>>108
すみませんが矛盾しているのは、矛盾を感じるその人がただ勝手に混乱してるだけですから。
ブッダの教説には何一つとて矛盾などはありませんよ。矛盾することを説く人などそもそも完成者である如来などではないのです。
神通については、それ目的に近づいてきた人(スシーマのような)に対してだけ「無い」として成済ましただけです。
あと普段は神通の使用については最小限のものとして戒められています。
基本的には、仏典全体をみれば随所において六神通についての明確な解説があるでしょ!

アートマンについてゴータマの採った態度は「無記」なのであって、
要するに、それは在るとも無いとも示さないということです。
なので、「ゴータマは無いと説いた」というだけで、もうそれですでにゴータマの教えからは完全に逸脱しているのです。
ゴータマの態度は無記であり、そして、語られた言葉とは「それらはアートマンには非ず」(非我)というものでした。
それはつまり、「アートマンでないものをアートマンとして見るな」といってるのです。
ならばそれは、「アートマンであるものをアートマンとして正しく見よ!」ということにもなる。
ただし、そのアートマンはその境地に到達した者だけにしか知ることも語ることもできないものなのです。
その体験を語る世界がヒンドゥーなのです(仏教は語らない)。

私個人はヒンドゥーも学びますが、
まず、だいたい仏教世界において「アートマンはない」とか
「ヒンドゥーは有我だからダメだ」などという人はヒンドゥーをちゃんと知りません。
ほぼ9割以上で、ただ一方だけの偏った話だけを真に受けている人ばかりですから。
論争が起こっている場合には、あなたは一方だけの発言を聞いて判断しますか?
そのようなやり方は平等で正しい判断の得られる態度だといえますか?

いいでしょうか?
仏典中には同一人物としてのブッダからは一つも矛盾は説かれてなどいないということ。
矛盾というのは読み手の問題にしか過ぎません。無知と誤解と偏見がそのすべて理由です。