>>339

>で、山岳信仰と密教が交ざったのが修験道で行者は山伏と言われてて、当山派と本山派があり、真言宗の醍醐派と天台がそれぞれ下に置き、

最新の山岳修験道学会では、
当山派は真言宗の醍醐派ではなく、なったのは明治以降らしいっす。
興福寺修験、
俺は小島流とか想像しているんですが、高野山に宿坊南院がありまして、小島流らしいっす。
東寺系とは別物の興福寺修験らしいっす、
南都系は室生寺、長谷寺と、真言密教本流らしからぬ流れがあります、
三輪神社、現大神神社は、半分は真言律宗の叡尊の管理下の大御所輪寺、あとは、興福寺系かつ、真言念仏の覚鑁の影響がある平等寺があるっす。

この流れだと、神仏習合と山伏は無関係と言えないっす。
あと、藤原道長時代の高野山奥の院の法要では天台密教三井寺坊主が半分いたっす。
現在高野山宿坊でも三井寺系円珍作とか言われる仏尊が多いっす。
三井寺影響下と言われる熊野信仰も、この歴史から、三井寺坊主が流入しており、
東寺とか京都周辺の真言密教と同じような純正とは言えないっす。
あと、高野山神仏習合の御流神道は仁和寺で、ここも、覚鑁時代前後、天台密教が流入しているっす。

神仏習合、山伏は、高野山を起点としてカオスですっす。