ヘレニズム時代の人間の構成は三分法を用いて理解されていた。
霊魂(プネウマ[・プネウマキコス])≠ことば(ロゴス)
心魂(プシュケ[・プシュキコス])
身体(ソーマ)≠肉(サルクス[・サルキコス])

Tコリント15:44σπείρεται σῶμα ψυχικόν
ここのψυχικόνは、プシュケーではなくて、
ψυχικόςは、プシュキコスです。

ψυχικός ブシュキコスは、形容詞ですね
「いのちの」という意味ですね。
パウロはそれを「自然のままの」「生まれつきの」
というニュアンスで使っているわけです

「血肉」と誤訳されていますがそんな意味はないです

パウロの場合
σαρκικος 肉的な[サルキコス]
ψυχικός   自然的な[プシュキコス]
πνευματικος 霊的な[プネウマティコス]
という[ギリシア思想の三分論的な]基本パターンがあり、
サルキコス(肉的な人)は、ダメな人です。
プネウマティコス(霊的な人)は、救われている人です。

では問題のプシュキコス(自然的な人)とはどういう人か。
中間的なうまれたままの人のことです。
翻訳者はこれを「血肉の」と訳ているわけですが、
これではサルキコス(肉的な人)と混乱するので、ダメな訳です。

はつきり言って、翻訳者はモノをわからなさすぎです。