【柔軟に】水の哲学【無限に】
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Don’t think, feel!
考えるな、感じるんだ!
時にはカクテルを飲みながら、
時には音楽を聴きながら
語りあいましょう(V)∧¥∧(V) 今日は、蛇拳の使い手とスパーリングしました。
いい汗かきました。 武士道の歴史において闘う者の“心の道”は、
「変化」と「復活」を繰り返しながら、
「創造」の原動力である新たな可能性を広げることを指します。
闘う者が目指す究極は「公正・正義のため」である。 物理的であれ、なんであれ
いつも自分のやることを制限してしまうと
それはあなたの行動、人生にも広がってしまう。
限界などない、停滞期があるだけだ
そこに留まってはいけない。 <三つの鍵>
シンプルさ。直接性。自由。
武道家は2つの問いかけをする必要がある。
1、自分が何をしたいのか。
2、何が最速で、もっとも効率的かつ効果的に目的を達成できるか。 全ての武道とは、
川下に流れていく水のようであるべきで、
決してよどんではいけない。
それは変化する事が目的ではなく、
進歩する事が目的なのである。 プロレスラー橋本真也が亡くなった時、お通夜に駆けつけた佐々木健介の話
橋本の亡きがらの目から水見たいのが少し流れたという
「健ちゃんが来てくれたから嬉しかったのよ」と橋本の元奥さんが言っていたらしい
健介は橋本とはけんか別れしたまま和解できなかったのが心残りだったらしい
「こういう事もあるのね」と親戚の方が言っていたそうな
なんか、いい話です 2018年7月11日11時32分 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL7C30Z2L7CUTIL003.html?iref=sp_new_news_list_n
警視庁は、朝日新聞販売所(ASA)矢向の元アルバイト従業員で無職の船木俊輔容疑者(37)=住所不定=を銃刀法違反(加重所持)の疑いで、
指定暴力団住吉会系組員の赤池浩容疑者(41)=奈良県橿原市=を同(営利目的譲渡)容疑で逮捕し、
11日発表した。船木容疑者は容疑を認め、赤池容疑者は否認しているという。 微かな光を灯すだけで、闇は消えてしまいます。
同じように、ちょっとしたポジティブな言葉にも、人を救う力があります。 明治から昭和にかけて生きた中村天風
中村 天風(なかむら てんぷう)
(1876年7月30日〜1968年12月1日)
日本初のヨーガ行者。心身統一法を広めた。
30歳にして、結核を発病。
33歳の時、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、アメリカへ。
日本への帰国の途上、
カイロにてヨーガの聖人に弟子入りし、
ヒマラヤで2年半修行。
また、中国で孫文に「中華民国最高顧問」として協力。
帰国後、東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。 波乱万丈の人生を経て経済界で成功します。
しかし、その後、突然財産を処分し「天風会」創立。
後進の育成に取り掛かります。
この「天風会」には、政財界の実力者が数多く入会したそうです。 キーワードは“笑顔”
天風哲学の基本は“笑顔”です。
悲しい時、つらい時、そんなときは無理にでも笑顔をつくってみよう、
そうすれば自然と楽しくなってくるからーというのが、
天風哲学の根本にあります。 やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらない。 結局、思えば思うほど楽しい、考えれば考えるほど嬉しい、
ということだけを心の中の絵巻物の中に、はっきり、
しょっちゅう消えない形で書きどおしに書いて人生に生きることこそ、
人生極楽の秘訣だぜ、これ。 船に乗っても、
もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、
船のことばかり考えていたら、
船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。
人生もまたしかりだよ。 もっともっと、人生を楽しまなければもったいないですよ。
生き方ひとつで楽園になるんだから。 儒教は
楽観的な人間至上主義であり、
中国で社会に多大な影響を与えた宗教です。
この宗教の起源は、
キリストの約500年前に生まれた孔子と言う人まで遡ります。
儒教は道徳的行動と生活についての教えであり、
宗教というよりも道徳観と捉えられる事もしばしばあります。
儒教は天国ではなく地上生涯を重んじる宗教です。
徳とは個人にとっても、社会にとっても素晴らしいものなので、
儒教の道徳は素晴らしいものです。
しかしながら、
孔子が教えた道徳観とは自分の力で実現しようとするものであり、
神に頼るところが全くありませんでした。
孔子は人は自らの徳に頼り、努力をする事によって自らの生活と社会を改善できる力を持っていると教えました。
しかし、キリスト教の聖書の教えは正反対の事を教えています。
人間は自らの失敗を帳消しにする事ができないだけでなく、
自分で神を喜ばせたり、天国にいく事はできないと聖書は教えます。 人間関係を良くするには
悪に報いるには正義をもってし、善に報いるには善をもってせよ。
その人を知らざれば、その友を見よ。
自分自身に対する誠実さと他人に対する優しさ、すべてはこの二つに包括される。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
君子は平安でのびのびしているが、小人はいつでもくよくよしている。 学業や仕事で成功するには
止まりさえしなければ、どんなにゆっくりでも進めばよい。
一を以て之を貫く。
好きなことを仕事にすれば、一生働かなくてすむ。
己達せんと欲して人を達せしむ。
物事を迅速にしたいと、望んではならない。小さな利点に目をとめてはならない。
物事を早く行うことばかり望むと、十分になすことができない。小さな利点にとらわれると、大きな仕事が達成できない。 徳ある人を見たら、その人に並ぶことをめざせ。
徳なき人を見たら、我が身を振り返り、自省せよ。 何事も楽しんでやりなさい。
楽しんでやることで、思わぬ力が発揮されるものなのだ。
人間は逆境において人間の真価を試される。人生の達人は逆境を楽しみ、順境もまた楽しむのです。
朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり
人の本性はみなほとんど同じである。違いが生じるのはそれぞれの習慣によってである。 たとえ
どぶの中で死んでもなお、
前向きで死んでいたい…。
それが男だ!! 「惑星を破壊する力も、
フォースが持つ力の比ではない!」
ダース・ベイダー フォース(The Force)は、
銀河系のあらゆる生命を繋ぐエネルギー場である。
フォースの感応能力を持つ者はフォースの力を使うことが出来た。 フォースは“生けるフォース”と“宇宙のフォース”という2つの要素から成っていた。
あらゆる生き物が持つ生けるフォースのエネルギーは、宇宙のフォースの中へと流れ込んで全てを結びつけた。
フォースを研究・使用する代表的な組織として、
フォースのライトサイドを信奉するジェダイ・オーダーと、
フォースのダークサイドを信奉するシスが挙げられる。
フォース=センシティブ(フォースの感応能力を持つ者)は、一度に多くの生命が失われた時などにフォースの乱れを感じることがあった。 フォース使用者は、フォースによって多くの能力を使うことが出来た。
例えば攻撃者の接近を感知したり、
物体を押し飛ばしたり、
他者の思考に影響を与えたり(マインド・トリック)、
未来の予見、
フォースの霊体となって死後にも意識を保つ術も可能となった。
ダークサイドの使用者はフォースで相手の首を絞めたり、指先からライトニングを放つ技も使用した。
ジェダイは若き訓練生たちに、フォースは防衛や説得、知恵、物質操作、優れた身体能力の発揮といった多くの用途に使用することが可能だと教えていた。 ジェダイとシスの分裂の結果、フォースにはふたつの哲学が生まれた。
ジェダイに象徴される防御と献身の姿勢はフォースのライトサイド、
シスに象徴される暴力的かつ感情的な姿勢はフォースのダークサイドとみなされていた。 嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)は、中国の河南省鄭州市登封にある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺院である。
インドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地と伝えられ、
中国禅の名刹である。
また少林武術の中心地としても世界的に有名。 伝説によれば、
インド仏教第28祖で中国禅の初祖となる達磨が壁に向かって9年間座禅していたところに、
二祖慧可が訪ねて達磨の教えを求めたという。
これにより、中国で禅の教えが広まったと伝えられる。 元代初期、世祖クビライは曹洞宗の五十二世雪庭福裕禅師を嵩山少林寺の住持に任じた。
雪庭福裕は戦乱で破壊された嵩山一帯の仏教寺院を修復するとともに曹洞禅の教勢を張った。
それ以降、華北地方の曹洞宗の大きな拠点となっている。 嵩山少林寺南北武術院では
曹洞宗正宗第34代功夫伝人のもとに、
少林寺入門基本功、仏門禅学、少林寺気功、柔骨功、少林寺五行拳、少林寺八段錦、少林寺易筋経十二段錦、十八般兵器
などが教練されている。 日本の武道でも「心・技・体」という言葉があり、よく道場でも掲げております。
この3つのことが武道家としての大切なものであることは、一目瞭然ですが、それぞれの関係性はどんなことでしょうか?
心と技(術)のつながりについて、根本的な解明や一流の技、
また訓練の結果(答え)については『気』のことを理解していなければ、
その説明は困難となるでしょう。 それについては「気」の重要性を理解しなければなりませんが、たとえば少林寺の「六合理論」から説明いたしましょう。
これは内側の3つが合うこと(内三合)、
そして外側の3つが合うこと(外三合)の理論のことですが、
外三合とは、人間の@手と足、A肘と膝、B肩と股関節をそれぞれ合わせることです。
内三合とは、@心と意、A意と気、B気と力をそれぞれ合わせるということです。
これらが合わされば、心と技、そして体が全部つながります。
そのためには訓練が必要ですが、
「気」のことが理解できれば(今述べてきたのは武道のことですが)、
実は日常生活の中にも、もっとあるのです。 最近、話題になっています「マインドフルネス」について、この根本となるものは、
私たちが教える「少林寺気功」が一番その実践の方法としてふさわしく、誰にでも行える技術であります。
“今のことに集中する”ということを、本当にあなた(実践者)は集中して行えているでしょうか?
仕事をしながら・・・など、何かしながら集中するというのは、言葉では簡単ですが、本当にそれは可能だと思いますか? 実際に可能だと言えるものは、瞑想(座禅)以外にはないでしょう。
特に少林寺気功の動功は、
呼吸と動作を合わせて、そして意識についても呼吸と動作を合わせて行えば、
あなた(実践者)の意識(意念)は、まるでマインドフルネスが与える効果と同じ状態と言えます。
「気」の訓練をして高めていけば、心も体も様々な技とつながり、仕事や家庭の面、さらに人生の面などすべてにつながるのです。
プロのような練習を短時間にも係わらず、効果として表れるのは「少林寺気功」ではないかと思います。 プロレスラーの蝶野正洋(54)と落語家の桂吉弥(47)が13日、MBSの生番組「ちちんぷいぷい」で、甚大な被害を出した西日本での豪雨のさなかに開かれた“赤坂自民亭”に苦言を呈した。
自民党国会議員の定期的な懇親会“赤坂自民亭”は今月5日に開かれ、安倍晋三首相、小野寺五典防衛相、上川陽子法相、西村康稔官房副長官、
自民党の竹下亘総務会長、岸田文雄政調会長らが出席。この日は日中、気象庁が緊急会見を開き、京都市では既に避難指示が出ていた。
「各選挙区から出てんのに、その情報が上がってないというか、そこに気がつかないというのがおかしいと思います。
結局、僕らのことを考えてくれてないんやっていう印象になんのは仕方ないと思います」と、情報収集能力や感度の鈍さを批判。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-00000087-dal-ent タレントのジミー大西が14日放送の読売テレビ「特盛!よしもと」に出演し、過去に警察官に職務質問された際の一部始終を明かした。
ある暑い日、バスを乗り越したために大阪の淀川沿いを「フラフラ歩いていた」というジミー。
警察官から「何かやってるんちゃいますか?」と質問され「『ううん…』て言うて」と否定したという。
これに、他の芸人パネリスト陣が反応。
ほんこんが「(ジミーのギャグの)『やってる!やってる!』って言わへんかったん?その時に言わな!おもろないな!」とツッコみ「何かやってるんですか?」と、警察官のノリでジミーに質問。
するとジミーは「やってる!やってる!」と応じ、スタジオは「即逮捕!」と大ウケだった。
結局、ジミーは警察官に「熱中症で暑くて脱水症状で『(パトカーで)運んでください』と」と懇願。
すると「『セブン−イレブンまで運びますわ』ってなって、運んでくれた」と、パトカーで最寄りのコンビニエンスストアに“連行”してくれたという。
https://www.daily.co.jp/gossip/2018/07/14/0011445082.shtml いかりや長介
(いかりや ちょうすけ)
1931年11月1日 - 2004年3月20日
日本のコメディアン、俳優、ベーシスト、タレント。
「ザ・ドリフターズ」(バンド、後にコントグループ)の3代目リーダー。
本名:碇矢 長一(いかりや ちょういち)。
愛称は「長さん」。
ドリフ時代初期は芸名をいかり矢 長介(読み同じ)としていた。
ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。 8時だョ! 全員集合
1969年10月4日から1985年9月28日に、TBS系列で毎週土曜日の20:00 - 20:54(JST)に放送されたザ・ドリフターズ主演の国民的人気バラエティ番組である。
常に日本のバラエティ番組を代表する存在であったのはもちろんのこと、記録にも記憶にも残る伝説の番組として現在も語り継がれている。
出典 wikipedia 「オイーッス!」
「8時だヨ!全員集合」のコントが始まる前に、いかりや長介が観客に呼びかけるときのあいさつ
「オイス」
会場も大きな声で
「オイーッス」
と返す。
この会場の声が小さいと
「声が小さい
もう1回いってみよー!」
「オーイス!」
となります。 突いて、突いて、押して、押して、払って、払って、最後に斬る。
「8時だヨ!全員集合」の剣術コントでのいかりや長介のセリフ。
リズムに合わせて斬るふりをする。 「だめだこりゃ」
「ドリフ大爆笑」のもしものコーナーでの、いかりや長介の最後のセリフ。
志村けん、加藤茶、仲本工事、高木ブーといったメンバーと絡みつつショートタイムのコントにチョーさん自ら出演。
そして最後に
「ダメだこりゃ」 「次いってみよー!」
「8時だヨ!全員集合」で、次のコントに移るときのいかりや長介のセリフ。 「さあ後半まいりましょう、後半しゅっぱ〜つ!」
番組後半のコント開始時の決まり文句。 「夜分ですので、お気をつけてお帰り下さい。
また、お目にかかれることを楽しみにしています。」
「8時だョ!全員集合」の最終回。
全員集合の放送が終ると、長さんからゲストへ挨拶があり、ゲストから会場へ挨拶、緞帳が下りて、汗だくのドリフターズが緞帳の前へ、最後に長さんからのお礼の挨拶・・・ 「ゴリラのようなたくましい動物に例えられて、非常に光栄」
ドリフ時代は、「ゴリラ」や「下唇が長い」などと散々な言われようだったが、最晩年期には、貫禄のあるファッションに様変わりした。
ゴリラと評されることについて、いかりやは『知ってるつもり!?』(日本テレビ)にて発言。 ※この手紙の真偽は謎です。
志村へ
この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。
まず、俺の芸能人生を解明するために、DVDを買うようお願いしたい。
以下に、コントについての愚見を述べる。
コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。
その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。 これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。
俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、俺のネタを研究した後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。
リーダーは活ける師なり。
なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。 「見た目だよ」
晩年、ドリフメンバー高木ブーと飲んだときに高木ブーが聞いてみた
「何で、オレをドリフターズに誘ったの?」って。すると一言
「見た目だよ」 「踊る大走査線」和久平八郎役
和久 平八郎(わく へいはちろう)は、1997年1月 - 3月にフジテレビ系で放送された刑事ドラマ『踊る大捜査線』及びその劇場版の登場人物。
演じた俳優はいかりや長介。 名セリフ集
「疲れるほど働くな、次がある」
「正しいことをしたかったら偉くなれ」
「ご苦労様な毎日だよ」
「この仕事は憎み合いじゃない、助け合いなんだ」
「正義なんて言葉は口に出すな。
死ぬまでな…心に秘めておけ。」
「もう、てめぇの命令なんか聞けるか!
俺たち下っ端はなぁ、
あんたが大理石の階段を上っている間、地べた這いずり回ってんだ。
文句も言わず命令どおりになぁ!
これ以上若いもんを傷つけないでくれ・・・」 「・・・なんてな。」
かっこいい台詞を言った後に照れ隠しで付け加える。 「碇矢長一とザ・ドリフターズ」がコミックバンドとして人気を博すも、
主要メンバーが脱退して窮地に立たされたいかりやさんは、
残留した加藤茶さんとともに新たなメンバー探しに奔走されると、
「クレージーウェスト」の元同僚であった、
仲本工事さん、荒井注さん、高木ブーさんを誘い、
1964年、新生「ザ・ドリフターズ」を再結成。
その後、営業に走り回る日々を送られると、
徐々にテレビ番組への出演も増加。
すると、いかりやさんは、コミックバンドというよりも、
ますます、ドタバタコントに傾倒していったのでした。 そして、1969年には、
「ザ・ドリフターズ」主演のバラエティ番組
「8時だョ!全員集合」がスタートするのですが、
放送当初は、クイズやミニコーナーがメインのバラエティで、
裏番組「コント55号の世界は笑う」にはかなわず、
視聴率が伸び悩んだことから、コントでテコ入れを図ることに。
すると、いかりやさんの、
「やるなら、徹底した本物志向で、世界観を作り上げなきゃ」
との強い主張があり、
セットなどで多額の予算がかかるにもかかわらず、
その意見をプロデューサーが通してくれたそうで、
「ザ・ドリフターズ」は本格的に、
コントに挑むこととなったのでした。 実際、いかりやさんは、納得がいくまで
何度もリハーサルを繰り返していたそうで、
メンバーの仲本さんは、当時を振り返り、
「生放送だから失敗が絶対にできないのはもちろんだけど、
アドリブも一切ダメ。だから稽古の時点で、
完璧な状態になるまで練習をする必要があったんだ。
筋書き通りに進めないと、カメラマンもどこを映したらいいか、
分からなくて困るから。すべて計算。計算されてない笑いは無かったよ。
それを作ってたのがいかりや(長介)さんだから、
いかりやさんの才能はスゴイよね。」
と、明かされています。 また、いかりやさんは、5人それぞれの個性を活かすべく、
演出もすべてひとりで行っていたそうで、
そのせいか、上下関係がとても厳しく、
メンバー全員、いかりやさんには絶対服従。
打ち合わせの時は、いかりやさんが、
ベースとなるアイディアを思いつくまで、
メンバー、スタッフ全員が、シーンとした状況の中、
待っておられたそうです。 しかし、1974年、そんなワンマンないかりやさんに、
嫌気が差した荒井注さんが脱退。
ただ、その後、いかりやさんの付き人をしていた、
志村けんさんが加入すると、当初は、なかなか、
ウケなかった志村さんですが、
ある時、いかりやさんが、志村さんを、
「いなかもの」と馬鹿にしたことがきっかけで、
志村さんが「東村山音頭」
(志村さんの故郷で、東京都東村山市のご当地ソング)
を歌うと、これが観客に大ウケ。 このことから、志村さんは、一躍人気者となって、
ドリフになくてはならない存在となり、
ヒゲダンス、最初はグー、早口言葉などで、
次々と観客を沸かせるようになります。 そんな「8時だョ!全員集合」も、
時代の流れとともに視聴率が低下していき、
1985年に放送が終了すると、
いかりやさんは、
その後、俳優としての活動を開始。
1987年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」をはじめ、
火曜サスペンスや月曜ドラマスペシャルなどの、
2時間ドラマを中心に出演されると、
1997年「踊る大捜査線」での、
主人公の青島俊作巡査部長(織田裕二さん)を指導する、
叩き上げの老刑事、和久平八郎役が、
その渋い演技ではまり役となり、
1999年「踊る大捜査線 THE MOVIE」では、
「日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞」を受賞。
俳優としても、見事、才能を開花されたのでした。 こうして、「8時だョ!全員集合」を知らない、
若い世代にも広く知られるようになったいかりやさんでしたが、
2003年5月末に「原発不明頚部リンパ節がん」
が見つかると、出演予定だったテレビドラマ、
「高原へいらっしゃい」を降板し緊急入院。
(原発不明とは、出処がどこか分からないこと。)
ただ、入院中に放射線治療などをされ、
経過良好ということで、同年7月17日に一旦退院され、
翌々日の19日には、
「踊る大捜査線 THE MOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ!」
の、映画舞台挨拶に参加。
8月6日には、
「SMAP×SMAP」コーナー「BISTRO SMAP」
のゲスト出演での収録をされ、仕事復帰されたのですが・・・ 実は、7月17日の退院直後に、
担当医からご家族には、
「余命はもって数ヶ月」
と宣告されていたそうで、(ご本人には内緒)
その後、2004年3月15日、
再び、体調悪化により都内の病院に入院されると、
「原発不明頚部リンパ節がん」の転移のため、
3月20日、72歳で他界されたのでした。 3月24日に行われた葬儀では、
「ザ・ドリフターズ」のメンバーをはじめ、
芸能関係者約800人が弔問に訪れたほか、
1万人ものファンが記帳に訪れ、
出棺の際には、ファンから、
いかりやさんの持ちネタである、
「オイッス!」
と、声がかけられたり、
「和久さん、お疲れさま!」
と、、「踊る大捜査線」でいかりやさんが演じた、
和久平八郎の名前を呼びながら、敬礼するファンも見られたそうで、
いかりやさんが、いかに多くの人びとから、
慕われていたかが分かる葬儀となっています。 加藤茶さんの弔辞
長さん・・・。随分急いで向こうに行っちゃったんだね。
あんた、最後の最後に嘘ついたよなぁ。
去年の12月に「大爆笑」のオープニング撮るときに久しぶりに会って、
「40周年の記念で「全員集合」と「大爆笑」、この2本撮りたいね」って。
長さん「いいね」って、「やろうよ」って、そう言ったよね。
うちのメンバー4人もその気になってたんだよね。
だけどその約束を守れないうちに逝っちゃったね。
40年間一生懸命、一生懸命走ってきて絶対に妥協を許さない長さんだったよな。でも40年間本当に気を抜かないで一生懸命やってきたんだと思う。
本当にご苦労さん。これから俺たち4人でドリフターズまだやっていくよ。あんたが残した、財産だからね。
荒井注さんが亡くなった時、長さん言ってたよな。
「俺も、もうじきそっちに行くから、一緒に酒飲もう」って。
本当にそんな日が来てしまったな。でもちょっと早すぎたんじゃないか?
もう少し我慢してほしかったな。
まぁ2人してつもる話もあるだろうけど、あまり深酒しないように。
それから、いきなりそっちから「全員集合!」と言われても、
俺たち4人は集まれないからね。
たぶんそのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、
その時はやっぱりまた向こうでコントをやろうよ。
40年間本当にありがとう。そしてご苦労さんでした。
何も心配なくゆっくり休んでちょうだい。さよなら。 ドリフが流行らせた言葉一覧
オイッスー
いかりや長介の言葉、観客に呼びかけるときの挨拶。これを言うと、子供達が全力で「オイッスー」と返す。
ダメだこりゃ
いかりや長介の言葉。コントのボケで収集つかなくなった時に使う言葉。
メガホンどつき
いかりや長介が、メンバーをツッコむ時に、メガホンで叩くこと。
理由は、大きな音を出してお客さんに分かりやすくするため。
ちょっとだけよ〜
加藤茶の言葉。
「タブー」の曲に合わせてストリップショーのように踊り、「ちょっとだけよ」というネタ。
歯磨けよ、宿題やったか?
加藤茶の言葉。「8時だヨ!全員集合」のエンディングテーマ曲の合いの手。
最初はグー
正式なフレーズは「最初はグー、またまたグー、いかりや長介頭はパー、正義は勝つ。じゃんけんぽん。」
加トちゃん、ペッ!
加藤茶の言葉。人差し指と中指の2本指を鼻の下に押さえていうギャク。
イックシ(ひっきしっ!)
加藤茶の言葉。くしゃみ風のギャク。
タライ落とし
「イックシ」とくしゃみすると、その直後に頭上から金だらいが直撃するお約束。 ヒゲダンス
つけ髭を着けた加藤茶と志村けんが、軽快な音楽に合わせてコミカルなダンスをしながらのコント。
カラスなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょ?
志村けんの言葉。童謡「七つの子」の替え歌。本来は「烏なぜ啼くの 烏は山に〜」
PTAからの苦情が凄かったそうです。(笑)
東村山音頭
元々あった「東村山音頭」を志村けんがアレンジカバーし、東村山市の知名度を高めた。
雷様(椅子ずっこけ)
いかりや長介、仲本工事、高木ブー扮する雷様が長椅子に座り、最後、いかりや長介と仲本工事が立ち去って、高木ブーがバランスをくずして椅子からずっこけるというお約束。
志村うしろうしろ
コント中、志村けんのうしろから危険が迫っていることを、観客が教えようと、「志村うしろうしろ!」と叫んでいた。
酔ったおじさん「オエー」
これは、調べがつかなかったのですが、おそらく、酔って吐くことを「オエー」と最初に表現したのではないでしょうか。 403 A吉 ◆lUqZLxZESI [sage] 2018/07/12(木) 20:59:00.99 ID:25wAPCx1
ドリフ×植木等
https://youtu.be/bBCMNTj7AW8 『夏の海』
中原中也
耀(かがや)く浪(なみ)の美しさ
空は静かに慈(いつく)しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。
心の喘(あえ)ぎしずめとや
浪はやさしく打寄(うちよ)する、
古き悲しみ洗えとや
浪は金色、打寄する。
そは和やかに穏やかに
昔に聴きし声なるか、
あまりに近く響くなる
この物云(い)わぬ風景は、
見守りつつは死にゆきし
父の眼(まなこ)とおもわるる
忘れいたりしその眼
今しは見出(みい)で、なつかしき。
耀く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。 詩心とは、
世界と人を愛する気持ち。
「詩を作るより、田を作れ」という思想は、根本的には政治主義に根ざしたものである。
それは「役に立つ」ということを第一義に考えた処世訓であって
「詩なんかなくても生きることはできるが、田がなければ生きることはできない。だから、どうせやるなら自他ともに役立つところの、田を作る方に打ちこむべきだ」
といったほどの意味である。
勿論、ここでいわれる「田を作る」ということは比喩であって、「目に見えた効果、社会的に有効な仕事」といったことを指しているのであろう。
しかし、人間は、
生産性ばかりを追い求めるようになれば、
柔軟な思考も、自由な発想も、失われていく。
世界を謳う心こそが、
人間と社会に真の開放と成長をもたらすのではないだろうか。 明るい方へ
金子みすず
明るい方へ
明るい方へ。
一つの葉でも
陽のもるとこへ。
やぶかげの草は。
明るい方へ
明るい方へ。
はねはこげよと
灯のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るい方へ
明るい方へ。
一分もひろく
日のさすとこへ。
都会(まち)に住む子らは。 このみち
金子みすず
このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎(えのき)よ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
はす池のかえろうよ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうなかかしよ、
このみちを行こうよ。
このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。 金子 みすゞ(かねこ みすず)
1903年(明治36年)4月11日〜1930年(昭和5年)3月10日
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。
本名、金子テル(かねこテル)。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。
1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、
西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。 いい詩には、
ひとの心を解き放ってくれる力があります。
また、
生きとし生けるものへの
いとおしみの感情を
やさしく誘いだしてもくれます。
すぐれた詩は、
時代を経ても人の心をうつものです。
言葉が奏でる情感は、
素朴さゆえに強く我々の心にしみいります。
人生に迷う時、
困難に立ち向かう時、
夢をあきらめかけた時、
我々の先達が残してくれた珠玉の言葉は、
大きな力を与えてくれるでしょう。 道程
高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のために
この遠い道程のために 旅上
萩原朔太郎
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。 一個の人間
武者小路実篤
自分は一個の人間でありたい。
誰にも利用されない
誰にも頭を下げない
一個の人間でありたい。
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかわり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい。
自分の最も深い泉から
最も新鮮な
生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい。
誰もが見て
これでこそ人間だと思う
一個の人間でありたい。
一個の人間は
一個の人間でいいのではないか
一個の人間
独立人同志が
愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。
それは実に美しいことだ。
だが他人を利用して得をしようとするものは、いかに醜いか。
その醜さを本当に知るものが一個の人間。 ジャー ____
∧___∧ /__ o、 |、
(о´∀`о)ノ .ii | ・ \ノ
( o.c口| ・ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あ、キミもコーヒー飲む?
____
∧___∧ /__ o、 |、
(о´∀`о) | ・ \ノ
( oc口o | ・ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 安倍と戦って今の人智学がある
安倍と戦ってきたから今のシュタイナースレがある
今までもこれからも変わることはない
安倍を叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!
ウィーアー人智学!
ウィーアーシュタイナー!! 人間は遊びが好きです。
子どもの時には、ごっこ遊びをしたり、テレビゲームをしたりして日常の大半を過ごします。
大人になってもスポーツをしたり、賭け事をしたりします。
遊びは人生の中で欠かせないものであり、生活に潤いをもたらします。 このように生活に密着した遊びであるが、
いざ遊びとは何かと問われると、
とたんに言葉に窮します。
遊びほど、実践と思考に断絶のある活動は無いのではなかろうか。
ロジェ・カイヨワ著『遊びと人間』は遊びの本質を追究した哲学書です。 カイヨワは、遊びの基本的な定義を
次の通り記述しています。
「自由な活動」
すなわち、遊戯が強制されないこと。
むしろ強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。
「隔離された活動」
すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。
「未確定な活動」
すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。
創意の工夫があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。
「非生産的活動」
すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。
遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。
「規則のある活動」
すなわち、約束ごとに従う活動。
この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。
「虚構の活動」
すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。 カイヨワは、以上の定義から逸脱した遊びは「堕落した遊び」であり、本来的な遊びではないと否定している。
例えば、体育の授業で行われるスポーツもパチプロも、彼らの考えからすれば逸脱した遊びであり、批判されるべきものだろう。
体育の授業は強制されたものであるから「自由な活動」ではなく、
パチプロはパチンコをすることで生計を立てているので「非生産的活動」から外れるからである。 カイヨワは、以上のように遊びを定義したが、これだけでは遊びの内容を説明することはできないと考えた。
まさに自分が遊びをする最中に感じる「楽しさ」を端的に言い表すには、どういう定義を行えばいいのか。
カイヨワは、遊びの「パイディア(Pidia)」と「ルドゥス(Ludus)」という用語を発明することで、
遊びの本質を言い表した。 パイディア(Pidia)
即興と歓喜の間にある、規則から自由になろうとする原初的な力。
ルドゥス(Ludus)
恣意的だが強制的でことさら窮屈な規約に従わせる力。 カイヨワは、
このパイディアとルドゥスという2つの力を極として位置付けられた活動が遊びであるとした。
つまり、遊びとは自由奔放でありながら何か見えない規則に縛られている、一見矛盾した行動であるとカイヨワは位置付けたのである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています