【教えて】ピッピの神様【みこころ】
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待降節の時期に主の再臨を待ち望むことについては、ピッピのディボーション スレをご覧ください。
(参考レス番)
194 カトリック
196 カトリック
199 リジョイス(ふくいんのなみ) 12月2日 >>680
再臨はないとか終わりはもう来たとか
言ってたよねー?
A.D70年のエルサレム崩壊で預言は終わったというのが、自称最後の良心さんの意見でしたよね? >>683
ごめんなさい
私の書き込みがあなたに益をもたらせず反対にあなたを悩ませる
ものなら以後書き込みを控えます。
少しでも私の記事が読む人の益になるように意図して書き込んだ
つもりでしたから。 使徒信条をディスる書き込みがどうしたらクリスチャンへの益になるんだよ
悪霊退散キエエェエエはシャロン道場の中だけでやっててください >>685
甘やかせてきた責任を感じます。
今や怪物化して手もつけられないのでしょう。
私も心新たに教会の信じてきたことを学び直そうと決意してます。 草取りは小さいうちより大きくなってからの方がやりやすいです。
枝木の剪定もあるていど育っている方がいい。
ヘアカットもmm単位よりcm単位の方が楽ではないですか。
信仰も曲がっている方が矯正しやすいことと思います。 水で地上を洗われたノアの洪水と比較されるくらいの火の洗礼が、
どうしてエルサレムの崩壊ぽっちで済むだろうかと考えてみてほしい。 >>687
前から怪物でしたよ。
最近はおとなしいぐらいです。 キャリアが長いからといって精通しているとは限らない例はたくさんあります。
前にも、天使の守護についてキリスト教自体にその考え方の概念がないなどと穏やかにきっぱり言い切って恥を晒しました。
「自分はクリスチャンだから無謬」ということはないけれど、「しかし他のクリスチャンは無謬ではない」となるともう高ぶり以外にはないですよね。
福音書もろくに読んでないようですから。 >>687
ピッピさんはあんまり関係ないんじゃないですかね
まちこさんの責任は大きいと思います
シャロンさんはカルト遍歴してるので元々ヘンテコなのは前提ですがまちこさん教会でさらに強化されたみたいですからね >>692
私はあの人が雪ちゃんの時代からかばってきました。サマリヤの女さんがいた頃ですよ。
ご本人も誰も知らないでしょうけど。
名無しでしたから。 >>694
わからないんですか。
どんな影響を与えていくか。 一人でも支持者がいれば教祖になれます。
一人でも優しくしてくれたら「お、お、おれは間違っていない」と誤解することができます。
一人でも反対する者がいたら、どんな情勢の変化も可能です。 >>695
考えすぎですよ
ピッピさんよりなるみさん、暇人さん、でおーとかのほうがよっぽど酷いです >>697
忘れてますよ
その中に酷い酷い >>> サティ <<< を入れるのを >>698
気をつけろ。
サティさんの目はあらゆるところにあって、良い者と悪い者を見張っておられるからな。 >>692
シャロンさんは、私のところに来た時は、前の教会関係で精神を病んでいました。
そして、彼女は、ヘーゲンさん関係で私のところに来たのです。
そう、一時は、シャロンさんはヘーゲンさんの本を読んでいたのですが、
時間が経ち、彼女も良くなって来たのと、彼女のヘーゲンさん嫌いがますます酷くなったので、私は彼女から離れることを考えていました。 続き
シャロンさんは、もともと強い人です。
だから、私のところにいたから強くなったということはありません。
元気になって、性格がきつくなったから、私も離れたという言葉が正解です。 >>700
>彼女のヘーゲンさん嫌いがますます酷くなったので
好きか嫌いでしか物事を判断しないのですね。
そいうのは我がまま、を意味します。
何時も神様の道を行こうと願っていました。
我がままの道を行くと必ずお後が良くありません。
必ず苦しむ事になります。
私は真理によって物事を聖別します。
神さまは或る時彼の正体をはっきり見せて下さいました。
あなたを離れる事を長い間躊躇していました。
意識して後ろ髪をひかれる思いを断ち切りました。
>>701
>性格がきつくなったから
信仰が強められたと云う事でしょうね。
感謝です。 >>702
もう一度聞きたいです。
ケネス・ヘーゲンさんのどこが違うのでしょうか? >>702
性格が強くなったという意味は、肉に戻った、ということです。 >>704
違います。
真理に確り立っているからです。
右にも左にも流されません。
確りと信仰に立たせて頂いています。
信仰に立つと「肉に戻った」、と言うのですか?
彼の影響ですね、そういうの。 >>706
はい解りました
あなたのお返事を確り受け止めました。
これから神さまの導きを祈ります。 >>707
誰の影響でもありません。
私には、そう見えます。 >>708
私もきつく言い過ぎました、すいません。
御霊に導かれる者は、誰もが神の子である。と書いてあります。
私も御霊に導かれて、これからも生きて行きます。 シャロンさんの真理w
・聖書は読む必要なし←【new】
・使徒信条を告白する度に違和感を感じるから正統教会に転籍できない←【new】
・空中携挙を最後の審判を間違う←【new】
・UFOの大船団がシャロンを救ってくれる
・公審判はない。既に終わっている。根拠は乾いた…のシーン
・聖霊のパプテズマは悪霊の仕業
・シャロンを呪うものは神に呪われる
・キリストに倣って、はカルトそのもの
・りんごたんのコピペ荒らしは軌道修正のための聖なる行為
・攻撃を受ければ反撃する、がクリスチャンウェイ
・守護天使はカルト
・ラミレス氏は神。ネットを通して多くの問題抱えた人たちの為に祈りされます。
・ネトウヨトミーは恩人、だから私もレッツネトウヨ!
・十字架は栄光は目から鱗
・基本信条ってなに?人間が作ったものでしょ?(笑) これは重要でない私語ですけど・・・
肉の思いならあなたに惹かれています。
しかし霊が引き留めます。
あなたに惹かれる肉の思いに鞭を当てひっぱたく位に。
昔、職場に行く時、気が進まない、行きたくない、休みたい
疲れた、嫌だなあ…等の思いが来た時その思いに鞭を当てた(笑)
一緒 んなの誰でも知ってますよ
シャロンさんは帰りたいけど帰れないだけですよね
老婆の痴話喧嘩なんて誰得なんだろうw >>712
その時は私の信仰も未熟だったと思います。
助けてくださるのはイエス様です。
そこにいて正解です。
その教えにいる人が勝利するのですね。
主の名を呼ぶ者は救われる。これが最高です! サティの話しも 幼少きから すべて精神異常やからね😃
親も医者も知ってる ✝
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである
(ローマ人への手紙 6:6 ) >>700
>そして、彼女は、ヘーゲンさん関係で私のところに来たのです。
シャロンさんがまちこ教会に来たのは2chがきっかけじゃなくてヘーゲンを追って来たってこと? ✝
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 2:20 ) >>714
>その時は私の信仰も未熟だったと思います。
その様にご自分を責めないで下さい。
そして今夜はここまでに致しましょう。
口は災いの元(笑)。
おやすみなさい 神にとってモーセの荒野時代はハネムーンみたいだったという。
モーセが山にこもって一ヶ月後に金の子牛を造り神を怒らせ罰を宣告された民が。
するとマグダラのマリアの洞窟時代もキリストにとってハネムーンだったのだろうな。 詩編八十四篇より
「われは悪の幕屋にをらんよりは 寧ろわが神のいへの門守(かどもり)とならんことを欲ふなり。」
つまり詩編作者は 悪の栄華と虚飾に満ちた世界での生活より、貧しくても「神の家」の「門守かどもり」ガードマンでも良いから 居たいものだと信仰告白しているのです。 アビラの聖女テレサ 『霊魂の城』より
聖母文庫 p413
主なしのその後の人生は、恐ろしい苦痛の年月だったでしょう。ですから、彼女も絶えず主の御足もとに座って観想の喜びに浸っていたのではなかったことが分かるでしょう。
ピッピ談:アビラの聖女はマグダラの後半生が天と地の往来であったことを知らないのでしょうか。
まあ狂おしいほどの憧れに満たされていたのであれば苦痛の30年と言えなくもないですね。 マグダラのマリアは後半生三十年間、1日に少なくとも七度、天使とともに天に上がりました。
1日に七回、毎日主とお会いしたのではないですか?会えない日もあったのかもしれませんけど。 こういうちょっとした不整合によって頭が混乱する。
聖母の亡くなった年齢とか啓示にしては違うし。 【febcの通読表に従って12月からヨハネの黙示録を読む】
男の子を産んだ女が安全な場所で養われている間、竜はほかの子らを残虐に扱った。
マグダラのマリアが洞窟で守られていた頃、弟子たち信徒たちは迫害と殺戮に苦しんでいた。
このことがひな形だとすると、ファウスティナ亡き後の恐ろしい世界大戦も不思議なことではない。
神の敵である竜にも同じ年月の間、活動する機会が与えられるのである。
むしろ余韻がひどいのではないか?
私が去年苦しめられたのはおそらく三ヶ月ほどだ。しかしその前後、凄まじい破壊力がこの体験を取り巻いている。今でも私はトラウマに苦しんでいる。 教会カレンダーには書いてないですけど、カトリック中央協議会の聖書朗読表によれば、12月12日からルツが読まれています。
私は『manna』の学びから理解を深めていることがあります。
それはマントと足元と履物を脱ぐことの意味。それから買い戻しの権利のことです。
ルツがしたこと、ボアズがしたことを、
マグダラのマリアとキリストが再演しているのです。
ぜひルツを読んでほしいです。
バプテスマのヨハネが言ったこと「履物をお脱がせする価値もない」という意味も、そこから深めていけるのではないかと思います。 >>687
ピッピさん、こんにちは
年の瀬になりました、何かと気忙しいですね
お元気ですか?
以前に、私が神道に興味を持つ事をとても懸念して疑いの目を
持たれていましたね、私は神道と聖書の記述が余りにも似ている事に
普通に興味を持ち、調べ始めました。
あなたがそれを偶像崇拝だと懸念されたお気持ちは凄くわかります。
でもね、私は寺院では仏像に、神社では神社の神に決して頭を下げて
礼拝はしません。その点についてはご安心くださいね。 >>730
自分を信じすぎるのも偶像崇拝です。
マルコより
◼するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。
◼ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。 >>732
レスありがとうございます。
しかし私には偶像とする対象(肉なる私)がもうないのですよ。
キリストと共に十字架で死んでしまったから^^
✝
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 2:20 ) >>732
✝
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである
(ローマ人への手紙 6:6 ) あっそうだわ、
ピッピさんは神様を信じない肉なる人(自分も含めて)を偶像と言ってるのですね^^ 何言ってるんですか。
信じていても信じていなくても
私▪た▪ち▪は▪造▪ら▪れ▪た▪者
=偶像です。 被造物の自覚がない人は注意してください。
浮かれ気分で人生ロックンロールしている場合ではありません。
なにせ、主の再臨も知らないのですから。 天使の守護も知らない
主の再臨も知らない
被造物である自分を偶像だと思っていない
まるで茶番です。 使徒のパウロの信仰深さから現れる境地をクリスチャンになるだけで得られてると素朴に信じてる人は、仏教徒になるだけで悟りが得られた!と信じてる人と全く同じ滑稽さがある >>737
神さまはご自分の形に似せて人間をお造りになりました、誰でも
知っていますすね。
そしてやがてこの地球の歴史が終わる事も。でも所謂ハルマゲドン
大患難、終末、最後の審判、空中携挙が近日中に起きると言う説を
信じません。
天使に関しては聖書にあまり頻繁には出てきません。
むしろ救い主イエス様、助け主聖霊の方が天使信仰よりも重要かと。
使徒行伝 4:12
この人による以外に救はない。
わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、
天下のだれにも与えられていないからである」。 しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。
むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
(ルカ 10:20 ) 信じようが信じまいが、終わりの日は来ます。
信じようが信じまいが、準備しておきなさい。 ぴっぴさんはちなみに終わりの日に向けてどんな準備をされているのですか? 主の日、終わりの日を信じない人は
信じない人とともに裁かれるでしょう。 >>746
油断しないように、
信じない人ではなく信じる人にならせてくださいと祈っています。 神様はシャロンさんの心から「主の日は来ない」という信仰を盗んでいかれたのかもしれません。(黙示録 7つの教会への預言を参考に)
いつ、どのようにして私たちの大切なものを奪っていかれるかわからないのですから、目を覚ましていましょう。 神様はシャロンさんの心から「主の日は来ない」という気持ちを抱かせ、信仰を盗んでいかれたのかもしれません。(黙示録 7つの教会への預言を参考に)
終わりのとき現れると預言されたあざける者たちのようになっているからです。
【ペテロ(二)3:
こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」 】
いつ、どのようにして私たちの大切なものを奪っていかれるかわからないのですから、目を覚ましていましょう。 >>750
ピッピさん
どうぞお元気でお過ごしくださいね。 >>752
嫁と妻って、ただの表現の違いなんだ。
じゃあ、ナグハマディ文書でイエズスがマグダラのマリアを「わたしの妻は」と呼んでいてもなんらおかしくない。
だって信徒は皆「イエズスの花嫁」なんでしょう? 心寒き冬の夜(よ)、独り静かに想いながら記す事
(ただの独り言)
scene:
冬夜空の下の街の片隅にて、此の場所に佇みながらただ独り静かに想いに耽けてゆく・・・。
−−−
・・・いつからだったのだろうか。
夜空から星々が見えなくなったのは、いつからだったのだろうか。
俯いて地面ばかり見続けているのは、いつからだったのだろうか。
街のイルミネーションばかり、目で追い掛け続けてしまうのはいつからだったのだろうか。
過ぎ去りし時間(とき)の残滓(おもかげ)ばかりを追い掛け、彷徨い続けているのはいつからだったのだろうか。
私はだんだん切なくなり、哀しき想いに心が染まっていく。
このまま私は何もする気も起きず、独り静かに此の場所で佇み続けてゆく。
時間ばかりが過ぎ、日付も変わり更に夜もふける頃・・・、
ふと気付くと、いつの間にか頬に白い羽根が舞い降りていた。
その時、私の"幼き日々"が思い出されていく。
それは・・・、
夜空の星々に想いを寄せた日々。
雨上がりの空、掛かる虹に心描いた日々。
人々の輝く笑顔に心惹かれた日々。
迎えゆく未来の希望に心踊らせた日々。
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やがて、羽根は小さな雫に変わり、"Advent"私は告げられる。
・・・それは、
未だにまだ持つ、この"想い"を。
未だに夢見る、この"願い"を。
未だに残る、"先への道(未知)"を。
未だに有る、可能な限りの"可能性"を。
そして、小さな雫は風に拭われ消え去り、代わりに"小さな燈"が私の心に燈される。
そして、私は気付かされる。
まだ、生きる事を赦されている事を。
まだ、希望を持つ事を赦されている事を。
まだ、幸せを求める事を赦されている事を。
・・・まだ私は、貴女(きみ)の哀しき涙を、笑顔の涙に変えていく事を赦されている事を。
私は地に俯く顔を表に上げ、朝日が昇る先を力強く見据えながら、
輝く光を浴びて、
此の場所から立ち上がり、一歩前に踏み出し始めていた。
そう・・・何故なら私は・・・、
雫(しずく)る貴女(きみ)の涙の理由(わけ)を始めから知っていたのだから・・・。
−−−
静かに舞い降る雪の夜(よる)、独り紡ぐ想い詩 "Advent"
2018/12/31
written by stranger coin
「"Advent " 心に羽根が 舞い降(ふ)りて 傷心(こころ)の哀しみ 恋心(おもい)の希望に」 エタとナシオン
フランス語で状態、国家を指すらしい。
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