>>204
正直、原始キリスト教については判らん。
黒いマリア信仰とか、原始キリスト教とされてるアソコとか、どこまで本当かすら怪しいし。(笑)
というか、キリスト教は古文章書き換えて証拠にするような連中だから、何も信用出来ん。(笑)
そもそもが、ローマ官吏が使徒ってのもアレだが、(笑)
あのドキュン教祖は頭オカシイからな。(笑)
他人の屋台叩き壊して、道端のイチジクの木に怒鳴り付けて。
チンピラか。(笑)
で、ローマ帝国の興亡については色々言われてるが、ゲロしてまた食ってた連中のことはどうでも。(笑)

戦争の形態が変わったのは、植民地政策という世界侵略政策をキリスト教教皇が神の名のもとで推奨したという側面もある。
暗黒の中世以降、キリスト教の布教は武力や経済で侵略してでもすべき正義とされていて、
この正義に反した者は異端、邪教であり、ヒュパティアのような目にあう。
中世では十字軍としてイスラム文明にて残虐な蛮行を繰り返し、
大航海時代以降は、文字通り世界侵略した。
モンゴル帝国と違うところは、自国とは考えないという点だな。

で、産土だが、これが日本式仏教になると先祖代々の霊位、墓となる。
また、故人を成仏したというのも日本式で産土神を成仏と言い換えたわけだ。
日本語でもそうだが、古い形というのは沖縄とアイヌに残っている。中央から段々と波及するからだ。
この辺の検証は学者さんが色々書いてるから調べてみれば面白いかと。
あとは魂か。
エジプトの輪廻もインドの輪廻も、一個人の本質である魂の生まれ変わりとは違う考えなんだが、これはwikiとかでも見れる。
日本だと魂魄というが、これは大陸からの輸入だ。
庚申待ちもそう。
こうした概念が受け入れられたというのは、そうしたイメージが、つまり「自我」というものが仮設であり、様々な「私」の集合体だというイメージがあったからだろうと考えている。

(^。^)柵だらけだったからな。(笑)