くするとは。
ヨブ40章
3 ヨブは主に答えて言った。
4 わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。
5 ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません。 今日のことば
去年の私とはずいぶん変わったように思いますが、どう変わったかを説明するのはいささか難しいようです。
深みを増したこと。歩く方向までは決まらなくても、歩き方はしっかりしてきたこと。むなしい気持ちと深く満たされた気持ちのあいだを昔ほど忙しく行き来しなくなっ たこと。
今でも揺れ動くことはあるけれど、ジグザグにではなくまっすぐ進めるようになったこと。そんなところでしょうか。/
イヴリン・アンダーヒル/『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
イザヤ45章
日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。
光を造り、闇を創造し
平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。 本日のスイーツ中止。
買ってきたものすべて処分した。 もういちいち記さないつもりだけど、去年の苦しみの続きの第二弾だった。
呪いが解ける日は来るのかしら。 かんたんに自殺できる場所に行きたい。
そこでボーっとしていたい。
崖の上に立つとか。 本日の『manna』マルコ 16:9-20
よみがえられたイエス
(ピッピ談)
〔 〕
マグダラのマリア、弟子の二人、十一人と、よみがえられたイエズスが姿を現します。
そして宣教命令としるしを預言され、天の右の座にお着きになられました。 イザヤ33章
2 主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。
10 主は言われる、「今わたしは起きよう、いま立ちあがろう、いま自らを高くしよう。 憂鬱と涙の一日にしてもよかったが、堪えきれず外に出た。
すると南からまた広い雨雲が見えて、またたくまに太陽を遮り、10分ほどで車に追いつく。
やっぱり帰ろう。どこにも寄らず帰宅した。
しかし全然降ってないな、お湿りていどかも。空気はひんやりだが。
悲しみが癒えないな。 テレビを観ることができませんので、時間を気にしないで過ごしています。
さっきオレンジ食べました。
それからアールグレイをホットで。 https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/15098731/
このほどブラジルで、臨月の妊婦が激しい事故に巻き込まれる悲劇が起こった。その衝撃で妊婦のお腹が裂かれ、胎児が飛び出し路上に投げ出されたが、無傷のまま一命を取り留めたという。『Metro』などが伝えている。 エレミヤ26章
彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す。
祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて言った。「あなたは死刑に処せられねばならない。なぜ、あなたは主の名によって預言し、『この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もなくなる』と言ったのか」と。
詩篇69
18あなたの顔をしもべに隠さず、
悩むわたしにすぐに答えてください。
マタイ13章
(そのとき、イエスは)故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。
ヨブ42章
5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。 今日のことば
成長の過程においては、行く手に必ず転換点や分岐点や危険が現れる。回心と呼べるほどの大きな変化が必要になるときが、必ず訪れる。/
ウィリアム・ジョンストン/『祈りの泉 365のことば』
今日の聖句より
イザヤ61章
彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫の木と呼ばれる。 >>460
パンをくわえながら走って通学中の女子と、まがりかどでぶつかれば入れ替わることが多いようです。 朝から悩みが。
瞬間接着剤のたぐいを素手で触り、指がガサガサになる。
除光液→とれず
ボディシャンプー→とれず (我が家には石けんがない) 本日のfebcは、終末について語られます。
ちょっと柔らかすぎて私には物足りない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています