たとえば、昭和の禅僧朝比奈宗源は「仏心」を掲げる。
これが、
如来蔵や本覚思想とどうかかわるかは、普通に仏教学・禅学・宗学の範疇だけれども、
≪それが、「アートマン」かどうか?「真我」かどうか?≫
は、まったくもって、従来の僧侶や学者の領域を超えている。
神智学を併修する仏教学者は、大拙さんくらいのもんだろうw
そして、その大拙さんにしても、
手法や視線の投げかけ方、考え方を採り入れただけで、
自身のスタンスを変えてはいない、という点も留意されるべきところだろう。
(勿論、大拙さん始め西田さんとかの方向性が、禅として如何なものか?という批判的研究はされるべきではあるけれど)