外道の独り言 10
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「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです
自由に書き込みしたい方は↓こちらへ
ひだ =^・ ・^= まり
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1500265524
前スレ
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1526072224/
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html @最近、またしても私に「お前は輪廻を認めないのか」と迫ってくる人がいるので、あえて再度申し上げます。
以前にも書いた通り、「輪廻」という教説は、所詮考え方の問題だと思います。だから、
「輪廻からの解脱」とは、「輪廻という考え方からの解脱」だと考えればよいでしょう。
だいたい、終始一貫した同一性を保つ「霊魂」みたいな、アイデンティティーを保証する何ものかが
「生まれ変わり死に変わりする」という言い方・考え方は、どう見たって、無常・無我・無記・縁起をキー・
コンセプトにする仏教のとるところではありません。
すると、「いや、仏教では、輪廻するのは霊魂のようなものではない。そんなアートマン(我)同様の何かではなく、
命の流れのような、個人を超えた大いなる意識ようなものが輪廻するのだ」などと言い出す人が出てきます。
いわゆる「無我輪廻説」的な物言いをするのです。
以前聞いた「無我輪廻説」は、川の流れにできる渦巻きを例に出すものでした。あるところでできた渦巻き(渦巻きA)が、
流れの条件が変わって消え、流れの別のところに渦巻き(渦巻きB)が現れる。それが「輪廻」だと言うのです。
しかし、それですませるなら、所詮「私の先祖は徳川家康です」レベルの話です。輪廻と言うからには、
「このA(徳川家康)が、こっちのB(私)になったのだ。B(私)と見えるものは、実は以前のA(徳川家康)なのだ」
という主張でない限りは、「輪廻」になりません。それ自体としては不変の実体性を持つ何かが「生まれ変わり、死に変わりする」
のだと言わないなら、説として無意味です。 Aある神父さんが、「人類の圧倒的多数が前世を何も覚えていなくて、ごく稀な人にしか記憶がないなら、
輪廻なんて教えは説いても無意味でしょう?」と言っていましたが、その通りです。いや、それでも「命が流れる」
「意識が続く」と言うなら、「流れる」「続く」と言えばよいだけの話で、わざわざ「輪廻」などと言い出す必要は毛頭ありません。
「無我輪廻説」などはほとんど詐称で、「無我持続説」が言い方として真っ当でしょう。
仏教において、最もユニークにしてオリジナル、そして決定的に重要な教説は、無常・無我・無記・縁起であり、
「輪廻」説は余計である上に理論的に無理筋で、無くて構わないし、無い方がよいのです。
では、理論的に維持するのが無駄な「輪廻」説が、なぜ仏教に引き込まれて残存し、それどころか仏教の重要教説
のような顔をして今なおのさばっているのでしょうか。
理論的に余計なものが存在し続けるのは、実践的な需要があるからです。
まず考えられるのは、人間に善悪を強制する道具としての意味です。善行を課し、悪行を禁じるとき、脅迫と利益誘導の手段として、
「輪廻」のアイデアを使うのです。「善いことをすれば、良いところにうまれるよ。悪いことをすれば酷いところに生まれるよ」
このような取り引きレベルの話は、所詮世間の問題です。つまり、当時の在家者に生きている間の「処世術」として説く必要があったし、
その需要もあったから、当時のゴータマ・ブッダ教団は「輪廻」説を必要と需要の範囲で使ったのでしょう。
だとすれば、こんなものを未だに我々が引き継いでいることは、著しく志の低い話です。理論的に無駄な「輪廻」説など放擲して、
仏教は仏教でオリジナルな倫理説、善悪観を提出すればよいのです。私は、この倫理をめぐる議論が、
今後仏教の中から数多く現れることに大なる期待を持っています。 Bもう一つ、「輪廻」説の実践上の需要は、非常に切実でとくに苦しい境遇にある人、たとえば人種や民族、身分や心身の障害など、
生まれ・出自によって差別されたり抑圧されたりしている人が、自分の在り方を自己肯定する必要がある場合と、
別の誰かが彼に自己肯定させようとする場合に、顕著に出てきます。
つまり、「なぜ自分は今、これほどつらい境遇にあるのか。どんな理由があるのか」という疑問に答える理屈として、需要があるわけです。
自己の実存に対して理由や根拠を求める欲望というのは、人間にとっては致命的なことでしょう。それがつらい実存状況なら尚更です。
そのとき、「輪廻」説というのは、非常に耳に入りやすいのです。
そして、この辛い境遇をその当事者に黙って甘受させたいと思う第三者にとっても、これは非常に便利な理屈です。
つまり、その境遇は「自己責任」だと言って放置できるからです。
ということは、「輪廻」説は、「社会的強者」が「社会的弱者」を支配し・隷属させるイデオロギーとして、
重要な役割を果たし得るわけです。インドにおいて、「カースト制度」が「輪廻」説とがっちりセットになり、
かつて「強制隔離」措置の対象となった「ハンセン氏病」が「天罰」や「前世の因縁」で説明されていた
(私はハンセン病治癒者から体験談を直接聞きました)ことを思えば、すぐにわかる話です。
だったら、「かースト制度」に反旗を翻した仏教が、「輪廻」説を後生大事にしている理由はいささかもありません。
「業・因果」説は仏教に必須(このことは、また後日考えます)ですが、「輪廻」説は違います。ゴータマ・ブッダ自身が
生前説いていようといまいと、これは仏教にとって本筋の教えでも大事なアイデアでもありません。「輪廻」説は仏教に要りません。
我々はまさにそれから「解脱」すべきでしょう。 wwwwwwwwwwww
上記は、曹洞宗の坊さん、南直裁氏の見解ねw
それと、水野論文は結構、読んでるけど、あれは自分が支持しない学者の一人だよw
基体論や輪廻に関してはねw
それ以外の見解は支持できるところも多いけど、
ま、魚川や佐々木と同じかな?w そして、一つ論点言っておくと、「仏教」が説いた、というのと「釈迦」が説いた
のは、全くの別物だよww
「念仏唱えて浄土に行く」は、勿論、釈迦は説いてないが、それは、仏教ではないと
即、却下するのも問題ありだしなw >また、リードビーターによれば、仏教徒であれば必ず唱えているであろう『三帰依』(仏法僧の三宝に帰依し奉るの意)を唱えると、
> 仏教守護に関係するディーバ(精霊)たちが嬉しく集って来るのを見るとのこと。
そういうのが見えちゃう人は、まずは病院に行って、適切な治療を受けた方がいいよね?ww 三帰依 が、出てきたんで、一つ思い出したw
現在は、真宗の坊さんたちも、この三帰依を唱えるらしいw
しかも、パーリで。
「え〜〜〜〜〜? 三帰依でいう「仏」って、釈迦のことで、阿弥陀じゃないよ。
僧ってサンガのことだけど、それ、認めちゃうと「自力」を推奨しちゃって、「他力」が看板の真宗と違っちゃうよ。」 wwww
と、宮崎が突っ込んでたwww >>675
そうして、明日のわたしもいるのかな
これが、輪廻でしょう
無我なのに輪廻してるのは、何か
これらのものが、あるのだが、それを、私だと勘違いしてるだけ パーピマンは、わたしが、輪廻転生してる
けれど、輪廻転生する、わたしがない
輪廻転生がある
それは、わたしではない
輪廻転生があるが、わたしではない
昨日は、わたしではない
今もなお、わたしではない
明日もわたしではない
しかし、昨日もあり、今もあり、明日もあり
また、からくりは、続く
しかし、わたしが、そこにいないとき
苦しみの輪廻はなくなった
わたしは、もはや、生まれていないからだ 過去生は夢に出る
それは、わたしではないが、、、
夢の中の、思念体は、私と見ているwwww 曹洞宗は体育会系筋肉バカ養成機関で
南もその一員でしかない(笑) >>668
仏教は、無我としてアートマンを積極的に認め肯定してます。
不変の実体性を持つアートマンが輪廻するのです。 原因なきところに結果はないです。
輪廻を否定すると原因がないところに結果が生じるという矛盾が生じる。
わたしたちはこの世で良いこと悪いこといろいろ原因を作ってる。
その原因は結果としていずれ熟すると考えるのが自然ですわな。
死んだら作った原因もチャラだと言う方が人間の都合のよいでっち上げだよね(笑) チベット仏教では良いこと悪いこと作った原因は「心の連続体」として死後も残ると言われる。
悪いことをすれば悪い心が心の連続体に刻み込まれるわけですわ。
良いことをすればよい心が心の連続体に刻み込まれるわけですわ。
心の連続体により死後の転生が決まるということですわな。
過去に遡れば、過去になした良いこと悪いことの結果
今のわたしが居ると。
このように考える方が原因と結果の考え方からしたらごく自然ですよ。 >>669
輪廻説を超える倫理説、善悪館を提出なんかできません。
輪廻を放棄したらそれはもはや仏教では、ない^^ 仏教と政財界は癒着していて
政財界は悪いこともやってるわけですわ。
輪廻を肯定したら彼らは地獄や餓鬼に転生するわけですよ。
転生を認めたら日本の仏教を庇護してくれている政財界の人に
あなた方は地獄や餓鬼に落ちますよと言わないといけなくなり
そんなことを言ったら税金免除などの宗教に対する優遇措置がなくなる危惧が出てくるわな。
結局はみな自分を守るために仏法をねじ曲げている。 だからわたしらのような何の権威も無い立場で仏教を学ぶ方が
権威や名声や利得に囚われず、堂々と
オカシイものはオカシイと言えるわけですわ。 >>670
仏教は、カースト制度を否定してません。
「出家」すれば誰でもバラモンになれると言ってるんです。
ならば万人が出家してバラモン、僧侶になれば誰が労働し生産するのか。
結果的にカースト制度を崩壊させる。
この仏教の致命的矛盾、弱点がインドから仏教が滅びた理由でしょう^^ 今の日本の仏教界は金になびいている。
人間は金のある者にいい顔をする(笑)
寺だって高額布施者にいい顔をし、そうじゃない人には適当でしょ?
だから仏教界は政治家的な堕落してるんですよ。
政治家も高額献金してくれた企業を優遇するわけです。 >>680
>坊主だから、悟ってるとは、限らんやろ
>www
真近の書き込みみても、「坊主が悟っている」
などの書き込みはないみたいだが。
もしかして、オレが南直裁の見解をあげたからかな?
・・・・・もしそれを指して言っているなら、オレは一言も
「悟っている」など言及してないがw
論点も分からんバカは、このスレ書き込み禁止なんだよ。
一体、何回、これ言わせるのかね? >>653
馬鹿にしたいなら、出てけ!!!
(そして、二度と来るな) 南さんも若い頃のテレビのインタビュー見たときの印象は
気概のある頭もキレる青年だつたんだが
今や生気の抜けたような青瓢箪のような印象。
やはりいくら才能があっても愚者と交わると愚者になってまうんだなと >>681
>曹洞宗は体育会系筋肉バカ養成機関で
>南もその一員でしかない(笑)
そういう、総論的な揶揄は単なるヤジ、罵倒で、そういうのはここでは
いらんのですよw
もし、批判箇所があるなら、そこを指摘してきちんと自己の見解をのべてください。
・・・・・・なんか、セブンがこのスレのレベル低下を嘆いていたが、これじゃあ、なんも
いえんわww 仏教は今や処世術に化している。
上座部も例に漏れない。
いかにうまく生きるかに重点がおかれて、真実から遠ざかっている。
処世術にはいかに金を稼ぐかが非常に重要で
技術を持ち金を稼ぐことを上座部でも推奨している。
男は技術を持て稼げと。女は夫につくすがいいと。
上座部のダンマニーティにも書いてある。 >>694
坊主 と言えるのは、セブンだけ。
一代、承狂は、現在は現役の坊さんではない。(みたいw)
その他は、在家の仏教徒だよ。 そして、オレは外道w
住人が気に入らないみたいなので、お宅も他のスレへどうぞw >>682
栄進さん?
それ、おかしいですよ?
「「所有権に該当するものはない」として、「所有権」を積極的肯定して認めています」って言ってるようなものです。 何故仏教が処世術を説くようになったかというと
この世の執着から離れて涅槃したい人が皆無だから(笑)
涅槃したい人が居ないのに原始仏教説くわけにはいかない。
豚に説法は無駄(笑) >>682(その2)
言語を統一して表現してみて下さい。
無我と我、アナートマンとアートマンって。 このスレの内容見たら・・
だれでも糞坊主って分るんだがな・・^^ >>700
はいはい、糞坊主でいいから、消えなさい。 >>697
何を所有してるか不明ですが、所有権はあるんですよ。
アートマンもそのように理解していただきたい^^ なぜ糞坊主なのか・・^^
ズレてるんだよね・・・^^
論点が・・^^ ゆえに・・・^^
永遠に悟れない・・^^
涅槃の境地にたどり着けない^^ >>689
なんだって!?
そんなことが事実なら、たいへんなことだよ 原因は修行不足だろうな・・^^
修行はなんでもやればいいというものでもないからな・・^^
そこが難しいところ^^ 欲にまみれてこの世に生まれたわたしたちが
涅槃を求めるようになるには、どれくらいの生を流転するんだろうか?
ブッダがいた時代に直接ブッダに会った人だけが
何故あれほど涅槃を求めたのか?
それはやはりブッダが如何に凄かったかということですわ。
今の人が一生懸命仏典を研究しても、この世の執着から離れたいと思わない限り涅槃はあり得ないわけで。
ブッダに会った人は涅槃したいと思ったわけでしょ。現代人には涅槃したいと思うこと自体が高い壁でしょうね。 >>699
言語学者じゃないんで、わかんないだけど。
アナートマンって、アートマンが無いという意味なの?
それともアートマンでは無いという意味なの? >>703
栄進さんの信教の自由を侵すつもりはないけど、文章としてそれは成り立たないって事なんです。 >因縁果 ◆d........o
消えなさい・・・・と言う意味がわかりかせんか?
貴方の書き込みを禁止します・・・・こう言えばわかりますか? う〜〜ん^^
無我の境地に至ってるからね・・^^
何言ってるかわからないですね・・^^ 因縁果さんとは・・・^^
どこに存在するのか・・・^^
因縁果さんは輪廻するのか・・・^^ >>708
インド文化圏には、四住期(アーシュラマ)の思想が背景にあったのもあるんじゃないんですか?
また、身分制度の頂点にバラモンがありますし。
人生の最終目標の設定において、ね。 >>710
どうしてですか?
何も所有していない。
しかし所有権はありますよね。
文章としておかしいですか^^ すみません >住人の皆さん
この因縁果 というコテと親しい人はいませんか?
このスレの荒らし宣言をしていますので、もし、説得できる人がいるならば
速やかにこのスレから退去するようにさせてください。
おられないのであれば、以後、このコテとの絡みは一切、このスレでは禁止します。
このコテは、以前も無意味な短文の連投でスレを消費し、トラブりました。
その際は、注意勧告を受け入れ、中止しましたが、今回はやめそうもありません。 >>711
ウィキは信用できません。
貴方の見解をお聞きしたい^^ 現代人には技術を磨いて稼ぐことでさえ厳しい人が多くなってきた。
ニートが山ほど居るわけで。
そのニートが涅槃したいわけでもない。怠けや心の弱さで働けない。
女どもは夫を尊敬せず、生きたATMくらいに思っている(笑)
涅槃や離欲を説く以前の話である(笑)
だから男は稼ぎ、女は夫につくしなさいと
仏教書で書かれるのでしょう。 >>714
さぁ?
現象として仮構されている因縁果が、この現象として仮構されているスレでの現象としてのレスという仮構をやめれば分かるのでは? まさにこれ^^
@「遍計所執性」
認識する側(能取・主観・主体)
↓
認識の対象の側(所取・客観・客体)
↓
思惟・思考による言説概念化
↓
虚妄分別
↓
実在・執着 しばらく様子を見て、荒らし行為がやみそうもないならば、このスレの継続は中止します。
よって、以後のスレ立ては止めてください。
特に、今までよくスレ立てをしてもらった、おじゃる君。 >>718
>>710の通りです。
文章としての整合性が取れてません。 ちなみにこうなる^^
5因縁果 ◆d........o 2016/10/25(火) 17:13:06.52ID:y3RwUnun
@「遍計所執性」
認識する側(能取・主観・主体)
↓
認識の対象の側(所取・客観・客体)
↓
思惟・思考による言説概念化
↓
虚妄分別
↓
実在・執着
6因縁果 ◆d........o 2016/10/25(火) 17:13:24.53ID:y3RwUnun
A「依他起性」
認識する側(能取・主観・主体)
↓↑縁起(仮構)
認識の対象の側(所取・客観・客体)
↓
識が働く
↓
縁起関係によってのみ、あらゆるものは仮に成り立つ
7因縁果 ◆d........o 2016/10/25(火) 17:13:45.44ID:y3RwUnun
B「円成実性」
認識する側(能取・主観・主体)
↓↑縁起的な分別(虚妄分別したものへの執着)の否定
認識の対象の側(所取・客観・客体)
↓
無分別(諸法実相・真如) パーピマンは気にし過ぎ。
嵐はスルーが1番効くんだよ(笑)
構ってちゃんだから、構って貰えないと他に移動する(笑)
構って貰えないとオウムスレにも来るからねマジで(笑) 8因縁果 ◆d........o 2016/10/25(火) 17:14:06.98ID:y3RwUnun
結果・・
空性「無分別の智・不二の智」
↓
分別・戯論・煩悩が止滅 9因縁果 ◆d........o 2016/10/25(火) 17:16:12.34ID:y3RwUnun
「意識こそは虚妄分別するものである。その性質が分別を具えたものだからである。それは
意識自らの言葉に依る熏習を種子として生じ、またあらゆる表象の言葉に由る熏習を種子
として生じている。それ故に、意識は無限に種々の形相のある虚妄を分別するが故に遍計
と名づく。」
無着(摂大乗論)
10因縁果 ◆d........o 2016/10/25(火) 17:16:31.99ID:y3RwUnun
「(意識が遍計することは)名・概念を対象として虚妄分別するのであり、概念を依他起性の
上に相(形相・性質)として付託し、相を見て執着し、種々に思考を廻らして言葉として言う、
見る、聞く等の四種の言説を為して、ものが存在しないのに存在と誤認するのである。」
無着(摂大乗論) 「種々に思考を廻らして言葉として言う、見る、聞く等の四種の言説を為して、
ものが存在しないのに存在と誤認するのである。」
虚妄分別なんだよな・・^^
無明から虚妄分別がはじまる・・・^^ >>726
貴方に対するパーピマンの沈黙が、荒らしに対する態度なんだけどw 無明から虚妄分別そして煩悩そして執着・・こうるな・・^^ >>730
と、論点がずれたレスをするのは何故ですか? 無明から虚妄分別そして煩悩そして執着から苦の連鎖・・^^
簡単にいうとこうなる^^
この苦の連鎖を断ち切るには・・・^^ ジャンキー(イカレポンチメタボアラフィー) にパーピマンの何が分かるんだよ(笑) 智慧(無明)・・無分別(虚妄分別)・・まずはここからだな・・・^^ 因縁果は問われもしないのに長レスするけど
そういうのを下品と言うんだよ(笑) たぶんこれ仏教の基本^^
言われなくてもわかる^^ 19因縁果 ◆d........o 2016/10/26(水) 20:23:36.78ID:4G1R5hAZ
「スッタニパータ」(分別意識)
「およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(識)に縁って起こるのである」
20因縁果 ◆d........o 2016/10/26(水) 20:25:05.71ID:4G1R5hAZ
「しかしながら識別作用が残り無く離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない。」
21因縁果 ◆d........o 2016/10/26(水) 20:26:30.23ID:4G1R5hAZ
「およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(識)に縁って起こるのである。
識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起することは有りえない。」
言ってることがおなじや^^
識別作用って分別のことやろ^^ >>724
諸法無我。
すべては、アートマンでは無い。
アートマンは、~では無いによってしか定義できない。
よって、すべてはアートマンである。
文章として整合性が取れてるっちゅうねん^^ 間違ったことを正しいと信じて疑わない人も居るんだなと
永進クンのレスを読んで思う次第です(笑)
白を黒だと言い張る人にいくら白は白ですとさとしても無駄なんだね。 >>742
いや、そもそもアートマンって「〜である」と定義されないんでしょ?
アートマンを「すべて」って定義してるし。
ところで、アートマンに該当する漢字は何ですか? >>744
ジャンキー殿が以前言ってた即非の論理です。
すべてはアートマンでは無い。
故にアートマンはすべてである。
アートマンに該当する漢字ですか?
仏性でも真如でも実相でも、それっぽいものなら何でもいいですよ。
よくわかりませんが^^ 《ウパニシャッド》文献に端を発するベーダーンタ学派,サーンキヤ学派の考えによれば,
われわれが経験するこの世界は,われわれが自己の本体(アートマン)が何であるかを
知らないこと(無知,無明)がきっかけとなって展開したものであり,つまりわれわれの
日常的認識(分別,迷妄)が作り出したものであるとする。
これは仏教でも基本的には同様であり,《華厳経》の〈三界唯心〉,瑜伽行派の〈唯識無境〉
〈識の転変〉なども,日常生活における主客対立の見方である〈虚妄分別〉の心作用が
この世界を形成すると説いている。…
う〜〜ん^^
さっき書いたな・・^^ >>745
なんか違うような・・・
アートマンはアートマンに非ず、なら即非だけど。
また、アートマンは我とか真我と訳されているようで。 瑞龍鉄眼禅師 『仮字法語』
【二の四】
本より法身の如来なるを、まよいて万物と思い、またはわが身と思うには、
二重のまよいあり。
【二の五】
まず一重のまよいは、この身は、地水火風の四大を、仮にあつめて、
つくりたてたるものなり。
身の内の皮肉筋骨のたぐいは土なり。
涙よだれ血などは水なり。
あたたかなるは火なり。
出入の息と、うごきはたらくは風なり。
この地水火風をはなれては、わが身というべきものなし。
ただ今なりとも命おわりて、地水火風もとにかえりぬれば、ただ白骨となりて、
つゆほどもわが身とたのむべきものなし。 かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、このされこうべにつかわれて、
地獄の業をのみつくりて、三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、千万年も、
死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。 【二の六】
さてまた二乗は、凡夫よりも、智恵かしこきゆえに、この身は地水火風の、仮のものぞと、よく見あきらめて、この身をまことの白骨のように
みなし、身においてちりほども、執着の心なし。
かつてこの身のために我執我慢をもおこさず、貪欲瞋恚をもおこさず、いつわりへつらいも
なく、ねたみそしりもなし。
かくのごとくのさとりはひらけぬれども、いまだこの身の、法身如来なることをしらず、
これによりて、世尊、小乗とて大いにきらいたまえり。 かの法身の当体をさとらざる故に、二乗の智恵にては、仏の内証、菩薩の境界は、
いまだ夢にも見ず。
これまた二乗の、一重のまよいなり。
さきの凡夫のまよいとともには二重なり。
二乗は法身にまようこと一重。
凡夫は法身にもまよい、また二乗のさとりしところにもまよう故に、二重のまよいなり。
こうなる^^ われわれが自己の本体(アートマン)が何であるかを
知らないこと(無知,無明)がきっかけとなって展開したものであり,つまりわれわれの
日常的認識(分別,迷妄)が作り出したものであるとする。
「いまだこの身の、法身如来なることをしらず」
大体同じ^^ 本体(アートマン)=法身如来か・・・^^
とこうなる^^ >>747
その訳が間違ってるのです。
仏教では無我非我として、アートマンは我ではない。
諸法無我として、すべてはアートマンであるとしてるのです^^ ・・で
「人の体は星屑で出来ている」とこうなる^^ 「人の体は星屑で出来ている」となると・・・^^
梵我一如(ブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)とは同一である)となる^^ しかし・・・^^
「凡夫は法身にもまよい、また二乗のさとりしところにもまよう故に、二重のまよいなり。」
こうなる^^ 「三界一切の衆生、その中におぼれて、ついに出る事あたわず。」^^ かの法身の当体をさとらざる故に、二乗の智恵にては、仏の内証、菩薩の境界は、
いまだ夢にも見ず。
これまた二乗の、一重のまよいなり。
「仏の内証、菩薩の境界」この表現がなかなか^^ >>691
本当の事を言った迄にゃん!
貴殿もやっぱり僧兵にゃん?
南無南無 (-∧-)合掌・・・
>>654 麦師匠へ
悟りを開かれる以前は
六師外道(かもしれない)ウッダカ・ラーマプッタ師匠から
非想非非想
サマタ?ヴィパッサナ?のようなものとか?を教わっていたらしいでつね
(リンク貼り憑けできない)
大念処経(マハーサティパッターナ・スッタンタ)
どのように観察して、
「この不浄である身」を、どのように正念するのか
この体は皮で覆われ、中には不浄の物がある
…大便…その他諸々
_ _ _
これを見ると
八正道(はっしょうどう)
正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定
という感じがしますね?
間違ってたら スマソ m(_ _)m
青目(ピンガラ) 中論 觀法品 第十八
八正道を修習しながら
我と我所の因縁を滅すれば
無我や無我所という決定した智慧を得るだろう
>>764の続き
心理療法
認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)
マインドフルネス認知療法(MBCT)
と関係あるらしい↓
ttp://www.j-theravada.net/pali/key-ariya-attangika-magga.html
八正道
サンマー・サティ
正念
英訳は mindfulness
_ _ _
>>764のリンク先
大念処経 - yu san.sa ku ra.ne.jp これからは名前の前にフラン
シーヌを付けるにゃん♪(笑)
南無南無 (-∧-)合掌・・・ 八正道か・・・^^
真理に到達するには八正道を修習しなければならない^^
ただこれだけ^^
ブッダちゃんならこのように言うであろう^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています