あたりまえですが、たった一度の坐禅で悟りが開けることもなければ、何かの答えを見出せたわけでもありません。

けれども、心静かに、ただただ坐禅に集中する行為が、いつか自分の中にある「何か」を変えるのかもしれないとは思います。

坐禅には、坐禅自体を「手段」とみる考え方と、坐禅自体を「目的」とみる考え方があるようです。

今回の坐禅でいえば、わたしは後者。目の前の坐禅に集中する。坐禅自体が目的としての坐禅でした。