【聖書】ピッピのブログ通算12【生活】 [無断転載禁止]
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演技にしてもそうだけど、潜心して一体化するのって大変。
自分じゃない人と同化するんだもの。
技巧に頼らないでストレートに歌った方が良かったかもしれない。 千葉県やっぱり地震があったのですね。
今後も注意だって。
震度3あたりで済んでよかったと今朝思ったんだけど、 >>367
>>368
体験しないとわからない苦しみ、痛み、悲しみ、感謝…
そういう残念な結果なんだろうな https://www.cbcj.catholic.jp/2018/06/11/16953/
教皇フランシスコ、2018年4月11日一般謁見演説:1.洗礼
2018/06/11
フランシスコ 教皇文書 諸文書 一般謁見演説
教皇フランシスコ、2018年4月11日一般謁見演説
洗礼に関する連続講話 教皇ツイッター
聖霊は、わたしたちが日常生活で遭遇する状況の中で聖性に達するために、必要な力を与えてくださいます #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #聖霊 #聖性 twitter.com/Pontifex/statu…
18:56 - 2018年6月11日 ひところ、世間でメロンパンが流行った。
私はこのメロンパンが昔から苦手。皮はべた甘いし中はパサパサ、屑が床に落ちると掃除しないといけない。
指がベタベタになるのもいやだった。 *
あなた御自身がわたしに、十分だ! と言われる日まで戦います 245
と聖ファウスティナは書いています。
*
「この変人! ヒステリーの妄想家、この部屋から出て行きなさい。シスター、あなたなんか知らない!」そして考えられる限りの罵詈雑言をわたしに浴びせ続けました。129
カトリックは戦いを常に心に留めていますね。
*
「老齢でも戦いは免除されません。」517 器が大きくなればなるほど、それに見合った苦難や試練が舞い込みますな
それらを経ながらさらに器を大きくしてゆく
好きじゃないとやってられないすねw 灰の水曜日と前日の大騒ぎの落差による苦痛をファウスティナはうめくほどに感じていたらしいです。
『聖ファウスティナの日記』
926〜に詳しい。 従順、沈黙、忍耐。批判は言われるがままにしておくファウスティナも立派です。
でも私は時々、体を揺さぶってくれることを望みます。
誰かが後から恥ずかしい思いをするくらいなら、今、涙と共に説得してくれて、悔い改めるなら、罪を未然に防ぐことにならないでしょうか?
やり方は、
おのおのが精一杯のことをやればいい。生活費のすべてを献金したやもめのように。
それが全力で隣人を愛することにもなると思います。
もちろん恵みと祝福は人間の努力によるものではないから結果は二の次。 五島手延べうどん(椿油使用)
タイ風カレースープ(カオソーイ)
えのき、人参、パセリ載せ
美味しい!
↓
https://kaldi-online.com/item/4515996910791.html
こんにゃくさしみ、大葉
練りパクチー、練り生姜、練りわさび
アイスアップルティーオレ >>392
なぜなら、私たちにはファウスティナのような直截的な主との親しい交わりがないのですから。
その都度、交通整理してくれる声はない。私たちには各々信じる感覚に従うことしかできないのです。 イエズスの預言、聖書の預言は繁栄ではなく破滅だもの。
この破滅から救われる方法が、イエズスの十字架における信仰なのだと。
前もって予告されているのに
「平和だ、安全だ」
大丈夫だと油断する人々がいる。 本日の『manna』ローマ 11:25-36
イスラエルの救い
イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、
こうして、イスラエルはみな救われるのです。
「(イザヤ59:20-21)」
32
神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。 >>376
「天国では逆になる」
「わかっているはず」
これらは別の日、まったく別のことです。 農家へ戸別宣教するイエズスの後を追う小さな女の子のビジョンを思い出している。
私が別の人に恋をした頃、イエズスが後ろ手を縛られて何か叫んでいる(無音)ビジョンを視たが、その後日に見たものだ。
あの時、女の子は急いで走って行きイエズスの後ろを追いかけていた。
イエズスは待たない。どんどん先へ行く。
私もビジョンの中では小さな女の子だった。私の代わりにパートナーが変えられたのだと思った。 ビジョンの中のイエズスは現代的な服装をしている。
髪型も短い。
背は高く、痩せ型。
つい最近のことだが、別のビジョンを視た。イエズスは二千年前のような服装と長い髪。
ファウスティナの幻視したいつくしみの御絵のような人の姿をしていた。 >>392
今、涙と共に説得してくれたほうがいい。
そして悔い改めたなら 自分都合で「これでいい」と思って生きていても、主の御眼によると甚だしい罪である。
これが神の光による照らしである。
またその逆もある。ファウスティナは悪霊による惑わしを受けて、あらゆる考えが罪であるように思った。
聴罪司祭に多くの罪を告白しようと準備していた。しかしそのうちの二つしか打ち明けられなかった。
イエズスは「わたしの目には罪ではない」からあなたに忘れさせたと、ファウスティナの心の交通整理をしてくださった。
何が罪で何が罪でないか、神の照らしなしでは本当のところはわからない。償いは十分かそうでないか、自分に甘いか厳しいか、煉獄行きか天国直行か、わからないのである。
準備をし、重大な間違いを避けよう。 *
あなたの正義によってわたしは正当に破滅させられる
『聖ファウスティナの日記』1093
それでも、あなたは自信ありますか? 列王記 上
18:21 そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。 「滅び行くまで」
滅んでも、じゃないんだ。
永遠に残されるような気がしてた。
イスラエルの救われるまでかしら。
マタイ
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。 1938年10月5日 ファウスティナ帰天(ポーランド)
1939年9月1日 ナチスドイツがポーランドに侵攻する
1939年9月17日 ソ連がポーランドに侵攻する
帰天から7年後、
1945年 第二次世界大戦 終結
※ 罪人たちによってナグ・ハマディ写本が発見されたのもこの年 ナグ・ハマディ写本が発見された経緯を知ると、殺人→復讐殺人→そのまた復讐殺人した兄弟がその第一発見者であることがわかる。
キリスト教異端グノーシス派の文書群=ナグ・ハマディ写本
『マグダラのマリアによる福音書』
『ユダの福音書』
『トマスによる福音書』など
聖なるものが、このような汚れた者たちから発見されるだろうか? >>406
父親が人殺し。
息子たちも人殺し(人肉を食らう)。
こんな呪われた系譜からは悪魔のものしか発見されないのではないだろうか。 マタイ25章
40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
45 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
46 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。 http://www.yasuragi-church.org/archives/603
ノアに警告があってから洪水までは120年の猶予期間があった。入るための準備期間はたっぷりあった。また箱舟は誰にも見られないように密かに造られていたというわけではない。
もう一つは45〜51節の「悪いしもべのたとえ」である。主人が留守の間、悪いしもべも一応、主人の帰りを待ってはいる。しかし待ち方が悪い。
48節にあるように、「主人はまだまだ帰るまい」と思い込んでいる。緊張感なく、のんきに構えている。だから掃除はさぼり、家の管理や畑の管理は適当にし、仲間たちとの飲み食いにうつつを抜かし、まるで、主人は帰って来ないと決め込んだような放埓ぶりである。
しかし、主人は必ず帰って来る。その時、後悔しても手遅れである。当時、こういうしもべは牢獄行きか死刑だった。このしもべの認識は、主人の帰りに関して、「まだ時間がかかる」という認識。けれども、聖書はそれと反対のことを言っている。
「世はふけて、昼が近づきました」(ローマ13章12節)「時は縮まっています」(第一コリント7章29節)「主は近いのです」(ピリピ4章5節)
「かの日が近づいている」(ヘブル10章25節)「主の来られるのが近いからです」(ヤコブ5章8節)「万物の終わりが近づきました」(第一ペテロ4章7節)。聖書の認識は「近い」である。
同じコップの水を見ても、「もうすぐあふれる」と「まだ大丈夫」に分かれる。「まだ大丈夫」が「まだまだ大丈夫」になり、「まだまだまだ大丈夫」に進み、「絶対大丈夫かもしれない」になり、「自分だけは大丈夫」ともなる。
キリストの来臨について言うなら、「まだ来ない」が「まだまだ来ない」となり、「当分来てほしくない」「来なくてもいい」となる。そして現世的世俗的関心に没頭してしまう。だが主は近いのである。 ペテロ(一)
4:15 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。 ペテロ(一)
3:16 しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。 教皇ツイッター
子どもたちが落ち着いた環境で遊び、学び、成長できるようでなければなりません。希望に向かう、喜びに満ちた子どもたちの衝動を抑えつける人は何と不幸なことでしょう #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #子どもの成長 #子どもへの抑圧 twitter.com/Pontifex/statu…
17:34 - 2018年6月12日 本日の『manna』ローマ 12:1-8
クリスチャンの生活
[みことばを味わおう]より
当時の「この世」とは、ローマ帝国のことです。帝国は、先に世界を支配したアレキサンダー大王によるヘレニズム(ギリシャ風の)文化の基礎の上に築かれました。
ギリシャ神話にも見られるように、不品行や姦淫、怒りなど、聖書の神の国の品性にそぐわない精神性がある文化です。
世界を支配し経済的にも発達していたため、ぜいたくと不品行と堕落がまんえんしていました。
さらに「この世」とは、見えない悪しき勢力の支配する「この世」のことです。
(ピッピ談)
自由というより放縦のイメージがします。
ナザレのあるガリラヤ地方もこのヘレニズム文化の影響下にあったと聞いたことがあります。 ローマ12章
2
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
3
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。 【つまんなかった対決 Part2】
中森明菜 『Dear Friend』
松田聖子 『ピンクのモーツァルト』
前者はシャンソンなら良いがPOPには向かない。歌詞が地味なせいではない。声が全般的に低いせいだ。
後者は何が言いたいのかわからない。本人もわかってないのではないか。
声が上ずりとても辛そうだ。
そのくせ効果音は重厚なのだから歌い手の印象がますます薄くなる。 マタイ25章
28 さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
29 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 マタイ25章
31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
33 羊を右に、やぎを左におくであろう。 マタイ24章
43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 マタイ24章
50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 マタイ24章
28 死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
31 また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。 呼び集めるというのは
惹きつけられた人たちが自然とそこへ近づいてくるというイメージがする。 37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。 つまり、同時代にいる時は気づかなくて
後世になれば分かるってことかしら? >>414
ペテロ(一)4章
3 過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。
4 今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。 ペテロ(一)4章
17 さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。
18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。 本当に…
義人でさえ
かろうじて救われる
まったくだ >>410
沈黙ってねえ
相手を勘違いさせるものです。
たとえば私が母について黙っていた時には、母は私に、生命保険の隠し場所を教えました。
私の母への評価はまったく変わりないのに。
兄も、私について何の批評もせずにいた頃があって、私は誤解しました。しかし違いました。
いやあ、あれはビックリでした。
神様が私たちのことをどうご覧になっているかわからない沈黙の時に、人はいかようにも受けとるのですよ。 教皇ツイッター
祈るとき、神のことばを聴くとき、そしてご聖体を受けるとき、つねにイエスに出会い続けてください #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #イエスとの出会い #祈りと聖書とミサ twitter.com/Pontifex/statu…
17:17 - 2018年6月13日 人間の努力で真の平和がやって来ることは決してない。
外的な戦争が終われば、内的な戦争が主流となる。 【その日がいつかは知らない】
ノア(予告・船作りの命令)
→人々はノアになぜ船を作るのかを尋ね、ノアも答える
→だが人々は信じなかった
→船が完成し、神から船に乗り込むよう命令される
→大洪水
イエズス(予告・弟子作りの命令)
→人々はイエズスになぜ教えるのかを尋ね、イエズスは終りの日が来ると警告
→だが人々は信じなかった
→教会が完成し、イエズスのしるしにより悔い改めて教会共同体となるように命令する
※ 異邦人を集めているところ
→火の洗礼 おやつ
長崎銘菓クルス
アイスアップルティーオレ
クルス三種類
珈琲味、ホワイトチョコレート(ジンジャー)味、しあわせ(さちのか苺)味 本日の『manna』ローマ 13:8-14
今の時を知る
8
だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。
13
遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。
14
主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。
(ピッピ談)
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されると聖書は語ります。
解説には、パウロが愛を「負債」、しかもある意味「返し切れない負債」と捉えていると書いています。私たちがどれだけ隣人を愛そうともまた善を図ろうとも、とうていお返しし切れない負債なのだというのです。
再臨の時を待ち望む私たちは身を慎み生きることを期待されています。 >>405
まるでファウスティナを天へと連れ去ってから、世界戦争を許したかのような展開。
ノアの日もそうだったし、ソドムの破滅する日もそうだった。
ルカ17章
28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
※ ロトが逃げ去るのを待ってから
確信=信仰
ルカ17章
5 使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。
6 そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。 書き分けが難しい。
さすがに毎日の食事メニューは花嫁スレには書かない。
あまり意識はしてない。 ルカ17章
34 あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
35 ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
36 〔ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。
37 弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。 トランプ大統領はキリスト教のことも伝えたと、確か仰いましたよ。
https://www.cbcj.catholic.jp/2018/06/13/16976/
「聖座は、対話と和解に資するあらゆる行動を支援したいと思いますし、この機会を利用して、イエス・キリストのよい知らせを北朝鮮にもたらしたい」と、大司教は語りました。 http://ja.radiovaticana.va/news/2018/06/13/「十戒」を新たなテーマに、教皇一般謁見のカテケーシス/1376070
福者ピエール・ジョルジョ・フラッサーティの「適当に生きるのではなく、生きなくてはならない」という言葉を思い起こしつつ、
今日の若者たちには、健全な意味での安定を求めない心、真の人生に飢えた心が必要と述べられた。 >>404
律法=十戒も神の啓示によるものだから、滅びるわけではない。
マタイ24:35 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。 >>399
最近見たビジョンというのは、もう先月以前ですけど
小さな天使らしき者を数人連れていました。
私の肉体から出る廃棄物の音(たとえばゲップ)に恥じて辟易してる時、イエズスがあきれて「ピッピ…」とつぶやいているところを視ました。
その時のイエズスが神のいつくしみの御絵の姿そっくりでした。 考えてみてください。
イエズスのゲップなんか誰が聞きたいものですか!
それと同じです。 私の若い頃の信念です
戻りたい
【強烈な善(神)なるものへの信仰】
善いものへの変化を信じること
善いものへの変化こそ本性と信じること
善いものを信じること
善いものを喜びとする
善いものへ向かうように励ますこと 理由が不品行なら離縁してもいいの?
ここに不思議な逃げ道が残された。
マタイ5章
31 また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。
32 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。 教皇ツイッター
どんなに貧しくとも、自分のもっているものを与えられない人はいませんし、何よりもまず、自分のあるがままを差し出せない人はいません #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #自己奉献 #分かち合い twitter.com/Pontifex/statu…
16:53 - 2018年6月14日
今日、ロシアで始まるサッカーワールドカップの出場選手と、応援するすべての皆さまに、心からのごあいさつを申し上げます。
このスポーツイベントが出会いと友情の絶好の機会となりますように #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #サッカーW杯 #出会いと友情 twitter.com/Pontifex/statu…
17:15 - 2018年6月14日 おととい スズメバチ殺した
昨日 普通サイズのハチを逃がしてやった
今朝 体にミツバチが何匹もついてる夢を見た Amazon支払いのためセブンに行く。リジューの聖テレーズ関係三冊。
ついでにお昼用のパスタ
ひじきコールスロー
あんドーナツ
ペプシコーラを購入。 本日の『manna』ローマ 14:13-23
自由とつまずき
リビング・バイブル
15
兄弟があなたの食べる物のことで心を痛めているのに、平気でいるとしたら、愛によって行動しているとは言えません。
あなたの食べる物のことで人を滅ぼしてはなりません。その人のためにも、キリストは死なれたのです。
20
食べ物の問題で、神の働きを台なしにしてはなりません。肉そのものは悪くなくても、それが他人のつまずきとなるなら、肉を食べるのはよくないということを忘れないでください。 オレオレ詐欺の特徴は、普段とは違う状況にあると思わせること。
ファウスティナも主の声音を真似る悪魔の語りかけを聞いている。
ヨハネ10章
26 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
27 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 【チコちゃん(NHK)に聞く】
花がいろいろな色なのは
花によって好みがバラバラだから
ミツバチ→赤が見えない
ミヤマアゲハ→赤が見える
人間とは色の見え方が違う
(紫外線の影響で)
(ピッピ談)
神の御眼もそれと同じ。
イエズスの好みは貧しく清らかな処女。
ピッピの好みは真面目で信頼できる人。心がイケメン。
※ やきもち焼かせようとする人には、失望して去ってゆく。
冗談では済まない。 私はストレートな人が好き。
ただしイケメンにかぎる。 身の程(みのほど)を知れ。身の威(みのたけ)で生きよ。 イエズスの好みは貧しく清らかな処女。
なぜならイエズスは愛も知恵も財産も不足なしの無尽蔵だからです。 イエズスの好みは貧しく清らかな処女。
なぜならイエズスは愛も知恵も財産も不足なしの無尽蔵だからです。
いかなる知恵者も
いかなる美人も
いかなる金持ちも
またいかなる権威も
主の無尽蔵の御前で媚びることはできない。 イエズスの好みは貧しく清らかな処女。
なぜならイエズスは愛も知恵も財産も不足なしの無尽蔵だからです。
いかなる知恵者も
いかなる美人も
いかなる金持ちも
またいかなる権威も
主の無尽蔵の御前で色目つかうことはできない。 午後から強い眠気に襲われて夜8時近くまで寝てました。
途中うとうと目が覚めたりもしました。
今が何日の何時で寝る前までどんな暮らしをしていたかわからなくなりました。
夢の中と現実がまるで切り離されたかのように生きてる時ってありますよね。
私、死んだら地上で生きていた頃のことを忘れてしまうかもしれないと思いました。 夢の世界での切り替えって何だろね?
夢の中で、私は何か継続してやっていて、そのすべてを把握してるのよね。
昔、夢の中で突然気がついたらブカブカの白衣を着ていたことがあるの。
まるでブラックジャックの白衣をピノコが羽織ってるみたいに。
その時、中身が突然入れ替わったというような感じで。 >>455
わざと逃げておいて
「追いかけて欲しかった」
とかって、ふざけてるのかと思うもの。
私は本気なの。
追いかけて来ても、多分、唾吐くわ。 眠いけれど起きました。
あやめ♀がうるさくてかないません。
カーテン開けて、窓を開ける←外を見たいらしい。餌、水(お湯)の入れ替え。
これがルーティンです。 >>327
>>362
本日の『manna』創世 41:1-25
ファラオの前に出るヨセフ
1
それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。
2〜7
(略:夢の記述)
8
朝になって、ファラオは心が騒ぎ、人を遣わして、エジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。
ファラオは彼らに夢のことを話したが、解き明かすことのできる者はいなかった。
9
その時、献酌官長がファラオに告げた。…
14
ファラオは人を遣わして、ヨセフを呼び寄せた。人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。
ヨセフはひげを剃り、着替えをして、ファラオの前に出た。
(ピッピ談)
なんだかペルシャ王とモルデカイの時のような。
上からの権威による統治は上から変えていくしかないのだろうか。 聖ファウスティナ
1905年-1938年
聖ルチア
1907年-2005年
松本清張
1909年(明治42年)12月21日- 1992年(平成4年)8月4日) 教皇ツイッター
愛はいつも、他者への献身です。愛はことばではなく、行いの中に見られるからです #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #愛 twitter.com/Pontifex/statu…
17:32 - 2018年6月15日 >>470
ドラマ『危険な斜面』(原作 松本清張)をやっていたものですから。
後半から見ました。 明日は年間第11主日
小さな確信がいつのまにか成長すると、その人の中で信仰は大きく実る。
疑いではなく信仰を与えてください。
からしだねのような信仰を与えてください。
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleB/b_ord11sun.php リジューの聖テレーズ、聖ファウスティナ、聖人たちはよく云うみたいね。
生きていた頃よりも死んだ後に、もっと働くようになるといったことを。
私はそもそも聖人になりたいと思ったことがこれっぽっちもない。
そして、私に頼ってほしくないと思ってる。
プロテ教会の影響ではない。
大それた考えだと思うから。自分自身の判断や力が働くものは何であれ確信的ではない。
ところが普段の生活を送りながら、やはり祈るのである。
誰々さんをお救いください。
また、誰々さんはイヤです!など。
主に一任したところで私自身は納得しないのであろう。
最近ではよくみこころを理解させてくださいと祈っている。
死んだ後にこそ本来の働きをするといった確信はどこからやってくるのか。地上で生きている時にすでにみこころと一致しているという自信は、いったいどこから湧いて来るのか。
私はこんなにも自信がない。 私なりに励まして、私なりに慰めて、私なりに注意してる。
それは冷静に考えてみたら私のものでしかないけれど、分からないなりに、放置してはいけないとセンサーが走る感じだ。
結局私の信仰が作用しているのだと思う。
でももう少し抑えてみよう。
そしたら夜の間に働かれる神の成長がもっと明らかになる。
毒麦が出るかもしれないし、立派な枝、可愛い花が咲くかもしれない。 いやマテ。
霊に乗せられて想像したことならある。
私の好み次第で羊と山羊を分けることを。
私はキリストの唯一人の花嫁として現れるのだ。私だけを迎えに来られる。
そして世界は度肝を抜く。
そうだ、つい最近まで私はキーパーソンだと認識していた。
聖人以上の存在として、まるで聖母と一体であるかのように。
まずキリストを、そして聖母を後ろ盾にした私を受け入れることが救いの条件だと。
あの乱暴な確信は何だったのだろう。
イエズスは私を受け入れない人をキリストランドには入らせないと信じた。
それが私を安心させていたのだ。
私は努力なしにただ私であるだけでよかった。イエズスは私を愛しているのだから。
間違った確信が崩壊して、私のためにこれはよかった。 ああ、みこころ月も早や後半!
教えてください、あなたのみこころを。
傷ついた葦を折らず
というみことばが浮かんでいます。 福音派の携挙説なんて知らなかった。
「迎えに来てください」というのは私の方からお願いした。
私の思いが福音派の霊的背景と重なったのだろうか。
しかし私は私だけを迎えに来て欲しいとお願いしたのであって、集団携挙の発想はまるでないのだ。
さらに「私が死んだら」の条件つきだったから、生きたままの携挙ではない。
若いままで死にたかった。もうすでに、とっくの昔に死んでいるはずだった。 ディズニーアニメの影響が考えられる。
眠れる森の美女のオーロラ姫
白雪姫
死んで(眠って)いたのに王子のキスによって生き返る話だ。
私の場合は空に浮かんだ時にキスをする予定だった。
誰もが私たちの関係をわかるようにしたい。
イエズスの姿は二千年前のものではなく現代的な姿だった。
これでは誰だかわからない。
想像では昼間の青空を背景にしていたので、夜あるいは暗くなってからではなかった。
夜では目撃されないではないかという単純な理由だ。
光を伴うのなら夜も有り。逆に目立つのだな。 それからはわからない。
地上で何があるのか、ないのか。
私の希望は宇宙一周の新婚旅行。
これもかなり昔のお願いだけど。
一瞬で周り終えるかもしれない。私は宇宙の果てとやらに行ってみたかった。隅々まで。あの美しい光を訪ねてみたかった。
どうなっているの、宇宙は。
どこまで広いの。
それから二人は融合して太陽のような存在となる。
イエズスが私を包んでくれる。いつも胸の中に私を閉じ込めていてくれる。
私はもう離れなくていいのだ。いや、離れたくなっても許されない。一時的な許可はあっても永続は許されない。
そんな幸せな束縛の未来が待っている。
他人のことは考えになかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています