【教えて】ピッピの神様【みこころ】
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世界地図を見て大発見、@日本列島を逆さまに見ると日本海は巨大塩水湖だと解る。A欧州の地図を見て、まさに第4の恐るべき獣が現れた(スペインが頭、イタリアが前足)B中東を逆さまに見るとまたまた現れた第一の有翼獅子バビロン(トルコが頭、アラビア半島が翼) 織田信長が地球儀を見てコメント「これが我が日の本か?」
宣教師「世界でございます」
信長「しかし、良く似ておるな」「九州はアフリカ」「四国はオーストラリア」「本州はユーラシア」「蝦夷は北アメリカではないか」「台湾は南アメリカかな?」 (続き)織田信長「蝦夷の更に北にあるのは何か」宣教師「さぁ*只今アムール川東を探査中です」信長「樺太じゃよ」宣教師「南極では」
宣教師「では日本(世界)の日本は何処でございますか」信長「うつけよのぅ、新島、式根島、神津島に決まっておろう 鯛の鯛 めで鯛のう!」 補足説明:日本列島は神意により世界のサンプルひな型として創造されました。北海道と北米はシフトします。開拓史、先住民、熊、鮭等
瀬戸内海は地中海とシフト シルクロードは東海道、富士山はエベレスト、伊豆半島はインド 長州山口はスペイン…まだまだありますが今回は此処まで 【対応】
アダム=ヤコブ=イエズス=主
1妻 4妻 無し 沢山
【愛された女】* 恵みの人
エバ=ラケル=マグダラ=ジャンヌ(女救世主 願望)
【愛する女】* 積極性
リリス=レア=マルタ=ファウスティナ(もう一つのホスチア 願望)
【約束の女】* 永遠の処女
蛇を踏む女=契約の箱=知恵=聖母
【死す女】* 代用品
ジルパ=タマル=12歳の少女=ピッピ 私たちの贖罪(十字架)
イエズスはダビデとソロモンが受けるはずの罰も肩代わりし、尻拭いしています。
そのため十字架の叫びではダビデの嘆きを再現し、復活後はマグダラと雅歌を再現しています。
私たちも主の贖罪をともに味わいましょう。
とくに女性が味わった苦味を主の代わりに飲み干しましょう。 ▼このように必ず対応がある
・エジプト すべての初子(男子)を絶つ
・ベツレヘム すべての乳幼児(男子)を虐殺
・エルサレム 救世主を死刑に処する→復活
・聖なる場所 反キリストが神宣言し捕らえられる→生きたまま火の池へ ▼このように必ず対応がある
・エデン エバが蛇を信じて罪が生じる→楽園から追放
・ナザレ おとめマリアが天使を信じて救いが得られる→天国へ入る
・大バビロン 女王イゼベルは繁栄ののち、病の床へ→生きたまま火の池へ
・天のエルサレム 主の花嫁は恵みと呪いを堪えて→永遠の至福へ こっちの方がいいかも
・天のエルサレム 主の花嫁は祝福と呪いを超えて→永遠の至福へ >>62
訂正版
▼このように必ず対応がある
・エデン エバが蛇を信じて罪が生じる→楽園から追放
・ナザレ おとめマリアが天使を信じて救いが得られる→天国へ入る
・大バビロン 女王イゼベルは繁栄ののち、病の床へ→生きたまま火の池へ
・天のエルサレム 主の花嫁は祝福と呪いを超えて→永遠の至福へ こっちも修正
・ナザレ おとめマリアが天使を信じて救いの道が開ける→天国へ入る ▼このように必ず対応がある
・エデン エバが蛇を信じて罪が生じる→楽園から追放
・ナザレ おとめマリアが天使を信じて救いの道が開ける→天国へ入る
・大バビロン 女王イゼベルは繁栄ののち、病の床へ→生きたまま火の池へ
・天のエルサレム 主の花嫁は祝福と呪いを超えて→永遠の至福へ ダビデの妻たち
ソロモンの妻たち
イエズスキリストの妻たち…
キリストの妻たち
(別格花嫁は聖母マリア)
第一花嫁はマグダラのマリア
第二花嫁はファウスティナ
第三花嫁はピッピ
私たちは本当に霊を識別できたか?
イエズスなのか?とか、悪霊では?と思えることもある。
私の場合も混在していた。はっきりわかる場合だけではなかった。
ファウスティナも主の声音を真似た悪魔の言葉を聴いている。
私の場合
「(マグダラとは)ここで分かれた」という分水嶺発言を聴いた。 「(マグダラとは)ここで分かれた」
という分水嶺発言を聴いた時、いやな気持ちがした。
それまではマグダラと一緒だったということだから。マグダラと同じとは何か?どこが同じだったのか?
浪費した福袋が私の部屋中にあふれていた。しかしほとんどそのままにして使うことはなかった。
マグダラの心情を思うと、何かストレスのはけ口でしかない罪という気がする。イエズスの同情を得るだけの悲しい気持ちが、マグダラにはあったのではないかと感じた。
そして私とマグダラの決定的な違いは何か?
どうしてもわからなかった。何が違うのか、何が?
私はイエズスをあきらめる方向へ行きがちで、マグダラとイエズスの関係を消すことができないことを強く感じている。
でも私にはまだ期待する気持ちがあった。
私を襲う悪魔から私を助けてくれたらいいのに。私を天へと連れ去ってくれたらいいのに。私を大きな奇跡とともに上げて世界に宣言してくれたらいいのにと。 【マグダラのマリア】
三十年間の主の養いで天と地を往復する(完全孤独)
【ファウスティナ】
十八歳で主を視る。
主は半ば怒るようにして早く修道院へ入るように急かす。
隣人のことも自然界についても考えすぎないよう指導され、主のみ心を合わせる。
【ピッピ】
猫が友だち。
腰痛、心のトラウマ、リストラ失職などで社会的つながりを狭める。
障害年金を得たのでつつましく暮らす。 【私の不思議】
疑いは不信仰なはずなのに、
ファウスティナの疑いは、主にとって正しい警戒心と受け取られ、御眼に喜ばしいものであるという。 【ファウスティナの謙遜】
シスターはすでに主イエズスの恵みを多大に受けていました。
そして霊的指導のままに徳を積み、花婿イエスの喜びを聴いています。
こんな中で謙遜を認めるのは難しいものです。
恍惚の恵みと渇望と苦しみを繰り返しながら、自分が本当は何者でもないことを学ばされていたはずです。
http://nowaksvd.net/jp/jiai/jiai01.htm 【信頼と実践は不可分】
1540
「わたしの慈しみに信頼するよう他の人を励ましながら、わたしの慈しみをたたえ、その礼拝を広める霊魂は皆、臨終のときに恐れを経験することはない。
わたしの慈しみが、その最後の戦いのとき彼らを守る…。」
742
「わたしは、隣人に慈しみを実践する三つの方法をあなたに与えている。
第一 行いによって、
第二 言葉によって、
第三 祈りによって、
(略)
なぜなら、最も強い信仰でさえ、業(わざ)がなければ何の役にも立たないからである。」
1317
「もし、霊魂が何かの慈しみを実践しないならば、その霊魂は、裁きの日にわたしの慈しみを受けないことになる。
http://nowaksvd.net/jp/jiai/jiai01.htm >>59 霊魂の系統
>>60 私たちの贖罪(十字架)
>>61 花婿の対応表
>>66 花嫁の対応表 ファウスティナが現れて二人掛かりとなり、イエズスのみこころや聖母の行動(花嫁さがし)がわからなくなった。
私は信頼する聖母と切り離され、マグダラやファウスティナ以前の本当の女奴隷であり、戦いの時には最前線にやられる斥候なのだと強く感じる。 妙な虚栄心が沸いてきました。
また自分だけ救われる他罰的な裁きのことを思いました。
愛は愛でも、排他性のある愛の裁きを。
私は伴侶の性を他の誰かと分かち合うつもりはありません。
どうして花婿は一人なのに花嫁はたくさんいるのですか。
意味がわかりません。意味不明。 私はもう最大限の苦しみを受けたと思います。霊魂容量を超えた気がするほどです。
私は女救世主願望もなく、もう一人のイエズスになりたいとも思ってません。
そんな器じゃないことがはっきりしているからです。小さなピッピが大それたこと出来ますか、出来ません。
だから私は花嫁競争から抜け出しました。
マグダラもファウスティナも闘志満々ではないでしょうか。
レアとラケルの夫争奪戦みたいに。
でも私はナザレのおとめマリアが花嫁には一番相応しいと思います。 教科書だけで理解できるならね。
参考書、関連する読み物、反対意見、これらがないと全体が見渡せないという頭の悪さがあります。 一番ニガテだったのが歴史の記述。
「蘇我氏が勢いを増した」ってどういうこと?
「十字軍を遠征させました」ってナニ?
もういちいち理解できなくて。 >>81
歴史 ヒストリー
he+ story
万物は彼にあって存在し 彼により創造し 彼の為に生かされています。(新約聖書コロサイ一章より自由訳)
彼こそエホバ 主なるキリスト ナザレのイエスです! ピッピさん!葉酸を飲むと精神が安定します。副作用もありません、DHCだと三百円で2ヶ月分です!オススメいたします。 今年に入ってビジョンでビー玉くらいのものがバウンドしながら悪魔の片目に入るのを視たことがあります。
この玉は私だろうか?と思いました。(方向としては「愛された都」のあるところ)
遡る去年のこと、私は「イエズス」が私よりマグダラのマリアを大切にして、マグダラを捨てる代わりに私をあらわす小さな青い玉を捨てたビジョンを視ました。
私はああ終わったと思いました。
新しいパートナーを探そうと決意しました。
ゼカリヤ
11:17 その羊の群れを捨てる愚かな牧者はわざわいだ。どうか、つるぎがその腕を撃ち、その右の目を撃つように。その腕は全く衰え、その右の目は全く見えなくなるように」。
そしてつい最近になって、赤い目(目の全体が赤い)の悪魔が呆然として立ち尽くしているのを視ました。
その前夜、私は聖母のことを考えていて、ナザレの少女が主の選ばれた花嫁なのだと思いました。
赤い目の悪魔は聖母を花嫁候補から度外視させようとしていました。でも天使が受胎告知するため訪れた時、聖母もとし若い少女だったのです。 余談ですが、じゅん散歩で高田じゅんじとそのスタッフが不動明王神社へ2回も訪れている。
不動明王(シヴァ)はもう悪いほうへ行ってしまったというよりは何万年と前から
人類、他の神や仏をだましてきていたことが判明している。だからそこへいってはいけない。
しかもこうして方々に注意を呼びかけているのに2回も訪れている。
それでは霊界に行ったとき真ん中より下しかいけないだろう。じゅん散歩を見た人も
つられて不動明王神社にいってはいけない。逆に、不動神社は本尊を降三世明王などにかえるべきだ。 使徒ヨハネは『黄金伝説』によると花婿でした。ヨハネは婚姻の日にイエズスの弟子になりました。
そしてマグダラのマリアの『黄金伝説』の方には、ヨハネと婚姻の日に花婿を取られ悲しみのあまり堕落した伝説があると書かれています。
しかし処女のまま堪えたという伝説もあるそうです。 ぴつぴさんの新しいパートナーとして三人の玉梨が立候補しました。
どの玉梨君がいいですか?
1.査定・・・受洗はしているそうです。ぴっぴの信仰はすばらしいと絶賛しています。
2.汗クサ・・・無神論者です。ぴっぴの信仰に信仰者の模範を見て尊敬されています。
3.らふぁ・・・仏教者です。野良猫を15匹飼っています。ぴっぴを援けたいとうずうずされています。 >>88
いちおう悪魔が警戒しているのはサティ君です。 するとサティ君は、神側に帰参される可能性があると? どーして悪魔がサティ君を警戒するのでしょうか? 影薄いのに 黄金伝説は誤りが多いので読んでもとらわれないほうがいいと思います 絶版になっているのは信用できないからでしょうか。
しかし編纂した人は聖人となりました。 理想の恋人を思って憧れていたらイエズスキリストと出会い、しかし、お互い唯一特別な存在としてではなく、自分が大勢の中の一人でしかなかった時の挫折感、喪失感、失望の強さをどう埋めたらいいのか。
花嫁には純潔を求めながら、花婿は大勢を相手するってどういうことなの。
私はもうこういうところがわけ分からない。
アブラハムも、ヤコブも、ダビデとソロモンも、イエズスも、
一夫多妻。
イエズスも一夫多妻ってところが悲しい。
私はずいぶん抵抗はしてきてるけど、実質一夫多妻。
イエズスが私たちに教えたことは一夫一妻なのに、イエズス御自身の婚姻は実質的に一夫多妻なんだもの。 マグダラのマリア一人だけ、とか
ファウスティナ一人だけ、とか
ナザレのおとめマリアだけ、とか
考えるだけ無駄なのだろうか。
聖書はマグダラのマリアの名前を全面に出してきてるけど。
しかしマグダラ花嫁説をとった教会は異端として抹殺される始末。
神には性愛はないという説があってもいいけれど、だから一夫多妻が神には適用されるという理屈はどうしても人間的理解しかできない私には意味不明だ。
少なくとも私の理想像としては降格。 【黙示録における花嫁の姿】
19章(マグダラの最期と酷似する)
7 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
8 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
21章(マグダラの最期と酷似する)
2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
9 最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。
10 この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。
11 その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。 22章(のろわるべきものとは?)
3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。 マグダラのマリアの後半生30年間について思うこと。
彼女が隣人との交わりを完全に絶ち、天国とだけ交流していたのは、善行を成すよりは罪を完全に断つことの方が重要だったのではないか、というもの。
おそらく世俗にいればマグダラのマリアは再び罪を犯す恐れがあった。交流することはむしろマイナスとなる。
イエズスはマグダレナに天国への憧れを与えて、堕落しないように責任を持って支えたのではないだろうか。死の時が来るまで。
何せ聖書の重要人物なのだから。後世の人のためでもあるし、御自身の約束の確かさを見させるためでもある。 *
主よ、ますますあなたへの憧れを強くします。ああ、主よ、もしそうしてくださることが御旨であるならば、あなた御自身のもとへ連れて行ってください!
わたしが死にそうであること、あなたへの憧れのために死にそうであることをあなたはご存知です。
841 (1936年降誕祭の頃)
*
「わたしは、あなたがわたしの花嫁になることを望む。」
畏れがわたしの霊魂を貫きましたが、平静にこれはどのような類(たぐい)の婚姻なのかと考え続けました。912
*
神は、(略) わたしなしでは幸せになることがおできにならない
1120 聖ファウスティナの日記は1828まで。
ファウスティナにとって主の来臨とは臨終の時に迎えに来てくれることです。
*
救い主の来臨を準備しています。
1823
*
「イエス、わたしをもう一つのホスチアに変えてください。あなたのために一つの生きたホスチアになりたいのです。
(略)
あなたの御稜威(みいつ)の御前で、生きたホスチアになりたいのです。つまり、あなたの誉れのために日々燃えている・生きたいけにえに。
1826
ファウスティナは主イエズスと最もよく似た花嫁になりたかったのだと思います。
鏡のようにそっくりな。 『聖ファウスティナの日記』より
神の三つのペルソナがわたしの内に住んでおられます。神がお愛しになるとき、御自分の全存在をもって、御自分の全存在あらゆる力をもって愛されます。
もし、神がこのようにわたしを愛してくださるのであれば、それにどう応えるべきでしょうかーー主の花嫁であるわたしは。392
ある講話中に、イエスはわたしに言われました。
「あなたは、選ばれた房における甘いぶどうの実〔一粒の実〕である。わたしは、他の人々があなたのうちに流れるその果汁に与ることを望む。」393
応答でしょうか。
392→393
+今日、幾つのオレンジを受け取りました。そのシスターが去ったとき、独りで考えました。
「聖なる四旬節中に、償いや苦行をしないで、オレンジを食べるべきでしょうか。結局、わたしは少し回復したと感じています。」
すると、霊魂の中で声を聞きました。
「我が娘よ、あなた自身の意志で断食や苦行を行うよりも、わたしへの従順と愛からオレンジを食べることによって、わたしの心にもっと適うのである。1023 『聖ファウスティナの日記』より
’37年3月19日。今日、わたしたちの修道院で行われている礼拝〔クラクフにおける四十時間の礼拝〕と霊において一致しましたが、わたしの霊魂は苦悩で満ちていて、ある不思議な種類の不安が心を刺し貫いていました。
このため、祈りを倍に増やしました。突然、わたしの心の奥底に達している神の眼差しを見ました。
1025
とても美味しい朝食の席に就いたとき、主に言いました。
「この贈り物を感謝します。でも、わたしの心はあなたへの憧れで死にそうであり、地上のどんなものもわたしにとって美味しくありません。あなたの愛という糧を望みます。」1026
今日、ある不思議な力によって、行動するように誘われました。わたしはこの引き付ける力に抵抗しなければなりません。さもないと、すぐそれに従うでしょう。1027
※ 新しい修道会の創立へ〔行動を起こすように〕
どうして従わないのでしょうか?
私もこういうことがあるのです。私の時ではない、と振り払っています。 >>103
*
’37年2月5日、我がイエスよ、すべてのことにもかかわらず、あなたと一致することをとても望んでいます。イエス、これが可能であるのなら、わたしをあなた御自身のもとに連れて行ってください。わたしの心は、あなたへの切望のあまり張り裂けそうですから。918 私はまだ一度もホスチアをいただいたことがありません。
私の中に来られている方は誰でしょう?
悪魔か、悪霊か、地上で生きている人の霊なのか?
それとも私の想像なのか。 ファウスティナと私の感じ方、考え方の相違をかぞえています。
ファウスティナに出現するイエズスと、私に出現するイエズスの違いによって、その正体を掴めるのではないかと期待するからです。 『聖ファウスティナの日記』には神と悪魔を識別できていないファウスティナがいます。
イエズスの語りかけによる訂正がある場合はそれとわかったと、悪魔からのものだったと本人は思うでしょう。
そこで私の体験と照らし合わせてキケンなにおいのする箇所を一つ書いてみます。
1936年末
853の「今や非常に間近い」
858の「今や長くない」という言葉を聞いたとの日記。地上の命が終わりに近づいているという意味です。
彼女は852では稲妻のような主の眼差しを感じて霊魂の中の最小の染みをも照らされます。
855ではファウスティナ自身の小さな過ち一つひとつ(神の恵みも)を観想しながら、丸一時間を過ごしています。
生きることは筆舌に尽くし難い殉教であると書き残しているほどで、すべての被造物に対して嫌悪と反感を感じたと書いています。
858「我が娘よ、忍耐しなさい。今や長くない。」 私は前年末からただ死ぬことだけが憧れでした。霊的なものに体を包まれ、霊的振動もあり、霊的熱にも覆われていました。手を当てると心臓の鼓動がいきなり速まりました。
年が明けて1月20日に「一ヶ月後」という声を聞いて、もしや迎えが来るのではないかとも思いました。
しかしいくつもの明るい報告をどうしても信じられず、苦悩するばかり。一進一退が続きました。
そんな中、2月4日、私は体の振動を体験しました。「来たれ」という内的な声を聴きました。
2月5日、「そう遠くない」という声がしました。そしてその日の深夜「今夜来る」体の振動があります。
2月6日、振動は相変わらずありました。私はこのイエズスは反キリストっぽいと思いました。
2月7日、「今回までは許す。次はない(その時は地獄だ)」と言われ、彼は私を熱い霊で包み、私は開放されました。
私も最小の罪を洗い出されながら必死の悔い改めを続けていたのです。(ファウスティナと同じ) 手をかざすと鼓動が速まるので、いつでも命をとることはできると言われたような気がしていました。
しかしその後日、いきなり心臓がドクドクしたにもかかわらず私は死にませんでした。
私を調べて苦しめていた霊は悪魔です。
あの熱い霊は悪魔、甘い霊は反キリスト(LAストーカー)です。
甘い霊は一日中、買い物へ出かけても持続していることがありました。
甘美ですから、特殊な事情がなければ嬉しいかもしれません。
変な雰囲気(霊の気配)がすると、聖母に祈りました。するとイエズスに祈るよりも効果があったのです。
私はイエズスと悪魔を識別することができません。私の愛したイエズスが実際は悪魔だったかもしれないからです。 私の事情とファウスティナの体験が同じだとはもちろん言えません。しかし似ていました。
霊魂の厳しい取り調べと地上から取り去られたい願望の強さが。
ピッピ:「そう遠くない」
ファウスティナ:「今や非常に間近い」「今や長くない」 【イエズスの嫉妬編】
*
’37年2月16日。今日、間違えて隣室に入ったので、しばらくそこにいた人と話しました。わたし自身の部屋に戻ったとき、ほんのしばらくその人について考えました。
すると突然、イエスがわたしの傍に立って、言われました。
「我が娘よ、あなたは今、何を考えているのか。」
思わず、主の御心にぴったりと寄り添いました。被造物について考え過ぎていたと悟ったからです。
960 『聖ファウスティナの日記』より
*
イエスよ、わたしをあなたのお望みのままになさってください。
(略)
ですから、お望みのままに、お望みのときにおいでください。無限の慈しみの父よ、あなたの子であるわたしは、あなたの来られるのを熱望しながら待ちます。
854
*
(激しい咳の発作)
どうかお望みのとおりにわたしになさってください。
1085
*
他の霊魂たちが受け取ることを拒んだ苦しみでさえ、すべてを受け入れます。
我がイエス、あなたはあらゆるものを持ってわたしのもとにおいでになれます。何もあなたに拒みません。
(略)
あなたのお望みどおりにわたしになさってください。
1795 >>104
『聖ファウスティナの日記』より
*
’37年6月1日。今日、〔"キリストの聖体の祭日Wの八日目に〕聖体行列が行われました。第一の祭壇で、炎のがホスチアから出て、わたしの心を刺し貫き、声を聞きました。
「ここにわたしの憩う場所がある。」
わたしの心は燃えあがり、自分が主に完全に変容されるのを感じました。
1140 >>115
ファウスティナが出会ったイエズスの嫉妬の凄まじいことは、旧約の神と一致します。
私の去年からの苦しみも、婚約後に恋した罪がおもたるものでした。
恋して望んだ相手と愚かなストーカーは、年齢が同じ・車の色が同じ・所有車らしい車を近所で目撃したことなどいくつかの共通することがあります。
浮かれた思いと嫌悪の激しさが相殺されるほどの等しい度合いがあったのかもしれません。
(わかりませんが) イエズスの好みは貧しく清らかな処女。
なぜならイエズスは愛も知恵も財産も不足なしの無尽蔵だからです。
いかなる知恵者も
いかなる美人も
いかなる金持ちも
またいかなる権威も
主の無尽蔵の御前で色目をつかうことはできない。 神様のお造りになられたものは一対の双子構造。
ファウスティナの「もう一つのホスチアになりたい」という願望もその潜在的憧れから来るのではないか?
http://www10.ueda.ne.jp/~petsark/cancan_2.html
4.
何とあなたは美しいのか。 我が恋人よ。 何ともあなたは美しい。 あなたの目は、奥に隠れている事以外は鳩のもの。 あなたの髪はギラードゥ(ガラード)(*1)の山から登ってきた雌山羊たちの群れの様。
あなたの歯は洗い場から上ってきた剃毛された羊の群れの様で、総てが双子の胎児を持ちそれらの中に不妊は一つもない。
髪結びの様なあなたの緋色の唇、そしてあなたの語りは魅力がある。 石榴(ざくろ)のかけらの如きあなたの頬、奥に隠れている事は別にして。
要塞と共に築かれたダヴィードゥの塔の如きあなたの首すじ。 剛の者たちの総ての武器から千の円盾が掛かっている。
あなたの二つの乳房はノロジカ(*2)の二匹の子、百合の中で放牧されている双子のようだ。
昼が息づいて影が傾くまで、私は没薬の山へ乳香の丘へと進み行こう。 総てあなたは美しい。 我が恋人よ、そしてあなたには一つの欠点もない。 『聖ファウスティナの日記』より
*
世界のために罪滅ぼしをするいけにえとして神の御前に立ちます。
482
*
いけにえのホスチアになりたいのです
483
*
わたしの名前はホスチア、つまりいけにえです。
485
*
わたしにもう一日、お与えになったこと、御子の受肉の神秘がわたしにおいて繰り返されること、そして、ふたたび主の痛ましい御受難がわたしの眼前で展開されることを神に感謝します。
486 他の神秘家の修道女も十字架のイエズスと自分の体を重ねているのだけど(竹下節子 著『聖女の条件』) 私にはまったくわからない。
彼女もファウスティナも十字架を甘美として味わっている。 >>118
福岡のストーカーと、私がイエズスと婚約してから恋した人との共通点を書き出しましたが、
もう一方の人との共通点もお話しておきます。
学生時代のクラスメイトのことです。彼女は惚れっぽくて今度はこの人が好きなんだとわかりました。
のちの生徒会長です。私は同じクラスに一回もなったことがないので、顔もぼんやりとしか知りません。シルエットと、学年代表として挨拶するような時に遠くから見て「この人か」と判別するくらいでした。
この(のちの)生徒会長と福岡の生徒会長が同じ苗字です。
私は自分が彼女のように見られているのを感覚の中で覚えて、あたかも私がストーカーに夢中であるかのように勘違いされているようにも思いました。
生徒会長は頭がいい人です。
でもあのストーカーは愚かです。頭もよくない。 >>123
この(のちの)生徒会長と福岡のストーカーが同じ苗字でした。 『聖ファウスティナの日記』より
*
〔’37年〕5月6日。主の昇天
今朝早くから、わたしの霊魂は神によって触れられています。聖体拝領後、しばらく天の御父と交わりました。わたしの霊魂は、愛の燃え盛る中心に引き入れられました。いかなる外的な業も神の清い愛と比較し得るものはないことを理解しました…。
受肉された御言葉の喜びを見て、神の三位一体の中に沈められました。我に返ったとき、霊魂が憧れで満たされていて、神と結ばれることを切望しました。
天の御父に対する途方もない愛がわたしを包んだので、この日を愛の絶え間ないエクスタシーと名付けます。
全宇宙は、神と比べて小さな一滴(ひとしずく)のように思われました。
1121 『聖ファウスティナの日記』より
*
霊魂から込み上げるうめき声と苦痛
927
*
主は自己犠牲的な愛を限りなく喜ばれる
「我が娘よ、泣いてはいけない。わたしはあなたの涙に耐えられないからだ。あなたの願い求めるものをすべて与える。だが、泣くのはやめなさい。」
928 『聖ファウスティナの日記』より
*
苦痛のすべては罪人のため
999
*
わたしの霊魂は、しばしば苦しみの重荷を負いますが、これらの苦痛を理解できる人はいません。
1113
*
総長は答えられました。
「あなたのその退会は誘惑です。」
しばらく彼女に話した後、慰めを感じましたが、闇は続きました。
*
そして、これ以上に大きな苦しみはあり得ません。殉教者たちの苦しみはそれ以上ではありません。なぜなら、殉教の時には、死がわたしにとって開放となるでしょうから。
これらの苦しみを、霊魂のこの終わることのない苦悩を、いかなるものとも比べることができません。比べ得るものは何もありません。
1116
*
誘惑であるのか、時が満ちていないからなのか
〔’37年〕5月5日。今日、告解において、わたしの霊魂をあり程度開いて示しました。なぜなら、このこと、つまり、退会が許されるようにと願うその時点に、非常に大きな苦しみと闇を経験するだろうと心に思い浮かんだからです。
1117 >>128
非常に大きな苦しみと闇を経験するだろうということは、多分、実際の誘惑だろうと心に思い浮かんだからです。 『聖ファウスティナの日記』より
*
愛の卓越性
ああ、教会が信じるようにとわたしたちに命じることを、自分の霊魂の深みに持つのは何と甘美なのでしょう。わたしの霊魂が愛の中に沈められるとき、わたしは最も複雑な問題さえはっきりと素早く解決します。愛だけが、断崖と山の頂を渡ることができます。
愛、もう一度〔言います〕、愛。
1123 読ませて戴いたが、やはり貴女は少し普通ではないと思うよ。 臨終間近の日記。
「いけにえだ。それから?」
それから?とは何だろう。
『聖ファウスティナの日記』より
*
すると、主はお答えになりました。
「あなたは、天の御父の御心に適った・生きたホスチアだ。だが、思い巡らしなさい、ホスチアとは何かを。いけにえだ。それから…?」
1826 「ホスチアはいけにえだ。それから?」
「それから」
私がホスチア。
最善を尽くしています…。
ファウスティナの最後の日記。 男性信徒の中に、俺はキリストの花嫁だと書いてる聖人ているかしら。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p54
「いつも自分にとらわれない心構えができるように、たとえば口答えを押さえるとか、恩に着せないで小さいことを手伝うなどのことを心がけました。
……こういうちょっとしたことを実践しながら、イエスさまのフィアンセとなる準備をしました」
(『ある魂の物語』原稿A六・34)(『自叙伝』190)。 やっぱり小さなテレーズもお年頃になると成長するのよ。
こんなに激しく求めるようになる。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p139〜
「今はもう、あなたを狂うほどに愛しぬく以外、何も望みがありません。(『ある魂の物語』A八・20)(『自叙伝』235)。
何が起きたのだろうか?テレーズは十字架のヨハネの『霊の賛歌』を黙想し、次の詩を引用している。
「『私の愛する方の、奥の酒ぐらにはいって
愛するあの方から私は飲みました。
そしてそこから出たとき
広い野原、見渡すかぎり
私が知っているものは
もう何もありませんでした。
私が追っていたものの群れも
消えていました。
私の魂は、そのすべてをあげて
あの方にお仕えしています。
私はもはや群れを守りません。
もうほかの務めはないのです。
ただ愛することだけが、私のすること。』 めっちゃくちゃ可愛い!
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p167
テレーズの自筆原稿
おお、マリア様、もし私が天の女王さまであり、
あなたがテレーズであったら、あなたに天の女王
さまになっていただくために、私はテレーズにな
りたいと思います!
1897年9月8日 ピオ神父もこの聖テレーズのファンであった。
ファウスティナも然り。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p172
テレーズの盾形紋章についての説明
(略)
ー尊い面影と幼いイエスをそれぞれに囲んでいる二つの枝はテレーズを表しています。
テレーズの地上での望みは、小さなブドウの一房となり、幼いイエスさまがおやつに食べてくださるよう、また、受難のイエスさまが激しいのどの渇きをいやしてくださるよう、身をささげることだけです。
ハープもイエスさまに愛の歌をいつも歌っていたいテレーズを表しています。 どうしてカトリックの聖女は病弱、苦悩、若死にが多いのか…。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p177〜参考
テレーズ年譜
一八七三年一月二日 誕生
一八八六年一◯月一五日 初聖体
一八八八年四月九日 カルメル会入会
一八九六年二月二四日 最初の喀血をする
四月五日 「信仰の暗夜」に入り、それが死にいたるまで続く
一八九七年九月三◯日 死去 リジューの聖テレーズ
【年譜】
1873年1月2日 誕生
1886年10月15日 初聖体13歳
1888年4月9日 カルメル会入会15歳
1896年2月24日 最初の喀血をする23歳
4月5日 「信仰の暗夜」に入り、それが死にいたるまで続く
1897年9月30日 死去24歳 ファウスティナを善意に解せば、死より辛い苦しみは英雄的な行為だからとなるのだと思う。
だから殉教者よりわたしの方が苦しい、と実感するのだな。
それを傲慢と捉えるかどうかだが。
しかしファウスティナが泣くとその涙には耐えられないから代わりにあなたの願いは何でも聞くよだなんて、イエズスも甘いわ。まるでヘロデヤの娘に感動したヘロデ王だ。もしくはエステルの願いを待つペルシャ王のようだ。
ファウスティナは賢明にも大それた大きなお願いをする。
世界的な救世だ。
私は思う。叶えられたかどうかは関係ないと。
おそらくそんな事実はない。まああればあったで、神が決断なさったことだろう。
でも大切なことは、そうした事実の問題ではないと思う。
神の愛に対する彼女の態度だ。まさしく最善を尽くして自らの霊魂を整えていますという態度が、神を喜ばせているのではないかと想像する。 私が同じことをいわれたらどうするだろう。
何でも叶えると言われたら。
償いのための苦しみを肩代わりしたからその報いを今あげると言われているのに等しいのだ。
「私が願っていてもいなくても、あなたがそうしようとすればできます。私はただこの苦しみが、神の御心に適っていることを望みます」
ソロモンは知恵を求めた。しかし女性への知恵は働かなかった。
私はなぜ神が今、私の報いや
願いをこんなにも簡単に叶えようとするのかがわからないと思うだろう。
私ならどうするだろう。態度として。
何も望まない。あなたは私なしで何でも出来る。なぜ私に願わせるのか。
祝福を願いたい。祝福が欲しい。
世界を祝福して欲しい。私たち被造物を祝福してください。誰もが笑えるように。今、そうしてください。 ああ!
結局、私も同じようなこと願うのだな!
いい子ぶってるかもな。 >>128
また訂正箇所発見
わたしの霊魂をある程度開いて
>>129 + 【アグレダのマリア】
聖母が御逝去されたのは、8月13日、金曜日、午後3時で、聖母の享年は70歳でした。救い主キリストの御死去の後、21年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時間か継続しました。
御母が永遠に主の伴侶となり、主の似姿をとり、神人なるイエズスと被造物なる御母の間に誰も介入しないことは理解できます。 【エンメリック】
聖母はその終わりが近いことを感じられたので、おん子の指示 にしたがって、祈りにより使徒たちを自分の所に呼び寄せられ た。聖母は今や六十三才になっておられた。キリストのご誕生の 時は十五才であった。 アグレダのマリアとエンメリック。二人は確かに超自然的なものを視たのだと思う。
他の幻視者も視たのだろう。
私自身も視ている。
それは実感的なもので、即座に内容を理解できるし、音や匂いや感覚を伴う。
しかし数字は信用できない。 アグレダのマリア説
→70歳で聖母は死去(7の10倍)
エンメリック説
→63歳で聖母は死去(7の9倍) 【アグレダのマリア】
聖母が御逝去されたのは、8月13日、金曜日、午後3時で、聖母の享年は70歳でした。救い主キリストの御死去の後、21年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時間か継続しました。
御母が永遠に主の伴侶となり、主の似姿をとり、神人なるイエズスと被造物なる御母の間に誰も介入しないことは理解できます。主は御父に御報告されます、
「永遠の御父よ、私の最愛の御母、御身の愛しき娘である聖霊の憧れた浄配が、この王冠と光栄を今ここでお受けします。御母の御功徳のため、我々はこの報酬を準備しました。
御母は刺の中のバラとして生れ、汚されず、純粋で美しく、我々に抱擁され、他の人間の到達できない玉座に付けられるに値します。
御母こそ我々の選んだ唯一の御方、何物よりも卓越し、我々の恩寵や完全と交わります。我々の計り知れない神性と賜物を御母に預けました。御母は最も忠実にこの宝を保管し、この宝を更に増やします。
御母は我々の意志から決して離れませんし、いつも我々の恩寵を保ちます。私の御父よ、我々の慈悲と正義の法廷は公平であり、我らの友人たちは奉仕に対し過剰の恵みを払っていたただきました。私の御母が御母の報酬を頂くのは正しいことです。
御生涯に被造物として可能な限り、私に似た者となられたので、私に似た者として光栄と玉座を頂くことになります」。
御父と聖霊は御賛成になりました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています