>>151
>仏典においては、一切にはアートマンは見出されないということ。
>尚、この一切というのは仏教論上における現象界ということであって「有為」のことです。
>仏教においては真理に二諦を立てており、そして、対するものとしての「無為」を上げ、
>一切(有為)ではないものがあるとして説くのです。
>アートマンの意味を解するならば、そのアートマンが無為であるのは明白でしょう。
>ただそこまで説かなかっただけです(無記として)。

一切法無我ですから有為法無為法両方に渡って無我です
どこにも我(アートマン)は存在しません