映画『最後の誘惑』は小説を原作としていました。十字架上でイエズスが幻覚を見るのですよね。
マグダラのマリアと結婚し、家庭を持って人として生き続けるという誘惑を受けます。
粗末な小屋で二人は性行為します。妊娠して子どもが産まれますが、たしか産後の肥立ちが悪くてマグダラが死んでしまうのですよね。
そしてマルタの妹のマリアと再婚して子どもが増えていくという。

原作の一部を読みました。
イエズスはマグダラとのセックスに感動して泣くのですよ。
「泣いてるの? ベイビー」
とマグダラが上から目線でイエズスをリードするわけです。

これが作者のキリスト観だとしたらイエズスは性に対して相当ウブなんですね。
しかもコロッと女に征服されてしまっています。
作者がですね、たとえばですね、
「これは聖霊の導きによる物語です」
なんて真剣に信じていてもいいわけです。
世に出てしまったからにはこれは聖霊による真実だと思う人も中には出てくるでしょう。
「こういう説もある」と言い出します。

問題はここなんです。
新宗教の教祖が見たキリストの真実とやらも根拠は同じです。
つまり「霊」が教えてくれたというもの。

私は未だに謎ですね。
モーセが書いたレアとラケルのこっぱずかしい恋茄子騒動なんかをどうして世に残したのかと。