>>118
歴史的
文献学的
考古学的な検証に限定したいならば、
学術板、
文献学板、
考古学板、
そういう範疇。

心と宗教板は、
心と宗教としての中身を問われ議論されても当然の事。

神が完全であると言いながら、
不完全な子供(民族)を生み出した。

アダム、イヴから不完全。

その責任を製造者側ではなく、
人間(子供)に背負わせて、

自分自身の生んだ他の兄弟に殺戮を命じ、
また、他の民族と言う姉妹は強姦して自己所有物にして良いと命令するのが、
愛やら叡智やら正義やら赦しやら、癒しの神である筈がない。

そういう矛盾に目を向けるのは、否定的見解であり、
否定的な意見は抹殺したいと追い出す思考が、
また、キリスト教の排他独善、偽善である。

真理や真実の追求をしている姿がガリレオでもコペルニクスでも科学者の姿。

バチカンの支配に疑問を抱くと異端視して逮捕され、
裁判にかけて拷問と死刑にする。

そういう、異常な偽善、偽正義がキリスト教にはある。

これで良い!気持良い!都合が良い!
自分にとって都合良く、神や聖書やキリストを掲げて、
排他した大罪を反省しない。

そういう態度を実は真実の神から人間を通して批判されているとは考えないのか?

反対意見を持つ者はサタンとレッテルを貼り付け、
都合悪いと磔にする。
クリスチャンになりましたと言う仲間内でも、排他しては、磔て火炙りの刑にする。
それを真実、信念があれば、真剣に向き合い、
キリスト教を解毒する意志が湧く筈だ。
反省心、改善心、良心、誠実さがクリスチャンにあるならば。。。
聞く耳を持たない。
見れども見ない振りをして心に理性に映らない。
私は真実に存在する誠の神は崇拝する。
だから、こそ、人間が異常になる教義、カルト体系があれば指摘している。
真剣に言論による批判があれば、考え応えるのが誠実な態度だ。