レスNo.596を拝読致しまして、
私個人の深夜のつまらない駄文(乱文)

自身が相手に対する内なる想いとして、

A:「私は相手から愛されて当然ではありません。
だから私は"隣人愛"で相手を愛します。」

→相手に対する慈しみによる愛情の提供
(能動・優しさ・厳しさ・謙虚(へり下り)など)
→相手に対しての勤勉による献身
→痛み(渇き)に耐えうる強さ(勇気・真摯・誠実 等)

B:「私は相手から愛されて当然です。
だからあなたは"隣人愛"で私を愛して下さい。」

→相手に対する身勝手な愛情の要求(見返り含む)
(受動・甘え・虐待・傲慢(自身を高く上げる)など)
→相手に対しての怠惰による強欲
→痛み(渇き)を恐れる弱さ(臆病・逃避・不誠実 等)

A、Bを前提として、結果相手から"愛されていない(かも知れない)"と分かると、それぞれどうなるのか・・・。

レスNo. 596のソロモンの神・妻に対する愛し方、ダビデの神・妻に対する愛し方は何が元となっているのでしょうか?
(即ち、A、Bのどちら?)

ちなみに、放蕩息子の下りはどんな"文意"?
また、右(或いは左)の罪人は、A、Bどちら?
更に、神の愛し方はA、Bどちらが元?

A、Bが最終的にそれぞれ願い求めるものは?
(悪魔・悪霊が求めるものは?Aの方か?Bの方か?)

もし、自分の相手の好みを選ぶならA、Bどちらを選ぶのでしょうか?
(または、愛される方はA、Bどちら?)
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2018/12/01
stranger coin

別のスレッドにて書き記したものを少し改編したものを此処に書き記す事を失礼致します。