なぜ宗教から霊験が消えたのか?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
うちの婆ちゃんは法華宗の行者だった。
毎朝水をかぶり、母はその音で目が覚めたという。
食事にも気を使い、それに付き合わされる家族は大変だったという。
しかしそのせいか、近所では霊感の強い婆さんとして有名で、
医者で治せない病気を次々に治していたという。
俺は小さい頃の記憶しかないが、確かに不思議な婆さんで、
今日、学校で起こることを言い当てられたりした。
おそらく、天理教の中山みきとか霊友会の小谷喜美とか立正佼成会の長沼妙佼あたり
は、うちの婆ちゃんのもっと凄い人だったんだろう。
昔はそういう霊感行者が巷にいて、神仏の存在を理屈ではなく現実のものとして
人々に示していた。だからこそ昔は信心深い人が多かったのだと思う。
俺が疑問に思うのは、なぜ現代にはそういう人がいなくなり、
そしてなぜ宗教のそういう凄い霊験がなくなったのかということだ。
医療が発達し、生活が便利になり、そういう人物が不要になったからなのか?
宗教家が贅沢になり、まじめに修行をしなくなったからなのか?
ほかになにか考えられる要因はあるのか?
いまでも医療で治せない病気はたくさんある。
鬱病や精神系の病で苦しみ、社会参加できない人は大勢いる。
「甘え」だの「怠惰」だのといって片付けているが、それは医療でどうすることも
できない病に対して、科学万能主義の敗北を認めたくない社会の側の言い訳なんだと思う。
宗教は理屈よりも霊験だ。
とくに神仏の存在を信じない人には、霊験がなによりの布教方法だ。
にもかかわらず、神社仏閣は観光や葬式で生き残ろうとし、
神仏の実在を人々に示す努力をしようとはしない。
新宗教も教祖が代替わりしてからはすっかり霊験が影を潜め、
サークル的なノリや惰性でやっている人たちがほとんどだ。
このままでは宗教は早晩なくなってしまうだろう。
このスレでは宗教の、とくに霊験について語り合っていきたい。
忌憚のない意見交換を求めます。 >>1
良スレ
お疲れさま♪
霊験に頼る時代が終わったから。
霊験が消えた訳ではないよ。
そういうカリスマ的な霊験に張り付く信仰形態が終わりを告げて、
次に進化するように時代が変わったんだよ。
霊験を現す側を私はやって分かるけど、
霊験は人を無知な信仰に貶める裏の要素もあるからね。 >>1
さっそくありがとうございます。
>霊験は人を無知な信仰に貶める裏の要素もあるからね。
確かに霊験は人を惹き付ける要素があるけれど、
一方で、人を盲目的な方向に導いてしまう部分もありますからね。
それに100%確実に当たるわけでもないし。
これからは知的に進化しなきゃいけない時代ということなのかな?
でも、>>1でも書いたように、いまだに医療でどうすることもできない人もいるし、
そういう人たちにはまだ霊験は必要なんじゃないでしょうか?
これも科学や医学の発達で、早晩解決できるようになるのでしょうか? 霊験崇拝はとどのつまり御利益信仰だからのぅ
神々や霊能者に霊的な借金するようなもんじゃ >>3
カリスマ的な霊験は、生き神さま、生き仏さま扱いして、
拝みへつらえば、
辛さから解放して貰えると言う意味で有り難がられるけれど、
それは強い権力を持つ王様などに、
ペコペコ頭を下げて、気に入られたら、
痛め付けられずに済むし、
楽な思いが出来ると言うレベルでの信仰心になり易い。
行者さんが、歳を取り霊験も現さなくなると、有り難がらず、見向きもしなくなる。
信仰を報恩や感謝や愛情や責任感や正義感とすれば、
霊験なく、
役に立たない行者や教祖は、
昔助けられて命拾いしても、
報恩の心もない。
感謝は薄れる。
愛情はない。
責任感や正義感はない。
自分の人生の安泰とご利益だけが興味の対象で、
真理や正義や道徳や霊性や精神を磨き高める生き方を望む訳ではない。
精神的な救いや、
義に飢えて天を仰ぐ渇望ではなく、
目前の苦しみをお布施や祈祷料を払い、
サービスを受けたいだけの話し。
不便な壊れたスマホを修理してくれとお金を払うからと依頼しただけ。
修理出来ないならば代金返せと言う世界。
正義感のオマケとしてご利益や守護を頂いたならば良いけれど、
オマケが主体で正義感など薄い。
人々を邪なご利益信仰に貶める可能性が高いから、
神さまや仏さまの道を行く行者が
霊験を現す能力があっても無闇には出さない時代になって来た。
それに一般的な難病奇病ならば、
現代でも、
幾らでも治してくれる霊験者もいるし、単に霊験とは無関係に治す能力の高い療法師もいる。
憑依障害の苦しみも、まだまだ幾らでも霊験を現せる人はいる。
偽物もいるけれど、それこそ、信心や正義感や誠を天に向けて生きる決意を差し出せば、
いつでもどこでも、ご縁を頂き導かれる。
ご利益や霊験はいつの時代もある。
ご利益ではない中心を養う道は、流行らない。
神さま仏さまの道を喜んで中心に生きる筈が、
教祖が集めて、二代三代で不成功な結果が見える。
ご利益信仰の虎の巻に頼り過ぎて、豊かな暮らしに堕落した失敗作品が多い。 ただ霊験を否定するのも違うと思っていて…
というのは、霊験を示す側の行者が信仰の何たるかを理解していれば、
霊験を目の当たりにした人を、それをきっかけに真の信仰の道に導くことも可能だと思う。
実際、うちの婆さんの信者さんは、病気が治った後も婆ちゃんの自宅に通い、
また婆ちゃんの所に来なくなった人も、仏壇を祀って自分の宗派の信仰に熱心になったという。
婆ちゃんの葬儀には昔の信者さんがたくさん来てたよ。
「こうして長生きできたのも〇〇さんのおかげです」とうちの親に言ってた人もいた。
霊験ばかりを重視するのは違うと思うけど、霊験を軽視するのもまた違うと思う。
ようはやり方だよ。苦しむ人を助けてこその信仰だと思う。 >>8
それで良いじゃない。
庶民的な人と人との人情が熱い行者さんや、
神さん(庶民的な言い方、神さまの言葉や能力を借りて治したり教えてくれる人)
どの地方でも、そういう人はいた。今もいるよ。
貴方のおばあちゃんがそういう人な訳だけど、
私の母方の祖父、
父方の祖父がそれ。 >>8
貴方は霊験はないの?
私はあるけど。
未だに、小さな無名の教団はその手のが多いよ。
どういう訳か、
その手の人との直接的なご縁があるよ。 >>11
私は全くないですね。技術系の専門職なんで、
立場的にそういうことを否定する雰囲気の仲間に囲まれています。
ただ、婆ちゃんのことがあるので、個人的にそういう世界を見てきたし、もちろん肯定しています。
また、神社仏閣にもよく参拝します。
でも、このスレを立てたおかげで、いまだにそういう人がいることがわかり、少し安心しました。
私が都内に住んでいて、しかもそういう職場環境にあるから縁がないだけなんですね。
ただ、精神を病んで社会参加できないでいる旧友が二人ほどおり、
病院でも全く効果がなく、また自分が勧めた寺社での御祈祷も効果がなかったらしく、
婆ちゃんみたいな人がいたらなぁと思っていた次第です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています