ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 43
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ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では25の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
JACIM
http://www.jacim.com/acim/
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494430576/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 39
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1502976262/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 40
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512471805/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 41
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1516363259/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 42
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1520685007/ 久々にここに来てみたが、
いまだにアンチが粘着してるんだな(笑)
しかも恐ろしくレベルが幼児化してる(笑)(笑) 聖霊はタイで洞窟に閉じ込められている少年達を助ける気はないのでしょうか?
またいつものように見殺しデスカ?
少年達が赦しの実践をすれば良いのデスカ? 聖霊っていうとさ、キリスト教だと三位一体のひとつで「慰めるもの」
ヨハネ14・15〜17
まぁでもあれだ、聖霊じゃなくて天使でも守護霊(神)でも観音様でもいいんだよ
しっくりくるイメージがあれば、タオでもいいし、タオと共にある=調和の中にいる
大嶋信頼さんの無意識さん(心よ…)でもいい、自分の無意識の定義と違うけど
でもあれだ、大嶋さんの(心よ…)だけど、エゴの声しか聴こえないって人のが
多いかもしれない タオと言えば…気功を教えて下さったカンフーの老師はあの頃60代後半?
世界中にお弟子さんがいる方で、あの時にいたのは中華系の人が多かったけど、
アメリカ人、ドイツ人など白人も多かった…
気功教室だったけど武道のお弟子さんも参加してた
休憩中に(お遊びで)老師が若いお弟子さんを相手にカンフーの実演したときに
老師は攻撃せず受け身で対応した、弟子はみんな老師よりかなり若いので反射神経が半端ないw
攻撃の技を次々繰り出す、それが速い速い、プロレスのジャイアント馬場さんの場合だと
相手が馬場さんの攻撃を待ってる時間が長いwwけれど
元ボクサーだって人もいて目も留まらぬ速さ、どんな攻撃を繰り出すか予め打ち合わせ
できるとは思えないってか無理だわ、スピードが速いし色んな技が次々繰り出される
老師は攻撃しないで防御一辺倒なんだけど、ニコニコ笑いながらその素早い攻撃を
かわしている、それがまるで踊っているような見事な動きで、見ていて飽きない面白い!
あれはどんな業が来るか、お弟子さんが攻撃する前に予めわかっていないとできない
あれこそフロー、無意識さんの力だな、頭で考えてたら瞬間の攻撃に対応できないもの
タオの中にいるとあれができるんだな >>303
神はなぜACIMのようなガッデム本を創造したのデスカ?
あなたを苦しませて修行させ、魂を進化させるためデスカ?(笑) ACIMは自我とは何か理解させることが目的じゃね?って思う
エゴでないもの(真我とか全知とか大嶋さんなら無意識さん)と分別するために
それはエゴの声ですよ、エゴを選んでいますよ、エゴの声は信頼できませんよ
あなたを怯えさせるだけで、安心できませんよ、社会や自然との不調和の原因ですよ
にしてもワークブックはまだいいが、テキストがわかり難い
翻訳だから?と思ったけど、原文もシェイックス・ピアなんだww 他者やそれを拡大した社会、世界、環境を含むとの不調和よりもまず自分
自分が不調和の状態なのよね、自分が調和の中にいれば周囲も調和する
エゴってのは大嶋氏の表現を借りれば
口うるさいお局さまww、OLしてたときにいたな〜お局様、何が大変って
お局さまのご機嫌取るのが大変で疲れた・・気づけば自分がお局様の年齢に・・
いつまでも若くはいられないのねww
ってあれだ、いちいちダメ出しされる、やろうかな〜と思っていると
「あれはもう終わったの?早くしてね」って言わるとやる気がガタ落ち
子供の頃、勉強しようかな〜って思ってると「早く勉強しなさい」って親に言われると
やる気がなくなるのと同じww、エゴは口うるさい、批判ばっかりする、
上手く行ったら「偶然」で、失敗したら「やっぱり…だからダメなのよ」
お局様の目が気になって仕事に集中できない、ご機嫌損ねてないか?やり残しの仕事はないか?
何かミスってないか?意識ってのは、検閲機能でもあるんだよな
仕事覚えるまでは意識する必要があるけれど、あとは無意識さんに任せた方がうまくいく 無意識は創造のエネルギーを秘めている
小説家になりたくて、アイディアを色々考えてもどれもありきたり、平凡、つまんね
ボーっとしてお茶飲んでる時に、きたきたきたーーーーーて時があるんだよね
アイディアの小包が届くの、アイディアの箱を開く鍵つきで
そのカギってのはいくつかのキーワードだったりイメージだったり…
壮大なスペースオペラきたーーーーー、って思っても、あれこれ考えて
いやこうした方がいいかな?とか余計な付け足しをすると…いつの間にか陳腐になり下がっているww 赦すのが修行法か
普通はそんな簡単じゃないからな
金もかかるし時間もかかる
厳しくつらい修行をしなければ成就なんかできない
何十年もかけて一歩一歩
ダメな奴が少しづつましになっていく
人間は罪人だと教えられたんだがな、
罪人からスタートだ、少しづつ修行して人の為になることをして徳を積んで罪を精算していく
登山と同じだ
頂上めざしてはい上がっていく
汗をながしてまともな人間になっていく
修行法も、金を払い時間をかけて
少しづつ教えてもらえるようになる
最初は便所掃除に下足番だ
辛く厳しい修行が始まる
ゴールははるか彼方、
だと思っていたが、
実際
修行法は赦しで
自分は既にゴールにいて完璧だったとはな
ハハハハ
こんな嬉しいことはないよ
楽だ楽だ😊 エゴは、「これはエゴだな」と捉えることができるけれど
タオは、無限だから、定義することも操ることも捉えることすらできない
タオでも神でも無意識さんでもいいんだけど
無意識の捉え方は人によって違う、わたしは無意識=無自覚な自己
低次元の自己って奴ね、理性の仮面の下の未熟な自己のことを「無意識」と定義してたけど
その向こう側の広大な領域のことを大嶋氏は無意識さんと呼んでるようだ
無自覚な未熟な自己(インナーチャイルド含む)を赦して癒すってやると
あの時のあのことの傷を掘り起こして、ワークして癒して…時間かかるww金もかかる
ACIMの赦しの方が早いかな?そういう意味で時短になる しかーし問題もある、んじゃないかなぁあ??ってのが今のわたしの感想
こっから先自分で試してみるつもり >>303
いやあの状態で命があったんだから助けられたんだと思うよ
まだ時間がかかるようだけど
お母さんたちやお坊さんたちのみんなの祈りが力になったと個人的には思う 奇跡は魔法じゃないんだから、瞬間移動する技術でもありゃ別だが >>310見逃してたけど…
なんで赦しが修行なの?
修行するぞ〜修行するぞ〜修行するぞ〜
ってそりゃACIMじゃなくてオウム真理教でしょうが!!
アホか!
赦しは、定義できない何かそれを神(聖霊や真我は神と直結の何か)と呼ぼうが
タオと呼ぼうが無意識さんと呼ぼうが…それと自分との間にあると思われる幻のww
障壁を取り払うためにあるんだよ、またはエゴからそれにシフトするためにある
ただエゴではないものを選ぶと言っても、エゴの暗い部分(シャドーって奴ね)と
向き合うって結構キツいのよ、それをどう捉えるか色々考えてしまったり
その過程は確かに修行っぽいっちゃ修行っぽいww 長文連ねて申し訳ないけど
赦し(癒し?)この違いってわかり難いよね、をはじめると
脂汚れのジョイ(中性洗剤)のCMみたいになる
ハンバーグ食ったあとのお皿にこびりついたギトギト脂とソースをジョイを入れたお湯に
浸しておくと汚れが浮き上がってくるよね、あの状態になる
かえって心が汚れてしまったような気分にも陥る
違うってわかってんだけどね、今まで蓋して見ないようにしていた心の古傷が
奥の方から浮き上がってきているだけ、わかっていても心は乱れる、しばらくは
それに耐えるしかない >>315
ACIMっていったい何をやれって言ってんのか?って目的意識を持って読んでいくとテキスト読めとかワークしろとかは基本として
目的達成の為に何をすればいいの?って読んでくと赦せってことね
だからACIMの修行法は「赦し」
仏教なら成仏の方法、成仏法だな
それに当てはまるのは
ACIMでは『赦し』ってなる
赦しかた、赦しのコツを掴むのは実践と慣れだ
赦しのプロフェッショナルになれ
神使の受けウリみたいだが、
しかし
修行法を超えた修行法
それが『赦し』。
その(赦しの)結果は、赦せばわかる、ってことかな 怒りってのは自分の思い通りにならないときに湧き出るものと仮定すると
世の中すべてが自分の思い通りになったとしても
急に調子悪くなる「身体」や、なんとなくだるい気分が出て来る「心」がある以上
怒りというものは自分自身を手放さない限りは捨てきれないのではなかろうか
自分の存在すらも自分自身ではどうすることもできないのだから
逆説的に考えるなら、怒りが湧くことをどうにかしたいと考えること
つまりは、自分の身体を思い通りにしたいと考えることもまた怒りの源泉になる このスレには…ビギナーしかおらんのか?エキスパートやマスターは??
自分も年数的には…ちょっと齧ってはやめ、齧ってはやめしているから
知識としてはまだまだビギナーなんだけどな、散々長文貼り付けているし…
ACIMが何のためのコースなのか?その教えの核と言っても良い「赦し」とは何か?
誰か解説してくりゃれ、マスターの方 私の私見で良けりゃ書くよ、ただしACIM的世界観とはちょっと…いやかなり
ズレてるかもww明日にでも書いて良けりゃ駄文だけど そしてかなりの長文になる!嫌気がさしてる人も多いだろうから自粛するつもりだったが
書きたい思いもある >>322
コースに多少でも関連あることなら
なんでも好きに書いていいよ ◆レッスン190
私は苦痛のかわりに神の喜びを選択する。 I choose the joy of God instead of pain.
苦痛は、父なる神が子に憎しみを抱き、神が子に罪深さを見て、復讐と死をもたらそうと狂気じみた願望を抱いていることを証言しているようなものなのです。
あなたに苦痛をもたらすことができるのはあなた自身の思いだけなのです。
あなたのマインド以外のいかなるものも、どんな形であれあなたを傷つけ、傷めることなどできません。
この世界には、あなたを病気にし、悲しませ、弱くし、弱く脆いものなど何も存在しません。
あなたが自分自身の喉に突きつけている残酷な価値判断の剣を横に置き、
あなたの神聖性をそれによって隠そうとする破壊的な攻撃をやめることにしましょう。
ここに至って、あなたには、いかなる苦痛は存在しないことを理解することになるでしょう。 >>324
>あなたに苦痛をもたらすことができるのはあなた自身の思いだけなのです。
刃物で滅多刺しにされたら激しい苦痛を感じると思います
肉体の安全は何より必要です 肉体が現実だと認識しているうちは肉体は護られなきゃならないね
肉体大切じゃん、これはやっぱり神の創造の一環だよ、
となるのがニューエイジとかそのへんの人たちです
でもこの世界が神が創造したものだとすると、
神はどうして罪もない2歳の女の子の命を豪雨による土砂崩れで奪ったりするの?
神はどうして病気で苦しませるような残酷な仕打ちの末に結局人を死なせるの?
と反論されると、ニューエイジャーな人たちはしばらく返答に窮してしまうのですが、
人の魂はあらゆる経験を通して進化していくのです、苦しい体験や痛い体験も、
魂の進化発展には必要なのです、と切り返します
しかし、ではあなたもそういった苦しい体験や痛い体験を積極的に享受するのですね?
なぜなら魂は進化成長発展していかなければならず、そのためにはあらゆる体験が必要ということですからね、
とさらに追い打ちをかけらると、いいえ、私はそういう体験はしません、
なぜならワクワク人生を送っていますから、ワクワクすることしか引き寄せないのです、
と返します しかしだ、ACIMの世界観によると、私たちが今いる世界((現実))は夢または幻で
あり得ないことが起った瞬間…すなわち神聖ではない瞬間、
神との分離を信じることを選んだ私たちは、神に反旗を翻し神から離れる決断をする夢を見た
そして、そのことに怒り狂った神が復讐するのではないかと畏れた神の子は、天国からこの世へ
スピリットの世界→物理世界に逃げ込んで、肉体を持った人間として生きることを
選んだ、(つまり自我でいることを選んだ)
(実際は神との分離の夢を見ているだけで、私たちは一度も神と離れていない)
つまりこの世界は神の子が見ている夢で、わたしたちは人間ではなく
この予測不可能な恐ろしい世界の色んなもの…
(獣や敵や犯罪者、地震や津波や台風や雷などの自然災害、病気や事故などの災難)に
怯えながら必死で生きる○○という名のキャラクターでもなく
実はこの物理世界で繰り広げられる夢のドラマの脚本家なんだっていう
自分が作った悪夢に怯え、無力な被害者としての自己概念として生まれてくる
そして神に背を向けた罪と罪悪感を他者に投影し(自分が無辜であるために)
互いに罪と罪悪感と恐れを投影し合っているものだから、特定の人が敵(加害者)に見える
特別な愛の関係と、特別な憎悪の関係ってのがあって・・・詳しくはぐぐって
常に互いに互いを非難し、攻撃し、争う世界の夢を見ている
つまり、この世界で起こっていることは、自作自演の自我の夢でその夢のシナリオを
変えるにはこれは夢で本当は悲惨なことは何も起こってないんだ
夢を見ている自分と、登場人物を赦すってことは、本当は何も起こっていない
自分が神との分離と罪と罪悪感と恐れの投影を、この世界に見ているだけなんだと
認識?すること=赦し、つまりこの世界は夢で実在ではないってことよ って自分…つくづく文章下手だな、小説家は無理だぁあああって3行でまとめると
自分が夢を見ているってことを思い出す、この物理世界(宇宙)は実在しない、
だって夢なんだから、夢の中の憎たらしい悪役キャラも本当は実在しない
そしてこの夢のドラマの脚本を書いているのは、他ならぬわたし(自我)ってことを
思い出すこと=赦し
そして自我ではなく、聖霊が見せてくれる幸せな夢を見つつ目覚めましょう
=奇跡のコース(ACIM)
って違ったら誰か訂正してくれww ACIMはひとつの概念、この世界観は目覚めるための処方箋の一つと捉えた方がいいね
コースのテキストにも書いてある、これが唯一の道じゃないってね
だって、受け取り方によっては、この世界はどうせ夢なんだから人殺したっていいよね?
考えをする奴が現れないとも限らないww 創世記の失楽園の物語、男→女が悪い、女→蛇が悪い、責任転嫁するお話
人間は神に逆らって智慧の実を食べてしまったことで天国から追い出される
明けの明星と呼ばれたもっとも美しい天使だったルシファーが、神に反旗を翻し
ルシファーに従った天使軍団を率いて、神と対決し、ミカエルが率いる軍団と戦って
地に投げ落とされるお話がある(この話は聖書には載ってないんだけどね)
地に落ちた後のルシファー=サタン(悪魔)ね、ルシファー側についた天使も魔物になった
人間は神の成分と悪魔の成分どっちももってるねww
これらのお話と同じように寓話として捉えりゃいいのかもね リアルは脅かされない
アンリアルは存在しない
ここに神の平安がある。
存在しないって言い切っちゃうとこが凄いよ笑 レッスン191
私は、神ご自身の聖なる子である。 I am the holy Son of God Himself.
道に迷った者を救い、途方に暮れた人たちを助け、この世界にゆるしという贈り物を与えるために「神の子」が栄光と共にやってきたのです。
自分は弱く虚弱であり、空しい希望と破れた夢しかなく、ただ死ぬために生まれてきて、涙を流し苦痛にあえぐだけの存在であると知覚しているあなたは、次の言葉を聞いてください。
「私は、神ご自身の聖なる子である。
地上と天国においてすべての力が私に与えられています。私にできないことは何ひとつありません。」 それでも誤った知覚・歪んだ知覚に基づく映像は、流れつづけます。
地獄のシーンが繰り返し
スクリーンに上映されつづけます。
あなたは映画館の外に出ようと戦う必要はありません、上映をストップさせようと映画館の経営者にクレームを叫ぶ必要もありません。
映画館の外には、おだやかな平和、ただ真実の世界が存在していることを心の眼で見つめるだけでよいのです。
そのとき、奇跡が始まります。奇跡を目撃します。 相手を肉体と考えるのは失礼だ
どんなに幸せな人生を送ってようと肉体は老いて病気になり死ぬから
相手を肉体と考えて相手と接してたらそりゃ相手は怒るわな
こんなに失礼なことはないから
相手を永遠と考えて相手と接しないと ★【赦し方】★ {ズラ所長バ〜ジョン}
[ズラ所長] は本当はここにはいない。
もし私が
[ズラ所長] に罪があるとか、
[ズラ所長] が問題の原因だとか、考えるのなら、
そして
私が [ズラ所長] を作り上げたのが本当なら、
創造された罪や恐怖は私の中にあるはずだ。
しかし
神からの分離は決して起こっていないのだから
私は私と [ズラ所長] が本当はしなかったことについて、
私と [ズラ所長] の『両方』を赦す。
こうして
存在するのは無辜だけであり
私は平和のうちに聖霊と一つになる。
※( 'ω'o[ ]o内ズラ所長を自由に置き換えて赦したい人を赦してみましょう※ いったい
「誰が(何者が)」リリースするのか?
「何を」リリースするのだろうか?
もとより明らかなことが、丸裸に明らかにされる。
天国への帰還。 人間関係が悪い人は相手を肉体と考えているのだろう
肉体は老いて病気になって死ぬ劣等品だから
相手を肉体とみなすことは相手を劣等品とみなすことだからそりゃ相手は気分悪くするわな
相手を尊重するなら相手を永遠の存在とみなさないと >私は、神ご自身の聖なる子である…か
山にいれば仙人(聖人)、谷にいれば俗人
瞑想がうまくいった?時というか偶々、一瞥体験すると、例えば自分が光と同化するとか
体が一瞬消えて意識が拡大する感覚や、普段は感じることができない「平和」を感じたり
(臨死体験した人の多くが、こっちに戻りたくなかった、ってことを証言しているけど
この世界がいかに重たく苦しい世界(苦界)なのかってのがわかるね)
愛の体験であったり(短い間だけど生きとし生けるものすべてが愛おしくなるww)
もっと強烈なピーク体験、あれは長くは無理だわ、身体がもたない
山の中でなくても、静かな環境で集中すれば↑を経験できる
ただし、経験したい時に何か経験できるもんでもないけどね、何の前触れもなくやってくる
ただいつもよりも心が平和でいられるから、誰に対しても普段より寛容になれる >>349の最後の行は、山の中の寺で座禅でもすればってことね
谷というか俗世に戻ると…人がいっぱいいる所に戻ると
様々な電波がww飛び交っているよね、つまり人々の感情そのほとんどがネガティブに
属する、そしてその半分以上が悪意でね(怒り、敵意、不平不満、嫉妬、憎悪…)
人の足を引っ張り引きずり下ろすような念とかね、あと大きいのは欲望ね
様々な欲望が屯して絡まったり渦巻いたりしている、色欲、物欲、金欲、功名心
わたしはエンパス体質でさ、一時期は大変だった…
話している相手の口から出る言葉と、肚の辺りから出る言葉が重なって聴こえたり
そしてそのふたつが矛盾してたり、正反対の事言ってたり…人す間嫌いになるよww
ある方のお蔭でそれはなくなったけど、口で言うことと言葉が違うと波動が変わる
(顔の色が変わって見えることもある)
特殊な体質でなくても、敏感な人や他人に影響されやすい人は平和ではいられないわね まぁだけど、出家でもしない限りこの世の義務からは逃れられないんだよね
親であり、子であり、夫や妻であり、社会的な地位や立場もある
自分の生活や家族のために働かなきゃならないし
自分が「わたしという物語」の主人公ではなくて、脚本家だなんて言われたって
ピンと来ないしねww、どうせ脚本書くならもっとマシなストーリーにするわww
って思うわ、私の何が脚本を書いたんだろう?という疑問が湧いてくる >>348
自分のことを「この体」だと思えば、生きて人全部が身体としか見えないわww
当たり前田のクラッカーww 一時期出家を本気で考えたな、当時は普通の生活は無理だと思ってた、
今もあの状態だったら多分・・自殺してたろうな >>354
大変そーだな〜。その能力、夢から覚める為に使ってください。報告ヨロ。 この世の限界などものともせず
しかも自分自身を完全に記憶していながら
神と直接に触れ合った人々がいる。
これらの人々は師の中の師と呼ばれるだろう。
なぜなら、もはや彼らの姿を見ることはできないが
彼らのイメージはなお鮮明だからである。
そして彼らは自分たちが役立つと思ったときに
思ったところに現れるだろう。
彼らの現れに恐怖を感じる人々に、彼らは考えを授ける。
彼らに呼びかけて空しく終わるものは誰もいない。
また彼らの目にとまらない者も誰もいない。
神の使者 3ページ レッスン192
私には、神が私に全うさせようとする役目がある。
I have a function God would have me fill.
赦しは、神が創造したものではありません。天国に赦しはありません。しかし赦しは、この地でのあなたの役目です。
この地上でのあなたの役目は、人をただ赦すことだけです。人は、神に創造されたままの人なのですから。 厳しい修行というなら
まず教祖がギリギリ死なない全身骨折するようなビルから飛び降りて
自然治癒に任せて痛みに苦しまないと駄目じゃないの 厳しい修行をやるという夢を見たとして、それはだいたいの場合その夢のリアリティを強化することにしかならんのではないか?
その修行をやる理由はその世界の中で通用する何かを得るためだろう?それいわゆる煩悩ってやつだよね。 真実には不幸は存在しない
不幸を見えたり、感じたりするというのは幻想、蜃気楼を見ているのだろう 神が完全無欠の存在なら、神ご自身がこの世界をつくったなら、おかしい…
明らかにおかしい!、周囲を見てみ、善人が必ずしも幸せではないし
それどころか何も悪いことしてないのに不運としか言いようのない酷い目に遭うこともある
(図らずも犯罪や災害に巻き込まれてしまった人のことを考えてみよう)
あとさ…ここで愚痴っちゃうけど、10年i以上前…15年位前かな?
日本の企業がおかしくなるって思ってたんだよね
だって、会社のトップ(雇われ社長ね)を選ぶとき、「何でコイツやねん?」と
突っ込みを入れたいことが多々あった、能力×、人格×、…強いていえば世渡り上手な
だけで組織のトップに立ったら…苦しむのは下で働く人、そして組織に未来が
このザマだってこといっぱいある…誰のためにもならないような奴がなぜトップに?
高級取に?もらった分の仕事してんの??役所も多分そうなんだろうね
昨今の有様見てるとww 善人だから運が良い、能力があるから出世する、そうとは限らないよね
こいつは…ってな悪い奴が出世して利得を得て、そいつのせいで大勢が辛い思いをしている
悪運の強い悪党が高いびきかいている、それがこの世の現実
神が絶対善で完全無欠ならあり得ない話だよww無神論者が多いのも頷ける
(しかし面白いことに、ほとんどの人間が善なるものを信じているんだよね
その証拠にどの文化圏でも、アメリカでもインドでも(ハリウッドやボリウッド映画観る限りww)
勿論日本だって、善が悪を駆逐するストーリーが好まれる
悪党ややっつけられるシーンを見ると、胸がスキッとする
しかし現実は…勧善懲悪ではない、まったくない
この世界は神が創造した世界ではない、自我(エゴ)によってつくられた(ように見える)
幻想の世界だと考える方が納得がいく、・・・・・部分もあるw わたしらの内には全き心、神の愛と善を象徴する聖霊(キリスト)と
神に反旗を翻し、神にとって代わろうとした(この宇宙を創造した)ルシファー→サタンが
存在するんだよ、でもってこの世界は後者(サタン的な自我)によって創造されたんだよ
そして今、私たち指向すべきことは、聖霊へと「選択の主体」をシフトさせることなんだよ
って、心って言葉をどう扱ったらいいかわかんなくなったな
心っていうと分離の夢が始まる前の全き心と、私たちの自我の領域であるちっぽけな心と
言葉の定義難しいな 「起こるはずのないことが起ってしまった」こと以外、ACIMに論理矛盾はないように
見えるけど…わかんね、誰か詳しい方間違ってたら訂正して
ACIMの体系も概念の過ぎない、絶対的な真理ではないってことだよね?
(個人の感想ですw)巷のスピリチュアル界隈でよく言われるように
この世は魂(スピリット)の修行の場で、この世界のあらゆる苦難を乗り越えることで
魂が磨かれ、成長して、徐々に神に近づくという考え方もある
個人的には…正しくもあり、間違っているように思えるww
神道系の先生は、わたしたちは知性体の幼生で(トンボで言ったらヤゴに当たるのか?w)
体験を通して知ることを指向した魂だとおっさってた
この世界はスピリットが見ている悪夢だというストーリー、目覚めるために聖霊がいる…
魂の成長の場としてのこの世というストーリー、他にも色んな説明があるけど
どれも正しくて、どれもどこか間違っている(ような気がする)
というか人間の頭では理解しきれないのかもしれない、人間の頭なんて宇宙から比べりゃ
ちっぽけだよな、この頭にすべてが詰まっているとした凄いけどね
まだまだ未開発な領域があるらしいから
ちなみに、この世界が夢というか仮想現実であるってのは、量子力学的見方でも
できるらしい、つーか理系音痴のわたしには難しくてそっち方面は詳しくないんだけど
数学勉強しておくんだったぁああ数学出来る人尊敬する 実は既にゴールにいました
なので修行する必要なし
瞑想する必要なし
しかし
目覚める為の赦しの修行は必要
玉ねぎ皮むき修行w
芯が見えるまで。
眠ってるんだから、
目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ
って、
ものみの塔じゃないが唱えてみてもよいが
それじゃあ根本原因の罪悪感はそのまま残っちゃうから
やっぱ神分離は無かったと
神とのあいだの罪悪感を解消しないと
まずいんで
赦して聖霊に委ねるを何度も何度も何度も何度も繰り返す
そうするといつか素晴らしい神体験が!。w
目的は神体験!体験!って神の使者に書いてあったね。
素晴らしき神体験、エクスタシー笑w
さあ故郷を思い出そう!
我が家を、我が父の待つふるさとを。
来月はお盆だし里帰りw
里帰りできたらおもしろい、神の国に里帰り、やっぱ神の国って最高〜って笑 ◆レッスン193
すべてのものごとは、神が私に学ばせようとするレッスンである。
All things are lessons God would have me learn.
レッスンは、私が作り出した自分を傷つける思いに代えて、神が私に差し延べてくれる奇跡だ。
A lesson is a miracle which God offers to me, in place of thoughts I made that hurt me. >>366
そこがね〜正直疑問なところなよ
確かに瞑想しているとエゴの声が消失する瞬間があるのよ、
心が凪になり、深い平安が訪れる…その深さは時々で区々だし、恍惚感のような
強烈な体験をすることも稀にだけどある、思い込みって恐ろしいもので
フランク・キンズロー氏の本に出会うまでは(数年前彼のワークショップに参加したけど
日本に住んでいたことがあるだけに親日家で、抹茶大好きな愉快なおじさんだったw)
ヨガなんかでエネルギーの流れを良くして→呼吸法で意識レベルを下げて→長い集中…
禅でも作務(体を動かすこと)が大事とされる、瞑想にも実は体力がいるなと実感してた
あと食い物ね、あんまり脂っこい消化の悪いもん食うと集中力が持続しない…
だから体鍛えて、植物性中心の食事に変えて瞑想ばっかしてたことがあった
瞑想で色んな体験や感覚を覚えるけれど、ちょっとだけ心が穏やかになった程度だと
「今日はいまいち」思考の波が凪になると、深い平安を得られる「今日はうまくいった」
強烈な体験も何度かしている、細胞全体が歓喜に包まれる(言葉では表現しにくい)とか
体が消失したような感覚とか、でもそれって数秒〜数分の間しかもたない
慣れない経験に恐るから…キンズロー氏はそれらの感覚をユーフィーリングと呼んでいた
光のスペクトルのような色んな種類の気持ちの良い?感覚があり
心が軽くなる〜身体の不調が消えるまで色んな効果があるけれど、見かけの上の違いはあっても
それは皆「ユーフィーリング」という体験だと、どれが成功(上)でどれが失敗(下)という
こともない、それにほんの数分でユーフィーリングに入れる…スティルネス(静寂)にも
…わたしの思い込みは何だったんだ??長時間集中しないと入れないとか、瞑想体験に差があるとか
いや確かに感覚では強弱があり、波動が物凄く高くなったような気がする体験ってのが
あるのだが…それはみな同じだという捉え方が正しいと思った
あれだなACIMで、赦しなんてしてても目覚めんの?って疑問だったけど
瞑想しないと目覚めないという思い込みがあるのかもしれないな わたしがなぜACIMに惹かれるかというと、瞑想している間は自我が消失するけど
瞑想後も自我と離れることで(自意識から離れることで)客観視できるようになるとか
普段はあまり気がつかない事、意識の辺縁にある何かに気付けるし
体調が良くなるとか色々効能があるのだけれど…
日常生活に戻ればまた思考が復活する、自分が考える「今日の朝飯何にしよう」とか
こともあるけれど、観察してみ、頭の中?(心の場)に勝手に考えが浮かんで来るから
その考えに振り回されていることに気付いた、そして驚くことに他人の思念にも
影響を受けている(大嶋信頼氏の本にもあるよね)
というか、社会ってのは互いに影響を与えっている、みんな繋がっているんだなと
実感する出来事があった、ACIMにもあるよね?私の救いはみんなの救い?的な
ちょっと違うかもしれないがww一人が目覚めることで波及する何かがある
考えや感情ってのはどっから来るのかな?と辿っていくと、信念体系ってところへ辿りつく
わたしたちの無意識いや潜在意識に蓄えられている
集合意識のことでは人類共通、民族共通…多くの人と共有している部分がある
民族的信念、家族的信念、個人の経験から生じるもの、それがごちゃまぜにある
そして価値観(時代と共に変遷する)、ここがフィルターとなってそこを通して
人は物を見て考える、しかしこれを取っ払ったら?ってのがひとつと
あとはもっと根底に、ってこんな時間、続きは後日… 実は既にゴールにいました
なので修行する必要なし
瞑想する必要なし
しかし
金は稼がないとね。。。 実は既にゴールにいました
なので修行する必要なし
瞑想する必要なし
しかし
金は稼がないとね。。。
それが分かるまでに、
お金その他がいると思いこまされる状態が、
「宗教に洗脳されている」だね。 実は既にゴールにいました
なので修行する必要なし
瞑想する必要なし
しかし
金は稼がないとね。。。
それが分かるまでに、
お金その他がいると思いこまされる状態が、
「宗教に洗脳されている」だね。
ACIMは、「以前は自他の区別がない状態もあったんだろうね。
ま、この場の動きとしてはしょうがないよね。
と心の一部を思い出して、罪の意識を消す。」
それだけだね。 >>368
⚡聖なる一瞬のための支度は、
それを与えるお方におまかせすればいい。解放する役目をもっているお方に、
自分の身を委ねることである。
その方の役目を勝手に引き受けたりしないほうがいい。頼まれたことだけしてほしい、そうすれば自分の役目はいかに小さく、その方のはいかに大きいかが習えるかもしれない。
《自分は何もする必要はない》
⚡からだに無関心になる境地を目指して、生涯を瞑想に明け暮れたり、長い時間を黙想に費やしたりする必要はない。
そうした試みはすべて、目的が目的であるから、究極的には成功する。
しかしその手段は退屈なうえにかなりの時間を浪費することになる、それというのもそんな手段はどれもみな、
今の自分は目標に値しないし不完全だと思い、その状態から将来、解放されることを目指すためのものだからである。
★世界を赦したものには洞察力を受け取る権利がある!!
⚡光は来た。自分はこの世界を赦している。
あなたが赦したことで、あなたには洞察力を受け取る権利があるということを悟るがいい。
聖霊は決して、こころよく赦す者に見るという賜り物を与え損ねたりしないことを理解してほしい。聖霊はきっと与えてくれると信じることだ。
あなたはこの世界を赦している。あなたが今か今かと待っているとき、聖霊は一緒にいてくれる。聖霊は真の洞察力で見えることをあなたにも見せてくれる。
それこそ聖霊の御意志であり、あなたはその聖霊と結ばれている。根気よく聖霊を待ってほしい。きっと来てくれる。光は来た。あなたはこの世界を赦している。
聖霊を信用しているので、自分は失敗するはずはないと聖霊に伝えるがいい。そして、聖霊が約束してくれた世界を
見るようになれると確信して待つことにする、と自分自身に言い聞かせることだ。
この時点から先、あなたは違ったふうに見るようになる。今日、光は来た。だから、あなたは時間が始まったときから約束されている世界を見るようになるし、そこでは時間が終わると保証されている。
【奇跡の道 田中さん訳テキトー抜粋w】
>>369
jacim更新
良い動画公開してるから参考に。
http://www.jacim.com/jcm/?p=3824 >>373
今回の動画はわかりやすくていいね
ACIMのエッセンスが凝縮されてるかもしれない
「心の力を使う」ということ
https://www.youtube.com/watch?v=SwaVMSAB6vM ◆レッスン194
私は「未来」を神の手にゆだねる。 I place the future in the Hands of God.
今日のレッスンを受け入れるとき、あなたはあらゆる心配や地獄の落とし穴、絶望の闇、そして罪悪感がもたらす荒廃のすべてを通り過ぎたことになります。
あなたは、自由です。
世界に属さず、世界を照らす者でありなさい。 いつでも神の世界へ行けるのが奇跡講座だから
幻想を通過すればいいだけ
神の世界へ行けない理由は幻想に引っかかっているから 死んでも輪廻だってば
死ぬも生きるも関係ないんだよ
皮かぶりなの
包茎なの
皮はがして外に出なきゃだめなの みんな夢でありました 森田童子
https://www.youtube.com/watch?v=uiXDF4jcZXM
現世を必死になって生きている我々は、
ここに映し出された粋がってる学生たちと同様なのだろう。
この映像に映っている段階の世代の人たちにとっては、
今となっては懐かしくも気恥ずかしい青春時代なのかもしれない。
我々もまたいつか同じように、人として生きていた時代を振り返るかもしれないし、
あるいは、そんな時代は最初からなかったことになるのかもしれないね。 >>383
×→天安門事件なんね無かったよね?w
◯→天安門事件なんて無かったよね?w 自我から観ればガッデムなんだろうね。
つまり実際はその真逆ってこと。 ビッグバン以来のすべての幻想をスルーしちまえばいいんだね、つまるところ ああこっちもダチョウがいや駄長文が中途半端だった
後半も凄い長くなるし…どうすっかな >>372
>ACIMは、「以前は自他の区別がない状態もあったんだろうね。
>ま、この場の動きとしてはしょうがないよね。
まぁあれだ、究極のところへ行けばわたしたちはひとつ…なんだろうけどね
自我のレベルで自他の境界が曖昧になったら害悪しかないわw
しっかり境界線引いておかないと、これが中々難しいんだけど
「バンダリーズ」って本お勧め
それに私たちが目指すところって、みんなが同じになることじゃないような気がする
昔読んだ漫画であったな、主人公(女性)は馬が好きで、馬の一頭一頭は全部見分けがつくが
なぜか人間は見分けがつかない(全部へのへのもへじ顔に見えるw)
普通は逆だよね、馬関係の仕事してりゃ、自分が管理している馬(複数)の見分けはつくかも
しれないけど、普通の人が牛や馬の群れの個体を識別するのは無理、色いや柄の違いで
見分けることは可能でも顔で識別はほ無理
白人はアジア人が皆同じに見えるとか言うし、
遺伝的に進化するとどうなるか?アゴが細い顔になっていく…行き着く先は宇宙人グレイ??ww
魂的に進化すると個性を無くすのか?と思うでしょ、オウム信者なんてそうだったからね
その人の個性も意志も消えて、中身が麻原(麻原を食らった魔物ww)と同化してしまう
信者は皆似たり寄ったりの考え、行動パターンになっていく、恐ろしーww
覚者とか聖者呼ばれる人って皆個性的だよ、マハリシとクリシュナムルティとムージじゃ
全く違う、何が違うんだろう?何かが違う、言ってることの核(エッセンス)は同じでも
…個人的にはムージが好きだわww
どうも金太郎飴のように同じになっていくのではないような気がするんだよね
個人的にも ↑の最後の行は消し忘れ、って肝心のこと何書くのか忘れたw 魂は進化する過程で高度に個性化していく、そんな感じがする ハイ、ぶ〜っ!w
個性、進化、はエゴに分類されます。w ◆レッスン195
愛は私が感謝の内に歩む道である。 Love is the way I walk in gratitude.
愛はいかなる比較もしません。わたしたちは、生きとし生けるすべてのもの、すべての兄弟姉妹に感謝を捧げます。
病んだ者、弱い者、欠乏し怖がっている者、そして、見せかけの喪失に嘆き悲しみ、見せかけの苦痛を味わう者、見せかけの憎しみと破滅の道を歩む者たち、すべての兄弟姉妹と「共に」目覚めます。 今日一日を、この瞬間を、「共に」コースを学ぶ兄弟姉妹に感謝を捧げて歩みます。
先に行く兄弟姉妹に、コースを知らない兄弟姉妹に、コースを憎み攻撃する兄弟姉妹に、感謝を捧げ、「共に」歩みます。
I love you all . 夢を見ている自分に気づくことで、夢の中における自分の存在が際立つ(自分のことを夢の中で発見する)
それを個人的だと表現することはできるが、通常使われる個人的の意味とは異なる
夢を見ている時の自分の行動は、夢の中で自動的に進行する(だから普段とは違う行動もする)のだが
明晰夢であると気づいた瞬間に、自分のことを意識的に舵取りできるようになる こんなに物理法則で正確に規定されている世界が夢なわけがない 幽霊の話集めてると物理超えてるような話も出てくるから霊的世界はあると思う
ただ見えてるものが投影に過ぎないというのはいまいち信用できない
想像を超えたクズもいるし猛暑とかに怒りあるけどそれが何を投影してるのかわからん >>399
正確であるかどうかをどうやって確認したのか?
あるものが正確かどうかを調べるためにはそれ以上の正確さが測定する側に必要ではないか? >>400
例えば「想像を超えたクズ」の存在について延々とあなたに話す。「〇〇ってやつはあんなやつでこんなことやあんなことまでやってて・・・」という具合に。その後そこら辺の通行人を指さして「あれが〇〇だ」と言う。
その時にあなたがそれまでの全ての話を信用していたならば「想像を超えたクズは実在する。私は見た。確かにそいつは存在する。」という具合に観念化するだろう。
最初から全て嘘で、そんなやつ居なかったとしてもだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています