>>388続き
さて、供養の話だったな。
供養と言えば先祖供養や諸尊への供養、更には施餓鬼供養や針や魚など様々な事物への供養祭がある。
此処等からも判る様に「供養」とは「捧げ物」という意味ではなく、ネギライやモテナスという意味だ。
よって花や香で諸尊にもてなし、読経などで餓鬼に労う。
これ等もまた仏教思想に裏打ちされた行いであり、六波羅の布施、即ち我が事物への執着を断じて正しく「施す」事。
この「施し」も「布施」と同じく意味が変化して使われている言葉で、
「施し」は立場等の上下は一切無い。
「恵む」等とは違う意味だった言葉だ。
故に密教では、「一切を供養する菩薩」という存在も説かれる。
つまり、視点が違うだけで、中道も縁起も空も、供養と同意義と言える。

(^。^)わかるな?つまり説明が途中で面倒臭くなったから端折ったわけだ。(笑)