かっちゃん、あんた間違ってるぞ

  奇跡が臨まなくとも「信じる心」を持ち続けよ

 奇跡が自分に臨むこともあるでしょう。実際に病気が治るという奇跡が起こることもあります。しかし、そうした「選ばれた者」であっても、その後、また病気になって亡くなったりもするのです。
例えば、十年前には奇跡が起きて病気が治ったのに、今回は治らないかもしれません。そのときに、「あなたは信仰を持ち続けられますか?」ということが問われるわけです。
 そもそも、奇跡的に病気が治ること自体、非常に恵まれたことであり、起きがたいことでもあります。ところが、そうした奇跡が連続しなければ信じられないのであるならば、やはり、寂しいものがあるのではないでしょうか。
 『聖書』には、イエス・キリストが、「すでに墓に葬られたラザロを、その四日後に、包帯でぐるぐる巻きになった姿のまま墓から呼び起こして蘇らせる」という奇跡を起こした話が載っていますが、そのラザロも、いずれ、時が来たら死んでいます。
この世において、永遠の命を持ち続けることはできないのです。
 やはり、困難が数多く表れてくるなかで、奇跡だけに頼って生き抜けるわけではありません。「智慧」でもって迷いを破っていかねばならないこともあるのです。