『有為を脱することによって涅槃寂静が得られるから』
(水野著『要語』春秋社刊)>>374

 とは、『ウダーナ』で説かれた有為と涅槃(無為)との関係についてのことです。この『ウダーナ』では、涅槃は有為(一切法)とは異な
る別のものであり、だからこそ有為からの出離を(それとして)覚知できるのだと述べています。仏典そのものが涅槃は一切法とは異なる
別のものだと説いているのに、勝手に一切法の中に涅槃があると教えることは信者に嘘を植え付けることになります。

 『比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』
でないもの(涅槃)が存在することから、それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの
出離が覚知されると。』
(ウダーナ8.3)
 『しかし、比丘たちよ、生まれもしないもの、生成もしないもの、作られもしないもの、形成されもしないものがあるから、生ま
れるもの、生成するもの、作られるもの、形成されるものの出離が知られる(paJJAyati)。』
(同、別訳)