短篇小説というものが、その存在と生成のあらゆる点において目新しく、
人目を惹くものでなければならないのとおなじように、
詩的な童話やとりわけ物語詩は、おそらく限りなく風変りなものでなければならないであろう。
というのも後者は単に空想を刺戟するだけでなく、
精神を魅惑し、心情をかき立てようとするものだからである。
そして風変りなものの本質はまさしく、
思考と詩作と行為のある種の恣意的にして奇妙な結合と混同という点にある。
風変りな感激というものが存在していて、
それは最高の教養や自由と調和し、悲劇的要素を単に強めるだけでなく、
いっそう美しいものとし、いわば神化する。
たとえば詩の歴史に新紀元を開いたゲーテの「コリントの花嫁」のごとく。
そこにふくまれている感動的な要素は、
ひとの心を千々に引き裂くものであるが、同時に妖しく誘いかけもする。
いくつかの箇所は、ほとんど道化じみているとさえ呼ぶことができよう。
だがまさしくそのような箇所において、
ひとを戦慄せしめるようなものが圧倒的に大きくあらわれるのである。
(シュレーゲル「断片」)