【教えて】ピッピの神様【みこころ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
主を見上げてみことばを聞くマグダラのマリアが、ふと目を下ろすとそこに主の腰があったと思います。意識せずにいられるでしょうか。
マルタが妹マリア(マグダラ)を主の御側から引き離そうとしたとき、主はマリア(マグダラ)をご自分から離そうとはしませんでした。
私にはイエズスの心の声が聞こえてくるよです。
「多くの男を知っているこの女が、わたしだけに夢中になる日が来る」
イエズスにとってもマグダラのマリアの存在は心地よいものだったと思います。
そして現実となりました。
からの墓の前で狼狽し泣きじゃくるマグダラのマリアにイエズスが現れました。
やがてマリア(マグダラ)は三十年もの年月を天の食べ物で養われ、ありとあらゆる至福を体験することになります。 >>549
その三十年間、マルタは修道院で指導していました。 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=112501
11月25日 聖カタリナ(アレキサンドリア)おとめ殉教者
?-309年
彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられている。
カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まった。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている。 >>549
考えてもみてください。
三十年間、地上にいながら隣人とは誰一人接触しませんでした。
食事の準備も洗濯も事務手続きもなく、掃除も排泄もしない生活を三十年間続けていたのです。
ただ天におられる主を慕い求めていました。 さらっと読まないで欲しいです。
三十年間という日々を隣人なしに過ごした人のことを。
それがキリストの福音の伴侶とも呼べる香油注ぎの女であり、主の御足を涙で洗った女であり、マルタを咎めながら主が御元に置いた聞く女であり、墓の前で主の最初のご復活に与った女なのですから。
異端グノーシスはこの女のことを「わたしの妻」と呼ぶキリストのことばを伝えています。
史実なのか想像なのかはわかりませんが、
それほどまでにマグダラのマリアは主の特別な愛を注がれた人物なのです。 もう一人のカタリナ【シエナの聖カタリナ】
カタリナの心と思いから決して消え去ることがなかったある幻視の中で、聖母はカタリナにイエスを示しました。
イエスはカタリナに輝く指輪を与えて、こう言われました。
「あなたの創造主であり救い主であるわたしは、あなたを『信仰』においてめとる。あなたはこれを、わたしたちが天において永遠の婚礼を挙行するまで、純潔に守るがよい」
この指輪はカタリナにしか見えませんでした。
『女性の神秘家・教会博士』教皇ベネディクト十六世 (ペトロ文庫) より イエズスと婚約した女性たちは天国で今、何をしているでしょうね。
「あれ?婚礼は? 」とならなかったでしょうか。 それとも、イエズスはもう何度も多くの女性と
そのたびに結婚したのかもしれません。
婚約した女性神秘家が地上を去って天国へ入れられたときに。 >>557
だから、「天国の婚礼」とは「比喩」文字通りではないのだよ、わかるか?ピッポちゃん。 男性の方で二人のカタリナと同じような体験をしたという情報をお待ちしています。
結婚している女性で二人のカタリナと同じような体験をされた方もぜひ情報をお寄せください。 夢の中で、私は花嫁の控えの間に入れられたことがあります。
たくさんの女性が待機していましたが、男性は一人もいませんでした。 >>563
あほ、神に男女の区別ないわ。御使いに性はない 新しい栄光の復活体にもそれはない。何度も言わせるな 性別なかったらなんでヤハウェ様を父って呼ぶねん。
はい論破。 もともと男しかおらん世界に女を作ったのに、男を花嫁にする必要ないやん。 聖ヴェロニカ・ジュリアーニ
p119
聖ヴェロニカはキリストとの婚姻の霊性をはっきりと示します。彼女は、忠実で真実な花婿であるキリストに愛されていることを体験し、ますます積極的かつ情熱的な愛でこの愛にこたえたいと望みました。
p125
「十字架につけられたキリストはわたしにささやきます。わが花嫁よ。わたしを侮辱した者のためにあなたが行った償いは、わたしの心にかなうものだ。……それからキリストは、十字架から手を離し、自分の脇腹に近づくようわたしを手招きしました。
……するとわたしは、十字架につけられたかたの腕に抱かれていました。そのときわたしが体験したことを、語ることはできません。わたしはキリストの至聖なる脇腹のうちにいつまでもとどまりたいと望みました」
『女性の神秘家・教会博士』より >>567
語ることができない、と言及を避けるときは
じつに怪しいです。 もう一個論拠を見つけましたよ。
ノアの日の悪霊達です。
女目当てでしたね。
はい論破! 聖書は花嫁レースのことなど書いてない。むしろ完成された書物としてマグダラと寄り添うキリストを描き出している。
その後のたくさんの女性信徒たちが見る幻視は何なのか。男性信徒にはない幻視だ。 母親は花嫁になれない。教会も聖母を花嫁にはしない。あからさまにキリストの花嫁だとはしない。さすがにそこは躊躇するだろう。
王と女王ではあるが、息子と母親なのである。息子の花嫁が本来なら女王なのだ。
私は不思議に思う。こんなにも花嫁がたくさん現れることに。でもマグダラほど天使がよく働いた花嫁はいないのだ。
絵画では聖母を運ぶ天使をモチーフとして描く人が多いが、そもそも矛盾している。 大胆に語れば、教会はキリストとマグダラのマリアの婚姻関係をはっきり認めるべきだと思う。聖書をストレートに読めばそうなるのだから。
二千年も経つのに地上の教会が認めないということは、罪が天と地を隔たらせているようなもので、キリストの到来による直截統治を遅らせている。
しかし悪魔たちの終わりの時が来る。そのとき、この二人が現れるのかもしれない。
キリストとマグダラが地上で認められる夫婦として現れるとき、隔たりだった神秘のベールが取られるのかもしれない。
聖母はご自分の名で集められた花環を、マグダラのマリアに献げると思う。中途半端に断ち切られたキリストの婚姻を祝うために。
キリストの恋を成就させるためには地上の人の妬みを払拭しなければならない。
天使たちも知らないと思う。誰が本当の花嫁か。
キリストが選ぶ人を、それが誰でも天使たちは喜ぶ。マグダラを喜んで天国へ運んだのも天使たち。カタリナをシナイ山まで運んだのも天使だという。
天使たちも地上の私たち同様に訓練されているのかもしれない。誰が花嫁でも、天使たちは喜んで迎えるだろう。
そしてマグダラのときもマグダラを花嫁として迎えようとする気持ちはあったと思う。不安や反意などは考えられない。 テレーズが考えている。もしも私が女王ならばと。花嫁になればテレーズが女王だから、彼女は思ったのだろう。冠にふさわしいのは聖母だから、私が女王になれば聖母に冠を渡すと。
テレーズはロザリオが苦手だった。私もだ。
自分のために花環を望む聖母には違和感がする。他人のために、キリストの花嫁のために花環を望む聖母ならわかる。
集められた花環は聖母ご自身にではなく、花嫁となる人へ贈られると私は見ている。それこそ聖母のご性格にふさわしい行いではないだろうか。 ヨハネの黙示録14:14-19
◾穀物は救われる
◾ぶどうは潰される
この真意は、マグダラとの恋が潰されたことへの復讐ではないか?
キリストの体からぶどうが流されて損なわれたが、体は復活している。
イエズスはマグダラに恋をしていた。二人は体の関係を持ちたいという願いを永遠に断ち切られたかに見えた。
しかし地上ではなく天国で婚姻の続きがある。 穀物は淡白だ。ぶどうは甘い。
私の人生のぶどうは何度も潰された。決して報われることがなかった。
私は愛されなかった。誰からも選ばれたことがない。
昔、夢を見たのだ。
私のことが聖書に名指しで書いてあるという。
「ピッピ・シェアトゥは今までもこれからも永遠に誰からも愛されない」
と。
私は神からも見放された。そういうときがある。去年だ。私は祈っても願っても助けていただけなかった。
私を助けようとした天使の体を、神の左手が遮って、私は敵に犯された。発狂した。
誰が私のような残酷体験を耐えられるだろう。誰が反キリストの甘いぶどうを喜ぶだろう。この屈辱をどの聖女が耐えられるのか。
エステルか? 異教徒の王の後妻に選ばれ、セックス奉仕しなければならなかった。
神の計らいはおとめにとって残酷で厳しいものだった。とくに神の民のおとめにとって。 ヤコブより
◾誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
…私の中にある欲望からイエズスとのセックス妄想が生じて、傷つき泣いて、苦しんでいる。 ヤコブより
◾御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
…私の妄想では求められ愛されているかのようだが、本物のキリストが私を求めているわけがない。 もしも私たちの欲望から引き出された試みによるものだとしたら。
マジックのようなしるしはたくさん聞いた。その一つが薔薇だ。
花嫁たちと奇跡のような薔薇の出現の話を聞く。
うちの木でも冬に薔薇が咲く。たくさんではなく一輪ずつ。これが悪魔の惑わしだったら?
警戒しなくてはならないのだ。終わりの日には悪霊によるしるしが現れる。 聖ファウティナには
「主はわたしなしには幸せになれない」と思われた。
この自信、愛されている自信は、体験から来てるのだろう。
私にもそう信じられたときがある。
長く生きると、この確信もひっくり返される。
もっともファウスティナの人生に理解しがたい苦難もあった。主がお隠れになり、見えなくなることも何度かあったようだ。
しかしそのたびに主はファウスティナに事情を説明なさった。
私には何もない。
むしろ三十年来の質問の答えが、希望を消した。
イエズスは私に言った。
マグダラとの関係を私の予想通りに
「認める」
「引きずっている」
そして洞窟の三十年間、マグダラに与えられた恵みは
「わたしが与えた」 後の世には多くの者たちが悪魔の惑わしに惑わされる
ピッピのキリストの花嫁願望は単なる誤解によるヒステリー症状だ 後の世には多くの者たちが悪魔の惑わしに惑わされる
ピッピのキリストの花嫁願望は単なる誤解によるヒステリー症状だ いちおうなんだけど、花嫁願望はありませんでした。
むりやり承知させられたの! 私、最初の十年間はキリストを憎んでました。
なぜかというと、私がイメージしていた人と違ってたからです。
がっかりでした。
今現在もがっかりしてますが、相手が違うのだから当然ですよね。
…という理解です。
もしかしたら悪魔かもしれません。 婚配機密 正教会
wikiより
新約においてはエルサレムは神の国の象徴であり、新郎新婦の行進も歌も、神の国への入場を象るものである。聘定式で結ばれた結婚の絆が、永遠の関係へと変えられたことが示される[12]。
このあとの箇所に、司祭が「○○や、ここに爾の前にみるこの□□を己の妻(夫)とする、まことにして自由なる望みと堅き決心とをもっておりますか。ほかの女(男)に約束はありませんか。」と、
花婿と花嫁に質問する箇所が17世紀以降のスラヴ系正教会の祈祷書に入れられている[12]。 【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。
池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです
その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華 ら
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ) >>585
ピッピがイメージしていたのはどんな人なの? >>591
あなたは神が戦争で人を殺したり、聖なる山に近づく獣すら石で打ち殺したり、集団の一人アカンが違反していたことで命を取り、
ダビデやソロモンのように多くの妻とエッチさせる神というものをどう見られてますか。
殺意と情欲、こうした矛盾とも向き直ることが求められるのではないですか。 >>592
神さまは最終的にソロモン王国を滅ぼしましたでしょ。
それはソロモン王が大勢の異教の女達を身辺に侍らせたからです。 >>594
あなたは思い違いをしています。
ソロモンは多くの妻とエッチしたことを咎められてはいません。
ダビデを見なさい。ダビデは多くの妻とエッチしましたが、行き過ぎた偶像崇拝はしませんでした。 ソロモンの罪…妻たちの拝む神々を尊重したこと
シャロンの罪…慕われると彼らの拝む偶像を尊重すること http://bunshun.jp/articles/-/9745?page=1
ポリアモリーという生き方 浮気・不倫とは異なる「非一夫一婦制」
2019年の論点100
きのコ
2018/11/27
ポリアモリーとは、オックスフォード英英辞典によれば、全ての関係者の合意のもとで、複数のパートナーと同時に性愛関係を結ぶことを指す。
なお、ポリアモリーの対義語「モノガミー」は、一人だけと性愛関係を結ぶことを意味する。
一度に一人だけの性愛パートナーをもつが、そのパートナーと別れて新しいパートナーをもつことで、人生全体においては複数の性愛パートナーをもつという人間関係のあり方は、シリアルモノガミー(連続単婚)と呼ばれる。 ポリアモリー…アブラハム、ヤコブ、ダビデ、ソロモン
モノガミー…聖書の神の考え方
シリアルモノガミー…モーセの許した方法 >>596
ソロモンの罪・・・おそらく妻たちの拝む異教の神に跪いた。
シャロン・・・慕われても彼らの拝む異教の神に跪かない^^)v
どてちん。でおー
t‐⌒n_
,-'",´ ,‐v‐、、
,,.!、 ` b,ノ゙-'亅
,' ヽ r‐-v''r---'^'^'^ヽ
! a /ヽ` `ャ、, |
\ ,,. / _,,. ) i < しゃろん、きたぞ、
`T ,-─ '''、'",‐-' |
冫‐- -< 二,./ !
/ , ,.ト、\ ,/
. / i' ヽ.-‐"
i ! ゙,
! i ',
. | レ;) i _ _
,'⌒i ,. く K `' `っ
./ `ヽ-u^‐'' `" {
i `'' !
| _________ |
L ,,,_ `; ゙、 ノ
゙ー'"´ `'"
レスNo.596を拝読致しまして、
私個人の深夜のつまらない駄文(乱文)
自身が相手に対する内なる想いとして、
A:「私は相手から愛されて当然ではありません。
だから私は"隣人愛"で相手を愛します。」
→相手に対する慈しみによる愛情の提供
(能動・優しさ・厳しさ・謙虚(へり下り)など)
→相手に対しての勤勉による献身
→痛み(渇き)に耐えうる強さ(勇気・真摯・誠実 等)
B:「私は相手から愛されて当然です。
だからあなたは"隣人愛"で私を愛して下さい。」
→相手に対する身勝手な愛情の要求(見返り含む)
(受動・甘え・虐待・傲慢(自身を高く上げる)など)
→相手に対しての怠惰による強欲
→痛み(渇き)を恐れる弱さ(臆病・逃避・不誠実 等)
A、Bを前提として、結果相手から"愛されていない(かも知れない)"と分かると、それぞれどうなるのか・・・。
レスNo. 596のソロモンの神・妻に対する愛し方、ダビデの神・妻に対する愛し方は何が元となっているのでしょうか?
(即ち、A、Bのどちら?)
ちなみに、放蕩息子の下りはどんな"文意"?
また、右(或いは左)の罪人は、A、Bどちら?
更に、神の愛し方はA、Bどちらが元?
A、Bが最終的にそれぞれ願い求めるものは?
(悪魔・悪霊が求めるものは?Aの方か?Bの方か?)
もし、自分の相手の好みを選ぶならA、Bどちらを選ぶのでしょうか?
(または、愛される方はA、Bどちら?)
−−−
2018/12/01
stranger coin
別のスレッドにて書き記したものを少し改編したものを此処に書き記す事を失礼致します。 >>601について、
レスNo.の記述に間違いがありましたので、以下の様に訂正させて頂きます。
レスNo.596→No.592・595
大変失礼致しました。 【再臨・怒りの日に真実がその人を懲らしめる】
イザヤ65章〜66章を読んで思ったこと。
これはマグダラのマリアに関する預言ではないか!
遠い島々の者である私が、生き残りのヨハネ(福音書と黙示録)によってキリストとマグダラのマリアの関係を知った。
キリストの福音があるところには必ずマグダラのマリアの香油の記念が語られる。このことは主の御指名による。
復活の日、最初に現れたのがマグダラのマリアの前。主ご自身がマグダラのマリアを相手に雅歌全体を成就されている。
妬みによって散らされた真実を、二千年後、私ピッピによって世界中が再び知る。
二人は一体となって現れた。これが再臨の真相ではないのか。
信じない者は裁かれる。
主の怒りの日に、真実がその人を懲らしめる。 妬みによって散らされたカップルの回復を手助けするのが
私の使命のような気がします。 そんな爆乳のキューピッドはおらん。
余計ややこしくなる。 イエズスキリストとマグダラのマリア
この二人が一体となって、花婿と花嫁として現れることが再臨なのだろうか。
主の最初のご復活は墓の前でマグダラのマリアにおいてだった。
東から西へきらめきわたる早朝の出来事だった。 >>606
かごめかごめの歌詞みたいじゃないか
夜明けの晩
つるとかめがす(つ)べった
うしろの正面だあれ それゆえ、主みずから、あなたがたに
一つのしるしを与えられる。見よ。
処女がみごもっている。そして男の子を産み、
その名を「インマヌエル」と名づける。
(イザヤ書 七章十四節)
この箇所を読むと聖母マリアかなあと思う。
ただインマヌエルではなくイエズスと名づけられたけど。 >>599
ソロモンより優っている自信がおありなようですが
形式的なものだけが礼拝ではありません。
あなたは彼らの信じるものを受け入れています。 知恵者で名高いソロモンさえ、女につまずく。シャロンさんにどんな知恵があるのでしょうね。
イエズスはソロモンの質素な身なりをほめました。シャロンさんはどうでしょうね。 >>608
カトリック聖書の注解によると「子」とはヒゼキヤのことですって。 星占いを信じている人が星占いの神に跪くことはない
血液型占いを信じている人が血液型占いの神に跪くことはない
仏教徒だからって仏像に跪くことはない エンメリックの幻視によると、聖母の死とマグダラの荒野行きが重なっている。
聖母は帰天してマグダラのマリアとも顔を合わせたのではないか。しかし少女のようなイエズスの母では、誰だかわからない。だから老いた肉体を再びまとうことにしたのではないかとも考えられる。
マグダラのマリアは天国への憧れを募らせて、荒野へ連れて行かれたのだ。神が備えた洞窟で残りの地上生活を養われるために。
おそらくマグダラのマリアは花婿の部屋に誘われてたびたびイエズスと二人きりで入っている。
母は入れない。マグダラのマリアが天国へ帰る日まで、女王の冠を聖母が一時的に預かり被らせてもらったのではないかと思う。
私は、マグダラのマリアが天国へ帰ると女王になるにはまだふさわしくなく、花嫁候補を新たに募るしかなかったのではないかとも考えている。
この大胆な仮説をもってその後の婚約譚も説明できると思う。聖女たちは自分のことをキリストの愛する妻のように扱われていると感じる。次々と帰天していくが、王であるキリストにふさわしい者は一人もいない。
女王には優しい気立てと美しさと知恵と勇気も必要だ。マグダラは優しく美しかっただろう。勇気もある。しかし知恵はどうだろう。
聖母の知恵には及ばないのではないか。 【アビラの聖テレサ】
◾聖女は、自分の病との戦いは、弱さと神の呼びかけに抗う心との戦いでもあると認めます。
「…唯一わたしにいのちをお与えくだされるかたは、わたしを助けにきてくださいませんでした。それは当然のことです。幾度となくわたしを連れ戻しにいらしてくださったのに、わたしはそのたびにそのかたを捨てたのですから」
◾当時、聖アウグスティヌスの『告白』に深い親しみを感じていた聖女は、自らの神秘体験にとって決定的な瞬間をこう書き記します。
「突然神の存在がわたしに迫ってきて、神がわたしのうちにおいでになる、またはわたしが神のうちに完全に沈められていることをまったく疑うことができませんでした」
◾実際、彼女は、一五八二年にブルゴスのカルメル会修道院を設立した後、アビラに帰る途中の十月十五日、アルバ・デ・トルメス修道院で亡くなりました。
つつましく次の二つのことばを繰り返し唱えながら。
「ついにわたしは教会の娘として死にます」
「わが花婿よ、今こそ御身とまみえる時です」
◾テレサは、人間の内面の比喩として、七つの住まいをもつ城の構造を述べます。同時に彼女は、蝶として生まれ変わる蚕というたとえを用います。
それは、自然から超自然への移行を示すためです。聖女は聖書、とりわけ雅歌から霊感を受けて、最終的に「花嫁と花婿」というたとえを用います。
◾テレサは言います。「祈りとは、わたしたちを愛してくださっていると分かっているかたと幾度も二人きりで対話をし、友情を深めること」です。
『女性の神秘家・教会博士』ペトロ文庫より アウグスティヌスの『告白』って、
アガペとエロスのあれでしょ? 男性のかたで、キリストの花嫁となられた体験をお持ちのかたはいませんか?
絶賛募集中です。 このほかに英隆一郎神父の『イエスに出会った女性たち』を読もうとしてるんですけど、
短い文章なだけに、めちゃくちゃエロスです。
パラパラ読みの段階で「やらし〜ィ!」と何度呟いたことか。 脳内BGMは、
松山千春で「旅立ち」です。
イントロから…。 サティさん、喧嘩をしてあげる人
ネクザさん、コスプレする人
サロメさん、インディアンラブのネカマの人
ティキさん、逃げちゃダメな人
安堂さん、ガチホ●の人
カムイさん、特別でいたい人
ヨハンネスさん、厨二病の人
バカムートさん、厨二病の人
>>619
このなかでは、安堂さん、かな・・・ >>610
イエス様はソロモンよりも知恵がお有りだと思います。
このイエス様がこの土の器の中に^^
栄華を極めたソロモンでさえもこの花の様に着飾っては・・・いなかった
の件ですね^^
まあ解釈は常識的に^^ >>624
今日の『manna』を読みながらあなたのことを案じました。 >>625
おはようございます
私の事なら大丈夫よ。
でも案じてくれてありがとう。 >>626
あなたは自分自身が被造物に過ぎないのに
自分自身を神にして
偶像崇拝していると思います。 自分中心の偶像崇拝は自分によくしてくれたかどうかで判断します。
シャロンの同類:さくら♂ 「私は大丈夫」
と言う時、すでに主権を犯しているからです。 シャロンを批判する人は死ぬらしいです
ピッピさん、気をつけてくださいw >>627
偶像を礼拝していません。
>>628
デオの事ですね
彼は外見どう見えるか知れないけど近頃珍しく心の純粋な
若者だと思います。あなたには辛く当たったの?
>>430
主に在って、を付け加えるべきでしたね。 >>631
詩編にあるダビデの嘆きはどうですか?
これ呪詛ですか? >>633
まちこさんはダビデか何か?
それとも神か何か? まちこさんじゃなくてシャロンさんだったw
フハハハなところは流石お弟子さんでキャラ被りしてるから間違えてもうた
すみまてん >>635
何時までまちこさんとの仲を煽るつもりですか?
まちこさんはシャロンを失ってしまったのです。 シャロンさんもまちこさんを失ったのです
ただし、一子相伝のカルトはしっかりとシャロンさんはしっかりと受け継いだのです
いい話だなぁ;; >>637
受け継いではいません。
邪悪な霊はイエスの血潮で洗い聖められました。
絆は断ち切られました。
この話題はスレ主さんに関係ない事、ここで話すのは控えます。
>>628ピッピさんスレを汚してすみませんでした。 >>637
サテイさんは確か輪廻思想の信奉者でしたね。
イエスを信じる者は一切の悪しきカルマを
イエスの血潮で断ち切って頂く事が出来るのですよ。 >>639
シャロンさん、普通のキリスト教ではカルマと原罪は何の関係もありまへん
また、原罪と自罪は違うのでシャロンさんの自罪をキリストの贖罪で購うこともできまへんw >>640
気の毒なほどの無知振り^^
クリスチャンには占い(悪霊)みたいなものも当らない。
十字架の死と復活は一切の悪魔の業から人を解放しました^^)v つまり一切の悪の業から自由であると云う事。
これが何故カルト? 贖罪は原罪の贖いのために行われたが一般的にキリスト教の共通認識です
原罪は抗えない罪の重力を生じさせますが、それを贖いました
ただし、依然、罪への重力は働いているので、それと不断の努力で戦わないといけない、が一般的な理解かと まぁ、シャロンさんはまちこさんのお弟子さんだからクリスチャンになったら無謬!アイムリトルジーザス\(^^)/の人だから無謬だし審判とかないんだよねw 名無しの人の言う事なんかまともに信じるお馬鹿さんは
どこにも居ませんよね(笑) 名無しの言うことじゃなくて正確にはシャロンさんの言ってること、なんだけどねw >>646
正確にはお馬鹿なあなたが理解できないだけなんです(笑)
✝
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが
救にあずかるわたしたちには、神の力である
(コリント第一1:18 ) 最後の審判はカルト発言してましたよね
その理由はクリスチャンになれば自動的に救われるから私は最後の審判で裁かれることはない、
とシャロンさんは言ってましたよね?
これはまちこさんのクリスチャン無謬節説だし、それがシャロンさんの最後の審判がない、の根拠になってますよね >>748
どっちみちへーゲンの終末論なんて知りませんわ(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています