>>155
論理学に独我論的な体験は含まれてないよ
論理学は世界のモデル、ようするに世界における事物とその関係が論理において射影されること、に関する規範がまとめられた学だな
それは世界のモデルを論理モデルに移し替えているから客観にしか分類され得ない

ハゲに独我論を説明する際は幼稚園生に語るように語らないと通じない
ということでやってみよう

イケメン:ねぇ、ハゲくん、ハゲくんは葉っぱのフレディを読んだことある?
ハゲ:うん、あるお(鼻水を垂らしながら)
イケメン:葉っぱのフレディの絵本で起きていることは、季節が変わる中で春、夏、秋、冬の木の葉っぱがどう変化するかってだけの話だよね。
ハゲ:え?どういう意味?
イケメン:葉っぱのフレディでは葉っぱに「気持ち」があって季節が変わることで嬉しくなったり、不安になったり、怖くなったりしてるでしょ?
ハゲ:うん!(アホそうな顔で)
イケメン:でも実際は春から夏にかけて葉っぱが緑になって秋に紅葉し、冬に散るだけよね
ハゲ:うん、幼稚園の木はそんなかんじ!
イケメン:でも葉っぱのフレディには自分の考えや、気持ちがあってハゲくんみたいに生きてるでしょ?
ハゲ:うん、葉っぱフレディ可哀想だった
イケメン:それと同じで人間も乳児、幼児、子供、大人、老人とみんな変わって行くけど、いろんなことを考えて感じているの。
ハゲ:葉っぱのフレディと人間も同じ
イケメン:でもハゲはいつも葉っぱを見る時にそんなこと思わないよね
ハゲ:うん、思わない
イケメン:大人の世界には客観と主観って言葉があって、客観はハゲがいつも葉っぱを見る時の見方なの。そして主観はハゲが葉っぱのフレディみたいに考えて、感じている時の見方なの。
ハゲ:え?自分をいつも葉っぱを見る時のように見ることはあるの?
イケメン:うん、大人は長く生きることでそういう見方も覚えてゆくの。
ハゲ:大人になるとそんな見方になるの?
イケメン:悪いハゲになったらそうなるね。でもイケメンだったらそんな見方もフレディの見方も両方出来るようになるんだよ
ハゲ:悪いハゲにならないように頑張る
イケメン:うん、決してギリシャ語とWiifitと畑を耕して下痢をする悪いハゲになったらダメだよ

終わり