ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 43
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ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では25の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
JACIM
http://www.jacim.com/acim/
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494430576/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 39
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1502976262/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 40
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512471805/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 41
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1516363259/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 42
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1520685007/ ◆レッスン197
私が得る報いは、感謝の他にありません。
It can be but my gratitude I earn.
あなた自身が作り出した幻想からの「解放」を、世界に差し出すとき、この世界はあなたに「感謝」するに違いありません。
そしてその感謝とは、あなた自身の感謝を世界が受け取り、あなたに差し出してくれているものだということに気付くでしょう。 >>417
まだそこまでレッスンがおいついてない
たとえばガーーーっと怒鳴られたりわざと無視とか永遠と嫌み言われたら? >>421
自分だったらとりあえずはその場から逃げる >>415
★文藝春秋2014年2月号
オウム死刑囚「井上嘉浩」の獄中手記
155ページ
私の大きな過ちは、解脱とは何か?
独学で求めていく中で出会った
阿含宗の
「霊性の開発による社会革命」
という言葉によくその内容を吟味しないままに
とらわれてしまったことであったと
考えています。
https://i.imgur.com/Auhq94p.jpg ◆レッスン198
わたしの非難だけが、わたしを傷つけます。Only my condemnation injures me.
わたしのゆるしだけが、わたしを自由にします。Only my own forgiveness sets me free.
相手があなたに対して抵抗していると感ずるのは、あなた自身が相手に抵抗している時だけです。
非難すると、あなたは囚人になります。
赦すなら、あなたは自由になります。
幻想は、幻想を作り出します。
赦しは、自由を作り出します。
これが知覚の法則です。 >>425
>「霊性の開発による社会革命」
これでみんな失敗してるね
ベンジャミン・クレームとかカルキのディクシャとか
霊性の開発と社会の在り方は切り離してやっていかないとね >>428
だよねー
神は世界も社会も創ってないということが徹底してわからないと、
ACIMは理解も実践もできない >>407
例えば連れ子が邪魔だという理由で虐待の末に義親に崖から落とされて、心身に重い障害を負った子供の場合、義親の素性と犯行に至るまでの情報、子殺しという歴史上肯定されたことのない行為の被害者であることに基づいて、義親をクズだと判定できる
もっと正確な情報、すなわち前世まで持ち出してカルマ論の話をすれば、子供は自分に起こったことを納得するかもしれない
しかしその納得の仕方だと、加害者と被害者の存在が実在して、神からの分離が起きたことになる
ACIMは投影について述べているが、何が投影されているかの分析は重要視していない
何も起きていないのだから分析よりも正気に戻れというわけだ
つづく つづき
殺されかけた子供も猛暑にキレてる俺も、いまこの世界で体験している結果に対する答えが欲しいってことだが、ACIMいわくそれは狂った要求で、答えを置く器なんて存在しないときたもんだ
親も子供もクズも馬もエゴも自分自身すらもいないので、この世界のツールでACIMに疑問を投げかけたり肯定否定することがそもそもできない
ACIMを信じたいならACIMの理屈に基づいて信じるしかないということになるのだが、その理屈を素直に受け入れられないほど世界には怒りと理不尽が多い
エゴの罠と一括にするのは簡単だが、赦すより物理的に排除するほうが救済に近いと思うことも多々ある
それもまたエゴの罠なのだと言われるわけだから、ACIMを投げ捨てる選択肢が浮かび上がるが、そうならないように信じたいのだ まとめると
赦して目に見える現象がおきればみんなACIM信じるけど
そんなこと原理的に起きねえぞと再三注意されてるから辛い
ACIMへの対価を求めない無償の愛が必要になる ACIMは概念だから解釈の仕方が色々あってだね、面倒臭いし疲れるし
あんまやりたくないけどフォーカスしたら…これ系統のカルトもすでに生まれている
カルトっていうかね亜流だね、愛のコースをそうだと言う人もいるけど
あれはあれで個人的にはありだとは思う、まぁ入りやすいところから入ればいい
だから絶対視するのは何でも危険、エゴって奴は分裂が好きだww
キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、どんな宗教も分裂する
共産主義だって資本主義だって考え方が色々ある、そんなもんだな
それに身体(物質)とスピリット(霊)を分ける時点ですでに二元論だしなw
気功では、気には三つの側面、精(肉体の活動に使う)気(気分、感情、情緒)神(精神活動)
を認めているけど、それら三つは例えば水が水蒸気や氷になるように元は同じもの
身体だって波動エネルギーだよな、もっとも動きがたい(動きの鈍い)ものだけど
いやだって身体が気ほどに早く変化したら大変だww それに身体なんてない、世界なんてない、だから深刻に受け止めるなと
言ってしまえば、救われる面もある、例えば愛する人が苦しんで目の前で亡くなった
(病気、事故、災害…色々あるよな)自分は何もできなかった
そのことを悔やんでいる(客観的に見たら例えば津波で家族が目の前で流されたとしても
何もできないこともあるし、見守るしかなった人が悪いわけでもない、仕方がなかった
とはいえ…、家族を見捨てたような後ろめたさを感じるし、未だに罪悪感に苦しんでいる人は大勢いる)
上記の例ならば、肉体は滅んでも魂は不滅で永遠だってのは救いになるが
この世界も肉体も罪もすべて夢や幻なら、この夢の世界を極楽浄土のような理想郷に
変えるために、多少の命の犠牲も仕方ないよね〜早めにポアした方が
もっと良いところに生まれ変われていいよね〜(オウム真理教みたいな宗教ww)が
出てきても、今はまともな宗教がそういう方向へ行ってしまう可能性もある 身体やこの世界を軽視し過ぎるのも…どうせ幻と言い切ってしまうのも危険だと思う
命の尊厳の感覚が失われるのは危険 >>435
まったくその通りだと思います。
ケン・ワプニック
「… 死とは実在しない無なのだから、人が死んでも実際には何も起こらなかったことを祝う、というわけです。
… 人々が涙をこぼし、嘆き哀しんでいる時に、彼らは、形而上学的には何も起こっていないのだからと、幸せそうに微笑んでいるのです。
… 彼らは、自分たちが愛し、助けたい相手であるはずの人々が話す言葉を話してはいません。
… まるで自分たちが全ての限界を超越したかのように振る舞っていますが、そのような行動に出るとしたら、彼らが何も超越していないことは明らかです。」 昔、ハイジャック事件が起きた時
当時の福田総理が
「命は地球より重い」
と言って
ハイジャック犯のいいなりで莫大な身代金払って
テロに屈したって
世界中から大ひんしゅくかったことあったらしいw ??【待つ】??
光は来た。自分はこの世界を赦している。
あなたが赦したことで、あなたには洞察力を受け取る権利があるということを悟るがいい。
聖霊は決して、こころよく赦す者に見るという賜り物を与え損ねたりしないことを理解してほしい。聖霊はきっと与えてくれると信じることだ。
あなたはこの世界を赦している。あなたが今か今かと【待っ】ているとき、聖霊は一緒にいてくれる。聖霊は真の洞察力で見えることをあなたにも見せてくれる。
それこそ聖霊の御意志であり、あなたはその聖霊と結ばれている。根気よく聖霊を【待っ】てほしい。きっと来てくれる。光は来た。あなたはこの世界を赦している。
聖霊を信用しているので、自分は失敗するはずはないと聖霊に伝えるがいい。そして、聖霊が約束してくれた世界を
見るようになれると確信して【待つ】ことにする、と自分自身に言い聞かせることだ。
この時点から先、あなたは違ったふうに見るようになる。今日、光は来た。だから、あなたは時間が始まったときから約束されている世界を見るようになるし、そこでは時間が終わると保証されている。
(田中さん訳抜粋) >>399
物理とか科学って、現象を後付けで、人間が理解できるルールで説明してるだけじゃないの?
あくまでも人間が一方的に定義した数や数式で、極一部の現象を後付けで表してるだけ。 >>410
消滅するから夢である、というのはちょっと違うと思う。
それだと時間、空間、エネルギーありきの前提になる。
夢であるというのは、寝ている時に見る夢と同じだと思う。時間、空間、エネルギーの類、宇宙。全て夢を見ている。 ◆レッスン199
私は肉体ではない。私は自由である。 I am not a body. I am free.
聖霊と共に在る心は、あらゆる面で、永遠に制限なく、時間と空間の法則を超越し、いかなる先入観にも束縛されず、何を求められようとも、それをなす強さと力が備わっています。
その心は源の愛に捧げられ、攻撃の思いも、恐れも、入り込むことはできません。
そして、その心は神の内に安らぎます。 >>440
この世の機械やコンピュータは物理法則が正確に作動する事を前提として作られた
物理法則を否定するならPCやスマホを使えんぞ
物理法則に規定された客観的現実というものが確かに有るのは確かだ だから、その物理的法則が幻と言ってるんだろ、どう考えても >>442
身体に戻ること考えなかったら自由だよな
多次元多空間どこにでも行ける 「独生独死、独去独来」
個人的には…独去のあと独翔があると思う、飛翔すんだよ字通り
体外離脱する時って全ての制限から自由になれるわけじゃないけど
身体の疼痛、重さ、そして脳という制限から自由になれる
どんな問いも瞬時に答えが来る、わかる、制限が外れればわたしたちは天才なのよ
ただしこっちの次元に知識を持ち帰れないことが多いけどw
大嶋信頼さんの「無意識さん」「わたしの中の無限」がすぐそこにいる感じがする
身体に戻ってくると遠く感じるけどね、そんだけわたしら雁字搦めなのよ
何に?って続きは夜書くわ >>441
寝てい間に見る夢って、覚えている時と覚えてない時とあるよね?
この世での出来事、例えば数百年前の出来事を誰が覚えている?
その時代生きた人が死ねば、子孫が伝え聞いた話ってのはあるだろうけど
その真偽を誰が知る?真実が伝わっているとは限らないんだよww
歴史の専門家に叱られるかもしれないけど
後から話を作り変えられた、つまりねつ造された、なんてことは山ほどあるだろうね
記録映画でも撮ってりゃ別だろうけど、その記録映画だって撮影する側の意図が
必ず入る、客観的な真実なんてものは、この世にはないww
真実は一つじゃない、色んな見方ができて、誰かの意図で切り取られた出来事に
ストーリー化して(意味づけする)世の中何でできてるかっていうと
そう、ストーリーだよww、世界は物語でできている、そしてその物語は夢と同じだよ
過ぎてしまえば存在しない夢だよ 誰かの意図で切り取られた出来事に、じゃなくて「を」だな失礼ww >>447
すいません、何度も読み返したけどよくわからなかった(^_^;)。
真実? 客観的な真実?
そんなこと書いてたっけ? ◆レッスン200
神の平安のほかに平安はありません。
There is no peace except the peace of God.
これ以上探すのはやめなさい。神の平安以外に平安は見つかりません。
この事実を受け入れるとき、世界は愛にあふれた世界として現れます 視点をどこに置くかだな、あとどれだけ広げるか、ってのもあるか…
主観、つまり肉体である私、自意識から見ると物事の見え方が限定される
短い線も、どんなに長−−−−−−−−−い線も、真上から見たら点でしかない
つまり時間軸で物事を見ると長いとか短いとかあるけれど
ある次元から見たら、一瞬の出来事も何億年何千億年の出来事も同じ、ただの点
または瞬間のスパーク(閃光)に過ぎない
ってあれだな、夜中にある単語が頭をよぎって目が覚めた、「キネシオロジー」
「キネシオロジー」って筋反射のあれか、言葉は知っていたけど…何で今頃?
確か数年前に本屋で速読した記憶が…「パワーかフォースか」って本
ぐぐってたら、日本人の意識レベルについて書かれてた
日本人の倫理観の高さ(日本人サポーターや、被災地ボランティアの方々見るとわかるよな)
世界的に見ても稀らしい、個人的にはここ数十年で下がっているような気もしないでもないが
日本が世界を救うと言ってる人、スピリチュアル界では結構いるんだな レッスン15
私の考えは、私が作り出した形象である 真理から見ればすべての人間はバカで間違っている
バカだから癒やしが必要になる
真理の世界はまともだから真理の世界に癒やしは必要ない
出会う人間はすべてバカだからこそ癒やしてあげなくてはならない ◆レッスン201 (復181)
私は 身体ではありません。私は自由です。というのも、私は今なお神が創造したままの私だからです。
(レッスン181)
私は、自分と一つである自分の兄弟姉妹を信頼します。 >>456
私(自我)自身、決してニュートラルにはなれないと感じ、つくづく絶望します。
ニュートラルになれなくていい…、ニュートラルになれない私に気づき、ゆるし、ただ光を放つだけ。
兄弟姉妹に信頼し、感謝します、ありがとうございます。 >>454
わたしたち皆、本当は天才なんだよ?ww無限の力(天才)の方が本当の
わたし(大文字のSELF)はね、だけど自我としてのわたしがそれを制限している
私的にはそれがすぐ近くにあるように感じる時と、遠く感じる時があって
それが離れたり近づいたりしている感覚がある(これも幻想というか錯覚なんだろうけどw)
近くなって一体化したとき、もう離れることはないように思う
今は自我を取り消す作業に没頭…してないな、気が散ってる、まだまだだな 泡と大海、、、
二心なし。
煩悩、即、菩提 。
色即是空、空即是色 。 みんな等しく神聖。みんな神の一部だから。
だから好き嫌いや優劣つけるのは真実から目を背ける行為なのか。 幻想を突き抜けて神の世界だけ見よう
そうすれば不満も生じず幸せだけしか感じない >>464
四六時中それが出来たら聖者だわww、某本によると悟りを開いた後
俗世に戻らない確率85%だそうだ、確かにねニルヴァーナにいる間は
(ACIM的に言えば神のとの交流?)この世のお金も贅沢品も快楽もどーでも良くなる
この世のどんな豪奢な生活も快楽もいらないと思えるほどの
平和、時に至福と歓喜に包まれる、そんな瞬間を何度か体験した、一瞥体験って奴ね
しかし僧侶や隠遁者でない限り、または神使のパーサのように高齢になって
家族を養うとか世話するとか義務から解放された後ならいいけどね
普通は無理だ、仕事や子育てや介護があれば しかしあれだ、この世の義務を果たしつつ、できるだけエゴを薄くして生きることは
できるな、この世は苦界だけどあらゆる波動が同時に存在する
こんな世界は他にないんかも(わからんけど)地獄から天国(お浄土)まで
…浄土って意味深だよな、浄化したものが行ける処
地獄の底にいるような暗く重く苦しい波動を生きる人が、短時間で天国へ行ける場所
なのかも(個人の感想です)この学びのチャンスを活かしたい、楽じゃないけどねww
何を浄化するか、エゴだよな、エゴ、エゴが消えればカルマも消える
カルマ消化しようと思うとそれこそ何千年、何億年かかるかわかんね
そういう意味でもコースは時短になる、救いの道だとわたしは思う 神の世界ってモルヒネヘロインみたいに気持ち良い世界なのかな、〜ヘロインモルヒネやったことないけど笑w しかしこのエゴって奴が狡猾な悪魔そのもの、人格の全てがエゴではないけど
人格の器には悪魔的エゴと聖霊(もしくは真我、全知)どっちも入るんだよ
ACIM講座では、選択の主体ってのがあって、エゴを選んでしまっていると書いているけど
魂の光も人格には入ってる、しかし人格が歪んでると、魂の思いも歪むんだけどね
体外離脱(多分人が死んだ後も同じ)した時って、まだ自我なんだけど
身体がない分、この物理世界にいるより真我に近いんだよ、神と近い感じがする
エゴなんだけどこの世界ほど重武装してないエゴというのか、この物理世界で
身体として生きるって相当大変なことなんだよな、なぜわざわざ苦界を経験しているのか?
ってACIM的世界観とは違うけどさww
あっちだと知りたいことが瞬時にわかるし、身体がなければ物欲も金欲も肉欲も
そのほかの欲(権勢欲とか名誉欲とかプライドとか)もないからね、必要ないからないんだけど
あっちの世界のある程度浄化した御霊は物わかりが良いww
下らないエゴのプライドや執着、こだわりがないから >>468
ヘロイン接種したことないけど、多分違うな
なんつーの、この世の快楽ってのは、痛みが伴う、そしてどこか
後ろめたさ(背徳)や罪の意識ってのも快楽つ繋がっている
だから不倫なんてのがあるんだろうね(色恋のことはよくわからんけど)
そういうのが一切ない、というか色恋なんてどーでもいい
自分がどう見えるかもどーでもいい、意識は明晰そのもの、意識が広がって
清々しいww 自意識がなくなるな、自分がどう見えるか気にならなくなるし
誰に何を言われても何とも思わない、エゴが消えるとそうなる
それに平和という言葉を知っていても、本当の平和を知っている人は少ないだろうな
瞑想の時、はじめて心が凪になったとき「この感覚が平和だったんだ」
と感慨深かったことを覚えている、眠気や気怠さオウム信者のような意識不明瞭が
心の平和だと勘違いしている人いるけど、眠気なんて微塵もない
あくまで澄明で明晰で、どこにも重さや苦しさがない状態と言ったら
やっぱわたしは表現力がダメだな しかし、、この世にいると金がいるww、このクソ暑い時にエアコンなかったら干からびる
かき氷も食いたくなるし、スタミナつけるためにウナギ食いてぇ〜となる
快適な生活を送るには金がいる、どうせなら旨いもん食いたいしww
お金稼ぐために仕事しなきゃならないし、
煩わし〜人間関係から逃げていたけど、そうは行かなくなったなww
誰にでも親はいるからね、介護が必要になるかもしない
面倒くさい親族一人はいるでしょ?、舅姑小姑とかさ、余計口出しだけするみたいなww
職場の人間関係に悩んだり、人間なんて勝手なもので、人を崇めてみたり
見下してみたり、まぁ・・・・どーでもいいやww
逃げられないんだよね、この世界はだから苦界なのよww いま日本にいる人たちは、酷暑によって苦しむことで贖罪を試みている状況なのかね
そもそも罪は無いと心からわかっている人が数人いるくらいじゃ酷暑は変わらないのだろうか 国産ウナギ高いから
中国産食ったらゴムみたいにグニャグニャしてたわw
因みにど〜でもよいが一応、
選択の主体←✕
決断の主体←○ ◆レッスン202、(復182)
私は身体ではありません。私は自由です。
というのも、私は今なお神が創造したままの私だからです。
(レッスン182)
ほんのしばらく心を鎮め、わたしは我が家へ戻ります。 「ゆるしとは、罪を取り消す、自我を取り消す、ということでなく、
もともと罪など無かった、消し去るべき自我は何処にも無かったと気づくプロセスなのです。
本当は選択はありません。自我は何処にもありません。神の安らぎだけが実在です。」
ジョン・マンディ ◆レッスン201、(復181)
私は身体ではありません。私は自由です。
というのも、私は今なお神が創造したままの私だからです。
(レッスン183)
私は神の名を、つまり私自身の名を呼びかけます。 ◆レッスン203、(復183)
わたしは身体ではありません。わたしは自由です。
わたしは今でも神が創造されたままのわたしだからです。 I am not a body. I am free. For I am still as God created me.
レッスン183
わたしは神の名を、つまりわたし自身の名を呼びます。I call upon God’s Name and on my own. 世界は無いだけでは駄目で
神が無ければ袋小路ですね 恐れがあるということは、あなたが肉体に関する想念を心のレベルまで引き上げてしまったことを示す >>487
神が有る理由は我々の認識の対象外
我々が普段認識できるのは自分で投影した悪夢のみ
神もこちらの世界を認識していないが、神の子が苦しんでいるのは察しており、
橋渡しとしての聖霊を派遣
全てが無ではなく、実は神で充満している
それを知るためには、赦して罪悪感の投影を引き上げ、目の曇りを取り除くこと 神は源で実在
世界は幻想で存在しません
理由が必要なのは世界 完全にACIMからずれる話だが、災害ってのは集団が集団に対して罰を望んだ結果かもしれんな
罪と罰の応酬が高まって、それが閾値を超えると全員が一律に罰せられる方法が取られるのではないか
今回の夏も全員が一律に被害を受けているが
憎らしいやつが暑さで苦しんでいるのを見て喜んでいる人もいるだろう
しかしその人自身も暑さで苦しむので、罰のサイクル(攻撃的想念は自身に返る)が完成している 自我は一人で多重人格障害ですね
投影も赦しも自分に対して行ってるんですね ◆レッスン204、復184
わたしは身体ではありません。わたしは自由です。わたしは、今でも神が創造されたままのわたしだからです。
I am not a body. I am free. For I am still as God created me.
レッスン184
わたしは、神の名を受け継いでいます。
The Name of God is my inheritance. 悪魔のみが存在する・・・ではダメなのか?
神の子なら罪悪感に駆られ苦しみに満ちる状況に陥るはずないが
悪魔の子なら納得 昔読んだ本、宮城音弥先生の夢の本だったような…
病室で寝ている時、ナースコールが首元に落ちてきた
(昔のナースコールは押すとブザーが鳴るだけの小型で簡単なものだったようだ)
その瞬間、目が覚めた、そして恐ろしい夢を見ていた記憶があり、動悸がしている
夢の中で無実の罪を着せられ、裁判所に連行され、無実を訴えても信じてもらえず
断頭台の前に立たされ、ギロチン(斧だったか??)が首に落ちてくるその瞬間
目が覚めたようだ、そして首にあるナースコールに気付いて
ああこれが落ちて来たからそんな悪夢を見たんだなと思う
しかし、首を斬られるその前に長いストーリーがあったはずだ?、
果たしてギロチンが落ちてくる前のストーリーはいつ見た夢なんだろうか?
夢ってのは瞬間に見るものなのか?夢ってのは不思議だ時系列も??だし
この世の夢もどんなに長く感じても、瞬間の夢と同じなのかもしれない
横の線がどんなに長くても、その線を真上から見ると点でしかない
点でしかないのだが、横線(時空間)にいる間は…できるだけ短くしたいのが人情だ
自我の悪魔的側面は、良い夢も見せてくれる、短い間はねww
しかし必ず破滅(死)の夢を見ることになる、その前にたっぷり苦しんで…
甘い夢にすがっていたくても、悪夢は必ずやってくる その時が目覚めのチャンスかもしれないww
にしても、自我のストーリー(脚本)通りに進んだら、横線は果てしなく長くなる
カルマって奴があるからな、自分の言動や思いが跳ね返って来るって奴
これがねぇ、人生全く間違いを犯さずに過ごすなんて無理に等しい…
カルマを解消する以外に、この世界から卒業する手立てがあるとしたら
エゴを消滅させて…は無理だが、エゴが溶解して神に戻らねばならない
神との合一、それも簡単ではないよな、自我の特性をすべて手放さねばならないから
神と意志をひとつにすれば、物事はうまく流れる
それにはまずエゴとは何で、どんな働きをするか、しっかり観察して熟知する必要がある
残りの人生これをやらねばならない、というかこれをするために生まれて来たww >>497
君がそう信じると、ますますそういう状況に陥り易くなるんじゃね?
やはり神を信じた方がいいと思うよ 神というのは概念ではないし、概念を遥かに超えたものだ、
だから宗教の中に神はいないww、特定の宗教を信じる者だけに
神が恩恵を賜るわけでもない、神は熱心な信者だろうが無神論者だろうが差別はしない
あと…神と言っても特定の枠内で力を持つ存在ってのがいるんだよ
日本の概念「神」がそうだなww祟り神でもキツネや狸?でも何でもかんでも
「神」にしてしまう、付喪神なんてのもあるくらいだ
日本の「神」の概念は他国、他宗教の「神」と定義が違うからな ACIMを実践してみんなで合唱しよう
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ
殺せ >>501
寧ろ納得すれば現状をしょうがねぇなぁ( ^ω^)・・・と受け入れる事が出来よう
ACIMの理不尽な説明だと神と共に天国にある自分がなぜこんなだー ((+_+))・・・ とあまりのギャップに七転八倒して苦しむ事になろう お父さんにぶち殺されると思った僕は急いで逃げてきました。気がつくと僕はここにいました。 永遠の中で常に共にいた父について分かったことはすぐに切れて息子を殺す恐父だったという事か
なるほど
逃げたくもなるわな お父さんを殺そうとした僕は、その瞬間自分のしでかしたことの恐ろしさに逃げ出してしまった。
逃げ出したあと、自分自身への正当化のために、僕がここにいるのはお父さんにぶち殺されると思ったので急いで逃げてきたのだ、悪いのはお父さんだと思い込んだのです。 神の子は愛そのものではなくもともと殺意を持っていたという事かね 神の子は殺人者な、
親父をひきちぎって逃げてきた
裏切り者の逃亡者なんだよ
この世は戦争殺人処刑ばかりだろw 自分がそう思っている限りはそうだろう。
ずっと人のせいにしている人間には現実よりもファンタジーこそが現実。 お前の神、わたしの神、それぞれが抱いている神の概念及びイメージは
個々で違うだってば、しかし神は概念の枠を遥かに超えたものだ
わたしらのちっぽけな頭で理解できないもの、無限の叡智、 一番下らないのは、神を定義すること、定義できないから神なのに
そしておらっちの神が本物の神だと主張すること
で、「お前の神は偽の神だ、俺は神の代弁者だ、俺の主張が正しい」などとのたまう
それこそ神を冒涜する行為、傲慢の罪だよん
宗教戦争ってのは↑ではじまる エゴって奴は「自分が正しい」と声高に主張するもんだ
それがエゴのプライド、エゴを守る砦 分離を考えた時点で
偽りの自己である意識が生じたんですね
意識はほとんど自我でできていて
聖霊の部分(天国の記憶)が残っているけど
自我の声にかき消されてしまいます
その中では間違いが起こり得ます
間違いは悪ではなく
修正されるべきものですね
実在しないものです アホが棲みついてるな、お前は何をしたいんだ?ACIMの基本概念もわかんくせに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています