【柔軟に】水の哲学【無限に】
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Don’t think, feel!
考えるな、感じるんだ!
時にはカクテルを飲みながら、
時には音楽を聴きながら
語りあいましょう(V)∧¥∧(V) >>413
>>415
そちらは、荒らししかいないので、ここでやります。 シュタイナー人智学の実践とは、
他者との正の関係性を構築し、負の関係性を減少させることです。
関係性の作用こそが最も大切です。
関係性は二種類あります。
正[陽]の関係性と負[陰]の関係性です。
正[陽]の関係性の感情は(愛、信頼、好き、喜び、楽しい、笑い 等)です。
負[陰]の関係性の感情は(怒り、憎しみ、悲しみ、妬み、嫉み、恨み 等)です。
正の感情は正のエネルギー[陽気]を生み、負の感情は負のエネルギー[陰気]を生みます。 病は身心に陰気が溜まった状態です。
陰気による身心が病んだ状態だから[病気]なのです。
身心に陽気を蓄え元に戻ると[元気]となります。
エネルギー[気]は人と人との関係性の中で循環します。
つまり感情から生まれた陽気と陰気が関係性により身心に作用しているのです。
人間関係でストレスが溜まると病気になるのはこの作用によるものと考えます。 それを可能と成らしめる魔法の言葉。
その言葉とは「ありがとう」です。
掃除の後に「ありがとう」、
炊事をしなから「ありがとう」、
洗濯物を畳んで「ありがとう」、
すれ違い際に「ありがとう」、
挨拶がわりに「ありがとう」。
先ず、負の関係性の感情を自らが赦す気持ち、感謝する気持ちに換えてしまうのです。
感謝の気持ちを「ありがとう」と唱え続ける。
→関係性中で正のエネルギー「陽気」が生まれる。
→負のエネルギー「陰気」を減少させる
→感謝の気持ちが増す。
→「ありがとう」と唱える。
→このスパイラル効果により、負の関係性の支配からの解放へ繋がる。
→正の関係性が構築される。 それらを可能にするのは、「慈悲」です。
「慈悲」は仏教でも学べます。
「般若心経の実践」でもあります。
考えて(考えるなではない)、感じて、その先にあるものを観る。 シュタイナー人智学の実践は、仏教でもできるということです。
人生は、いいとこ取りでいいのだ。 自分らしく生きるために、
本質を見極められる「自由な」精神、
どんなことがあってもぶれない「自立した」精神を身につける。
自分をさらに深め、まわりの世界を、愛をもって理解する。
生活に根差した人智学をこころがける。
自然や星々に畏敬の念を持ちつつ
大地に向き合うことにも
何か未来的意味があると考える。 >>424
仏教を語っても大丈夫ですよ。
前スレは、般若心経・実践篇でしたから。
実生活に役立つものなら、宗教でも、哲学でも、その他学問でもOKです。 まだ、間に合う!
くびれ作りエクササイズを行う事で、
ぽっこりお腹やはみ出たお肉からサヨナラする事が可能です。
そもそも、エクササイズというのは、運動の総称として使われる言葉ですので、
くびれ作りをする運動という意味になります。
くびれ作りエクササイズ
https://youtu.be/4ZQeulVl9b4 七夕です。短冊をおいておきますね。
┌───────────────────────
┤
└─────────────────────── 物怖じしない人は、
物事にあたる前に、ネガティブな想像を巡らせて不安になったりはしません。
「考えても仕方のないことは考えない」
むしろその時間やエネルギーは無駄であり、もったいないと感じる人が多いです。
物事に対してポジティブで、前向きに考える癖がついている人と言えます。 「物怖じする」
という言葉の意味は、
行動を起こす前に、
その行動に対して「不安を覚える」「物事に対して臆する」ということと同義に使われます。
また、人や場所に対して、自分がふさわしくないのではないかと、
気後れするような場合にも「物怖じする」という言葉が当てはまります。 物怖じしない人の特徴に
「チャレンジ精神がある」
「行動力がある」
「人見知りしない」
「物事に動じない」
「失敗しても引きずらない」
が挙げられます。
どれも向上心が高くめげない性格を持っています。 1つ目の「チャレンジ精神がある」。
普通の人であれば、失敗は怖いものです。
しかし、物怖じしない人は、
失敗することを恐れない為、
何度でも挑戦する精神をもっています。 2つ目の「行動力がある」
あれこれ考える前に、直観に従って行動を決めるタイプが多いです。
何かを思いついてから行動を起こすまでの時間が短いです。
そのため、周りからは「すぐに行動を起こせる・実行力がある」人と見られます。 3つ目の「人見知りしない」
考えても結論が出ないことについては思いわずらうことをせず、
とりあえず行動に移します。
そのため、
初対面の人に対してもどんどん話しかけて、
積極的にコミュニケーションをはかれる人が多いです。 4つ目の「物事に動じない」
どんなことが起きても冷静に判断し動じない性格を持っています。
普通の人であれば、
慌てふためき混乱してしまうことも、
物怖じしない人は、慌ててもどうにもならないことを知っています。
そのため、冷静に物事を判断し行動移せる人と言えます。 5つ目の「失敗しても引きずらない」
普通の人であれば、失敗した際にはネガティブになったり、くよくよしてしまいがちですが、
物怖じしない人は、失敗しても引きずらず、
持前のポジティブ精神で、前向きに捉え次に発展していく傾向にあります。
そのため、楽観的な性格とも言えるでしょう。
物怖じしない性格の人と仕事をすると、
経験がとても豊富になってきます。
普通の会社上司であれば、失敗した際に怒鳴られたりと理不尽な目にあうこともありますが、
物怖じしない人と仕事をすると、
ネガティブな考え方からポジティブな考えと誘導してくれます。
そのため、色々な経験を積ませてもらうことが出来ます。
今の仕事場の上司に不満があるなら転職することで、
新しい環境とスキルを見つける可能性も出てきます。 物怖じしない人の長所は、
「経験が豊富になる」
「人脈を築ける」
「スキルアップが速い」
などが挙げられます。
どれもリーダーシップを持つ人の特徴でもあります。
物怖じしない人の短所は、
「空気を読まないこともある」
「生意気と思われがち」
「無鉄砲となることもある」
などが挙げられます。 どんな人でも人生の中で、
これまでとは違った環境に置かれたり、
新しいことに挑戦しなければなりません。
日々の生活の中で、
さまざまな「はじめて」や「新しいこと」を経験します。
未知のことを経験する時、人は誰でもナーバスになるものですが、
中には恐怖心をもたずに果敢に物事にチャレンジする人もいます。
これらの能力は、修行で得られます。
“戦闘能力”を身につければ、
冷静かつ的確に判断でき、
攻撃を避ける身のこなし、
物怖じしない勇気、
もちろん体力も身につきます。
性格的に、
体を動かすのが好き、
臨機応変、
理論より経験から物事を考えられるようになります。 例えば、
目前で、か弱き者が理不尽な目にあっていたら
勇気を出して止めるようなそんな覇気は常に持つ必要がある。
場合によっては鉄槌を一撃見舞わなければならない時もあるだろう。
『義を見てせざるは勇なきなり』
「その時は背中を見せるな!」(大山倍達:談) まず、身体を鍛える。
それが全ての基本。
できる人は身体を鍛えている。
そこから、考える体力を身につける。
読む力や書く力の土台にあるのは、考える力。
それも、
考え「続ける」力。
脳みその筋力、持久力みたいなもの。
「思考体力」と言う。
思考体力のある人は、
読めるし、書けるし、
いろいろなものを生み出せる。 衆生本来仏なり
水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき 夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし 況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり もともと何も知っちゃいないし 可愛いものよ
もともと何も持っちゃいないし 気楽なものよ
よく云やあ 俺たちはとことんマイ・ウェイ
この世はたかがこの世 だけどこの世
この世はそんなこの世 生きてゆく
お前と俺がいる〜♪
『ジャスト・ア・RONIN』吉田拓郎
https://youtu.be/Scj7q42h20w あの女の柔肌に
あの女の黒髪に
あの女の唇に
あの女の囁きに
思いをはせていればいい
それだけでいい〜♪
Ronin 吉田拓郎
https://youtu.be/9tdb_jkVMa4 全てが上手く行く世界。それは限りなく0に近い世界であろう。 >>445
そのために、
身体を鍛え、
思考体力を鍛えて、
実力をあげる。
技術を磨く。
それが修行だと思います。 男性9人組ダンス&ボーカルグループ「FANTASTICS」のパフォーマー、中尾翔太(なかお・しょうた)さんが6日午前7時23分、都内の病院で亡くなったことが分かった。
8日、所属事務所のLDHが公表した。22歳、愛知県出身。
中尾さんは今年3月に胃がんであることを公表。
活動を休止し、治療に専念していた。
葬儀は家族の意向により、親族、LDH所属メンバー、スタッフ関係者で執り行う。
後日、お別れの会を予定している。
中尾さんは昨年末から体調不良が続き、受診した精密検査でがんが見つかった。
3月に活動休止を発表した際には
「最初は戸惑いましたが、徐々に現実を受け止めこの病気と闘っていこうと決意しました。
いつも応援してくださっている皆さんに、パフォーマンスや活動で、元気な姿を早く見せられるよう全力で頑張ります!絶対に勝ちます!待っていてください!」
とコメントしていた。
EXILE一族の同グループは、EXILEの世界(27)、佐藤大樹(23)を中心に16年に結成。中尾さんはパフォーマーとして活動していた。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/08/jpeg/20180708s00041000159000p_view.jpg 寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
藪ら柑子の藪柑子
パイポ パイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助 ??ウチら陽気なかしまし娘〜
誰が言ったか知らないが〜
女三人寄ったら 姦しいとは愉快だね〜
ベリーグッド ベリーグッド〜
お笑い お喋り ミュージック〜
明るく歌って ナイトアンドデイ〜
ピーチクパーチク かしましい〜♪ フランク永井は低音の魅力
神戸一郎も低音の魅力
水原ヒロシも低音の魅力
漫談の牧伸二低脳の魅力
フランク永井のヒット曲
神戸一郎のヒット曲
水原ヒロシのヒット曲
知ってる人はもうトシだ 茶髪でガングロ暑苦しい
厚底シューズで厚かましい
薄いところは脳細胞
踊りも頭もパラパラだ
叶姉妹は美人だよ
すけすけドレスで悩ましい
パンティはいてるかはいてないか
美人はくめえ(薄命) はいてない 女房を持つなら美人はおやめ
結婚生活長いもの
美人は三日で飽きるけど
ブスは三日ですぐ慣れる オバタリアンの条件は
手首足首ウエストの
くびれが全然ありません
も一つないのが羞恥心
一、二、三、四 二、二、三、四
三、二、三、四 ジャズダンス
今さら遅いよオバタリアン
三段腹が右左
オジタリアンが食事のあとは
お茶でブクブク口の中
湯飲みで入れ歯をガチャガチャ洗い
最後のそのお茶飲んじゃった
真珠の指輪はとってもきれい
もっときれいな牧しんじゅ(伸二)
だけどあいつの頭の中は
真珠どころかパールだよ 許してくれ、地球の平和のためにやむなくお前たちと戦ったのだ。byウルトラマン 東京海洋大客員助教授・さかなクン
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。
いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。
せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。
けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。
助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。
でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。
話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。
大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。
外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html >>447
中尾さん、まだ若かったのに残念です。
ご冥福をお祈りします。 >>448
TRFのイージーズ・ダンササイズをやってます。 >>457
さかなクンのメッセージいいですね。
自分の好きなことをやって成功している凄い人です。 夢をバカにする人間から離れなさい。
器の小さい人間ほどケチをつけたがる。
真に器量の大きな人間は、
"できる"と思わせてくれるものだ。
マーク・トウェイン 誰かの曇った心にさす虹になりなさい。
マヤ・アンジェロウ あらゆる偉業の出発点は、
目的を明確にすることから。
W・クレメント・ストーン 成功の道はただ一つ。
自分だけの生き方を見つけることだ。
クリストファー・モーリイ 何度も何度も傷つけられたら、
相手を紙やすりだと思えばいい。
多少、擦り傷は受けれど、
自分はピカピカになり、
相手は使い物にならなくなる。
クリス・コルファー どんな小さな行動にも魂を込めることだ。
それが成功の秘訣だから。
スワミ・シヴァナンダ あれこれ忙しくしているうちに過ぎていくもの。
それが人生なんだ。
ジョン・レノン 今日は、アインシュタイン宣言の日です。
ラッセル=アインシュタイン宣言(ラッセル=アインシュタインせんげん、Russell-Einstein Manifesto)は、
イギリスの哲学者・バートランド・ラッセル卿と、アメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタイン博士が中心となり、
1955年7月9日にロンドンにて当時の第一級の科学者ら11人の連名で、
米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文である。
wikiより 1970年から99年まで30年の長きにわたって放送された「大岡越前」で
主人公の江戸町奉行・大岡忠相(ただすけ)を演じ続け、
お茶の間に親しまれた加藤さんが静かに天国に旅立った。
タバコも吸わず、酒も飲まず、人一倍健康に留意していた加藤さんだが、
昨年12月19日に次男の俳優・加藤頼(らい、37)と一緒に出演したテレビ朝日「徹子の部屋」での激痩せぶりがネット上で話題になり、
ファンを心配させていた。
関係者によれば、亡くなった経緯などは「お別れの会」の日程が正式に決まってから家族が発表する予定という。
http://fp.mainichi.jp/news.html?c=spo&id=20180709spp000006001000c&t=full 夏は、この世とあの世の境が、とても曖昧になる時期。
その最も境目が「水」であろう。
海や川、湖、この時期はあまり近付くべきではない。
誰でもイイから恨みを晴らしたかったり、寂しくて誰でもイイから連れていきたいだろうから。 >>472
加藤剛さんのご冥福をお祈りします。
南無観世音菩薩 南無観世音菩薩。 三島由紀夫が語る死の哲学
武士は、普段から武道の鍛錬はいたしますが、
なかなか生半可なことでは、戦場の華々しい死、なんてものはなくなってしまった。
そのなかで、汚職もあれば社用族もあり、
今で言えば、このアイビー族みたいなものも、侍の間で出てきた時代でした。
そんななかで『葉隠』の著者は、「いつでも武士というものは、一か八かの選択のときには、死ぬほうを先に選ばなければいけない」と口をすっぱくして説きましたけれども、
著者自体は、長生きして畳の上で死んだ、とあります。 そういうふうに、
武士であっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、
「死」ということを心のなかに描きながら生きていった。
そういうことで仕事をやっていますときに、なんか、生の倦怠(けんたい)と言いますか、
ただ人間が「自分のために生きよう」ということだけには、
いやしいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
それで、人間の生命というものは不思議なもので、
自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど、人間は強くないんです。
というのは、人間はなんか理想なり、何かのためということを考えているので、
生きるのも、自分のためだけに生きることには、すぐ飽きてしまう。 すると、
死ぬのも何かのため、ということが必ず出てくる。
それが昔言われていた「大義」というものです。
そして「大義のために死ぬ」ということが、
人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。
しかし、今は大義がない。
これは民主主義の政治形態ってものが、大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが、
それでも、心のなかに自分を超える価値が認められなければ、
生きてることすら無意味になる、というような心理状態がないわけではない。 情は人のエネルギー源である。
喜びや怒りや不安に後押しされて人は生きている。
しかし、情に流され、理を見失えば、
無益に迷路をさまようか、心の病に侵されていくしかない。
秩序が崩壊し、強い不安感に支配されがちな現在、リスクは非常に高くなっている。 乱世を生き抜いた偉人や名経営者の足跡をたどると、
彼らが「感情のマネジメント」に秀でていることに気づく。
自分の感情もそうだが、
他人の感情を理解し、
配慮ある行動をする能力が卓越している場合も多い。
自他の感情を理解しながら、
適切な対処をする力の高さが、彼らを成功に導いているのだ。 日本の刷新に薩長の関係強化が必要だと考えていた坂本龍馬は、
両藩の商取引を仲介するなどして、少しずつその距離を縮めさせる。
そして、互いに同盟の必然性を認識するに至った慶応2(1866)年1月、
京都の薩摩屋敷で両藩の代表を会見させることに成功する。 しかし、その前々年の第1次長州征伐において敵味方であった両藩の間には、
強い感情の「しこり」があり、事はそう簡単ではなかった。
武士の面子を重んじる彼らには、
不信感の拭えない相手に対して自分の側から同盟を言い出すことなど、
絶対にできない相談だった。
このため龍馬が数日遅れで合流したとき、
双方の歩み寄りはなく、長州の桂小五郎はすでに帰り支度に入っていた。 このとき龍馬は、
仲介者として、両者の「感情のしこり」を解きほぐす役割を一手に引き受ける。
龍馬はさっそく長州藩の桂小五郎に話を聞きます。
桂は
「長州は存亡の危機に直面している。だからこそ長州から助けてくれとは言い出せない。
今回、薩摩と話しをまとめることができなければ、我々は討ち死にするだけである。
しかし、自分たちが死んだとしても、薩摩が勤皇の意思を継いでくれるだろう」と言います。
桂小五郎は長州藩の体面を気にしていました。 続いて、坂本龍馬は薩摩藩の西郷隆盛と話します。
「なぜ薩摩藩側から同盟の話を切り出さないのか。
あなたたち薩摩藩は余裕がある。長州の苦しみは察しがつくもの。
長州側から言い出せない理由もわかってほしい」
という龍馬の言葉に、
西郷はあらためて薩摩側から同盟の話を切り出すと約束したといいます。
薩長同盟は坂本龍馬が会談をセッティングをしただけでなく、
亀山社中を介しての長州藩が必要とする武器・軍艦の購入による両藩の関係改善に、
さらに会談においての西郷隆盛を説得したのです。 薩長同盟が結ばれた5ヶ月後、第2次長州征討が始まります。
長州藩は薩摩藩の支援で軍備の近代化をはかりました。
幕府から出兵を要請された薩摩藩は、薩長同盟に基づいて、これを拒否しています。
そして、長州藩は幕府の大軍に勝利し、倒幕の機運を大きく高めました。
薩長同盟が結ばれたことによって、
いよいよ倒幕が現実味を帯び、薩摩藩と長州藩が中心となって、
大政奉還、王政復古の大号令によって新政府が樹立されるのでした。 志士(しし)は、
一般に日本の江戸時代後期の幕末において活動した在野の人物を指す歴史用語。
『論語』にある「志士仁人(ししじんじん)は(中略)身を殺して以て仁をなすなり」が語源であり、
天下国家のために正しいと信じたことを、生命をかけて貫く人物像を指した。
多くは、尊皇攘夷の思想を持って政治運動を行った者を指す。草莽とも呼ばれる。 また、
比喩的に他の時代の人物や外国人に対しても使われることがあり、
第二次世界大戦中に日本へ亡命したスバス・チャンドラ・ボースなどのインド独立運動家を指して「インド独立の志士」とも呼んだ。 鎖国と攘夷に揺れた幕末から明治維新後の国家建設の先駆けとなったのが、
尊王志士である。
当初、尊王志士は尊皇攘夷のもとで異国との交わりを忌み嫌い、
天皇を中心とした国家の建設が不可欠として、
江戸幕府に対して尊皇攘夷の履行を徹底すべきと考えたが、
やがて幕府の求心力が急速に低下すると、
これを打倒することで江戸幕府に代わる天皇を中心とした統一政体の確立を望んだ。
江戸幕府と長州藩の幕長戦争などで有力な大名家である雄藩が幕府と対立を深めた結果、
薩摩藩と長州藩による薩長連合の成立を経て、
ついに戊辰戦争によって倒幕を成し遂げた。 政治運動に命をかける人物のモデルにもなり、
板垣退助など自由民権運動の活動家や、
明治社会主義者の一部にも「志士」という理想像が共有されていた。 身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
十月二十五日 二十一回猛士(松陰が使用した号の一つ) 【第一章】
私の気持ちは昨年から何度も移り変わり、それは数えきれないほどである。
とりわけ私が趙の貫高や、楚の屈平のようにありたいとしてきたのは皆の知る通りである。
だから、入江杉蔵(九一)が送別の句に、
「燕や趙の国には多くの人がいるが、貫高のような人物は一人しかいなかったし、荊や楚にも深く国を思う人は屈平だけだった」
という送別の句を贈ってくれたのである。
しかるに、五月十一日、江戸送りのことを聞いてから、「誠」という言葉について考えた。
この時に入江杉蔵が「死」の文字を贈ってくれた。
私はそのことについては考えず。一枚の木綿の布に
「孟子にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」
の句を縫い付けて江戸へ持参した。
これを評諚所に留め置いたのは、私の志を表す為であった。 昨年から(安政5年)、朝廷と幕府の間では意思が通じていないようだ。
いやしくも私の真心が伝われば自ずと幕府の役人も分かってくれる、そう想いを決め、やらなければならないことを考えた。
しかし、蚊のような小さな虫でも群れを成せば山を覆ってしまうとの例え通り、
幕府の小役人たちに握りつぶされ、とうとう何もできないまま、今日に至ってしまった。
私のの徳が薄いので至誠を通じることができなかったと受け取るべきであろう。
今さら誰を咎め怨むことがあろうか。誰も怨むことはない。 【第二章】
七月九日、初めて評定所から呼び出しがあった。
三奉行(寺社奉行・松平伯耆守宗秀、勘定奉行・池田播磨守頼方、町奉行石・谷因幡守穆清)の取調べがあり、
次の二点について私を尋問した。
一つは梅田雲浜(うめだうんぴん)が萩へ来たとき何か密談をしたのではないか、ということ。
二つ目は「御所内に落とし文があったが、筆跡が似ているのでお前が書いたのではないか。覚えがあるのではないか」と尋ねられた。
訊問は、この二点だけであった。
梅田は奸計に長けていると感じるところがあり、私は「梅田は胸襟を開いて語り明かすほどの者ではない。
そういう意味で彼と密議などするはずがない。 私は公明正大であることを好む。
どうして落文などという隠れごとをしようか」とはっきり答えた。
その後、私は六年間幽囚の身で苦心して確信した所説を披歴し、
ついに大原重徳を萩に迎え、長州藩を中心として志ある藩で挙兵しようという計画したこと、
さらに老中・間部詮勝の要撃計画を話したので、獄に入れられる身となった。 【第三章】
私は激しい性格で人から罵られると我慢が出来ない。
そのため、今回は時の流れに従って人々の感情に適応するように心がけてきた。
だから、幕吏に対しても、幕府が勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印したのはやむをえないことであると述べた上で、その後の措置こそが肝要であると論じた。
そこで私が説こうとするのはすでに「対策一道」に書いたとおりである。
こうした私の姿勢には幕吏もさすがに怒ることはなかった。 私の説に対し幕吏は
「言っていることが全て的を得ているとは思えず、身分の低い者でありながら国家の大事を論ずることは不届きである」
と弁じた。
私はそれに抗わず論争を避け、ただ「このことが罪になるというのなら、
それを避けようとは思わない」とだけ述べた。
幕府の法では、庶民が国を憂うことを許していない。
その善し悪しについては、私もこれまで議論をしたことはなかった。 聞くところによると、薩摩藩の日下部伊三次は、取り調べの際に、幕府の失政を次々にあげ、
「このようなことを続けていれば、幕府はこの先、三年や五年も保つことができないだろう」
と述べて幕吏を激怒させた。
さらに「これで死罪になろうとも悔いはない」と云い放ったという。
この気概は私も及ばないところである。
私は、入江杉蔵が私に死を覚悟するよう求めたのも、こういう意味なのかもしれない。 思えば、唐の人、段秀実は郭曦には誠意を尽くし、朱には激しく非難しために殺された。
こうして見ると、英雄と云われるべき人物は時と所により、それにふさわしい態度で臨んだ。
大事なことは自分を省みて良心に恥じることがないことである。
そして、相手をよく知り、良い機会をとらえることが大切なのである。
私の人としての価値は、死後に棺を蓋で覆って始めて評価されるべきものである。 【第四章】
このたびの調書は、はなはだ粗略なものである。
七月九日に一通リ申し立てた後、九月五日、十月五日の両度の呼出の時も大した取り調べもないままに十月十六日に至り、供述書を読み聞かせあり、直ちに署名せよとの事であった。
私が苦心をして述べたアメリカ使節との外交交渉や海外渡航の雄大な計画に関する考えは一つも書かれず、
ただ数か所のみ開港の事に触れ、国力充実の後、打払うべきなどと、私の心の真意ではない愚にもつかないようなことを書き付けて供述書としていた。
私は、言っても無駄であることを悟り、敢えて抗弁しなかったが、不満が甚だしく残った。
安政元年の下田踏海での取調書と比べると雲泥の差だというほかない。 【第五章】
七月九日、大原重徳公を長州に迎える策、老中間部詮勝要撃策の事を一通り申し述べた。
これらのことは幕府も既に事前情報で承知していると思われたので、誤解なきように明白に述べておいた方が却って良かろうと思い申し立てしたが、幕府は全く知らなかったようであった。
幕府の知らないことまで述べて、多くの仲間内に累が及び無関係の人を傷つけることになり、
毛を吹いて傷を求めるという喩えのように、強いて他人の欠点を探し求めれば、
かえってこちらの欠点をさらすことになるに等しいと思い直した。 だから、間部要撃の件についても「待ち伏せて襲撃する要撃」から「待ち伏せて諌める要諌」と言い替えた。
又、京都で連判した同志の姓名なども、隠して明らかにしなかった。
これは、後の運動の為を思ってしたささやかな私の老婆心からである。
これにより、幕府が、私一人を罰して他に累を及ぼさなかったのは大変喜ぶべきことであろう。
同志諸君、この辺りの事を深く考え起ち上がって欲しい。 愛媛県西予市野村町では、7日早朝に町内を流れる肱川が一気に増水、中心部の広範囲が水につかり、逃げ遅れたとみられる5人が犠牲になった。
約2キロ上流にある野村ダムが豪雨で満杯となり、放水量が急激に増えたことが氾濫の原因の一つとみられるが、
早朝の急な放水情報が十分に届かなかった住民もいた。
西予市では7日午前7時半までの24時間雨量が観測史上最大の347ミリにのぼった。
雨水は野村ダムに流入し、満杯になるとダムから水があふれ出るため、四国地方整備局のダム管理所は午前6時20分、流入分とほぼ同量の水を放出する「異常洪水時防災操作」を開始。
放水量は操作前の2〜4倍に急増し、午前7時50分には過去最多の毎秒1797立方メートルに達した。
通常は放水する場合、ダム管理所が事前に市にファクスで知らせるが、今回は「状況が厳しく数時間後に放水量が増える」と、市に電話で連絡した。
また午前5時15分からは川沿いのサイレンを鳴らして放水を知らせるなどし、
同整備局の清水敦司・河川保全専門官は「ダムが満杯になれば水をためることは不可能。定められた通りに対応するしかない」と語る。
一方、市は午前5時10分に同町内の一部に避難指示を発令。
防災行政無線で「肱川が氾濫する危険性があるので、すぐに避難して」と呼びかけたが、「ダムの放水量が増える」という情報は発信していなかった。
これに対し、防災無線が聞こえなかったとの声も。男性(42)は、妻の友人からのLINEで避難指示に気付いたという。
前夜、国土交通省の出先事務所に聞くと「堤防を越えるようなことにはならない」と言われたといい、「ダムの決壊を防ぐためとはいえ、何とかならなかったのか」と憤る。
男性(85)は「放水量が増えると知っていたら、もっと早く逃げたのに」と話した。
西予市の担当者は「想定外の雨量で、当時としては最善の選択をしたつもりだ。
今後、情報発信について検証したい」と語った。
読売新聞 2018年07月09日 20時44分
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180709-OYT1T50054.html 西村康稔官房副長官と松尾一郎東大客員教授が9日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、西日本豪雨を踏まえた対応について議論した。
西村氏は、気象庁が大雨特別警報を出したにもかかわらず多くの犠牲者が出たことを受け、「それぞれの自治体が政府の呼びかけに対し、どう反応したか検証していくことが大事だ」と述べた。
松尾氏は「住民が危ないと思っても、どう行動するか分からない。地域の中で具体的にどう行動するかという仕組みを(自治体が)作っていくことが重要だ」と指摘した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180709-OYT1T50065.html 私たちは水分補給というと、つい水を飲むことを想像しがちですが、
飲料の種類による水分補給の効率は変わらないため、ジュースやコーヒーなども有用といえます。
また、飲料だけでなく、普段の食事からも水分を摂取することは十分に可能です。
野菜や果物はもちろん、ご飯やパスタ、シリアルといった食品にも水分は含まれています。
脱水による精神活動や身体活動のパフォーマンス低下を防ぐためには、
適切な水分補給について正しく理解し、
実践することが大切です。 人のからだの半分以上は水でできていいます。
胎児では体重の約90%、新生児で約75パーセント、子どもで約70パーセント、成人では約60〜65パーセント、老人では50〜55パーセントが水で占められています。
また、人だけでなく、地球上のあらゆる生物は水からできており、
生物が生きていく上で水は欠かせない物質であることがわかります。
では、なぜ生物が生きていくために水が必要なのでしょう? 体内の水は生物が生きていくための特別な役割をいくつも果たしています。
それらは、体の隅々の細胞まで酸素や栄養素を運ぶ、体の中でできる老廃物を回収し排出する、発汗などによって体温を調節するなどといったものになります。
これらの役割を体の中で果たせる物質は水以外になく、
それゆえ、生物にとって水は不可欠なものと言えます。 また、人間は、呼吸、体温調節、不要物の排泄などで絶えず水分を体の外に排出しており、
生きていくためには、体が失った水分と同量の水分を補充する必要があります。
それ故に、人間は水さえあれば食べものがなくても2〜3週間程度は生きられる一方で、
水なしでは4〜5日で命を落としてしまうことになります。
そういう観点からも、水は生物にとって必要なものであるといえます。 私たちの住む星・地球が誕生したのは今から約46億年前のことでした。
そして最初の生命が誕生したのは約 38億年前。 生命誕生の場は海の中でした。
この頃、地上には強い紫外線が降り注ぎ、火山活動は活発で、陸上は生物が生存するには厳しい環境だったたからです。
生物の材料となったのはアミノ酸、核酸塩基、糖などの有機物で、
これらは原始大気中の二酸化炭素や窒素、水などの無機物に雷の放電、紫外線などのエネルギーが加えられて作られたようです。 初期の生物は全て単細胞であり、はっきりとした核をもたない原核生物でした。
これらの生物ははじめ、海の中を漂う有機物を利用し、嫌気呼吸つまり酸素を使わずに生息していました。
しかし有機物には限りがあり、やがて自分で栄養を作り出す手段が必要となりました。
これが光合成のはじまりで、約35億年前藍藻植物(シアノバクテリア)がその担い手として登場しました。
光合成によって、無機物である二酸化炭素と水からブドウ糖などの有機物を作り出すことができるようになりました。
藍藻植物が酸素を作るようになると、酸素を利用した呼吸をする微生物も誕生しました。 原核生物は長い年月をかけて多様な進化を続け、やがて15億年前、核をもった生物、真核生物が現れました。
また、多細胞生物が誕生したのは9〜10億年前だといわれています。 このような生物の進化は海の中で起こっていました。
陸上で生物が生活するには、紫外線が大きな障壁となって いたためです。
この問題を解決したのがオゾン層です。
藻類の活発な光合成により大気中の酸素量が増えていくと、紫外線の作用を受けて酸素からオゾンが生成されました。
高度約 20〜50 kmの領域でオゾン層が形成され、生物にとって有害な紫外線はそこに吸収されるようになりました。
こうして生物が地上でも安全に生活できる環境が長い年月をかけて作られました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています