A 「滅」の原語の意味

「四聖諦」は原語では、

苦しみdukkhaという真理
苦しみの成立dukkhasamudayaという真理
苦しみの消滅dukkhanirodhaという真理
苦しみの消滅に赴く道dukkhanirodhagamini patipadaという真理

 です。

この中の、「消滅」は原語ではnirodhaですが、この原語nirodhaの意味は、インド一般では「修養につとめる(人)」あるいは「(ヨーガ行者が)心や感官を制しておさめる」という意味で用いられているそうです。
チベット訳も「制する」「ととのえる」という意味の訳語にしているそうです。(何かで読んだのですが、チベット訳は比較的原語の意味に忠実であるとされていました。)

中村氏は「nirodha(心や感官を制しておさめる)」ということは、仏教の理想の境地であると考えています。
確かに、スッタニパータにも妄執に突き動かされ暴れる心を馬や馬車に譬え、馬(馬車)をうまく制御することが大切だということを説いています。

ところが、nirodhaを漢訳では「滅」としたために、仏教が虚無論を説くものという印象を与えていると言います。

本来は、四聖諦のnirodhaというのは、ほしいままの欲望を制御し、苦しみをとじこめてしまうのがもとの意味であり、
その結果、静まったやわらぎの状態をもたらすことを目指していたのが本来の四聖諦のnirodhaの意味であるといいます。
http://www.geocities.jp/avarokitei/shotenporin-kuwasiku-miru/5-sishotai.htm