感興の言葉 より

40 ここなる人が苦しみを見ないというのは、見ない人が(個人存在の諸要素の集合が)
アートマンであると見ることなのである。
しかし(すべてが)苦しみであると明らかに見るときに、ここなる人は
「(何ものかが)アートマンである」ということを、つねにさらに吟味して見るのである。

はい、前半の一文・・・

「人が苦しみを見ないというのは、見ない人が」・・・・これは、無明に覆われている人、
即ち凡夫・・・一切皆苦を理解していない人・・・を、「苦しみを見ない人」と言ってるの。

そして、そういう人が誤って「アートマン」を己に見るわけ。

第二文・・・・
「しかし(すべてが)苦しみであると明らかに見るときに、ここなる人は
「(何ものかが)アートマンである」ということを、つねにさらに吟味して見るのである。」

これは、一切皆苦が分かっている人は、『何がアートマンであるのか?』 を
⇒「さらに吟味してみる」 即ち、とことん探求する が、その結果、アートマンなどない
と言うことが分かると言ってるのw

これは、次の41を読めばさらに明らかw

41 (無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、
その(無明が)あるが故に、すがたをさらに吟味して見るということが起るのである。
この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも消滅するのである。

無明に覆われて、即ち、何もわかっていない凡夫は、一切皆苦が理解できない。
だが、「その分かっていないこと」が真実を求める原動力ともなるのであって、とことん探求した結果、
「アートマンなどない」ことが分かり、その探求自体も終了する・・・・ってことw