【教えて】ピッピの神様【みこころ】
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聖ファウスティナの日記は1828まで。
ファウスティナにとって主の来臨とは臨終の時に迎えに来てくれることです。
*
救い主の来臨を準備しています。
1823
*
「イエス、わたしをもう一つのホスチアに変えてください。あなたのために一つの生きたホスチアになりたいのです。
(略)
あなたの御稜威(みいつ)の御前で、生きたホスチアになりたいのです。つまり、あなたの誉れのために日々燃えている・生きたいけにえに。
1826
ファウスティナは主イエズスと最もよく似た花嫁になりたかったのだと思います。
鏡のようにそっくりな。 『聖ファウスティナの日記』より
神の三つのペルソナがわたしの内に住んでおられます。神がお愛しになるとき、御自分の全存在をもって、御自分の全存在あらゆる力をもって愛されます。
もし、神がこのようにわたしを愛してくださるのであれば、それにどう応えるべきでしょうかーー主の花嫁であるわたしは。392
ある講話中に、イエスはわたしに言われました。
「あなたは、選ばれた房における甘いぶどうの実〔一粒の実〕である。わたしは、他の人々があなたのうちに流れるその果汁に与ることを望む。」393
応答でしょうか。
392→393
+今日、幾つのオレンジを受け取りました。そのシスターが去ったとき、独りで考えました。
「聖なる四旬節中に、償いや苦行をしないで、オレンジを食べるべきでしょうか。結局、わたしは少し回復したと感じています。」
すると、霊魂の中で声を聞きました。
「我が娘よ、あなた自身の意志で断食や苦行を行うよりも、わたしへの従順と愛からオレンジを食べることによって、わたしの心にもっと適うのである。1023 『聖ファウスティナの日記』より
’37年3月19日。今日、わたしたちの修道院で行われている礼拝〔クラクフにおける四十時間の礼拝〕と霊において一致しましたが、わたしの霊魂は苦悩で満ちていて、ある不思議な種類の不安が心を刺し貫いていました。
このため、祈りを倍に増やしました。突然、わたしの心の奥底に達している神の眼差しを見ました。
1025
とても美味しい朝食の席に就いたとき、主に言いました。
「この贈り物を感謝します。でも、わたしの心はあなたへの憧れで死にそうであり、地上のどんなものもわたしにとって美味しくありません。あなたの愛という糧を望みます。」1026
今日、ある不思議な力によって、行動するように誘われました。わたしはこの引き付ける力に抵抗しなければなりません。さもないと、すぐそれに従うでしょう。1027
※ 新しい修道会の創立へ〔行動を起こすように〕
どうして従わないのでしょうか?
私もこういうことがあるのです。私の時ではない、と振り払っています。 >>103
*
’37年2月5日、我がイエスよ、すべてのことにもかかわらず、あなたと一致することをとても望んでいます。イエス、これが可能であるのなら、わたしをあなた御自身のもとに連れて行ってください。わたしの心は、あなたへの切望のあまり張り裂けそうですから。918 私はまだ一度もホスチアをいただいたことがありません。
私の中に来られている方は誰でしょう?
悪魔か、悪霊か、地上で生きている人の霊なのか?
それとも私の想像なのか。 ファウスティナと私の感じ方、考え方の相違をかぞえています。
ファウスティナに出現するイエズスと、私に出現するイエズスの違いによって、その正体を掴めるのではないかと期待するからです。 『聖ファウスティナの日記』には神と悪魔を識別できていないファウスティナがいます。
イエズスの語りかけによる訂正がある場合はそれとわかったと、悪魔からのものだったと本人は思うでしょう。
そこで私の体験と照らし合わせてキケンなにおいのする箇所を一つ書いてみます。
1936年末
853の「今や非常に間近い」
858の「今や長くない」という言葉を聞いたとの日記。地上の命が終わりに近づいているという意味です。
彼女は852では稲妻のような主の眼差しを感じて霊魂の中の最小の染みをも照らされます。
855ではファウスティナ自身の小さな過ち一つひとつ(神の恵みも)を観想しながら、丸一時間を過ごしています。
生きることは筆舌に尽くし難い殉教であると書き残しているほどで、すべての被造物に対して嫌悪と反感を感じたと書いています。
858「我が娘よ、忍耐しなさい。今や長くない。」 私は前年末からただ死ぬことだけが憧れでした。霊的なものに体を包まれ、霊的振動もあり、霊的熱にも覆われていました。手を当てると心臓の鼓動がいきなり速まりました。
年が明けて1月20日に「一ヶ月後」という声を聞いて、もしや迎えが来るのではないかとも思いました。
しかしいくつもの明るい報告をどうしても信じられず、苦悩するばかり。一進一退が続きました。
そんな中、2月4日、私は体の振動を体験しました。「来たれ」という内的な声を聴きました。
2月5日、「そう遠くない」という声がしました。そしてその日の深夜「今夜来る」体の振動があります。
2月6日、振動は相変わらずありました。私はこのイエズスは反キリストっぽいと思いました。
2月7日、「今回までは許す。次はない(その時は地獄だ)」と言われ、彼は私を熱い霊で包み、私は開放されました。
私も最小の罪を洗い出されながら必死の悔い改めを続けていたのです。(ファウスティナと同じ) 手をかざすと鼓動が速まるので、いつでも命をとることはできると言われたような気がしていました。
しかしその後日、いきなり心臓がドクドクしたにもかかわらず私は死にませんでした。
私を調べて苦しめていた霊は悪魔です。
あの熱い霊は悪魔、甘い霊は反キリスト(LAストーカー)です。
甘い霊は一日中、買い物へ出かけても持続していることがありました。
甘美ですから、特殊な事情がなければ嬉しいかもしれません。
変な雰囲気(霊の気配)がすると、聖母に祈りました。するとイエズスに祈るよりも効果があったのです。
私はイエズスと悪魔を識別することができません。私の愛したイエズスが実際は悪魔だったかもしれないからです。 私の事情とファウスティナの体験が同じだとはもちろん言えません。しかし似ていました。
霊魂の厳しい取り調べと地上から取り去られたい願望の強さが。
ピッピ:「そう遠くない」
ファウスティナ:「今や非常に間近い」「今や長くない」 【イエズスの嫉妬編】
*
’37年2月16日。今日、間違えて隣室に入ったので、しばらくそこにいた人と話しました。わたし自身の部屋に戻ったとき、ほんのしばらくその人について考えました。
すると突然、イエスがわたしの傍に立って、言われました。
「我が娘よ、あなたは今、何を考えているのか。」
思わず、主の御心にぴったりと寄り添いました。被造物について考え過ぎていたと悟ったからです。
960 『聖ファウスティナの日記』より
*
イエスよ、わたしをあなたのお望みのままになさってください。
(略)
ですから、お望みのままに、お望みのときにおいでください。無限の慈しみの父よ、あなたの子であるわたしは、あなたの来られるのを熱望しながら待ちます。
854
*
(激しい咳の発作)
どうかお望みのとおりにわたしになさってください。
1085
*
他の霊魂たちが受け取ることを拒んだ苦しみでさえ、すべてを受け入れます。
我がイエス、あなたはあらゆるものを持ってわたしのもとにおいでになれます。何もあなたに拒みません。
(略)
あなたのお望みどおりにわたしになさってください。
1795 >>104
『聖ファウスティナの日記』より
*
’37年6月1日。今日、〔"キリストの聖体の祭日Wの八日目に〕聖体行列が行われました。第一の祭壇で、炎のがホスチアから出て、わたしの心を刺し貫き、声を聞きました。
「ここにわたしの憩う場所がある。」
わたしの心は燃えあがり、自分が主に完全に変容されるのを感じました。
1140 >>115
ファウスティナが出会ったイエズスの嫉妬の凄まじいことは、旧約の神と一致します。
私の去年からの苦しみも、婚約後に恋した罪がおもたるものでした。
恋して望んだ相手と愚かなストーカーは、年齢が同じ・車の色が同じ・所有車らしい車を近所で目撃したことなどいくつかの共通することがあります。
浮かれた思いと嫌悪の激しさが相殺されるほどの等しい度合いがあったのかもしれません。
(わかりませんが) イエズスの好みは貧しく清らかな処女。
なぜならイエズスは愛も知恵も財産も不足なしの無尽蔵だからです。
いかなる知恵者も
いかなる美人も
いかなる金持ちも
またいかなる権威も
主の無尽蔵の御前で色目をつかうことはできない。 神様のお造りになられたものは一対の双子構造。
ファウスティナの「もう一つのホスチアになりたい」という願望もその潜在的憧れから来るのではないか?
http://www10.ueda.ne.jp/~petsark/cancan_2.html
4.
何とあなたは美しいのか。 我が恋人よ。 何ともあなたは美しい。 あなたの目は、奥に隠れている事以外は鳩のもの。 あなたの髪はギラードゥ(ガラード)(*1)の山から登ってきた雌山羊たちの群れの様。
あなたの歯は洗い場から上ってきた剃毛された羊の群れの様で、総てが双子の胎児を持ちそれらの中に不妊は一つもない。
髪結びの様なあなたの緋色の唇、そしてあなたの語りは魅力がある。 石榴(ざくろ)のかけらの如きあなたの頬、奥に隠れている事は別にして。
要塞と共に築かれたダヴィードゥの塔の如きあなたの首すじ。 剛の者たちの総ての武器から千の円盾が掛かっている。
あなたの二つの乳房はノロジカ(*2)の二匹の子、百合の中で放牧されている双子のようだ。
昼が息づいて影が傾くまで、私は没薬の山へ乳香の丘へと進み行こう。 総てあなたは美しい。 我が恋人よ、そしてあなたには一つの欠点もない。 『聖ファウスティナの日記』より
*
世界のために罪滅ぼしをするいけにえとして神の御前に立ちます。
482
*
いけにえのホスチアになりたいのです
483
*
わたしの名前はホスチア、つまりいけにえです。
485
*
わたしにもう一日、お与えになったこと、御子の受肉の神秘がわたしにおいて繰り返されること、そして、ふたたび主の痛ましい御受難がわたしの眼前で展開されることを神に感謝します。
486 他の神秘家の修道女も十字架のイエズスと自分の体を重ねているのだけど(竹下節子 著『聖女の条件』) 私にはまったくわからない。
彼女もファウスティナも十字架を甘美として味わっている。 >>118
福岡のストーカーと、私がイエズスと婚約してから恋した人との共通点を書き出しましたが、
もう一方の人との共通点もお話しておきます。
学生時代のクラスメイトのことです。彼女は惚れっぽくて今度はこの人が好きなんだとわかりました。
のちの生徒会長です。私は同じクラスに一回もなったことがないので、顔もぼんやりとしか知りません。シルエットと、学年代表として挨拶するような時に遠くから見て「この人か」と判別するくらいでした。
この(のちの)生徒会長と福岡の生徒会長が同じ苗字です。
私は自分が彼女のように見られているのを感覚の中で覚えて、あたかも私がストーカーに夢中であるかのように勘違いされているようにも思いました。
生徒会長は頭がいい人です。
でもあのストーカーは愚かです。頭もよくない。 >>123
この(のちの)生徒会長と福岡のストーカーが同じ苗字でした。 『聖ファウスティナの日記』より
*
〔’37年〕5月6日。主の昇天
今朝早くから、わたしの霊魂は神によって触れられています。聖体拝領後、しばらく天の御父と交わりました。わたしの霊魂は、愛の燃え盛る中心に引き入れられました。いかなる外的な業も神の清い愛と比較し得るものはないことを理解しました…。
受肉された御言葉の喜びを見て、神の三位一体の中に沈められました。我に返ったとき、霊魂が憧れで満たされていて、神と結ばれることを切望しました。
天の御父に対する途方もない愛がわたしを包んだので、この日を愛の絶え間ないエクスタシーと名付けます。
全宇宙は、神と比べて小さな一滴(ひとしずく)のように思われました。
1121 『聖ファウスティナの日記』より
*
霊魂から込み上げるうめき声と苦痛
927
*
主は自己犠牲的な愛を限りなく喜ばれる
「我が娘よ、泣いてはいけない。わたしはあなたの涙に耐えられないからだ。あなたの願い求めるものをすべて与える。だが、泣くのはやめなさい。」
928 『聖ファウスティナの日記』より
*
苦痛のすべては罪人のため
999
*
わたしの霊魂は、しばしば苦しみの重荷を負いますが、これらの苦痛を理解できる人はいません。
1113
*
総長は答えられました。
「あなたのその退会は誘惑です。」
しばらく彼女に話した後、慰めを感じましたが、闇は続きました。
*
そして、これ以上に大きな苦しみはあり得ません。殉教者たちの苦しみはそれ以上ではありません。なぜなら、殉教の時には、死がわたしにとって開放となるでしょうから。
これらの苦しみを、霊魂のこの終わることのない苦悩を、いかなるものとも比べることができません。比べ得るものは何もありません。
1116
*
誘惑であるのか、時が満ちていないからなのか
〔’37年〕5月5日。今日、告解において、わたしの霊魂をあり程度開いて示しました。なぜなら、このこと、つまり、退会が許されるようにと願うその時点に、非常に大きな苦しみと闇を経験するだろうと心に思い浮かんだからです。
1117 >>128
非常に大きな苦しみと闇を経験するだろうということは、多分、実際の誘惑だろうと心に思い浮かんだからです。 『聖ファウスティナの日記』より
*
愛の卓越性
ああ、教会が信じるようにとわたしたちに命じることを、自分の霊魂の深みに持つのは何と甘美なのでしょう。わたしの霊魂が愛の中に沈められるとき、わたしは最も複雑な問題さえはっきりと素早く解決します。愛だけが、断崖と山の頂を渡ることができます。
愛、もう一度〔言います〕、愛。
1123 読ませて戴いたが、やはり貴女は少し普通ではないと思うよ。 臨終間近の日記。
「いけにえだ。それから?」
それから?とは何だろう。
『聖ファウスティナの日記』より
*
すると、主はお答えになりました。
「あなたは、天の御父の御心に適った・生きたホスチアだ。だが、思い巡らしなさい、ホスチアとは何かを。いけにえだ。それから…?」
1826 「ホスチアはいけにえだ。それから?」
「それから」
私がホスチア。
最善を尽くしています…。
ファウスティナの最後の日記。 男性信徒の中に、俺はキリストの花嫁だと書いてる聖人ているかしら。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p54
「いつも自分にとらわれない心構えができるように、たとえば口答えを押さえるとか、恩に着せないで小さいことを手伝うなどのことを心がけました。
……こういうちょっとしたことを実践しながら、イエスさまのフィアンセとなる準備をしました」
(『ある魂の物語』原稿A六・34)(『自叙伝』190)。 やっぱり小さなテレーズもお年頃になると成長するのよ。
こんなに激しく求めるようになる。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p139〜
「今はもう、あなたを狂うほどに愛しぬく以外、何も望みがありません。(『ある魂の物語』A八・20)(『自叙伝』235)。
何が起きたのだろうか?テレーズは十字架のヨハネの『霊の賛歌』を黙想し、次の詩を引用している。
「『私の愛する方の、奥の酒ぐらにはいって
愛するあの方から私は飲みました。
そしてそこから出たとき
広い野原、見渡すかぎり
私が知っているものは
もう何もありませんでした。
私が追っていたものの群れも
消えていました。
私の魂は、そのすべてをあげて
あの方にお仕えしています。
私はもはや群れを守りません。
もうほかの務めはないのです。
ただ愛することだけが、私のすること。』 めっちゃくちゃ可愛い!
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p167
テレーズの自筆原稿
おお、マリア様、もし私が天の女王さまであり、
あなたがテレーズであったら、あなたに天の女王
さまになっていただくために、私はテレーズにな
りたいと思います!
1897年9月8日 ピオ神父もこの聖テレーズのファンであった。
ファウスティナも然り。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p172
テレーズの盾形紋章についての説明
(略)
ー尊い面影と幼いイエスをそれぞれに囲んでいる二つの枝はテレーズを表しています。
テレーズの地上での望みは、小さなブドウの一房となり、幼いイエスさまがおやつに食べてくださるよう、また、受難のイエスさまが激しいのどの渇きをいやしてくださるよう、身をささげることだけです。
ハープもイエスさまに愛の歌をいつも歌っていたいテレーズを表しています。 どうしてカトリックの聖女は病弱、苦悩、若死にが多いのか…。
『リジューのテレーズ 幼な子の心を生きる人』新世社
p177〜参考
テレーズ年譜
一八七三年一月二日 誕生
一八八六年一◯月一五日 初聖体
一八八八年四月九日 カルメル会入会
一八九六年二月二四日 最初の喀血をする
四月五日 「信仰の暗夜」に入り、それが死にいたるまで続く
一八九七年九月三◯日 死去 リジューの聖テレーズ
【年譜】
1873年1月2日 誕生
1886年10月15日 初聖体13歳
1888年4月9日 カルメル会入会15歳
1896年2月24日 最初の喀血をする23歳
4月5日 「信仰の暗夜」に入り、それが死にいたるまで続く
1897年9月30日 死去24歳 ファウスティナを善意に解せば、死より辛い苦しみは英雄的な行為だからとなるのだと思う。
だから殉教者よりわたしの方が苦しい、と実感するのだな。
それを傲慢と捉えるかどうかだが。
しかしファウスティナが泣くとその涙には耐えられないから代わりにあなたの願いは何でも聞くよだなんて、イエズスも甘いわ。まるでヘロデヤの娘に感動したヘロデ王だ。もしくはエステルの願いを待つペルシャ王のようだ。
ファウスティナは賢明にも大それた大きなお願いをする。
世界的な救世だ。
私は思う。叶えられたかどうかは関係ないと。
おそらくそんな事実はない。まああればあったで、神が決断なさったことだろう。
でも大切なことは、そうした事実の問題ではないと思う。
神の愛に対する彼女の態度だ。まさしく最善を尽くして自らの霊魂を整えていますという態度が、神を喜ばせているのではないかと想像する。 私が同じことをいわれたらどうするだろう。
何でも叶えると言われたら。
償いのための苦しみを肩代わりしたからその報いを今あげると言われているのに等しいのだ。
「私が願っていてもいなくても、あなたがそうしようとすればできます。私はただこの苦しみが、神の御心に適っていることを望みます」
ソロモンは知恵を求めた。しかし女性への知恵は働かなかった。
私はなぜ神が今、私の報いや
願いをこんなにも簡単に叶えようとするのかがわからないと思うだろう。
私ならどうするだろう。態度として。
何も望まない。あなたは私なしで何でも出来る。なぜ私に願わせるのか。
祝福を願いたい。祝福が欲しい。
世界を祝福して欲しい。私たち被造物を祝福してください。誰もが笑えるように。今、そうしてください。 ああ!
結局、私も同じようなこと願うのだな!
いい子ぶってるかもな。 >>128
また訂正箇所発見
わたしの霊魂をある程度開いて
>>129 + 【アグレダのマリア】
聖母が御逝去されたのは、8月13日、金曜日、午後3時で、聖母の享年は70歳でした。救い主キリストの御死去の後、21年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時間か継続しました。
御母が永遠に主の伴侶となり、主の似姿をとり、神人なるイエズスと被造物なる御母の間に誰も介入しないことは理解できます。 【エンメリック】
聖母はその終わりが近いことを感じられたので、おん子の指示 にしたがって、祈りにより使徒たちを自分の所に呼び寄せられ た。聖母は今や六十三才になっておられた。キリストのご誕生の 時は十五才であった。 アグレダのマリアとエンメリック。二人は確かに超自然的なものを視たのだと思う。
他の幻視者も視たのだろう。
私自身も視ている。
それは実感的なもので、即座に内容を理解できるし、音や匂いや感覚を伴う。
しかし数字は信用できない。 アグレダのマリア説
→70歳で聖母は死去(7の10倍)
エンメリック説
→63歳で聖母は死去(7の9倍) 【アグレダのマリア】
聖母が御逝去されたのは、8月13日、金曜日、午後3時で、聖母の享年は70歳でした。救い主キリストの御死去の後、21年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時間か継続しました。
御母が永遠に主の伴侶となり、主の似姿をとり、神人なるイエズスと被造物なる御母の間に誰も介入しないことは理解できます。主は御父に御報告されます、
「永遠の御父よ、私の最愛の御母、御身の愛しき娘である聖霊の憧れた浄配が、この王冠と光栄を今ここでお受けします。御母の御功徳のため、我々はこの報酬を準備しました。
御母は刺の中のバラとして生れ、汚されず、純粋で美しく、我々に抱擁され、他の人間の到達できない玉座に付けられるに値します。
御母こそ我々の選んだ唯一の御方、何物よりも卓越し、我々の恩寵や完全と交わります。我々の計り知れない神性と賜物を御母に預けました。御母は最も忠実にこの宝を保管し、この宝を更に増やします。
御母は我々の意志から決して離れませんし、いつも我々の恩寵を保ちます。私の御父よ、我々の慈悲と正義の法廷は公平であり、我らの友人たちは奉仕に対し過剰の恵みを払っていたただきました。私の御母が御母の報酬を頂くのは正しいことです。
御生涯に被造物として可能な限り、私に似た者となられたので、私に似た者として光栄と玉座を頂くことになります」。
御父と聖霊は御賛成になりました。 聖人は立派な人がなるものですが、花嫁は愛されてなるものです。
もちろんキリストに似せられるのですが、最初から似ています。
似た人が愛されるのです。
キリストの衣を着せられたら、ますます似るでしょう。 主の日は、まだ来ていません。
それは、明らかなことです。
6節に、いま、彼すなわち不法の者つまり滅びの子が、現れるのを抑えているものがあることは、あなたがたも知っている通りです。
これは、この世の光、また、塩であるクリスチャンがいる限り、反キリストは、現れることができないということです。
3節の反逆と訳されている言葉は、正確ではありません。
クリスチャンがいる限り、反キリストは、現れることができないとすれば、ここの反逆という言葉は、ラプチャーと考えられます。
反逆と訳した人は、この言葉の意味が「離れる」ことから、類推して、神から離れることと考え、神に対する反逆と訳しましたが、ここには、神に対するという言葉は、見つかりません。
ただ、「離れる」ことがあって、それから反キリストが現れるということです。
クリスチャンがいる限り、反キリストは、現れることはできません。
7節にある通り、不法の秘密の力は、すでに、働いています。
ただそれは、今のところ、抑えている者が、取り除かれるまでのことです。
つまり、ラプチャーがあって、その後、反キリストが現れ、それから、7年間の艱難の時代があり、その後、イエス・キリストが帰って来ます。
イエス・キリストは、私たちを迎えに帰って来て、それから7年後に私たちと共に帰って来ます。
その人に、言ってあげてください。
私たちクリスチャンがいる限り、反キリストが現れることはできません。
すべての人が嘘つきであるとしても、神は、嘘をつけません。 >>156
離れる:2017年8月「もうマグダラのマリアと幸せになってください!」←投げやり
反キリスト:2017年9月 キリストの花嫁は最初からマグダラのマリアと教える男 ←LAストーカー再出現
7年間の艱難:マジかー2020年まで? 離れる:2017年8月「もうマグダラのマリアと幸せになってください!」←投げやり
反キリスト:2017年9月 キリストの花嫁は最初からマグダラのマリアと教える男 ←LAストーカー再出現
空のしるし:2017年10月記事・反発する惑星同士が衝突し融合する ←観測は8月(ぎゅるぎゅる始まる)
7年間の艱難:マジかー!最低2024年までは落ち着かないわけ? 🎀離れる:2017年8月「もうマグダラのマリアと幸せになってください!」←投げやり
反キリスト:2017年9月 キリストの花嫁は最初からマグダラのマリアと教える男 ←LAストーカー再出現
空のしるし:2017年10月(観測は8月) 記事・反発する惑星同士が衝突し融合する
←身体のしるし、ぎゅるぎゅる始まる
7年間の艱難:マジかー!最低2024年までは落ち着かないわけ? まだ艱難に入っていません。
その前にラプチャーがあります。
その日は、神様しか知りません。 >>161
私の解釈もまだ私的な試みの段階なので、本気にしなくてもいいです。
まちこさんたちのラプチャー解釈も、カトリックにはありませんし、シャロンさんの教会にもないようです。 イエズスは神の国は見える形ではやって来ないと言われているので、その場合、私たちの霊的側面の危機がおもたる艱難になるかもしれないと考えることもあります。
例えば日本の芸能界や米国のハリウッド的な組合のなかに、ある特殊な思想や影響力が入り込んで仕事ができにくい環境になるなどがあります。
東京のテレビ局では大手のプロダクション関係者について大っぴらに言えないことも地方局では縛りがないから言えることがあります。
はっきりいうとジャ●ーズとかです。
これは一例です。
意に従わない人は業界から干されていく、あるいはムーブメントさえ作り出します。
これが大きな段階へくると国と国、民族、企業、暮らしのシステム、思想の氾濫、前提事項なんかへ浸透し、発展するのです。
NTTから窓口対応が消滅した日を私は忘れることができません。
共通のポイントカードから私たちの情報は管理されるようになりました。あらゆる場所の防犯カメラで行動もあるていど監視されています。 福音派のとるラプチャー説は長い間知りませんでした。
今も私の理解の範疇を超えています。
ただ17年ほど前にイエズスとの関係が明らかとなるよう私が個人的にお願いしたことが、そのラプチャー説と似てるので、いろんなサイトを読んで学びました。 >>161
まもなくチバに大地震がきますので
備えるか引っ越しされてください >>165
私たちは守られているので、大丈夫です。 >>166
守られているので
神は私と言う器を通して警告を発せられました。
神を信ずるか信じないかはあなたの判断です
私は神から言われた通りメッセージをあなたに伝えました >>167
悪霊幼女からの通信?
やっぱり切れてなかったんじゃん パウロによると西暦30年のエクレシアへの聖霊降臨ペンテコステから「恵みの教会時代」「終末時代」が始まったことになり、既に二千年経過している。 ダニエルの七十週預言ではエルサレムを立て直せの勅令から490年経過すると千年統治(王国)が始まる ところが、483年後の西暦26年主の公生涯 30年十字架、復活で(残り三年半を残して)が急遽無期限延期「教会時代(恵みの時代)」が歴史に無理やり挿入 すなわちダニエルの七十週預言はキリストの十字架と復活で残る半週(三年半)を残して→将来の大患難の1260日にシフト移行
教会時代→秘められた神の計画 ローマ11:25〜 エペソ3:3〜
この計画はキリスト以前の人間には天使すら知らない計画 人間の中からイエスの花嫁たちが選抜されると云う驚くべし計画なのだと それが二千年経過した 分かりやすく図解するとこうだ、
エルサレムを立て直せのペルシャのアルタシャスタ王の勅令(紀元前457年)→(69週487年)→主のヨルダン川受洗
残る一週の半ば(西暦30年春)主十字架、復活により成就 ダニエルの七十週預言は半週(三年半)を残して実行が停止された。突然、聖霊降臨がはじまり神の秘められた計画「教会時代」が歴史に無理やり挿入され三年半後に起こるゼカリヤの最終章のヤハウェの恐るべき日と至福千年は延期されたのだ。 三年半を残してダニエルの七十週預言は停止し 聖霊降臨 →二千年の教会時代→信者(花嫁)の携挙で聖霊と共に引き上げられ教会時代終了すると→不定な準備期間を経ていよいよ残り三年半の患難時代→そして至福千年統治となる。 聖書解釈の違いで残り期間を七年とすり方々もいますが、とにかく残り三年半か七年がサタン(が憑依した反キリストの体現者666)の残された期間です。地上は文字通り地獄と化します。緊急避難させられた花嫁たちは幸いです。地上には災いが来ます。 もう其所には創価もエホ証もありません、宗教は統一政府により統合されて信教の自由はない。反対者は囚われ首を打ち跳ねられる、新たに信者にされた聖徒たちは二人の証人と共に世界中に「※王国の福音」を宣べ伝えます。
※マタイ24章にある王国の福音 教会時代の福音 恵みと赦しの福音と区別される >>176
統一政府、統一宗教は反キリストが樹立するんじゃないの?
かなり特殊な福音派の教説がずらずら並べてあるけど 王国の福音とはバプテスマのヨハネから始まる宣教であり、イエスと弟子たちも宣べ伝えた。しかし、聖霊降臨ペンテコステから クリスチャンの宣べ伝える福音は「恵みの福音」十字架と復活に変わる パウロはそれ以外の福音を宣伝する者は呪われよと厳しい。
終末の大患難のみに新たに信者となった者が「王国の福音」を世界中に宣教する。今エホ証が語る王国の良いたよりは偽物である。 >>177
世界統一政府が一つの政治一つの宗教を実行します。今世界中でNwoの監視管理社会移行はその準備(マイナンバーやマイクロチップを人体に挿入も同じ)
三年半もあると、世界は北朝鮮のような タイムマシンの予言したモーロック支配の地獄となります。女性は反キリストの子を産むセックスマシーンにされます。反対者は毒殺か収容所で発狂します。今の恵みの時代が懐かしい。 ↑ かなり特殊な福音派の教説らしいですが ↑
私が望んでいたのは私だけのお迎えでした。
誰にでもわかるように肉の目にも見える形で、私を迎えに来てね、とお願いしたら
「いいよ」
と承諾してくださったのです。
将来、その時の不思議な出来事があって、私のことが世界中で知られるようになると理解していました。 〈被昇天〉
聖母マリアの場合→ ヨハネとペテロにだけ視える
※ 天使の歌声は皆に聞こえた
マグダラのマリアの場合→ 姉妹マルタが幻視
※ 地上生活をしていた頃の被昇天は近くに住む司祭が肉の目で目撃している
ピッピの場合→ 誰の目にもわかる (予定) ピッピさんはキリスト教花嫁派の少し偏り気味異端でしょうね。マグダラマリアをライバル視しているのは異常です。花嫁とは花婿の配偶者、わかりますか?後で2つに別れた花嫁さんの話をいたしましょう、これは秘義です。 >>182
馬鹿ですか?
私は事あるごとにマグダラのマリアとイエズスの祝福を祈りました。
ファウスティナのポーランドがサッカーの試合で日本に勝つように祈りました。
私はいつも相手に譲ってきました。 >>183
キリストにあっては〜馬鹿で上等〜クリステァアノィ(クリスチャンの語源)の意味は
キリストキチガイ キリストかぶれ、キリスト馬鹿ですから つまりクリスチャンとはキリスト馬鹿一代です。 >>167
ありがとう。
メッセージがあるということは、祈りなさい、という神様からのメッセージです。
夢を見た時は、夢の内容がそのまま起きるのではなく、それに関して神に祈りなさい。というメッセージです。 二人のキリストの花嫁 答えは、「大いなるバビロン」と「新しいエルサレム」です。しかして実態は如何に >>188
ヒッピ スレの38と52を参照してくれ。 >>135
>>136
「それから?」
この問いかけがとても気になっていた。
ホスチアはいけにえだ、それから?
それから、ホスチア(いけにえ)=キリストです。
イエズス・キリスト、私たちの救い主です。 ラプチャーの様子を神隠しと説くのはリンゴさんですが、私のお願いは証としてのお迎えですので神隠しじゃ意味ないのですよね。
秘密裏ではなく公開、集合ではなく一人。
試案としての>>160 は、反キリストに見立てたLAストーカーの行動から組み立てたものです。
ご計画の部分的ひな形だと捉えてもいいです。
背教が起こる
反キリストが現れる
神宣言する
この順番のとおりに来ましたから。
極めて個人的な体験でしたけど。 神宣言というか、キリスト宣言というか。
LAストーカーは自身を名乗らないでキリストと誤解されたまま押し切るんです。
悪魔ははっきりこう言いました。
「助けは来たか?来ないだろう。俺がそのイエズスなんだから」 花嫁はアルテミス以外考えられん。
月桂冠が似合った淑女。
ゼウスの悩み。人類全体の悩み。
彼女が結婚すれば、人類のキチガイの性病もなくなるかもしれない。
結婚しても処女だからデートするくらいにしてね。 >>1 >>2 >>3
ジェフ・ベゾス 脱税王
グーグル 嘘を優先してヒット (後は金次第)
スティーブ・ジョブズ 違法ドラッグ愛用→癌
マーク・ザッカーバーグ (大学から追放された)普通のハッカー
YouTube ネタ切れで可哀そう
ビル・ゲイツ 独占禁止法の覇者(法学部中退)
インスタ 写真(しかもつまらん)だけ並べられても困るし使い道がない
アリババ 昔も今も外人が嫌い (4000年の歴史たる所以)
楽天 雑魚の集まり
ソフトバンク パチンコ屋で禿げ
ドコモ 古き悪き日本
メルカリ セコイ日本人の典型(後追い・物まね・横取り)
ライン 2011年〜(whatsapp2009年〜)
Naver 95%以上デタラメ、韓国、ライブドア
アメブロ 能無ししかいない
5ch 火消し屋(旧マスゴミ)のみ必死でバカだけ騙され庶民は無視
堀江貴文 相変わらず今も日本一のペテン師
ひろゆき 分かりやすいキモヲタ
前澤友作 「お客さまを神様だと思ったことは一度もないです」 身長 162.1cm
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120424/231350/ph001.jpg
https://i.ytimg.com/vi/owUEcOcQuZ8/maxresdefault.jpg
ZOZOTOWN,WEAR スタートトゥデイ成功の秘訣 前澤YOUxSUCK
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/shop/1527216216
Lady Gaga - The Edge Of Glory
https://www.youtube.com/watch?v=Ql03fSd2ydc ファウスティナの霊的な苦しみとはどういう経緯で送られてきたのだろうな。
嗚咽を洩らすほどの苦しみとはどんなものか。他人の苦しみをその人の代わりに体験するという。
これはシェアではない。移動である。
相手の立場は、あたかも正当な苦しみを受けることなく鈍感でいられる忘恩の徒みたいではないか。 ファウスティナが守護のうちに幸福に亡くなった後、戦争が始まり、仲間の修道女たちはレイプされ妊娠して(うまい具合に着床したものだ!)、我を辱めた憎き男の子どもを産んだ。
国は二つに引き裂かれたが、共産国圏となる。
悲しい記憶からシスターたちはどう立ち直ればいいのか。
何を期待されているのか、ただの人格者になることか?
そんなわけはあるまい。
いったい神様は私たちの悲惨な体験によってどんなことを期待されているのだろう。 神は私たちを呪って、レイプされよと命じた。神のご命令がレイプなのだ。罪を償うための罰がレイプなのだ。
これはまだ優しいのだろうか。残虐な殺人の前に残酷極まりないレイプがある。
これが神のご命令なのだ。
生きていれば廃人になるのも当然だ。
何を思えばいいのかわからなくなる。
イエズスの残酷な一面を忍耐すれば現実が無くなるわけではない。あったのだ。
神は残酷なことを私たちにお命じになられ、罪びとに罪を犯すことを許された。私たちの罰のために敵に罪を犯すことを許されたのだ。だがなぜか、その犯された罪はまた罰される。
私の悲しみは癒えない。記憶があり得るかぎり、悲しみが消えるわけない。
甦りとか、回復とか、復活とかより、初めからないほうがよかった。
起こってしまったという残念な気持ちが絶望の印籠を渡してる感じ。 聖母の涙はイエズスの罪なき苦しみを悲しんで流しているのだという。
ファウスティナも他人の苦しみを故なくして身に負った。
だが私たちは自分自身に起きたことを悲しみ、それ故に泣いている。
こんなに苦しくもがいていながら、立派な行為とは呼ばれず、罪人同士の当然の報いとして忍耐するだけだ。
「私のことを思い出してください」としか言えないとは。
守られず、犯されて、苦しみ、涙しても、聖人の足もとにさえいない。 悲しみを忘れることはあっても、悲しみが消えることはない。
神がこのことを許されたからである。
現実がいつも悲しい。
聖女たちの甘美な霊体験がイエズスからのものだとは限らないんじゃないか?という疑いがどうしても残る。
どうしてイエズスの霊が、彼女たちに甘美な霊を送るのか。それが理解できない。
私なんかLA男の霊に覆われて一日中甘美な霊体験しとったもの。あれはイエズスではない。イエズスはなぜ私を与えたまうのか?
実際のイエズス自身が与える甘美なら、どうしてもその意味がわからなくなる。
なぜそんなことをするのか? どうしても止まない体のしるしについて考えている。
これはヨブ記のような悪魔と約束を交わされたことのしるしなのだろうか。すると終わりがあるはず。
それとも私の心理に何らかの変化の状態が認められると止むのか。
甘くもなく不快でもないが、出所不明で不気味だ。
「あなたのそばにいたい」と切なく訴えて裁きの庭まで付いてくるような私の「罪」の一つなのだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています