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外道の独り言 10
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/07(木) 18:03:38.07ID:H6r2gUk/
 
「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです

自由に書き込みしたい方は↓こちらへ

ひだ =^・ ・^= まり
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1500265524

前スレ
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1526072224/
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
0003おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/07(木) 22:01:39.35ID:H6r2gUk/
 
涅槃に導くための対機説法としては

とりあえず
「涅槃がある!」と導いていく

大乗の世界観をもって
根本仏典とかの菩提分法を実践する
3.0とかの場合は

とりあえず
無住処涅槃を前提として

たとえば
四界分別観とか
第一禅定とかの実践という感じに進めていきます

最終的には
「無住処涅槃がある!」と
掴もうとしている『想い』も手放して
縁起している世界も手放して超えていく

という無住処涅槃に導くための対機説法でつ

ちなみに
おじゃるは
呼吸を 3秒くらいしか見れないでつ m(_ _)m
0004神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/07(木) 22:47:51.54ID:/JEqxDZn
≪無霊魂論としての仏教≫
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar2.pdf


●無我だけを強調するのは、断見になるのではないか?

常見:死んでも「私」(我、アートマン)は残る、と考えること
断見:死んだら何も残らない、と考えること

このどちらも辺執見(極端な考え方)であり、それを離れることを仏教は教えている。
常見・断見は一般的に有る無しを問題にしているのではなく、死後にこの私がどうなるか、を問題にしているのであって、
どちらにも共通しているのは、<生きている間はこの「私」が確かに存在する>ということだが、そのこと自体が否定されているのだから、
「アートマンはもともと存在しない」と主張することは、 断見とはちがう。
断見とは「生きている時はアートマンが存在するが、死ねば消滅する」ということである。

また、有無中道に関しても、龍樹の説く中道とは単に中間ということではなく(そもそも「有る」「無い」の中間の状態ということはありえない)、
一切の実体と認めない(空)のであるが、だからといって虚無主義になるのでなく世間的な約束事・概念として(仮)設定される、ということだから(空仮中三諦)、
無我説を強調することは中道と矛盾しない。


●仏教は輪廻転生を認めない

アートマンを認めない以上、輪廻転生の主体が存在しないので、少なくとも実体的な輪廻転生はありえないはず。
しかし実際には、様々な学派によって、アートマンなしの輪廻転生を可能にする理論が構築されていった。
たとえば: 説一切有部の場合:五位七十五法なる実体的構成要素の組み替えによって輪廻を認める
唯識派の場合:アーラヤ識によって輪廻を認める
そのほか:プドガラやプルシャなど、アートマンに類似した存在を構想

「この世からあの世へと繰り返し繰り返し、生まれ死ぬ輪廻を受ける人々は、無明こそによって行くのである。
この無明とは大いなる愚痴であり、それによってこそ長い輪廻があるのである。
しかし明知に達した生けるものたちは、再び迷いの生存に赴かない。」(スッタ・ニパータ729,730)
0005junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/07(木) 22:59:36.90ID:uijYp0Jk
前スレ>>966(その1)
>さて、改めて阿頼耶識とは何でしょうか?
>この六つの識を取りまとめるおおもとですか?
>仮におおもとであるとしてそれをどうやって実証するのでしょうか?

先述した通り、唯識は「全ては心がつくりだす」という視座です。そのおおもとが阿頼耶識で、その阿頼耶識が分析されて他の七識に「転変」致します。
また、阿頼耶識という常・一・主・宰的な保管場所があるのではなく、刹那生滅する種子(記録)が仮置きされておるのです。
実証云々については前スレ>>961.2でレスした通りです。

>とありますが、阿頼耶識はそもそもが不可知執受処了なのですから

先述した通り、「無意識の世界故に全体をつまびらかにすることはできない」との解釈で、実証不可能という意味ではありません。
0007junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/07(木) 23:51:25.98ID:r3C3sWiI
プロバガンダってやつですか。

「あなた方は実は騙されていたんだ!」という手法は、戦後のGHQの巧みやり方を想起させられます。
その方が刷り込み安いですからね。
0008神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 00:17:18.18ID:7b4LEsIC
>>5
唯識の視座は唯識が立てた仮説であって実証は不可能です。
阿頼耶識についても最終的には空であり実体はないとする無相唯識の他に、玄奘三蔵から法相宗に繋がる阿頼耶識を実体視する有相唯識もあります。

いずれにしても
一切は阿頼耶識が変化したものにすぎない(唯識所変)…)
阿頼耶識が因と縁との力によって生ずる時,内的には種子と有根身とを変化せしめ,外には器世間を変化せしめる。
そして阿頼耶識から変化したもの(所変)を阿頼耶識は自らの認識対象(所縁)としている。
http://junsoyo.on.coocan.jp/yuisiki/sanjuu3.htm

これはシャンカラの不二一元論のブラフマンを阿頼耶識に変えただけ(歴史的にはシャンカラが阿頼耶識をブラフマンに変えたのですが)であり
仏教ではやってはいけない実体視というものをやらかしています。
例え無相唯識の阿頼耶識は空であるという論を取ったとしてもです。
阿頼耶識が一切法の根源となっているというのはバラモン教ヒンドゥー教のブラフマンアートマン論と実質変わりありません。

そしてこれだけの論を展開させてるにもかかわらず
「無意識の世界故に全体をつまびらかにすることはできない」はおかしいですね。
かなりつまびらかにしているではありませんか。
0009神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 00:31:53.03ID:7b4LEsIC
>>6
阿頼耶は単に蔵という意味で相応部から使われていたと思いました。

あとは
問8-10 有分(bhavaṅga)とは何ですか?

答8-10 西洋の学者は、有分を潜在意識と言う風に翻訳していますが、実際、それは潜在意識ではありません。
《アビダンマ》によると、我々はそれを有分「識」と呼びますが、それはあくまで意識なのであって、潜在意識ではありません。
多くの修行者が、有分に落ちた時、彼らは何も知らない、知らない状態になったと言いますが、有分識は、現在の対象を認知しないからです。
それは前世の臨終の時の対象を認知します。
その対象は、業、または業相、または趣相です。
しかし、通常は、修行者が縁起を修行する時初めて、この状況を理解する事ができるようになります。
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/08/25/101746
こちらは阿頼耶識とは違って修行次第で認知は可能な識です。

あとは種子とか人格の持続とかですが
「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、
奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
(相応部 子がいない)
と阿頼耶識を使わずとも業で説明がつきます。

腑に落ちたのは滅尽定という意識を止めた時にでも生命を維持できるのは阿頼耶識のお陰という説でした。
これはテーラワーダではどう説明しているのか調べてみます。
0011junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/08(金) 00:53:30.19ID:rKNHlOF+
>>9
仏教は奥が深く、話し始めると尽きないものですが、論点を絞って頂くと助かります。
私は、以下についてレスについての反証をしております。

1. >>907(前スレ)
> なぜなら「阿頼耶識という根本識があるのだ」
> という思考は、インド思想から言ったら、根本魂、
> アートマンと同じ話だからです。
> 明白な実体論に陥っているのです。

2. >>907(前スレ)
> 唯識派の人々は「変わらない実体はない」とい
> う真理を説明することができなかったのです。

3. >>907(前スレ)
> 唯識論は自己矛盾です。阿頼耶識は「認識でき
> ない知識」なのに、それをどうやって説明でき
> るというのでしょうか?
0012junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/08(金) 01:10:10.36ID:rKNHlOF+
私の主張している唯識は、刹那生滅説、三性説、十理説に立っています。
上記の1〜3に対する私の反証もこの三点に依ってます。
0013junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/08(金) 01:15:16.61ID:rKNHlOF+
ご周知の通り、そもそも世親は有部から大乗に転向された方ですし、唯識は有部等の理論を補完発展させたものとおもいますので、まぁ、外してはいないと思うんですが。
0014おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 01:28:48.77ID:ImT6RWsx
 
>>9
>滅尽定
>テーラワーダではどう説明しているのか調べてみます

↓ちゃんと読んで、そして理解して

ttp://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
四禅を超えて想受滅(滅尽定)

原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに
無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる

想受滅においては
諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している

浄静な諸根と客観(仏そのもの)がある

想受滅を得て、心解脱する
「想」にならない寂静を体験することとされる

ttps://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
長部経典 第9経 ポッタパーダ経(心作用の消滅)

決して意思せず、また意思活動をしない
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
滅に触れる
このようにして、順々の正知による想滅定(滅尽定)が生起する
0015おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 02:06:42.52ID:ImT6RWsx
 
>>14の続き

>>9 ↓これも読んで

上座部 パオ・セヤドー
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/?page=1438554645
((仏そのもの)仏性からの真如縁起をもって)
究竟法を照見する

非想非非想の世界に入る
そして
非想非非想の世界も
縁起している世界も手放して超えて
そして
滅尽定

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
(仏性からの真如縁起をもって
  「仏そのもの」の世界から観照する)
因縁生滅智
刹那生滅智
0016基地にゃん♪
垢版 |
2018/06/08(金) 04:01:54.11ID:pMZ8bDnP
皆の衆、お早うにゃん ♪ (^o^)ノ”

これから滝にうたれて来るにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・
0017おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 11:48:49.99ID:ImT6RWsx
 
ttp://nbra.jp/publications/72/pdf/72_35.pdf
ダルマキールティの大悲論 論じ残されたこと

仏世尊には般若があり
あらゆる対象に対して(無明が)再起しない本性になっている

如実・不顚倒なる事を教示する

完全な直観と論理の体現者

聖人は知覚不可能なものを告知する

因果円満の故に認識所依たる方

認識所依たることは仏の大悲からくる

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-pakinnaka.html
初期仏教の世界
(さとりに達するための修行の障害(覆)がない無覆無記?)
純粋な(単純な)
canda チャンダ 意欲。やる気
  _  _  _

仮設としての
意欲(チャンダ)も
最終的には手放していく
そして

>>9 ID:7b4LEsIC師匠へ

どこの誰が?解脱智見を知覚するのか?
0018神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 12:18:52.16ID:xSc7mrTP
>>8
阿頼耶識の存在証明については、昔から議論されていたようで、唯識側から「五教証・十理証」という見解が呈されておるようです。
下記の引用はプレビュー版ですが、ズバリそのものに対する解説がされておりますので、以下(P54〜)ご参照ください。

https://books.google.co.jp/books/about/%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%88%9D%E6%AD%A9.html?id=UHPK0270Ck0C&;printsec=frontcover&source=kp_read_button&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
0019神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 12:40:16.96ID:Z+WlqJ+y
じゃんきー、またハッタリですか。
0020神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 13:13:07.36ID:Z+WlqJ+y
ジャンキーの本性笑。発狂して荒らす。

ニート指摘で怒り狂ったのか?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1528380689/l50
216神も仏も名無しさん2018/06/08(金) 12:50:54.20ID:xSc7mrTP

> (1)見えないものの現存感と実体的意識性
> (2)神の声と幻聴
> (3)見神と幻視
> (4)啓示と思考注入・妄想着想
> (5)超越者からの支配感(召命感)と被影響体験・させられ体験
> (以上、前にあるのが宗教体験で、後にあるのが統合失調症の体験)

確かにこのスレ等でもそうした実例がリアルに見られるね。

(1)「黄金の炎が立ち上がるのを見た」
(2)「智慧の声がしたのじゃ〜」
(3)「胸の上に黄金仏が立っていた」
(4)「南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww」
(5)「仏像が礼拝を要求してきた」
0021大変です、ジャンキー様がフル発狂してます
垢版 |
2018/06/08(金) 13:28:36.20ID:Z+WlqJ+y
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1527236948/l50

大変です、ジャンキー様がフル発狂してます・・・・・・・・・・。

995Junkie-Ooyama..2018/06/08(金) 13:22:44.62ID:xSc7mrTP
0023おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 13:34:11.03ID:ImT6RWsx
 
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

唯識初歩 心を見つめる仏教の智恵
ttps://books.google.co.jp/books/about/%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%88%9D%E6%AD%A9.html?id=UHPK0270Ck0C&printsec=frontcover&source=kp_read_button&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false

28ページ参照

(「仮設としての」という意味で)
阿頼耶識
本来、清浄無垢
ある意味では『仏さまの心』

さとりに達するための修行の障害(覆)がない『無覆無記』

ttp://jairo.nii.ac.jp/0180/00000655
チベットに伝わる心の訓練法
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
道の本体は阿頼耶の自性に置くこと
(大円鏡智の世界から → 阿頼耶識を観照する)
  _  _  _

それでも
最終的には
仮設としての
阿頼耶識も手放して
縁起している世界も手放して超えて

そして無住処涅槃
0024とある日のジャンキー大山
垢版 |
2018/06/08(金) 13:52:28.74ID:Z+WlqJ+y
317junkie- ooyama2018/03/29(木) 01:48:40.40ID:6dBBXvqE>>322>>324

>>316


↑これは善?悪?

324栄進2018/03/29(木) 06:37:34.64ID:be3hHMUn>>326

>>317
ほら、そうやってはぐらかして煙に巻こうとする。
◯←だから人を殺してもいいんですか。

そんなもん悟りでも何でもない。
ただの思考停止です^^

335晃 ◆HOKKEvxAGE 2018/03/29(木) 08:13:05.02ID:LwHhiJ4S>>341

ジャンキーのやってることは
1+1=2ですか?という問いに
○は善ですか悪ですか?という問いで返してるだけ

話のすり替え
0026神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 15:54:04.71ID:7b4LEsIC
>>10
刹那生滅は有部→経部→唯識の流れでそれらの部派は有為法について刹那生滅するものと説き、
阿頼耶識は唯識において有為法に含まれるので刹那生滅するのは教理からして当然とですかね。
ただ法有を説く有部においてもその実有なる法は刹那生滅するので、刹那生滅そのものは有無とは切り離して考えるものと思われます。
そして阿頼耶識においては刹那生滅する存在とは言え「種子生種子」ですから結局は
過去から未来へと同じ相のものが引き継がれるという点で魂、アートマンと類似しています。
一切の根源となる存在でもあり根本識としての役割を十分に果たしているのではないでしょうか。
刹那生滅とか最終的には空(無相唯識の場合)とかでアリバイを作ろうとしているのかもしれませんが、
実質的にはアートマンと大差はありません。

「阿頼耶識は無始の時より来た一類に相続して常一に似るが故に有情は彼を執して自の内我と為す」

しかしそれよりも問題なのは、阿頼耶識の性格がなぜこのように露わになってしまうのかということです。

不可知執受 處了常與觸     不可知の執受と 処と了となり常に触と
作意受想思 相應唯捨受     作意と受と想と思と 相応す唯し捨受のみなり

これは調べてみたら
>阿頼耶識は心の深層にあり、知ることはできない。
>執着を受け、行為を蓄えるところであり、認識をする。
>常に遍行の心所である触と作意と受と想と思とに相応し、ただ捨受し続ける。
http://d.hatena.ne.jp/chuchan/20090609/1244497127

と訳しているサイトもあり、「全体をつまびらかに」と表現を和らげるフレーズが入っていませんが、
まあそこは解説している学者やお坊さんの思慮とかがあるのでしょう。
でも、たとえ「阿頼耶識は心の深層にあり、全体をつまびらかに知ることはできない」とマイルドな解釈にしたとしても、
その割には阿頼耶識の実相や役割などが唯識ではつまびらかに説明されており、それは矛盾ではないですか、ということです。
0027神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 15:54:40.70ID:7b4LEsIC
「『成唯識論』に、
《人間が刻々に変わるものであるならば、なぜ、記憶とか、稽古ごとの習熟とか、怨みを忘れぬとか、恩に報ゆるとか、過去の行為の結果があらわれるとか、六道輪廻するなどと云うことが  あり得るのか?》
という質問を設けているところがある。そしてその答えは『非常非断の阿頼耶識があるからだ』という。
つまり人間には刻々変わってつながらない一面(非常)があるのはたしかだが、同時に、つながる面(非断)もあるからだというのである。」(71頁)
と述べ、さらに

「阿頼耶識を実体視してはならぬことを、しっかり胆の底にたたきこんだ上でのことだが、阿頼耶識の連続性、自己同一性の面を唯識が捉えていることには、積極的な大切な意味があることも見落としてはならない。」
http://www.homyou.hello-work.jp/ron39.html
0028神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 15:55:16.97ID:7b4LEsIC
>>14
ご紹介ありがとうございます。
ただ私が知りたいと思ったのは「滅尽定とはどのような禅定か」ではなく、「滅尽定中の生命の維持は名色のどの部分が担っているか」ということであり、
その答えは紹介されていたサイトには見つけることはできませんでした。
私の目が節穴だっただけな気もするので、ちゃんと読んで理解されている貴方がその「滅尽定中の生命の維持は名色のどの部分が担っているか」について
解説してある箇所を引用してくださると大変ありがたいです。
何卒よろしくお願いいたします。


>>18
ありがとうございます。
ただしそのプレビューでは「54〜60ページはこのプレビューに表示されません」となっておりました。

ただ他の点で少々…。
著者個人ではなく薬師寺あるいは法相宗の教義なのかもしれませんが、阿頼耶識について
「阿頼耶識は自己執着心である末那識とは違い、本来、清浄無垢な存在です。ある意味では、佛さまの心といってもいいものです」(28P)
とあり、佛さまをブラフマン、阿頼耶識をアートマンに例えたりすることができてしまうのではないのかなと気になりましたが。

五教証・十理証ですが、十理証らしきものが
http://www.homyou.hello-work.jp/ron39.html
上記サイトにちらっと書かれていますが、阿頼耶識の代わりに業と結生識 patisandhi viññânaとアートマン(又はプルシャ)を入れても解決できそうな証明問題だと思いました。
もっとも、仏教なのでアートマン(又はプルシャ)は使えませんがw
0029junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/08(金) 16:05:44.41ID:vY06ZYDM
>>26
>そして阿頼耶識においては刹那生滅する存在とは言え「種子生種子」ですから結局は過去から未来へと同じ相のものが引き継がれるという点で魂、アートマンと類似しています。

まぁ、そうでしょうね
刹那生滅が無ければ常・一・主・宰のそれと実質同じですからね。
それを言ってしまうと、業の相続も似たようなもんですが。

>一切の根源となる存在でもあり根本識としての役割を十分に果たしているのではないでしょうか。
刹那生滅とか最終的には空(無相唯識の場合)とかでアリバイを作ろうとしているのかもしれませんが、実質的にはアートマンと大差はありません。

仏教の抱えてる無我と輪廻の矛盾について、唯識は、まぁ、都合良く説明が出来ますからね。
0030junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/08(金) 16:08:58.28ID:vY06ZYDM
>>26
>でも、たとえ「阿頼耶識は心の深層にあり、全体をつまびらかに知ることはできない」とマイルドな解釈にしたとしても、その割には阿頼耶識の実相や役割などが唯識ではつまびらかに説明されており、それは矛盾ではないですか、ということです。

先人が深い禅定により覚知された事なので、私にはなんとも。
0031junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/08(金) 16:19:10.22ID:vY06ZYDM
>>28
>著者個人ではなく薬師寺あるいは法相宗の教義なのかもしれませんが、阿頼耶識について「阿頼耶識は自己執着心である末那識とは違い、本来、清浄無垢な存在です。ある意味では、佛さまの心といってもいいものです」(28P)とあり、佛さまをブラフマン、阿頼耶識をアートマンに例えたりすることができてしまうのではないのかなと気になりましたが。


「存在である」と書いてあると、読み手はそのように受け止めてしまうとおもいます。
実質は・・・というとまた言語により実質を仮設してしまうのでなんですが、阿頼耶識も縁起する空性もの(←これも誤解を招くw)です。
0032おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 17:23:09.12ID:ImT6RWsx
 
『仮設としての』という意味で
ttps://blog.goo.ne.jp/seikannamo/e/f05bb0f12b5a39000697ee19ee906c5f
阿頼耶識が
見られるものを縁じ
見るものを縁ずるという働き

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする

>>28
>滅尽定中の生命の維持は名色のどの部分が担っているか

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/215935
上座部 パオ・セヤドー
有分心
生命相続流
  _  _  _

無為法の世界 − 滅尽定の世界

有為法の世界 − 仮設としての。有分心(生命相続流) − 実有ではない

>>28
>解説してある箇所を引用して
(仮設としての。有分心(生命相続流)に依存している)
諸根(眼耳など)の働きはある
ttp://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
0033おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 17:43:31.35ID:ImT6RWsx
 
>>28
>滅尽定中の生命の維持は

ttps://www.yuishiki.org/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%A8%E7%A9%B6%E7%AB%9F%E4%BD%8D/

無為法の世界 − 第九意識(完全なる涅槃?)

有為法の世界 − 仮設としての。阿頼耶識、その他諸々…
  _  _  _

究極的には?
第九意識
仏性からの真如縁起による − 生命の維持

それでも
無為法の世界 − 滅尽定の世界に入ってる時でも

基本的には?
仮設としての
縁起している世界の中の
有分心(生命相続流) − 生命の維持(実有ではない)
  _  _  _

間違ってたら スマソ m(_ _)m
0034おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 18:14:10.94ID:ImT6RWsx
 
>>28 ID:7b4LEsIC師匠は
とりあえず
根本仏典とか
上座部とかは肯定派なのかしらん?

もし、とりあえず根本仏典とか肯定派なら

生命の維持は
仮設としての
縁起している世界の中の
有分心(生命相続流)ということで良いと思いまつ
  _  _  _

大乗には批判的なのかしらん?

大乗の場合は
円成実性の世界から → 依他起性している世界を観照する
(円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)

無住処涅槃に導くための対機説法でつ
ttp://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%84%A1%E4%BD%8F%E5%87%A6%E6%B6%85%E6%A7%83

縁起している有分心を主体とするのではなくて

円成実性の世界から見る
法界体性智の世界から見る

という感じであるらしい

間違ってたら スマソ m(_ _)m
0035基地にゃん♪
垢版 |
2018/06/08(金) 20:27:19.94ID:oe5D/mvX
嫌な事を忘れたいなら小難しい

屁理屈よりも単純で楽しい事を

考えた方が人生はより良い物に

なるにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・
0036神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 21:25:32.93ID:7b4LEsIC
>>29
まずはあなたとの問答で唯識への理解が少し深まりました、ありがとうございます。
業はテーラワーダではkammassakata「業を自己とすること(業自性)」という言葉があり、
スマナサーラさんの解説によると「生命とは業です」という意味となるそうです。
ただ業=生命には神秘も秘密もないのですが、はっきりとあるものである宇宙が4%しか知りえてないのと同様に、(壮大すぎて?)理解しづらいのだそうです。

>>30
その深い禅定とはどのような禅定だったのかちょっと興味がありますね。
資料もなにもないのですが、いきなり五重唯識観での禅定・観察だったとしたら凄いことです。
もっとも、阿頼耶識論を構築した(修行論風に言えば観察して阿頼耶識を発見した(一応))のは唯識の黎明期ですから三重観くらいだったのかもしれませんがw

>>32-34
重ねてありがとうございます。
なるほど、有分心だったら納得ですね。
って、自分で>>9に書いておいて気づけない自分は何なんだという話ですが…。
0037おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 21:33:07.25ID:ImT6RWsx
 
>単純で楽しい事を

陽気ぐらし
天理教かしらん?

仏教の
中観帰謬派とかの場合は

単純で楽しい。という『想い』に執着するな

単純で楽しい。という『想い』も手放しせよ

という感じらしい
0038神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 21:35:15.78ID:7b4LEsIC
≪業のポイント4 起源≫  

 仏教からいえば、業(カルマ)は起源なのです(kammayoniカンマヨーニ)。
起源、つまりorigin(オリジン)です。これは難しいポイントになります。
Yoni(ヨーニ)とは、胎、子宮、生、生まれること、起源、原因などという意味です。
業が生命を生み出すのだということですね。生命を創ったのは業です。業が初めて生命を誕生させるのです。  
 この業のはたらきを、宗教の世界では「神」を使って語ったりしています。
地球はこうやって現れた、それから空がこうやって現れた、それから人間を創って、動物を創って……などと、宗教ではoriginの物語を語りますね。
いろいろな世界で、文化ごとにストーリーは違っていますが、天地創造の物語はあります。
 しかし、仏教にいわせれば、神という超越した存在が創造するのではないのです。
何より仏教には絶対的な「神」という概念はまったくありません。
神・創造主という概念は、もう頭がそうとういかれている人しか考えませんよ、ということで最初から取り合わずに捨てています。
真理を語る仏教は、業という、理解しにくいエネルギーがどんどん生命を生み出すといいます。
創造者というのは、業のことです。
業とは、自分そのものでもありますから、創造主にお願いして特別に自分をVIP扱いしてもらいたいと思っても無理です。


アルボムッレ・スマナサーラ. ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実
0039おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/08(金) 21:57:43.46ID:ImT6RWsx
 
>業という、理解しにくいエネルギーが…

輪廻否定の場合は、どうなのか?わからないけど

とりあえず
仮設としての。という意味で
輪廻肯定の場合なら

無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
この無明薫習に依存して

(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存して

我所がある
我もある
と掴もうとしている想いが現れ、そして滅している

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
初期仏教の世界
(仮設としての。無明薫習に依存している)
渇愛(タンハー)
無明と渇愛が絡み合って
無始なる過去から(輪廻を繰り返し)終わりなく苦しみをつくり出しています

客観的に(仏の世界から)
自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう
0040基地にゃん& ◆ncsXerdOMQ
垢版 |
2018/06/08(金) 23:11:03.55ID:oe5D/mvX
天理教と言われたにゃん🎵(笑)

基地にゃんは如何なる組織的

宗教団体とも微塵も関わって

居ないにゃん🎵

「サイの角の様に唯独り歩め」

の仏教徒に過ぎないにゃん🎵

南無南無 (*^人^*)
0041承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/06/08(金) 23:17:44.31ID:Miz068J/
たぶんどこぞの自称仏教のカルトに騙されて仏教を逆恨みしてるんだろう。(笑)
バカカルト信者と同じく自ら墓穴掘ってる阿呆だが、

(^。^)微塵も哀れと思いません。(笑)
0042神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/09(土) 01:04:47.53ID:YvrcGTGW
輪廻転生を説いたのは誰なのだろう
輪廻転生をどうして知ることができたのか
輪廻転生で神々に生まれても、また、人間に落ちてくるとか、よく、わかったと思わない?
そこには、なんらかの、異次元体験、神秘主義的なものがあったのじゃないかなあ

主体があると、思っている力が、ある限りにおいて輪廻転生があるけど、その業の回転が、実は我ではなく、縁起しているだけと気付いたら解脱します

ってイメージかと思ってるけど、単なる想像です
0043承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/06/09(土) 01:20:02.82ID:SXc1vmlC
宗教が出来て宗教体験が出来るようになったんじゃない。
不可思議な体験は元からあって、宗教と名付けたんだよ。
つまり、適応してるうちに現在の形になっただけの話だ。
輪廻も仏教という枠も全て縁起してこうなった。

(^。^)お分かりかな?(笑)
0045アラフェス
垢版 |
2018/06/09(土) 04:11:56.50ID:DCWyIuvC
私は校長に命を救われた。
麻薬反応なしと言われ、疑惑が減った。
0046おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/09(土) 10:09:59.44ID:KdtMPA6n
 
>輪廻をどうして知ることができたのか?

↓見当違いの答えの場合は又、指摘して下さいませ m(_ _)m

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A
六神通
止観の瞑想修行において、
止行(サマタ禅定)による三昧の次に、観行(ヴィパッサナー智慧)に移行した際に得られる
自在な境地を表現したものである

宿命通 − 過去世(前世)を知る力

漏尽通 − 煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力

ttp://web.archive.org/web/20060812045025/http://www012.upp.so-net.ne.jp:80/asia21/tiken7.htm
上座部 パオ・セヤドー
如実知見
涅槃を見るための観智

生起と消滅の観法(随観集滅法)

これには 『 過去世の五つの因を照見することも含まれる 』
(今、解脱すれば来世は無いかもしれないけど、それでも、とりあえず)
来世において阿羅漢道を証悟するときに
無明などが消滅すること
および最後の般涅槃の時の五蘊の消滅を照見することも含む

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
自在力(神通力)を得るための
四神足
観神足 − 智慧をもって思惟観察して、すぐれた瞑想を得る
0047おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/09(土) 10:47:47.43ID:KdtMPA6n
 
↓真如縁起を前提としている場合は

ttp://nbra.jp/publications/72/pdf/72_35.pdf
ダルマキールティの大悲論  論じ残されたこと

(仏そのもの、仏性からの真如縁起によって)
真理の教示によって彼は<教師>であるから
<輪廻の泥から世人を引き抜き給える>のであって

(仮設としての、無明薫習に依存している)
神通や恩寵の威力によって(引き抜き給えるの)ではない
  _  _  _

道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
(仮設としての、無明薫習に依存して)
修行したり、悟り証したりすることもない
  _  _  _

普通は
無明薫習に依存しているので
「修行したり、悟り証したりする必要がある!」という想いが現れるけど
この場合は
無明薫習に依存しているのなら
「涅槃に住むことは出来ない!」という意味で
掴もうとしている『想い』を手放して超えて
そして『涅槃』というような感じであるらしい

間違ってたら スマソ m(_ _)m
0048Junkie-Ooyama..
垢版 |
2018/06/09(土) 10:54:07.97ID:EFVrWnFO
「何でかは分からないけど、この代数を入れると問題が解けてしまう」って事もある。
輪廻転生も起源はそんなもんかもしれないよw

無(非)我をとなえたお釈迦様が輪廻転生説を排せず保持されたのも、存外そんな理由だったりしてねw
0049基地にゃん♪
垢版 |
2018/06/09(土) 10:57:16.90ID:BlCeNxZE
生き地獄の六道に落ちてきた咎人

が自力で彼岸に渡る等有り得ない

と思うにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・
0050おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/09(土) 11:20:16.30ID:KdtMPA6n
 
>自力で彼岸に渡る等有り得ない

それゆえに
信心ですら阿弥陀仏より授かったものであり
自力で往生などしようとしないで
一切の物事を阿弥陀仏にお任せする
という他力の真如縁起?でつね?
基地にゃん♪師匠

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

この矢印の方向を見ると
真如縁起からの他力?という感じでつね
0051基地にゃん♪
垢版 |
2018/06/09(土) 12:09:33.84ID:bmu6kcZ1
>>50

相互作用と言えば理解に近いにゃん?

南無南無 (-∧-)合掌・・・
0052神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/09(土) 15:02:51.64ID:bdQPItom
>>49
例えば死後地獄に転生した時点でどのくらいの期間(何劫とかいう長い時間になる)を地獄で生きるのか決まってると思いましたよ。
懲役みたいなものですね。
その期間が過ぎたらそこでの生を終えてまた生まれ変わると。
0053神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/09(土) 22:08:12.69ID:bdQPItom
グナラタナ長老 (Ven. F.Gunaratna)


 「渇愛が生存をもたらす」ことは理解しがたいことでしょう。どの瞬間にも、気づかぬ間に業を積み、潜在力(行蘊?)が蓄積されています。
この潜在力は、今の身体が滅びた後、次に結生するための強力な縁になります。結局「生きたい」という渇愛が、新しい「生」を生起させているのです。

 死ぬ瞬間の業は、その直後に、結生識を生み出します。それが新しい物質(精子と卵子)と結合して、次の「生」を生み出すのです。
つまり結生識を主として新しい名色(心と身体)nama-rupa が生起するのです。臨終直後には、このように過去の意業の果が現れるのです。
科学者たちは「エネルギーは不滅であり、形を変えながら保持し続ける」と言います。それでは何が生存から生存へと移転するのでしょう?

 業ですか、業の果ですか、識ですか?

 いずれも答えは否です。どれも移転しません。業には計り知れない力があります。それが次の生存に影響を与え、新しい「生」を生み出すのです。このとき、距離は妨げになりません。
「識は生存から生存へと移転する」という誤った見解を持つサーティ比丘にお釈迦さまは言いました。「愚か者よ、私は多くの根拠をもって、縁によって生じる識について説いてきたではありませんか。縁がなければ、識の生起はないと」(中部経典・大愛尽経)。
William Crooke 氏は、Edinburgh の精神科学の講義で「意業に基づいて心は物質を作り出す。このことがすでに実験で証明されている」と言いました。
心のエネルギーが別の次元に「生」をもたらします。このことを表現するために、便宜上「業が輪廻する」などの言葉を使用しているのです。
お釈迦さまは「生存から生存へと移転(輪廻)するものは何もない」ことを示すため、多くの比喩を用いて説明されたのでした。
何かが輪廻するのではなく、前の縁が、次の縁に影響を与えるのです。膨大な業のエネルギーが、別の世界で形態を作り、識を生み出しているのです。
0054神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/09(土) 22:10:27.10ID:bdQPItom
>>53の続き

 見落としてはならない重要な点があります。結生識は誕生前の胎児だけに生じます。この時期、胎児は母体の一部であり、まだ外の世界と接触していません。そのため、意識は有分bhavangaの状態にあると考えられます。
誕生後には、母体から分離して個別の存在となり、外の世界と接触します。この時はじめて、誕生前の有分心が、完全な意識作用(路心)vithi-cittaとして働くのです。

 距離が因果の連続性を妨げることはありません。前にも述べましたが、お釈迦さまは、「識は生から生へと流転する」と言うサーティ比丘を厳しく戒めました。移転するのではなく、前の識が、結生識を生み出すのです。
生まれてくる子供は、新しい両親の遺伝を継承します。しかしそれだけではありません。死ぬ前に自ら作った行為の印象を相続して生まれてくるのです。
たとえば同じ両親から生まれ、同じ環境で育った双生児は、それぞれ異なる性格を持っています。このことは遺伝だけで解明できるでしょうか?

 これまで私たちは、いくつかの観点から「死」を考察してきましたが、そのどれもが「生」における重要な要素になります。
死は壊れた電球のようなものです。電球が壊れると光は消えますが、電圧はかかったたままです。新しい電球を取り付ければ、また光が現れます。
同様に、絶え間ない生の流れがあり、今の身体が壊れても、業の流れは終息しません。業は新しい物体の中で流れ続けていくのです。
「類は類を呼ぶ」という法則に基づいて、過去の生き方、考え方、行為は、それに似た性質をもつ結生識を、即座に生み出します。
死の直後には、自ら為した身口意の善・不善業に相応する環境へ引き寄せられます。そして次の「生」が決まるのです。
http://www.j-theravada.net/dhamma/reflection-2.html
0055外道
垢版 |
2018/06/10(日) 00:01:12.52ID:PKSNMXmG
仏教信者は船戸結愛ちゃんの前世が悪いから
自業自得とでも言うのかな?
0056神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 00:13:26.10ID:+VfONulK
>>55
船戸結愛ちゃんの虐待死は悲しい出来事でした
虐待していたのは継父で無職だったといいますから幼児虐待死の典型的パターンでしたね

私達は、いや私達に限らず日本国内外の僧侶にしても結愛ちゃんの前世については不可知なのですから
前世が悪いから自業自得など言える筋合いも権利もありません
前世が悪いからなどと安易にいうのは結愛ちゃんへの冒涜です
0058神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 02:45:20.61ID:PKSNMXmG
>>56
神社仏閣板の「仏教は不幸な死は前世が悪いと言う」の
スレでは原因のない結果はないと言ってますが?
0059承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/06/10(日) 03:24:05.68ID:GWaouzdb
(^。^)横レス!

例えば修行の妨げとなるものを「三障四魔」などと言うが、これは業の障りもあれば天魔、即ちキリスト教で言う悪魔も挙げている。
原因があり結果があるのは当たり前だが、その原因が自業か他業(?)かはケースバイケース。
「自業自得」とは本来修行者自身を戒めるものだったのがフエンしただけの話。

同じようなので「親の因果が子に何とか」ってのもあるが、これは
「血筋」という神道の考えと仏教の因果が混同したものになります。
0060基地にゃん♪
垢版 |
2018/06/10(日) 08:09:29.24ID:NXc++BJJ
皆の衆、お早うにゃん♪(≧▽≦)ノ”

人生は「待ちぼうけの歌」にゃん♪

それを必然と見るか偶然と見るか

の違いが道を別けるにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・
0061神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 13:08:09.03ID:Lrn7VN/p
だってさ
すべてが縁起によって輪廻してて、業は、ずっとあるんだったら、永遠不滅やん
ほんで、悪いことしたら悪いことになるなら、悪いことした人はずっと悪いことになる?
叩いた人が叩かれた人と共にあかんくなって、どっちも、それが元で永遠に地獄みたいな人生やし
一方で良いことしかしてない人は永遠に良いこと人生になるやん
0062神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 13:09:13.73ID:Lrn7VN/p
もしも、それを変える主体としての意志があるっていうんなら、すべては縁起してるっていうのが破綻するしさ
0063神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 13:14:46.66ID:Lrn7VN/p
現象を自分で生み出したのなら、無我じゃないから、輪廻する主体があることになる
それなら、善を積むなどの、主体としての行為もできることになる
しかし、あらゆるものが縁起でしかない業であれば、すくいは、どこにもないはず
自動再生されてる、映画、五感付きみたいなものになるからね
0064学術
垢版 |
2018/06/10(日) 13:16:57.95ID:G65/wHBY
https://toyokeizai.net/

宗教教育者の育成に力を入れず育てない育たないから、
売春や、風俗 でのトラブル、若い娘がり性同一性の悩み、虐待、暴力、平和の隙で殺人行為が起るんじゃないかな。宗教戦争をクリアしている宗教教育者急募↓
0065神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 13:30:32.43ID:Lrn7VN/p
>>64
人と人の関係性が希薄になってるからだと思うよ
建前だけの世界で、本音は言えないから
0066学術
垢版 |
2018/06/10(日) 13:51:50.59ID:G65/wHBY
希釈して飲む出す山車のとき希薄な酒方がいいのか?
0067神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 13:58:48.64ID:Lrn7VN/p
>>66
なんの話?
人と人が本心で関わってないってことだよ
0068神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 14:30:50.89ID:+VfONulK
>>61
因果応報(いんがおうほう)

仏教用語。
原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。
善因善果,悪因悪果,三世因果などと表現される。

〘仏〙 前世における行為の結果として現在における幸不幸があり、現世における行為の結果として来世における幸不幸が生じること。
https://kotobank.jp/word/因果応報-32783

「業は滅びることなし」とは言っても因果応報ですから応報(業報)がもたらされたときにその業は終焉します。
しかしその応報(業報)がもたらされたときに為す何らかの行為は次の業にの因となります。
そういう意味では業は尽きることはありません。

で、「原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。」あるいは
「前世における行為の結果として現在における幸不幸があり、現世における行為の結果として来世における幸不幸が生じること。」
ですから、悪いことばかりしている人は悪い業報があるでしょうが、
蜘蛛の糸ではありませんが、人は何かしらの善いこともしているのですから、善い業報もあるということです。
普通の人は業報が善報・悪法のどちらか一方に傾いてそれが永久不滅に続くということはありません。
大悪人で地獄に堕ちた者でも一定期間を地獄で生きそして地獄で死ねばそこで業は清算され来世は別のところに生まれる可能性もあります。

>>63
無我とは永久不変なるアートマン(我)がないということ。
空として仮説された、無我である仮我は無常であり変わり続けるので、善を積むという変化も当然の如くあるわけです。
縁起だからこそ、今の自分や環境に満足してないというのならそれが縁となり変えてやろうという意志が起こるわけです。
0069学術
垢版 |
2018/06/10(日) 14:33:34.06ID:G65/wHBY
人と人? と人(人以外) が宗教の起こりじゃないの?触れることなしに交される
モノの方が尊いよ。
0070学術
垢版 |
2018/06/10(日) 14:34:57.45ID:G65/wHBY
アートマン ブラフマン ダスマン
0071学術
垢版 |
2018/06/10(日) 14:36:35.41ID:G65/wHBY
本心には依存心が伴うよ。癒しでもなく
、戦争でもなく テロでもなく と 過去を消していきなさい。
掃討は熟練者に任せて。
0072神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 18:06:55.01ID:Lrn7VN/p
>>68
例えば、人を叩いた人は、因果応報で叩かれるわけですよね?
そこで、輪廻が終わる??
その瞬間に、ありがとうと反応したら、カルマが消えるということだろうか
しかし、その叩かれた、叩いた、どちらの行為も、わたしの意志で起こったのではなく
単に昔の行為が原因で、帰ってきてるだけなんでしょう??
じゃあ、叩かれた人は、叩いた人で、あって、その人は、今度は叩かれて、どんな反応をするかも決まってるわけでしょう昔の反応をが、それを決めてないと、おかしな話になるからね

すべてが因果応報なら、自由意志はない

自由意志がないなら、輪廻から解脱するのは、不可能ではないか??

それこそ、たまたま、が無いんだから、悪人が善人になることは、永久にないでしょw
0073神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 18:13:33.31ID:Lrn7VN/p
>>69
えっと、なんのことなのかわかりません
人以外に宗教やってるのっていないでしょうw
0074神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 18:24:49.32ID:oDRtml9t
本心というのは、腹が立ったら、腹立つ
嬉しかったら嬉しい
そのような単純な気持ちでしょ
それが、普通に表現することは不可能でしょう
恐ろしく、心の狭い人間ばかりがなんだから

腹が立ったら嬉しいといい
嬉しかったら悲しいといい

それらは、強制された物語

どこに、信頼や愛が生まれてくるというのかw
0075神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 22:00:26.79ID:Bi+qumY/
>>72
「叩いた」ことが「叩かれる」原因になる、
という発想が、
そもそも、  人の・衆生の・凡夫の価値基準、分別、『願望』  以外の何であろうか・・・w

≪叩いたことの報いは、叩かれることであるべき≫というのは、
その人(≒叩かれた人)が、そう思いたいだけの話。
0076パーピマン
垢版 |
2018/06/10(日) 22:17:07.40ID:0opXQFnS
>私達は、いや私達に限らず日本国内外の僧侶にしても結愛ちゃんの前世については不可知なのですから
>前世が悪いから自業自得など言える筋合いも権利もありません
>前世が悪いからなどと安易にいうのは結愛ちゃんへの冒涜です

はい、全くそのとおりです。

結愛ちゃんの死は、結愛ちゃんが前世において悪業を積んだ報いなのでは絶対にありませんねw
これはもう、そういう親のもとに生まれついたのは運が悪かったとしか言えません。

決して「自業自得」などではなく、結愛ちゃんに何の責任もありませんよ。

(ただねえ、輪廻業報論を信じるバカが 「それは前世の悪因縁が祟ってそれを断ち切るには
・・・・うんちゃら、かんちゃら」とwww   とやるんだよなw)
0077神も仏も名無しさん
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2018/06/10(日) 22:49:36.40ID:Lrn7VN/p
>>75
どんなことであっても
たとえば、叩いたことが、叩かれるのではないとしても、
それらが、原因と結果によって起こっているのなら、わたしの意志で起こっているのではない
0078神も仏も名無しさん
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2018/06/10(日) 22:55:30.26ID:Bi+qumY/
>>77
そうじゃなくてw

「叩かれる」ことの遠因が、「叩いた」ことである必要はない、
ということ。

たとえば、
過去世で「知人を貶めた」から「叩かれた」という因縁で、どこに綻びがあろうか?w
0079神も仏も名無しさん
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2018/06/10(日) 22:59:57.53ID:Bi+qumY/
三世に跨る因縁(話)で問題となるのは、(問題とすべきなのは)、
(ハガレンじゃないがwww)、≪「行為」と「報い」は【等価交換】であるべき≫ という、
『分別、計らい、希望願望、願い、倫理観正義感』として、
バイアス、フィルター、色眼鏡がかかってねーか?

という話。
0080神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 23:01:06.23ID:Lrn7VN/p
>>78
まったく同意
叩いたから、叩かれるという因縁である必要はないですね
しかし、そのような因果応報が、自動で起こってるなら、わたしの行為も、自動で起こってることにならんかなあと
まあ、なろうがなるまいが、なんも変わらんかw
0081神も仏も名無しさん
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2018/06/10(日) 23:05:16.84ID:Lrn7VN/p
>>79
しかし、生まれてくるものたちは、生まれた時から違いがあるのは、遺伝子だけではあるまいという気もする
0082神も仏も名無しさん
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2018/06/10(日) 23:07:52.28ID:Lrn7VN/p
では、ある人間の一生は、覚者として山に籠るのであるが、もう1人の人間は、工場の歯車として一生を送る
これらの中で様々な因縁が生じていくが、それを形成したのは何と言うのだ?w
0083神も仏も名無しさん
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2018/06/10(日) 23:16:27.02ID:+VfONulK
>>72
あなたの例えは非常に分かりやすいので話を進めやすいですね。
更に分かりやすくするために前世(過去世)は抜きにして今生だけの話にしましょう。
(善悪の報を順現報受に限定して話を進めてまいりましょう)

今まで人を叩いてきたから因果応報で叩かれる、この時に終わるのは輪廻ではありません、叩いたという行為がもたらした業です。
その時にありがとうと反応したら多分善業を積むことになり、
ムカッときて叩き返してやったり復讐の機会を狙って別な時に何らかの報復をしたら悪業を積むといったことになる可能性が高いです。
また角度を変えて言えば、ありがとう、叩き返した、復讐、どの行為を取ったとしてもそれぞれがまた業となってその業報を発生させる因や縁となります。

今まで人を叩いてきた因果応報だとしても叩かれたらムカッとくるのは誰でもそうだと思います。
でも、その時に「ありがとう」ができてしまう。
それは自由意志からなのかというと完全にはそうではなく、叩かれる直前に敵をも愛せというキリストの教えを知ったからとか、
怒りを制して怒りを捨てよというブッダの教えに触れたからとか、あるいは身近な人格者から教えられたからとか、
そういう原因があって「ありがとう」ができてしまったのだとすれば完全に自由意志と言えるのかどうか?

いや、キリストとかブッダとか人格者とかの教えがあったとしても
叩き返さずにそれらの教えに従って「ありがとう」をしたのは自分の意志ですよ、自由意志ですよとしたとします。
でもなぜ自分の意志で教えに従うことができたのかとなると、それも原因を突き止めると難しいのですね。
0084神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 23:18:26.39ID:+VfONulK
>>83の続き
こういうのは華厳宗では重重無尽といいます。

じゅうじゅうむじん 【重重無尽】
仏教用語。十十無尽とも。華厳宗の教えを示す語で、一の中に十があり、十の中にも十があるというように、あらゆることが相互に無限の関係をもって一体化し、作用しあっていることをいう。→ 相即相入
https://www.weblio.jp/content/重重無尽

話を今生に限定しないで過去世・現世・未来世の三世に広げると益々重重無尽という言葉の重みがましてきます。

と話を展開していくと長くなるので(華厳以外にも例えば法華からのアプローチでも説明可能、物語的になりますが)この辺で総括すると、
因縁の中で良心(これも話をすると長くなりそうですが)に従って善行を為して善業を積んでいきましょうね、という話になりますかね…。

あと
カルマの中で生きている私たちに自由意思があるんですか?
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/04/14/050000
このスマナサーラさんの回答はおそらくはあなたの疑問に100%の答えを出しているわけではないと思えますが、一応。
0085神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 23:23:15.21ID:+VfONulK
>>76
輪廻業報論を悪用して人を差別したり罵ったり馬鹿にしたり、
更には弱みに付け込んで宿業清算とかカルマ落としと称して金儲けをしたり、
そういうのは良くないですね。
0086神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 23:50:25.39ID:Lrn7VN/p
完全に自由なわけではないけど、選択する可能性はあるようなものですかね
様々な因縁が折り重なっていて、単純に理解はできないけど、そのような善の力によって、導かれる可能性もあるみたいな
0087パーピマン
垢版 |
2018/06/10(日) 23:59:32.22ID:0opXQFnS
因果応報論・・・・即ち、悪因悪果、善因善果 というのは、あくまでも倫理的要請、
あるいは社会的秩序維持の幻想と言ってもよいかも?w

原因⇒結果 の認識は極めて恣意的な一部分の切り取りに過ぎません。
一つの果に対する因は無限です。

例えば、ある人が路上で苦しんでいるので救急車を呼んであげた。
しかし、その救急車が信号待ちをしているとき、後ろから居眠り運転のトラックが追突して
その人は死んでしまった。

一義的には、その人の死の原因はトラックの運転手にある。
だが、救急車など呼ばなければその人は死ぬこともなかったわけだ。

善行が結果として悪果になってしまったわけだ。

その他にも因は無限に存在する。・・・・・
残業を強制していた会社とか、その人にトラック運転手の職を紹介した人とか、
酷いのになると、その運転手を生んだ両親の責任を言い出す奴もいるかもしれんww

・・・・・この世界のどのような些細な現象でも、それには無限の因がある。
しかし、現実問題としてそのようなものは扱えないので、真近のもっとも直接的と思われる
因を切り取って、その現象の因と認定してるに過ぎない。

つまり、悪因悪果は、皆がそう願う願望に過ぎません。
悪いことしてる奴が、一生良い人生を全うするなんて許せん  とww

でも、現実にはそういう悪者が無数にいるわけで・・・・

そういう奴らに対して、皆が言うわけだw
「あいつらはあんなに悪いことしたんだから、今頃、地獄で苦しんでる」 と
0088承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/06/11(月) 00:08:17.55ID:vb3tf9yX
「一つの因に〜」

(^。^)それを例えて帝網と言う訳だが。(笑)
0089神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/11(月) 01:42:58.53ID:2e8Ifh5N
>>87
でもさぁそんなやったらさぁあの苦しんでる人と苦しんでない人の差はえーっと悪いことをどういうこととは関係なくもあるってこと?
0090おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/06/11(月) 06:50:19.06ID:jhLKJpX4
 
>帝網

承狂元密教僧へ

↓これでつか?

ttp://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20140611post-49.html

弘法大師のお書きになられた『即身成仏義』内の偈文の一節

重々帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり
網の結び目の一点一点は宝珠になっているそうです
そして、その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映しており
これこそが私たちの世界の実の姿なのだというわけです
網の結び目にいるのは、実は私たちであり
縁なくして存在するものは無く、縁を生じないまま消滅するものも無い

すべてが有形無形のつながりの内にある世界
可能性が回りまわって、その数多の思いや恵みに支えられているのでしょう
  _  _  _

最終的には?
仮設としての
縁起している世界を手放して超えて
そして、それから
無住処涅槃に導いていく?
0092パーピマン
垢版 |
2018/06/11(月) 09:35:24.38ID:6fhySTN/
>>89
勿論、世俗的には「悪いことはしたらダメ」と説くさ。
悪いことはしたら、その報いを受けますよ  とねw

そうしなければ、皆が好き勝手やり始めて、集団社会の前提である秩序が崩壊しちゃうからねw
だから、(世俗的に)悪と見做されることをすると、それなりのペナルティーを課されるシステムが
出来上がっている。

しかし、原理的には悪因悪果は真ではないよ。
悪を行っても、その報いを受けないで、良い目を見ている奴は無数にいるでしょ?

それは、あくまでも、「そうあって欲しい」という人間の願望さw
「悪いことした奴には天罰が下る」みたいな。

世俗的には、それでは納得できない奴が大多数だから、悪因悪果 は真である
と説く。
その方が多くの者にとって良い場合が多いしねw 特に子供にとっては。

仏教では、そもそも、勝義視座では、悪も善もないしねw
勿論、その視点を世俗に当てはめるのは大馬鹿だけどw
(かつての、机みたいにww)
0093ポッタン師
垢版 |
2018/06/11(月) 09:42:21.40ID:KniB+Gz/
92.悪因悪果、は迷信である。
0094神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/11(月) 10:09:32.50ID:mXmk8EOR
悪因悪果はポッタン師を見れば正しいと分かる
デタラメばかり言っているとポッタン師みたいなデタラメな人間になるってことを(笑)
0095神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/11(月) 10:12:59.85ID:mXmk8EOR
分からないことは黙ってればいいのに
知ったかぶりして間違ったことを平然とレスする悪因は
何が真実で何がデタラメかも分からなくあるという悪果となってポッタン師みたいになる(笑)
0096ポッタン師
垢版 |
2018/06/11(月) 10:36:28.50ID:KniB+Gz/
95.94.迷信の登場である。
ポッタン師も迷信の対象となる、か。
0097パーピマン
垢版 |
2018/06/11(月) 10:38:09.33ID:6fhySTN/
>>94

wwwwwwwwwwwwwww

ごめんw 悪因悪果は真だったw

良い実例が身近にあったww
0098ポッタン師
垢版 |
2018/06/11(月) 11:01:29.77ID:KniB+Gz/
97.迷信の登場である。バービマン、か。ばーかマン、か。
0099junkie- ooyama.
垢版 |
2018/06/11(月) 12:35:26.73ID:9IHTf9Dp
善因楽果・悪因苦果。

善悪苦楽を仏教視点で観るとどうなんですかね。
仏道の妨げになる行為は悪で苦果を招くでしょうし、仏道を歩む事は善で楽果を招くでしょうし。

また、従果向因という見方があれば、従因至果という見方もあるますし。
また、因果一如、因果同時を説く法門もございますしね。

まぁ、不平等に対する当て付けと言えばそうかも知れませんけど。


「それ故に 、人は 、ここでこそ 、学ぶとよいでしょう 。世間において 「不平等 」と言われるものが何であれ 、それを知るならば 、それのために不平等を行わないようにしましょう 。なぜなら 、賢者たちは 、 「この命というものは 、短いものだ 」と述べているからです 。」(スッタニパータ)
0100神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/11(月) 13:49:35.00ID:2e8Ifh5N
>>99
己に関しての話なのかもね
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