>>106
理論破綻。
その神とか言うのは正義の法概念なのか?
呪って殺したり、
奇跡を歌うのに、
血みどろな殺戮を我が子にさせる。

そして殺される方の民族も、聖書に曰く、

我が子な訳だ。

自分自身の生んだ子供を野蛮に育てた失敗を全知全能な親の力で再教育せず、
別の我が子を使って、
殺害し強姦し略奪を命令する。
それを平然と肯定出来る神経がおかしい。
カルト教義の盲従は、何が何でも、
異常な事態を正当な事であると盲信する。
殺戮を殺戮した側に道理があるんだ!と丸飲みして疑わない。

だから、他民族への侵略、殺戮、強姦、略奪が、
簡単に盲信盲従して実行してしまって来た。
人間が気違い狂気のカルトに染まるとは、
どんな理想が
どんな理屈で麻痺するか?

唯一絶対で自分や自分の仲間は、
正しい側に立つなんて信じたら、
麻痺するんだよ?

信じるが疑わないになると盲信。

理性や知性が除外されたら狂気の盲信。
クリスチャン自身によるクリスチャンの批判、反省をすれば、解毒される。
最後は正しい信仰だけが残る筈。

その場合は、
もはやキリスト教とは名乗れないだろうけどね。
自分自身の体験しか言える事はない。

我々はこう思う。
これが集団埋没のレギオン。
神の前に一人立つ。ハッキリ正直に神を求めたら、
あるのは自分自身の命や心と現実の世界だけ。
聖書もキリストもない。
ヨブ記の神も悪魔もない。
ヨブ一人もない。
読者または、
読者も自分自身とは別の概念で、自分自身に向き合えば、自分自身の実存在しかない。